第28話 無邪気な邪魔
◇◇◇
試火から約一時間後──。
セリヴァルはソルガンの自宅奥に設けられた作業場の静かな空気の中で、慎重に薬研を回していた。
ごりごり、ごりごり、と。
一定のリズムで押し引きされる薬研が、ヒュリオンの乾燥した葉をゆっくりと砕いていく。
ヒュリオンは安眠の薬になる薬草だ。他の薬草と調合すれば、使用者に悪夢や欲にまみれた淫らな夢を見させることもできる。
しかしながらきちんと魔力を調整しながら挽かないと、使用者が数日は目覚めないような代物になってしまう。
セリヴァルは手を止めることなく、慎重にその感覚を研ぎ澄ませながら作業を続けていた。
その中で、腰に巻き付いている二本の腕が非常に邪魔だった。
「……スティルク」
「何ですか?」
「……とても邪魔なのだけど」
セリヴァルの腰にしっかりと両腕をまわし、背中に密着してくるスティルクが肩越しに顔を覗かせている。
暇なのだろうか。
彼は作業場に顔を出すなり、魔導士の調薬が見たいと言い出してこのような体勢になっている。
「大丈夫ですよ。うまくできてるじゃないですか」
何も大丈夫ではない。
慣れた者にとっては調薬は何でもない作業だが、セリヴァルにとっては非常に繊細な集中を要するのだ。
確かに今のところ調薬はうまくできているが、彼のせいでまるで綱渡りをしているかのような感覚を覚えている。
「……私は込める作業が不得手なのよ。集中しないと薬が大変なことになっちゃう」
眉間に皺を寄せてスティルクに視線を寄越すが、彼は全く腕を緩めようとしない。
「さすがに調薬中に手は出しませんよ。でもセラさん、さっきの試火のときは魔力調整完璧だったじゃないですか」
いや、もう手を出しているも同然だと心で毒づきつつ、背中に押し付けられたスティルクの重みを振り払いたい衝動を必死に抑えた。
調薬中の雑念は大敵なのだ。
「……放つときと込めるときとでは、魔力調整の仕方が全然違うのよ」
万物には総て、石にも草木にも鋼鉄にもそれぞれ固有の脈と呼吸がある。たとえ同じ種類のものでも、個体が違えば脈も呼吸も異なる。元が同一個体であるものを分けたときも同様だ。
魔導具創りや調薬を行う際は対象物に魔力を込め、なお且つ留める必要がある。
それを意図的に行うためには、魔力を注いだときの対象物の脈と呼吸の反応を読み、その反応に合わせて注ぐ魔力量やペースを調整することで、魔力と対象物の脈と呼吸が調和されるようにしなければならないのだ。
莫大な魔力を持つセリヴァルは、その微調整が苦手だ。
という説明を語り聞かせるも、腰の腕はほどかれない。
「つまり、難しいけど、やれないわけではないんですよね?」
「難しいから、集中させてほしいって話で……」
「じゃあ、セラさんの作業中はこうしてくっついててもいいですか?」
何をどう聞いていたらそうなるのか。
耳元に唇を寄せたスティルクが囁く。
「邪魔はしませんから。……ね?」
「──っ!」
無駄に甘く艶めき、温かな吐息が交じった声音が全身へと駆け巡った。ぞくりとした感覚で思わず肩が跳ねる。
「ちょっ……と、スティルク!」
「あ」
ぼんっ、と音を立てて薬研が跳ねた。
ほんの一瞬、薬研を握る手に力がこもってしまったのだ。そのせいで余計な魔力も一緒に流れてしまい、ヒュリオンの葉が灰と化している。
「ああああ! ここまで苦労したのに!」
「あーぁ。だめになっちゃいましたね」
「誰のせいだと思ってるのよ!」
スティルクの指先が元ヒュリオンの葉だった灰をつまみ、サラサラと散らせている。悪びれる様子は微塵もない。
それどころか、むしろ楽しそうに見えるのは気のせいだろうか。
「また作り直せば大丈夫ですよ。ヒュリオンならいっぱい生えてるし」
「そういうことじゃ……」
「やかましいぞ。何を騒いでおるんだ」
ソルガンがヒュリオンとは別の薬草を詰めた籠を小脇に抱え、眉間に皺を刻んだ顔で姿を現した。
そして古の魔導士に息子がしっかりと抱きついている姿を目の当たりにし、バサリと籠を取り落とす。
「……セリヴァル殿。何うちのスティルクに手を出しとるんだ……」
「どこがよ! どう見ても私が出されてる方でしょう!?」
握りしめた薬研がみしりと軋んだ。
責任転嫁も甚だしい。
今まさにこちらが迷惑をかけられているのだと指し示すも、ソルガンはやれやれとばかりに首を振る。この頑固親父は存外、末息子には甘いらしい。
スティルクはといえば、養父の前でもお構いなしな様子だ。飄々とした笑みでセリヴァルの腰に腕をまわしたまま「おかえりなさい、ソルガンさん」などと言っている。
「あー……スティルク。一応訊いておくんだがな」
「はい?」
「お前はセリヴァル殿に惚れているのか?」
唐突な言葉に、今度こそ薬研にヒビが入った。




