第15話 生き延びる手段
◇◇◇
「えーっ!? 私たちだって顔見たいよ! ちょっと見るぐらい、いいじゃない! ねぇ、兄さま?」
「ちょっとだけ! ちょっと覗いてすぐ出てくから!」
耳に届いた子供の声に、スティルクは再び意識を取り戻した。徐々に視界の焦点が定まっていく中で、明るい声とドタドタとした足音が、遠くから近づいてくるのが分かる。
首だけで振り向くと、彼らを一喝する声が響く。
「えぇい! うるさいぞ、お前たち! 騒ぐんじゃない!」
あの人の声だ。
扉が開かれ、壮年の男が姿を現す。
「あぁ……起こしてしまったか?」
目が合うと、ソルガンは申し訳なさそうに眉尻を下げた。その横をすり抜け、二人の子供が駆け込んでくる。
「起きたのか?」
「ホントだ! わぁ、可愛い! おはよう!」
「こら、お前たち!」
自分よりも年上の少年と少女が、目を輝かせながら走り寄ってきた。
二人はまるでためらうこともなく、次々と口を開く。
「俺はシグルフ! こっちは妹のアストリアだ!」
「アストリアよ。よろしくね、スティルク!」
満面の笑みである。
何が彼らを楽しませているのか。彼らの目には、自分が余程珍妙な生き物に見えているのか。
戸惑いに呆然としていると、ため息をついたソルガンが二人の腕を引いた。
「ほれ。顔を見たらすぐ出ていくと言ったろう。もう少し休ませてやりなさい」
不満そうに顔をしかめるも、二人は素直に「はーい」と返し、背中を押されながら扉の方へと向かう。
「スティルク。元気になったら、いっぱい話そうね!」
部屋を出る直前、アストリアと名乗った少女がにっこりと振り向いた。反応に困っているうちに、彼女はぶんぶんと手を振って部屋を出ていってしまう。
(何だったんだろう……)
扉の閉まる音が部屋に響き、ソルガンが「はーっ」と息を吐き出す。
「騒がしくてすまんな」
「いえ……」
「儂の息子と娘だ。お前さんの名が知りたいというから教えたんだが……、スティルクで良かったな?」
「……はい」
小さく頷き、腕に力を込めて身体を起こそうと試みる。まだ随分と重さが残っているが、先程よりは幾分か和らいでいるような気がする。
横になったまま話すのは、どうにも居心地が悪い。
「大丈夫か? 無理はするな」
慌てて駆け寄ったソルガンがスティルクの背に手を添えた。
その瞬間、弾かれたように全身が跳ねる。
「っ! ……そうか。そうだよな……」
「あ……」
「……すまんな」
何かに気づいたように目を見張ったソルガンが、苦しげに眉を顰める。
失敗した、とスティルクは思った。
警戒心を知られてはいけない。
彼は生まれて初めて親切にしてくれた人なのだ。身動きもままならぬ今、敵だと思われるわけにはいかない。
「すみません……。ちょっと、腕が痛かっただけです」
嘘だった。
痛みなど、あの日々の中でとうに忘れている。
しかし嘘をついてでも、「あなたのせいではない」と伝える必要がある。
「……ありがとう、ございます」
にこりと、笑みを浮かべる。
総てが敵だった日々と世界の中で、自分が誰からも向けてもらえなかったものこそ、厭われぬための手段なのだとスティルクは判断していた。
彼の子供たちだという二人も笑顔を向けてくれた。
きっとこれが最適解のはずだと、縋るように信じる。
「……無理はするなよ」
もう一度言うと、ソルガンはスティルクの傍らに腰を下ろした。
思わず視線を落としたスティルクは、ふと身を纏う着物が自分のものではないことに気がついた。清潔な青い着物は身体に対してわずかに大きく、破れている箇所もない。
「あの、これ……」
言わんとしていることを察したらしいソルガンは、「あぁ」と答える。
「お前さんの着物だが……。汚れが落ちそうにないのだが、あれは処分しても構わんか?」
「え。でも……」
「そいつはシグルフが昔着ていたものだ。他に使う予定もないから、良ければお前さんが使うといい。他の着替えは今、妻が繕っているところだ」
確かに自分が着ていたものは、血と泥でひどく汚れていたと自覚している。その前から既に破れたりしていたので、何度か自分で繕って着ていたようなボロだ。
しかし怪我の手当てをしてくれた上に、着替えまで施してくれるとは、本当にどういうつもりなのだろうか。
「どうして、そこまでしてくれるんですか?」
何か要求することがあるのなら、早めに言ってほしい。
不安と警戒が露わにならぬように尋ねると、ソルガンは逆に不思議そうに首を傾げた。
「着替えは必要だろう。あんな不衛生な着物では、治るもんも治らんぞ」
「え……」
「それに、大人が子供を助けるのは当然の摂理だ。そう気にするな」
彼は、スティルクの知る大人とは異なる生き物のようだった。
痛めつけ、傍観し、嘲笑い、呪詛を吐く人間が、スティルクの知る大人というものだったのだ。彼の言う摂理が真実ならば、あの村では、ただ自分だけが異物だっただけなのではないか。
そう思えて仕方がない。
「……スティルク。お前さん、歳は? いくつだ?」
不意に問われ、スティルクは顔を上げた。
「……九歳、です」
「九歳!?」
驚愕の声を上げ、ぶつぶつと呟く。
「てっきり六つか七つほどかと……。いや、しかし……そういうことか……」
「?」
何か不審がられるようなことでもあっただろうか。
他の子供とは関わらせてもらえなかったので、一般的な九歳がどういうものなのかが分からない。
何をどう弁明したら良いのかと思案していると、長いため息が聞こえた。
かと思うと、優しく穏やかな口調が問うてくる。
「……行くところや、帰るところはあるのか?」
ふるふると首を振る。
「家族は?」
スティルクは一瞬だけ息を呑み、努めて単調に答えた。
「みんな、死にました」
「……そうか」
それ以上は問われなかった。
代わりに、今度はソルガンの方が何かを思案している様子だ。
「……なぁ、スティルク」
「はい」
「……いや。しばらく、せめて身体が回復するまでは、うちにいなさい」
「いいんですか?」
「元々そのつもりで連れてきたんだ。遠慮することはない」
スティルクは小さく頷き、礼を言った。
どこまで受け入れて良いのか判断がつかなかったが、彼の厚意には従った方が良さそうだ。どうせまだしばらくは、まともに動けそうにない。
生き延びるために、スティルクはにこりと微笑んだ。




