第34話 手入れの対価
◇◇◇
深夜。眠りについた静寂な村の一角、試火の広場で、古の魔導士は双剣を手に一人佇んでいた。蒼白い刀身は太く、片刃で描かれる緩やかな弧が独特の威厳を放っている。
数百年月光に晒し霊力を溜めた鋼、かつての友の骨と革を利用した柄。神々の住まう時代からずっと傍にある相棒の一つだ。
セリヴァルは目を閉じ、スゥと息を吸い込んだ。
踏み出し、剣を振る。
風を身に纏い、軽やかに、緩やかに、大気を裂いて彼女は舞う。
敵をイメージするでもなく、ただ静謐な舞が余計な思考を削ぎ落とし、栗色の髪が夜闇へと流れる。
我はそこに在りしもの
汝の傍に在りしもの
汝を包み
汝と歩み
汝が恐れ
命の種を運ぶもの
やがて足を止めたセリヴァルは小さく息を吐き、剣を下ろした。
(身体を動かしたくなるなんて、らしくないわね……)
エルディンガル一族の村に来てから一カ月と少しが過ぎた。
スティルクは相変わらず隙あらば手を伸ばしてくる。大勢の前では控えていることを褒めてやるべきか、しかしソルガンやファイカンの前では、もはやお構いなしだ。養父と友には気を許している証拠なのだろうか。
初めのうちは引き気味だった二人も、今ではすっかりその光景に慣れてしまったらしい。スティルクがセリヴァルを抱き寄せていても、景色の一部として受け入れている。以前から思ってはいたが、彼らは順応性が高過ぎる。
(引き剥がすと不満そうな目で見てくるし……。私もつくづく甘いわね……)
スティルクは以前よりもずっと感情を表すようになり、行動も分かりやすくなった。思い返すたびに、胸の内に浮かぶのは少しの困惑と、微かな温かさ。
「そろそろ頃合いかしらね」
ソルガンが言っていた通り、いつまでも彼の傍にはいられない。
不死ではなくとも寿命を持たないセリヴァルは彼と同じ刻を生きられない。
ふと数千年の付き合いになる双剣に視線を落とす。刃には細かな擦り傷が刻まれ、柄に巻いた革には手の脂が馴染んでいる。最後に手入れをしたのはいつのことだったか。
普段これを収納している亜空間の宝物庫には時の流れもなく、刃が錆びる心配もほとんどないが、さすがに放置し過ぎたかもしれない。
(せっかくだし、明日ソルガンに研いでもらおうかしら。色々文句言われそうだけど……。研いでもらう対価は何がいいかしらね。霊獣鹿の角とかいい素材になるから喜ぶ気がするのだけど)
胸の内に湧く想いを振り払うように、古の魔導士は双剣を収めて広場を後にした。
◇◇◇
「……あんた、これちゃんと手入れしてるのか?」
翌日、セリヴァルが差し出した双剣を一瞥するなり、ソルガンは眉を顰めた。
「いや、だから、それがいつ手入れしたか覚えてないから頼んでるんじゃない」
わざと軽い調子で返すも、ソルガンの視線は双剣から離れることなく、指先で刃を慎重に触れながら容赦ない言葉を続けた。
「小さいが、ところどころ欠けがあるぞ。神秘の剣なんだろ? それにしちゃ光沢もないし、これではまるで古びた農具ではないか。そうそう錆びることはなかろうが、愛用品ならもう少し気を使え」
セリヴァルは面倒くさいという感情を隠しもせずこめかみを押さえた。
(本当にすっごい文句言われたわ……)
雑把な己の性格を棚に上げ、これだから職人の頑固親父はなどと悪態をつきたくなる。
「妙な脂が付いているようだが、最後に何に使ったんだ?」
「えぇっと……何だったかしら? 小型魔獣の群れを斬り伏せたとき……?」
顎に手をやり、天井を仰ぎながら懸命に思い出す。
しかしそんな通り過ぎるだけの記憶を正確に残しておけるはずもなく、あれがいつのことだったのかも分からない。
「……それをそのまま鞘にしまったのか?」
「鞘? 鞘なんか作ってもないわよ。どうせ宝物庫にしまうんだし、邪魔なだけだわ。あ。魔獣の血はちゃんと拭ったわよ?」
「あんたなぁ……」
ソルガンはまだ説教を続けようとしていたらしいが、開かれた玄関戸の音と飛び込んできた声に遮られた。
「ソルガンさん。素材の原木、集めてきましたよ」
「おぉ。おかえり。鍛冶場に置いといてくれ」
片腕に数本の丸太を抱えたスティルクは一度奥の鍛冶場へと入ると、すぐに戻ってきた。そして当然のようにセリヴァルを背後から抱き寄せる。クッションか何かかと思ってやしないだろうか。
ソルガンはもはや一瞥することさえしない。
「何ですか? その剣。魔力の気配がしますね」
東方ではあまり見かけない形状の剣に、スティルクはすぐに興味を惹かれたようだ。元来は好奇心旺盛な性格だったのか、単に剣の類が好きなだけなのか。
「セリヴァル殿の剣だ」
「セラさんの? セラさん、剣扱えるんですか? 精霊で、魔導士なのに?」
確かに意外には思われるかもしれない。しかしだからこそ、接近戦においては虚を突くことが可能なのだ。魔導士と聞いて剣を揮うことを想像できる人間はそう多くはない。
「魔力で対応できないときとか、周囲を破壊したくないときとかは剣の方がいいこともあるのよ」
「セラさんでも魔力で対応できないことがあるんですか?」
「今では稀だけれどね。昔、まだ神々がいた時代にはボコボコにされたこともあったの。首を掴まれたときには短剣でも持っておけば良かったと思ったものよ。なんだかんだで、あいつらは物理に弱かったりもするしね」
「ふぅん……」
もっとも、人間が扱う普通の武器では傷一つ付けられないのが神という存在だが、それはひとまず置いておく。
じっと剣を見据えるスティルクの視線に、ソルガンが閃いたとばかりに声を上げた。
「おぉ! ちょうどいい! スティルク、お前が対価を受け取ってセリヴァル殿の剣を手入れしなさい」
「……僕が?」
「あぁ。お前、儂が教えてからずっと、自分の刀は自分で研いで手入れしているだろう? 儂より適任かもしれん」
「ちょっと、勝手に決めないでよ」
剣とセリヴァルの間で行き来するスティルクの視線が、期待と興味で満ち溢れている。彼が手入れを引き受けるとなれば、対価に何を要求されるか──その未来を思い浮かべただけで、胸中に嫌な予感が広がってしまう。
しかし黒瞳を輝かせたスティルクが要求したのは、想定とは全く異なることだった。
「じゃあ僕、セラさんと手合わせしてみたいです」
「…………え?」
満面の笑みに滲む高揚感は、セリヴァルに拒否することを許してはくれなかった。




