第13話 執着の兆し
セリヴァルがそっと手を下ろすと、花弁の嵐は穏やかに収束していき、やがて森に静寂が戻ってきた。
それを見守りながら、スティルクがぽつりと呟く。
「どうして僕にこれを……?」
「ん? 別に、深い意味はないわ。ただいい場所を見つけたから、あなたにも見せて自慢したかっただけ」
こともなげに答えると、スティルクはきゅっと唇を引き結んだ。
おもむろに立ち上がり、背後に移動したかと思うと、両腕をそっと回してくる。背中に彼の体温を感じ、柔らかな黒髪がすり寄せられる。
「……セラさんは僕に、光をくれますね」
「光?」
花吹雪の方が主役だったのだが、朝陽を纏わせる狙いもあったので、それのことだろうかと首を傾げる。
するとスティルクは懐を探り、小さな栞を取り出した。数日前に彼に贈った、ソラリスフィオレの栞だ。
「ほら。これとか」
「あら。持ち歩いてくれてるの?」
「大事にするって言ったじゃないですか」
意外だった。
これを贈った直後に「寝てくれないか」などと言われたので、あれは社交辞令だとばかりに思っていた。指先で栞を撫でるスティルクは、心から嬉しそうにしている。
「……人から光を贈られたのは、二つ目でした」
思い起こすように囁く声に、問い返す。
「一つ目は?」
「十二年前に、ソルガンさんからこれを……」
腰に提げた刀を軽く持ち上げて示す。
それに視線を落としたセリヴァルは、「え?」と漏らした。
「これ、ソルガンが打ったものなの?」
「はい。元々は別の刀を持っていたんですけど、ボロボロにしちゃってたから……」
ソルガンがスティルクと初めて会ったとき、彼は血まみれの大刀を引きずっていたと言っていた。小さな少年が抜き身の刀を引きずり歩いていたのなら、確かに刃毀れはひどそうだ。
「それでも僕が刀を手放したがらなかったから、ソルガンさんが、同じ大きさの刀を打ち直してくれたんです。『守光』って銘まで入れて……」
スティルクが親指で鍔を押し上げると、鞘との隙間に黄金色の金属が見えた。そこにはセリヴァルにとっては見慣れぬ文字で「守光」と彫られている。
昨日の彼の剣技は凄まじかったが、あの腕には相応の刀が必要だったはずだ。エルディンガル一族の長が打った刀ならば、申し分ないだろう。
当時のソルガンとしては、まさか彼が尋常ならざる身体能力を得るまでになるとは思いもしていなかったのだろうが。
「守りの光、って意味なんですよ。エルディンガル一族の長が打った刀ですから、出所もよく分からない元の量産品なんかより、ずっといい刀になりました。それこそ刀は僕の、お守りみたいなものだから」
「……刀が、お守り……」
はたしてそれは、身の安全を護るためのものだったのか、精神の安定を図るためのものだったのか──あるいはその、両方か。
小さな少年が刀を手にしていなければ安心できなかったのであれば、これほど痛ましいことはない。
「……セラさんのくれたこれも、お守りです」
そう言って、照れくさそうに笑う。
純粋無垢なその笑みが、胸に染み渡った。
「そう……。それなら、あげた甲斐があったわね」
斬るための刀以外にも安心できるものが、これから先も増えていくといい。
願わくば、彼がいつか、刀を持たなくても済むように。
ぎゅうっと抱きしめてくる腕に手を添えると、彼はまた嬉しそうに眦を下げた。
「ところで、スティルク?」
しばらくそうしていたところで、セリヴァルは問いかけた。
「あなた、やたらと私にくっつくわよね?」
「嫌ですか?」
「いえ、嫌ではないのだけど……」
徐々に近づいてきていた物理的距離が、ついにはゼロである。
当然のように抱きしめてきているが、街で拒まなかったことで味をしめているのだろうか。
スティルクは「うーん……」と唸りながら空を仰いだ。
「セラさん見てると、すごく触れたくなるんですよ。なんでだろう……」
言いながら、さらに強く抱きすくめてくる。
(あ……これ、まずいわ)
脳内に警鐘が鳴り始めたとき、耳元に甘さを乗せた声が落ちた。
「ねぇ、セラさん。やっぱり僕と……してくれません?」
「ちょっ……と!」
身を捩るも、がっちりと固めてくる両腕のせいでほとんど身動きが取れない。もはや抱擁ではなく拘束だ。
(こ……の、馬鹿力!)
耳殻を滑る湿った感触に、びくりと肩が跳ねる。
その反応を楽しむように、吐息交じりの声でスティルクは囁く。
「僕、セラさんとだったら違う気がするんです」
「ん……っ!」
全身に走るぞくぞくした感覚に抗いながら、キッと睨み上げる。
「そんな柔らかいもの押しつけて言われても説得力ないのよ! こら! 揉まないの!」
「ん~……。このまま続けてたら反応するかもですよ?」
「嘘おっしゃい!」
「そしたら自分で……」
「いつものあなたの行為と何が違うのよ!」
「……確かになぁ」
押し問答の末、スティルクはふにふにと弄ぶ手をようやく止めた。
しかし諦めがつかないらしく、ゼェゼェと呼吸を荒げたセリヴァルの頬を撫で、期待の目を向けてくる。
「セラさん。僕が興奮したり感じたりしないのが嫌なのであって、僕が嫌ってわけではないんですよね?」
「え?」
無駄に真っ直ぐな瞳から思わず目を逸らし、セリヴァルは口元をもごつかせた。
「ま、まぁそうだけど……」
「じゃあ、それができるようになったら、してもいいんですよね?」
星が飛んできそうなほどに目を輝かせている。
こんな妙な交渉は数千年の人生でも初めてのことだ。
さすがに戸惑いを隠せずに、セリヴァルは問い返した。
「どうしてそんなに私としたがるのよ……」
「んー……。理由は分からないですけど、セラさんとしたいって強く感じていることだけは確かなので。その先を、確かめてみたいんです」
もはや検証ではないかと、思わず半眼になってしまう。
どこで彼の好奇心が目覚めてしまったのだろう。
そしてそれを臆面もなく言ってのけるのだからタチが悪い。
呆れを通り越して、いっそ感心を覚えたセリヴァルは根負けしてしまった。
「……私が村にいる間に、あなたがそうなったらね」
「! 約束ですよ?」
声を弾ませ、ガバッと覆い被さってくる。
稜線からすっかり顔を出した朝陽に照らされ、無邪気な笑みがやたらと輝かしく見える。
(本当に……何なのよ、この人……)
取り戻し始めた彼の感情があらぬ方向へ向かっている気がして、セリヴァルはただ遠くを見つめていた。




