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ラッダイト・プロトコル  作者: 神楽坂らせん


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第三話 不買の祝祭

# 第三話 不買の祝祭


 その通知は、既読をつける前に消えた。


 澪が画面をタップしたときには、送信者情報もメッセージ本文も見つからない。ログにも残っていない。通知センターの揮発設定を使ったのだろう。見せるためだけに現れて、証拠を残さない。


 夜の編集フロアには、空調の音と、どこかのサーバラックが発する低い唸りだけがあった。澪は周りを見回したい気持ちを必死で抑え込み、平静を装う。端末を閉じ、しばらく両手を膝の上に置いたまま動かなかった。


 次はあなたの番。


 言葉の短さは、しばしば残酷だ。解釈の余白が大きいぶん、恐怖は勝手に増殖する。


 翌朝、街の書店棚はもう変わっていた。


 通勤前に立ち寄った駅ナカ書店で、澪は文芸新刊コーナーの景色に足を止める。昨日まで平積みだった三冊が消え、代わりに「おすすめ再読フェア」の札が立っている。店員の手書きPOPには、妙に整った文字でこう書かれていた。


 《AI疑義作品は現在取り扱いを見合わせています》


 澪は棚の空白を見た。紙の本が抜かれたあとの木目は、思ったよりも白い。


 店員に事情を聞くと、困った顔で声をひそめた。


「昨夜から電話が多くて。『置いてる店の名前を拡散する』って。うちも小さいので、正直、耐えられません」


「正式な回収指示ですか」


「出版社からじゃないです。お客様から、です」


 お客様。


 その言葉に、澪は短く息を飲んだ。権力のないはずの群れが、群れた瞬間に制度より速く強い力になる。


 オフィスに着くと、三輪が珍しく澪の席で待っていた。


「朝倉さん、これ見ました?」


 差し出されたスマホ画面には、短尺動画アプリのランキングが映っていた。


 ハッシュタグ「#不買チェックチャレンジ」

 ハッシュタグ「#機械文学通報」


 通勤電車の吊り広告ニュースにも同じ語が載り、昼休みの社員食堂では見知らぬ部署の会話までこの話題に侵食されていた。


 動画の形式はどれも似ている。書店や図書館の棚を映し、AI疑義とされた作家名を指でなぞる。見つけたらコメント欄に店名を書く。見つからなければ「優良店」として称賛する。子どものころのスタンプラリーみたいなテンポで、通報がゲーム化されていた。


「これ、昨夜から急に伸びてます。上位投稿、再生回数がもう百万超えです」


「誰が最初に始めたか、追える?」


「アカウントは複数だけど、拡散の起点はだいたい同じコミュニティです。PLペン・ラッダイト周辺」


 澪はうなずき、レビュー班端末を立ち上げた。真正性レビュー班の案件一覧には、きのうの倍以上の新規照会が積み上がっている。出版社だけではない。書店チェーン、電子書籍配信、学校図書館、自治体の文化課。どこも文面は似ていた。


 「疑義が生じたため、確認を急ぐ」


 疑義は、いまや事実より先に走る。


 午前十時すぎ、最初の事故が起きた。


 若手作家の花守紬が、配信で涙ながらに活動休止を宣言したのだ。理由は「AI代筆疑惑」。だが澪は花守の名前を知っていた。遅筆で有名なほど、原稿を何度も手書きで起こす人だったはずだ。


 澪はアーカイブ動画を確認した。


 炎上の発端は、拡散系アカウントが上げた一枚の比較画像だった。花守の新作と、古いチャットボットの出力例を並べ、「語尾パターン一致率89%」と書いてある。けれど解析手法の説明はない。サンプル数もない。画像の右下には小さく「参考値」とあるだけ。


 澪はレビュー班の解析ツールで、同じ比較を再現した。


 結果は21%。


 比較対象を変えればいくらでも数字は作れる。


 にもかかわらず、花守の配信コメント欄は「人間証明書を出せ」「出せないなら引退しろ」で埋まっていた。


 昼に入るころ、花守の担当編集から社内宛てに連絡が入った。


 「本人、救急搬送。過呼吸。しばらく連絡不能」


 澪はメッセージを読んだまま、すぐに返信できなかった。画面の向こうの誰かが倒れている。こちら側では、通知が増え続けている。人間の体調不良と、システムの高トラフィックは、どちらも同じ優先度で並んでしまう。


