第30話 無情の検証
◇◇◇
(惚れる……かぁ。惚れるって、何だろうなぁ……)
ソルガンの家から帰宅したスティルクは囲炉裏の傍にごろりと仰向けになると、懐から淡い光の栞を取り出した。
──あなたの選ぶ道に、光多からんことを。
まるでこの儚げな光がその道標であるかのように、古の魔導士は祈りの言葉を口にした。微笑む翠玉の瞳があまりに深く美しく、気づけば唇を寄せていた。
彼女に触れたいと思ったのは、あのときが最初だった気がする。
(セラさんはきっと、僕がどういう人間なのか見抜いてる……)
それを恐れるでも癒そうとするでもなく、平然と受け入れ、ただそこに在るものとして屈託なく笑い、光を贈ってくれた。
ソラリスフィオレの栞は「してくれたことへの礼」だと言い、朝焼けの花吹雪は「自慢したかっただけだ」と嘯いて。
(セラさんには触れたいし、何なら抱きたい。他の人にはそんなふうに思ったことないから、その先を知りたかっただけなんだけどなぁ……)
彼女が人ではないと知っても何一つ揺らがなかった。むしろ超越者として数千年の歳月を生きてきた存在だからこそ、自分のようなちっぽけな人間の内面などお見通しなのだろうと納得した。
それよりも胸がざわめいたのは、彼女がいつまで村にいてくれるのか分からないという事実を突きつけられたことだった。
(このままだとセラさんを抱けないどころか、触れられなくなるし、一緒にいられなくなっちゃう……)
それは困る、と思った。
ざわめきの正体が困惑なのかは自分でも分からなかったが、生きること以外への執着は初めてのことだったのだ。彼女は行為自体は嫌ではないそうなので、多少強引に押したら折れてくれるのではとさえ考えてしまう。
しかしもしそれでも自分に変化がなかったら、そのときは本当に怒って拒絶されてしまうかもしれない。
「……それだけは、さすがに避けたいなぁ」
思わず声に出し、かぶりを振る。あの瞳に嫌悪の色が浮いてしまったらと思うだけで、胃の底がせり上がるように気持ち悪くなってくる。
今でもだいぶ強引な行動を取っている自覚はあるが、あれがぎりぎり許される境界だろうことも理解している。
(僕が何も感じられないのがいけないのであって、そうじゃなくなればセラさんは僕と寝てもいいって……ん?)
そこでふと、思い至った。
「あれ? 僕、どうしたらセラさんと寝れるんだ……?」
彼女以外の相手に同じ欲を抱いたことはない。寝ても特に何かを感じたこともなければ、感じられる気もしない。
だからこそ抱いてみたいのに、感じられるようにならなければだめだと彼女は言う。これでは卵が先か鶏が先かという、堂々巡りな話なのではないか。
「……あ、そうだ」
不意に閃き、身体を起こす。
思いついたからには試してみたかった。ソラリスフィオレの栞を懐へ戻し、急いで家を出る。
傾きかけた陽光を一瞥したスティルクは、全速力で山道へと駆けた。
◇◇◇
(うーん……いい案だと思ったんだけど、やっぱりだめかぁ……)
高い声を上げて乱れる肢体を見下ろし、口惜しさでいっぱいになってくる。
常人が聞けば信じられないほどの速さで麓の街まで下りたスティルクは、早速検証を実行していた。
──そう。これはただの確認作業でしかない。
めぼしい相手を探していたところ、ちょうど彼女と同程度の髪の長さを持つ女性が声をかけてきたのだ。普段なら煩わしさしか感じないが、今は渡りに船だった。
日も暮れてきて逢引屋の部屋は薄暗い。その中で顔さえ見なければと後ろからにしてみたのだが、どうにもうまくいかないのだ。
唯一抱きたい相手を思い浮かべながら抱くことで何かが変わるのではと思った。しかしどうしても眼下の女性に彼女を重ねることができない。
上背はセリヴァルの方が少し高い。華奢に見えながらも、幾度となく腕の中に収めたときに感じた彼女の肉付きは、それなりに筋肉質で引き締まった感触がした。
香りも、気配も、咄嗟に小さく漏れる声も、触れたときに胸に広がる思いも、何もかもが違うのだ。
似ていないから、というだけではない気がする。一人一人の体格や肌感触が異なることを理解していても、スティルクにとって街の女性たちは皆同じようなものだったのだから。
(失敗だったなぁ……。仕方ないか。この子はセラさんじゃないんだし)
早々に諦めたスティルクは、作業を終息させるべく責めを強くする。
すぐにそれは訪れ、女性はシーツに崩れ落ちた。完了の合図だとばかりに身体を引き離し、下衣の前立てを閉じる。
無情なことこの上ないが、それでも良いのだと街の女性たちは言うのだ。全くもって理解できない。
(あ……、そっか。セラさんの言ってたことなら、ちょっと分かったかも)
そんな無感情に抱かれるのなんかごめんだと彼女は言っていた。もしも彼女を抱いたとき、彼女が今の自分と同じような状態だと嫌だなと初めて感じたのだ。
そして同時に、別の嫌悪も湧いた。
──スティルク。嫌ならきちんと断りなさいな。
脳裏に蘇る声が、胸に一粒の雫のようにぽちゃんと落ち、波紋を広げていく。
あのときは分からなかった嫌だという感情が、今ならはっきりと分かる気がした。──いや、思い出したというべきかもしれない。




