第20話 痛くない
「待ちなさい、スティルク!」
「──っ!」
叫ぶようなフレイナの声。
それが発せられたかと思うのと同時に、水晶に勢いよく風呂敷が被せられた。
ソルガンが咄嗟にそうしたのだと察するより先に、凄まじい音を立てて水晶が砕け散る。
「えっ……!」
風呂敷のおかげで破片が飛び散ることは免れたが、何が起こったのか理解した瞬間、スティルクの全身からサーッと血の気が引いた。
喉がひくつき、唇が震える。
(こ……壊しちゃった? 失敗したんだ……)
貴重な水晶だったのではないか。
命力の強弱を測定するためだけのものとはいえ、一族には必要な道具のはずだ。それを破壊してしまったことに、心臓が激しく音を立てる。
「あ……あの……っ、ごめんなさい。僕……」
背後ではシグルフとアストリアが息を呑んでいる気配がする。二人とも驚愕に声が出ないのか、身を乗り出しながらも、それ以上は何もできずにいる。
不意に何かに気づいたフレイナが、慌てて風呂敷を剥ぎ取った。
「スティルク! 怪我を!」
至近距離で砕けた水晶の欠片が、手のひらにいくつもの裂傷を作っていたのだ。突き刺さったままのいくつもの鋭い破片と、じわりと流れ出る鮮血に、フレイナの顔が青ざめる。
「あなた! 手桶に水を! シグルフ、アストリア! 危ないから、あなたたちは動いちゃだめ!」
抱き上げられたスティルクは、そのまま土間へと運ばれた。
ソルガンが指示通りに水を汲みに走り、シグルフとアストリアは泣きそうな顔をしながらも素直にじっとしていた。
フレイナはスティルクを下ろすと、鑷子を持ち出し、ゆっくりと破片を抜いていった。
「ごめんねぇ。痛いだろうけど、ちょっと我慢してね……」
なぜ彼女が謝るのか理解できない。
水晶を割ってしまったのは自分なのに、なぜ責めもせずにそんな顔をするのだろうか。
そしてふと、気づく。
(あ、そうか。フレイナさんは、破片を抜くことで僕に痛い思いをさせていると思ってるんだ……)
そういうことならば、と口を開く。
「大丈夫です。僕、痛いのってあんまり分からないから」
だから気にしないでもいいのだと伝えたかった。
これぐらいどうってことないのだと、安心してほしかった。
だがフレイナは、大きく開いた瞳を震わせた。
「……スティルク。あなた、痛みが分からないの……?」
「? はい。だから大丈夫です」
こくりと頷くと、鑷子を置いたフレイナがそっと両頬を包んだ。
その表情はどこか苦しそうで、今にも泣いてしまいそうな目をしている。
「スティルク……。それはねぇ……大丈夫ではないんだよ。大丈夫なんかじゃ、ないんだ……」
「え……」
「あぁ、でも……そういうことかい……」
何かに納得したように頷くと、フレイナは眉尻を下げて微笑んだ。
「怪我をしたときは、きちんと言うんだよ? 痛くなくても、放っておくと、化膿して大事になってしまうこともあるからね」
「……はい」
そこへ水を汲んできたソルガンが戻ってきた。
傷口が洗い流され、軟膏を塗って包帯が巻かれていく。
ぐすぐすした鼻音が聞こえて目を向けてみれば、アストリアがシグルフに肩を抱かれながらべしゃべしゃに泣いていた。
「スティルクが怪我しちゃったぁ……。代わってあげたいよぉ……」
初めて見る号泣である。
なぜ、と思っていると、フレイナがぴしゃりと言い放つ。
「子供が馬鹿言ってんじゃないよ。そういうのは親の役目だ」
「でもぉ……。私、スティルクが怪我するのヤだぁ……」
その言葉に、スティルクはとりあえず理解した。
自分が怪我をすると、アストリアやフレイナが嫌な思いをするらしい。治療の手間だとか、そういうことではなさそうだが、今後怪我には気をつけた方が良さそうだ。
(痛くないのも、大丈夫じゃないんだなぁ……)
白い包帯が巻かれた手を、握ったり開いたりしてみる。
しかしこの二人のことだ。痛いと言ったら言ったで、大袈裟にされてしまう気がする。
(難しいなぁ……。命力を注ぐのも加減が必要みたいだし。簡単だと思ったのに、自分の身体に使うのとは違うんだ……)
練習が必要そうだ。
エルディンガル一族が生業とする魔導具が命力を重要視するものなら、使いこなせる必要がある。
あの日と同じように使うのではだめなのだ。
(……そうだ。あの刀。どこ行っちゃったんだろう)
ソルガンと出会ったときの山に置き去りになっているのかもしれない。探しに行きたいところだが、村に来るまでの道中気を失っていたスティルクには、あの場所にたどり着ける自信がなかった。
(エルディンガルの村は、あそこから少し西だって言ってた……。あとでもう少し詳しい場所、訊いてみようかな)
視線を向けてみると、ソルガンは複雑そうな顔でスティルクを見下ろしていた。
その瞳の意味が、このときのスティルクにはまだ、分からなかった。




