第16話 家族の始まり
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結局、スティルクが自分の足で立ち上がれるようになるまでに、それから三日かかった。怪我は皮膚が焼かれたいくつかの傷と打撲のみだったのだが、体力が完全に尽きていたらしい。
最初に目を覚ました時点で二日が経過していたらしく、身体の回復には計五日を要していたことになる。
(……やっぱり、あれのせいだったのかなぁ)
痛みがないので自分の状態は分かりにくいのだが、全身の筋肉に違和感があった。かなり無茶な動き方をしていたので、身体にかかる負荷が相当に高かったのだろう。
余程のことがない限り、あれはもうやらない方がいいだろうなとぼんやりと考える。
目を覚ましてからの三日間、ソルガン一家は甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。
「さぁ、スティルク。お粥だよ」
ソルガンの妻フレイナが、匙に掬った粥にふぅふぅと息をふきかけ、口元に差し出してきたときは、どうしたら良いか分からず困惑した。
彼女が優しく「口を開けて」と言ってくれたので、ようやくその意図を理解できた。
温かい食事というだけでも初めてのことで、ましてやそれを、手ずから食べさせてもらった記憶など皆無だったのだ。フレイナはお椀が空になるまで、面倒そうな顔一つせず、スティルクの口へ粥を運び続けた。
シグルフとアストリアも何度も部屋を訪れては世話を焼きたがり、そのたびにソルガンにつまみ出されていた。
扉の向こうから聞こえる声はいつも明るく、時折ソルガンの怒鳴り声も聞こえたが、やはりそれは自分の知るものとは違っていた。
罵倒するような言葉など一つも聞こえてはこない。
毎日着替えさせてくれる清潔な着物、包帯を変えてくれる大きな手、向けられる満面の笑み──全てが、初めて与えられるものばかりだった。
(こんな人たちも、いるんだ……)
未知の生き物を見るような感覚でありながらも、少しずつ警戒心がほどけていく。
そうして目を覚ましてから、三日目の昼──。
「五日間ほとんど寝たきりだったんだ。気をつけろよ……」
ソルガンの手を借りながら寝台を降り、スティルクは慎重に床に足をつけた。
それをフレイナ、シグルフ、アストリアの三人が祈るような目で見守っている。体重をかけると、まだわずかに震える足がぷるぷると不安定さを訴えるが、それでもなんとか両脚で立ち上がる。
その途端、見守っていた三人から一斉に歓声が上がった。
「やったぁ! スティルクが立ったぁ!」
両腕を上げてアストリアは跳び上がり、シグルフは「っしゃぁ!」と拳を握りしめている。フレイナは涙目で口元を押さえ、こくこくと何度も頷いた。
(立ち上がっただけなのに……)
一体何の歓喜なのだろうか。
だが彼らがあまりに嬉しそうなので、スティルクもそれに応えて、にこりと笑ってみせた。
それを見たアストリアが飛び込むように抱きついてくる。
「──わっ……」
勢いに負けてぐらりと後ろに倒れそうになるのを、すかさずソルガンが支えてくれた。「こら」と軽く窘める声が聞こえる。
それにも構わず、アストリアはスティルクの両手を握りしめてぴょんぴょんと跳ねた。
「立てるようになって良かったねぇ、スティルク! 普通に歩けるようになったら、私が村を案内してあげるからね!」
はしゃぐ声は底抜けに明るく、喜びと期待しか込められていない。
やはり笑って見せる方が良いのだと正解に安堵する。
スティルクの思考は、自分を助けてくれる人たちの機嫌を損ねないことに終始していた。
「ねぇ、父さま。もう訊いてもいいでしょう?」
未だふらつくスティルクをぎゅうっと抱きしめながら、アストリアがねだるようにソルガンを見上げた。
「う~ん……。歩けるようになるまで待ってやってほしかったが……」
ソルガンが少し考え込んだ末に頷くと、アストリアはすぐに腕をほどいてスティルクの両手を握り直した。
輝くような黒瞳が期待に満ちた眼差しで見つめてくる。
そして彼女は、花が咲いたような笑顔で言ったのだ。
「ねぇ、スティルク。うちの子にならない? ずっと、ここにいなよ」
「…………え?」
言葉が、出なかった。
何を言われているのかが分からなかったのだ。理解はできるのに意味が分からないという不可思議な感覚を覚えながら、呆然とまばたきを繰り返す。
「私も兄さまも、弟が欲しかったの。父さまも母さまも、スティルクさえ良ければうちに迎えたい、って。……だから、スティルクはどうかな?」
「……おとう、と」
どくん、と心臓が嫌な音を立てた。
弟などという単語は、スティルクにとっては呪詛の一つでもあった。虐げられて然るべきという認識を胸に刻んだ言葉である。
思わずソルガンを見上げると、彼は優しく目を細めて頷いた。フレイナとシグルフを見回しても、同じように期待に満ちた微笑みを返された。
彼らは自分の知る人たちとは真逆の人たちだ。
もしかしたら、彼らの言う「弟」ならば、やはり異なる意味を持つのではないか。
「私、スティルク大好きよ! だって可愛いんだもん! だから、ね。うちで一緒に、家族にならない?」
アストリアはどこまでも無邪気だった。
ただひたすらに、真っ直ぐな感情を向けてくる。
「……かぞく?」
「うんっ! 家族!」
ソルガン家のような家族を、スティルクは知らない。これが「家族」というものならば、自分が知っていたものは何だったのだろう。
断る選択肢などないように思えた。
ここを出ても行くところはなく、まだ幼い自分が一人で生きていけるはずもない。彼らはスティルクを傷つけることもしない。少なくとも、今はまだ──。
思考を高速回転させながら考え抜いた末、スティルクは小さく頷いた。