 午後、石堂がフロア全体に短い指示を出した。


「誤認拡散の案件は、検証前にコメントしない。外部発信は法務経由のみ。個人SNSでの見解投稿は禁止」


 当然の指示だ。だが社員の何人かは明らかに不満そうだった。


「でも、疑わしいのは疑わしいじゃないですか」


 誰かが言う。


「黙ってると、会社がAI擁護って見られる」


 別の誰かが続ける。


 澪はその会話を聞きながら、怒りと疲労が同時に来る感覚を味わった。正義感はきれいだ。きれいなまま他人を傷つけるときが、いちばん厄介だ。


 その日の夕方、レビュー班の内部チャンネルに匿名投下があった。


 タイトルは【参考資料:ペン・ラッダイト(PL)運営向け行動指針(暫定版)】。


 添付ファイル名は `pl_ops_manual_v0.9.pdf`。


 最初、澪は偽造かと思った。だが中身は妙に具体的だった。拡散時間帯、切り抜き推奨秒数、炎上時の定型文、通報先テンプレート。さらに、章タイトルのひとつに、はっきりこう書かれていた。


 《対話より先に可視化》


 本文には箇条書きが続く。


・疑義対象を「グレー」として公開

・反論が出たら「説明責任の不履行」と整理

・中立者には「被害者感情への共感」を先に求める

・論点が散る場合は「汗」という単語へ集約


 澪はページをスクロールする指を止めた。


 汗。


 久世がテレビで使った、あの語。


 この資料が本物なら、運動の自生性はかなり怪しい。少なくとも、一部は明確に設計されている。


 同時に、ひとつの現実も突きつけられる。設計されているからといって、参加者の感情まで偽物にはならない。怒っている人は本当に怒っている。苦しんだ人は本当に苦しんでいる。だからこそ、効く。


 午後七時。澪が退勤しかけたところで、端末に外線着信が入った。番号は非通知。通常なら取らない。だが今日は、無視するほうが危険に思えた。


「朝倉です」


 数秒、無音。


 そのあと、落ち着いた男の声がした。


「はじめまして。久世連です」


 澪の背中が、椅子に触れたまま固まる。


「……どちらの久世さんですか、なんて聞くまでもないですね」


「話が早くて助かります」


 声はテレビで聞くより低く、柔らかかった。強い主張をする人間特有の、意外な穏やかさ。


「あなたがレビュー班にいることは知っています。誤認案件の整理をしていることも」


「何のご用件ですか」


「協力のお願いです。あなたに、内部監査に入ってほしい」


「……内部監査?」


「ええ。ペン・ラッダイト(PL)の、です」


 澪は思わず笑いそうになった。皮肉ではなく、現実感が追いつかないときの反応として。


「私に? あなたたちを否定している側の人間に?」


「だからです」久世は言った。「外から見える正しさと、内側で起きていることが一致しているか、私は確認したい」


「あなたが代表でしょ。あなたが見ればいい」


「代表だから、見えないんですよ」


 その返答だけが、少しだけ本音に聞こえた。


 電話の向こうで、遠くのざわめきが混じる。街頭か、控室か、あるいはデモの撤収現場か。


「明日、三十分だけ時間をください。場所はあなたが決めていい。録音しても構いません。ただし、ひとつ条件があります」


「何ですか」


「今夜見た資料のことは、今は誰にも言わないでほしい」


 澪は無意識に、モニタの端に開いた `pl_ops_manual_v0.9.pdf` を見た。


「それ、あなたが送ったんですか」


 数秒の沈黙。


「明日、話します」


 通話はそこで切れた。


 無音になった受話口を見つめながら、澪はゆっくり息を吐いた。オフィスの時計は十九時二十二分を示している。窓の外の夜景は、今日もきれいで、容赦がない。


 レビュー班端末の通知欄には、新しい案件がまた一件追加されていた。


 CASE-041。


 件名は短い。


 【誤認か、隠蔽か】


 澪は画面を閉じる前に、明日の予定をひとつだけ空けた。

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