第10話 スティルクの剣
◇◇◇
「軽い……」
二割程度のみを元の荷車に残し、荷物の大半がファイカンの運んできた魔導具付き荷車へと移された。それを引き始めたスティルクが、驚いたようにぽそりと呟く。
「スティルク。あなたもしかして買い出しのとき、魔導具付きの方は使ったことなかったの?」
「…………」
間が抜けた顔、とでも言えば良いのか。
まん丸の目でセリヴァルに振り向いたスティルクは、二秒ほどの沈黙を挟み、こくんとうなずいた。
それに対し、通常の荷車を真っ赤な顔で引くファイカンが、二重の意味で額に血管を浮かせる。
「はぁ!? お前、いっつもこっち使ってたのかよ! 山道だと、これだけでも重……っ、マジで重てぇな、くそっ!」
「え。だって、僕そっちでも運べるから、魔導具付きの方は村で他の人が使えばいいし。……ねぇ、やっぱり全部こっちに移そうよ」
「それは俺のプライドが許さねぇんだよ!」
兄貴肌の幼馴染は、魔導具という強力な補助付きとはいえ、スティルク一人に荷物を運ばせることは頑として許さなかった。
なんとも微笑ましい光景だったが、はち切れそうな血管と彼の足腰が心配になってしまう。
「──っ!」
苦笑して狼狽えていたはずのスティルクが、不意に何かに反応した。
瞬時に笑みを消した視線を茂みの奥へと据え、ゆっくりと梶棒を地に置く。
その反応は、さながら天敵の気配を察知した野生の獣だった。
(人の気配……? それも複数……。まさか、私より先に察知したというの?)
セリヴァルの頬を汗が伝う。
ファイカンが駆け寄ってきたときには、スティルクはこのような反応を見せなかった。その違いが向かってくる気配の質にあることが分かるからこそ、彼の敏感さに肌が粟立つ。
隠そうともしない──いや、隠すことを知らないかのような、ギラギラとした殺気と攻撃性。
それがいくつもの足音とともに近づいてくると、背を向けたスティルクの纏う空気が一気に張り詰めた。
「……ファイカン。下がってて」
無機質な声。
それに圧倒された様子のファイカンは、戸惑いながらも荷車を真横に向けて停車させ、素直に距離を取った。
ほぼ同時に、薄汚れた服装に刃物を持った、数人の男が姿を現す。
「山賊……?」
ファイカンが喉を震わせた。
幾日も洗っていないであろう脂ぎったボサボサの髪、伸びた不精髭、繕うこともしていない破れた着物に、刃先の広い大型の剣。
これでもかというほどの、絵に描いたような山賊の集団だ。
「おいおい! 今日は大当たりだな!」
「てめぇら! その荷車ごと全部置いていきな!」
「おい! すげぇ美女までいるぞ! 上玉なんてもんじゃねぇよ!」
下卑た笑みを浮かべた男たちが、視界に捉えた獲物に歓喜している。
山ほどの荷物を積んだ荷車に、若い容姿の女。男二人のうち一人は無手、刀を提げているのは優男の容貌。
略奪を生業とする賊にとっては、美味しい獲物に見えていることだろう。
右へ一歩ずれたスティルクが、彼らの視線を遮るように間へと立った。
(五人……。まずいわね……)
ファイカンを背に庇い、セリヴァルはこの場を打破する手段を考えようとした。
(私から人間を攻撃することはヴィル様に禁じられているし、けれど向こうが攻撃してからでは、たぶん……)
遅いのではないか。
そう思った、刹那のときだった。
「だめよ、スティルク!」
咄嗟に叫んでいた。
しかしそのときには既に、彼は地を蹴っていたのだ。
いつ刀を抜いたのかさえ分からなかった。
瞬きの間に鮮血が噴き上がり、武器を握りしめたままの腕が五本、次々と宙を舞う。
「うわぁぁぁああ!!」
自らの腕が失われたことに気づいた山賊たちの叫び声が重なり合い、山道に響き渡る。続けざまに彼らは片膝まで落とされ、わけも分からぬうちに崩れ落ちていった。
あまりに速く、精確にして無慈悲な剣筋だった。
そして何よりもセリヴァルを戦慄させたのは、これほどの攻撃を放っていてなお殺気の一つも感じさせない、スティルクの気配の無さだった。
五人の男が戦闘不能状態となったことを確認し、彼は血濡れの刃を振り払う。
刀を鞘へと収めながら振り向いたスティルクの瞳は、昏く、深く、闇の底に沈んだかのように澱んでいた。
(なんて剣筋なの……。生まれ持った天賦の才と、何年も積み重ねられた鍛錬の結晶……)
ソルガンが語った言葉が脳裏に蘇る。
血塗れの大刀を引きずり歩いていた少年は、エルディンガルの村で過ごした穏やかな生活の中でも、安寧を得ることができなかったのか。
「スティルク……」
思わず呼びかけると、無機質な声が淡々と返した。
「殺しはしません。……けど、山賊の手足なんて、失くしておいた方がいいだろうから。村に近づかれては困りますし」
そういうことか。と、セリヴァルは認識を改めた。
彼にとってのエルディンガルの村は、紛れもない安息の地だったのだ。
だからこそ、失うことを恐れた。
だからこそ、己の肉体と剣の腕を磨き続けた。
村の中でも常に刀を手放すことができないほどに、いつでも臨戦態勢に入れてしまえるほどに、彼は一族を護ろうとしていたのだ。
(買い出しを一人で引き受けていたのも、他の人に山道を歩かせないためだったのかしらね……)
血に染まる山道に、倒れ伏した山賊たちのうめき声だけが聞こえる。
絶望と恐怖に震える男たちを無感情な黒瞳で一瞥し、スティルクは荷車へと戻ってきた。
その彼に、煌めく金糸の髪が駆け寄る。
「スティルク!」
「ファイカン……」
青ざめた表情の幼馴染が、勢いよくスティルクの両肩を掴む。
「お前、身体は大丈夫なのか!?」
「…………え?」
闇だけを湛えていたはずの瞳が大きく見開く。
「なんかもう速過ぎて、なんっにも見えなかったけど、反動とかないのか!? 怪我は!?」
セリヴァルもまた、ぽかんと口を開けた。
スティルクの異常性を目の当たりにしてなお、ファイカンは純粋に彼の身体を心配していた。肩を、腕を、バシバシと叩きながら確認している。
「……大丈夫だよ」
「本当か!? 嘘ついたら承知しねぇぞ!」
「本当に大丈夫だよ。僕はなんともないから」
苦笑混じりに答える。
その瞳には、穏やかな光が戻っていた。
安堵したセリヴァルの肩からも力が抜ける。
傍にファイカンがいたからこそ、スティルクは躊躇なく剣を抜いたのかもしれない。しかしだからこそ、いつもの彼に戻れた。
「本当に、本当だな!? どこも痛くないんだな!?」
「本当だってば。心配性だなぁ、ファイカンは」
「いっつも大丈夫しか言わねぇお前が悪いんだからな!」
ファイカンの説教が始まった。過去のあれやこれやまで持ちだしてきている。
快活な人柄の割に苦労性なようだ。
困り果てているスティルクを見つめながら、セリヴァルは淡く笑みを浮かべた。




