第9話 分けられる荷物
◇◇◇
帰り道。重い荷車を引いて山道を進むスティルクの姿を横目に眺めながら、セリヴァルはゆっくりと歩いていた。
道が舗装された平坦な街の中ならまだしも、ここは草木の生い茂る山の中であり、ほぼ坂道だ。わずかに地に沈む車輪がぎしぎしと音を立て、長い轍を刻んでいく。
スティルクは表情一つ変えてはいないが、その首筋と梶棒を握る手の甲には、太い血管が浮いていた。
(凄まじい膂力ね……)
腕力だけではない。一歩一歩踏みしめる脚の筋力も、これだけの重量を引きながら重心を一切ブレさせない体幹も、感嘆を通り越していっそ呆れてしまう。
単純な筋力だけではなさそうだ。
ここにきて初めて、セリヴァルは彼の全身から強烈な命力の気配を感じていた。
(エルディンガルの魔導具に対してだけじゃない。彼は、己の肉体に対しても命力を自在に操れるんだわ……)
危険だ、と真っ先に思った。
彼は己に対する感情が最も希薄なのだ。自分の身を案じることさえ、今の彼には困難なことだろう。
これではいとも簡単に制御を外せてしまい、肉体の限界を突破することができてしまう。
(いつか自滅するようなことがなければいいけれど……)
つい、声をかけてしまう。
「私が先に村に戻って、手伝いを呼んできましょうか?」
しかしスティルクは、やはりいつもの笑顔で首を横に振る。
「大丈夫ですよ。やれないことではないですから」
実際そうなのだろうことは見れば分かるが、自ら誰かを頼ることができない彼に胸が痛む。その不屈の強さは諸刃の剣なのだということを、彼自身が理解できていないのだ。
そのとき、前方から声が聞こえ、小さく人影が見えた。
「おーい! スティルク!」
陽光を受けて煌めく金糸の髪の青年が、大きく手を振りながら近づいてくる。
「ファイカン?」
足元を注視していたスティルクも顔を上げ、大きな黒瞳を見開いた。
ガラガラと空の荷車を引いて駆けてきたファイカンは、滝のような汗をかいて息を切らしていた。
「お前さ、こんなに量あるなら俺にも声かけろよ! 留守になった荷車が普通の一台だけだったから、リンガさんがびっくりして俺を寄越したんだぞ!」
声を荒げながら青い瞳がセリヴァルを捉え、一瞬の沈黙が生まれる。
そしてその視線がスティルクへと往復したかと思うと、ファイカンはガシッと彼の両肩を掴んだ。
「セリヴァル様と二人きりでデートしたかったんなら、そう言え! 帰る時間に合わせて迎えに行けば、お前一人で運ばなくて済むだろうが!」
「え? いや、そういうわけでは……」
「つーかお前、なんでこっちの魔導具付きの方を持っていってねぇんだよ!」
「そっちは買い出しの前には使われてたから……」
「空く時間ぐらい訊けよ!」
ファイカンが運んできたのは魔導具付きの荷車らしい。察するに、荷車の荷重を軽くするためのものだろう。一族の職人の一人でもあり、魔力を有しているファイカンには使用できないが、スティルクのために持ってきてくれたようだ。
怒りの青筋を立ててはいるが、彼の言葉一つ一つには友を案じる気持ちが多分に込められている。
「スティルクが心配で来てくれたのね、ファイカン」
にっこりと微笑むと、彼はぶんぶんと頷く。
「当然ですよ! こいつ、『やってやれないことはないから』とか言いながら、いっつも無理しやがるんですよ!」
「さっき、まさにそう言っていたわね」
二人の視線を受けてなお、スティルクは怪訝そうな表情をしている。なぜ怒られているのか、心底分かっていない顔だ。
「実際、こいつがやれちゃうことは分かるんです。すっげぇ筋肉してるのは知ってるし、他の人に苦労させようとしないのが、こいつの優しさなのも分かってます。けど……」
「けど?」
促すと、ファイカンは歯噛みして言葉を続ける。
「だからって、全部一人で背負いこもうとされると、なんつーか……俺らはいらないって言われてるみたいで……」
悔しさを滲ませた声。
傷ついてさえいるのだろう声色に、スティルクの双眸に動揺が走った。肉体関係を持っていた女性の涙さえ突き放す彼が、幼馴染の深い想いに反応を見せたのだ。
「やればできるんだとしても、一人じゃしんどいと思うときは頼れ。しんどいとまでは思わなくても、大変なときは頼ってくれよ。ダチじゃねぇか……」
青い双眸が真っ直ぐにスティルクを射抜いた。受け止めきれない想いから逸らすように、視線を伏せるスティルク。
何かを堪えるように唇を引き結び、拳を握りしめている。
その様子を見守りながら、セリヴァルは唇に弧を描いた。
「あなたが苦しむことに、傷つく人間だっているのよ。スティルク」
息を吸い込んだスティルクが顔を上げた。
目元にほんの少しの熱を帯びているようにも見えるが、それを悟られまいとするかのように、彼は瞬きを一つして微笑みを浮かべる。
「……ありがとう、ファイカン」
わずかな震えが交じる声だった。ファイカンは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに笑みを返し、スティルクの肩を拳で叩く。
「おう! ほら、こっちに荷物移し替えろよ! つーか、分けろ。俺も運ぶから!」
「……うん」
未だ戸惑いを残している様子ではあるが、スティルクの表情は明らかに変わっていた。最も親しい友人の熱さは、助けを求めることのできない彼の心の内を溶かしてくれたのだろう。
急に他者を頼るようになることは難しいかもしれない。
だが彼には、友人を傷つけたくないと思うだけの優しさがある。
(それを自分にも向けられているのだと知ることができたなら、きっと大丈夫ね)
セリヴァルは安堵の息をついた。
しかしスティルクの身内に対する想いと、その闇深さを知ったのは、この直後のことだったのである。




