第11話 変わるものと変わらないもの
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(昼間はさすがにビビったな……。スティルクがあんなに強かったとは……)
食後の茶を用意しながら、ファイカンは食卓に布巾をかけるスティルクへ、ちらりと視線を向けた。
昼間の詫びと礼にと夕食に誘ったが、彼はあれから、いつも通りの様子でにこやかにしている。ファイカンの妻であり、スティルクにとっても幼馴染であるフィヨルの作った食事を楽しみ、ぐずる赤ん坊のラーシュをあやしてくれた。
昼間の無機質な殺戮人形のような瞳は、ただの幻覚だったのではないかとさえ思える。
だが、今も瞼の裏にこびりつく血飛沫と、赤く染まった草木、舞い飛んだ腕、そして恐怖に見開かれた山賊たちの瞳が、あれは間違いなく現実だったのだと突き付けてくる。
(セリヴァル様が少し離れた街近くの荒野まであいつらを飛ばしてくれたから、きっと死んじゃいねぇだろうけど……)
皆片脚は残っているのだから、どうにか這いながらでも街まで行けば治療を受けられるだろうという配慮だった。それは今後一切、他者を攻撃しないという厳命付きであり、破れば残った手足をも失うという契約でもあった。
今にして思えば、あれは山賊たちへの慈悲というよりも、スティルクの剣によって彼らを死なせたくなかったからだったのではないか。
宝石のように美しい翠玉の瞳が浮かべていた憂慮の色は、愚かな山の盗賊たちに向けられたものなどではなかった。施した魔法が治癒のものではなかったことが、その裏付けだろう。
「昼間はごめんね、ファイカン」
湯吞に茶を注いだところで、スティルクが呟いた。
幼さの残る黒瞳がちらりと奥の部屋を見やる。微かに聞こえる子守歌で、フィヨルがしばらく戻ってこないことを確認したのだろう。
昼間のことは、妻には話していない。
「……何を謝ってるんだよ」
湯吞を手渡すと、くゆる湯気の向こうでスティルクがわずかに眉尻を下げた。
「嫌な光景を、見せてしまったから」
「んなこと気にしてんじゃねぇよ」
彼の向かいに腰を下ろし、淹れたばかりの茶に息を吹きかける。
確かにあの光景は、しばらく忘れられそうにない。それどころか、肉を捌くたびに思い出してしまいそうだ。
しかしそれは、スティルクが謝るようなことなどでは決してない。
「あれは……仕方ねぇよ。何かしら対処しねぇと荷物全部取られちまってたし、命だって危うかったかもしれねぇ」
あの場には強大な力を持つという古の魔導士もいたのだから、何か他に、やりようはあったのかもしれない。
だがその他の手段を、ファイカン自身は持っていないのだ。救われた身でありながら口を出す筋合いではないだろう。
話が通じるような相手ではなかったことぐらい分かっている。
「俺はお前に、感謝してるよ」
頬杖をつき、肩をすくめる。
自宅に戻って妻と息子の顔を見たとき、生きて、それも無傷で帰ってこられたことに心底安堵した。
それは間違いなく、スティルクのおかげなのだ。
長い沈黙を挟み、再び小さな呟きが落ちる。
「ファイカンは……僕が、怖くなかったの?」
問われ、思わず目を白黒させる。
何を言われているのか、本気で分からなかった。
「お前が? なんで? ガキの頃からの付き合いじゃん。めちゃくちゃ強ぇってのは知らなかったから、確かにビビりはしたけどさ」
強いことは知らなかった。だが、彼がこっそり森の中で何度も素振りを繰り返していたことは知っている。
丸太を担ぎ上げて筋力を鍛えていたことも、知っているのだ。
それを指摘したことはなかったが、彼がずっとそうし続けていた理由は、なんとなく察しがついていた。
一度だけ目にしたことがあった、彼の身体中に刻まれた痛々しい傷痕。
村に来る前のスティルクのことは知らない。
ただ親のいない子供で、長のソルガンが家族に迎え入れたということしか聞いていない。
だからファイカンは、彼が人知れず鍛錬を積んでいるのは、二度と虐げられる日々に戻らないためなのだと思っていた。誰になのかは分からないが、それを問うことで傷を開く必要などない。
昼間のことは、その力と剣を、自分や村を護るために使ってくれたに過ぎないのだと、疑うことなく信じていたのだ。
「……ファイカンって、昔からそんな感じだったよね」
困ったように苦笑するスティルクに、じとりと睨みを返す。
「何だよ、『そんな感じ』って」
「技術は細かくて丁寧だし、色々と口うるさいのに、変なとこ雑な感じ」
「何が雑だ。脳筋のお前に言われたくねぇよ。お前、この間リンガさんに納戸の扉が固くて開かないって言われて、力任せに破壊したろ? 知ってんだぞ」
「普通に開けようとしたら取っ手が折れちゃったんだもん。だから仕方なく、蝶番も蹴り壊して扉ごと外しただけだよ。どうせ古かったし」
蹴り壊している時点で脳筋である。
魔導具職人に囲まれて育っておきながら、なぜ工具を使おうとしないのか。そう指摘すると、スティルクはきょとんとしたあと、当然のように「蹴る方が早いから」と答えた。
本当に、どの口が人を雑扱いしているのか。
「お前は、少し変わったな」
「僕が?」
昔から、にこにことした笑顔を常に浮かべているやつだった。
誰に対しても嫌な顔をせず、頼まれごとを断ることもなく、穏やかでありながらはしゃぐこともしない子供だった。だからこそ、感情の機微が読めない人間でもあった。
しかし近頃は、実に楽しそうに笑うようになったのだ。
特に、あの美しい古の魔導士の前では、それが顕著だった。
「優しいのは昔からだったけど、最近ちょっと明るくなった」
「……明るく? 僕、暗かった?」
わずかに不安そうにするスティルクに、ファイカンは「そういうわけじゃねぇけど」と続ける。
「肩の力が抜けた感じがするよ。いいことだな」
ニッと笑ってみせると、スティルクは一瞬だけ驚いたような表情を浮かべ、そしてふっと微笑んだ。
「……そっか。うん、そうかも。お団子も好きになったし」
「は? 団子?」
以前から普通に食べていたではないかと思ったが、何やら嬉しそうにしているので、ファイカンは良しとすることにした。
好き嫌いは特にないと昔から言っていた気がするので、嫌いなものならまだしも、好きなものができたことは素直に喜ばしい。
十二年間変わりなく浮かべていた友の表情に、幼さを取り戻すように無邪気さが交じってきたことが、ファイカンには心から嬉しかった。




