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ラッダイト・プロトコル  作者: 神楽坂らせん


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第二話 人間証明書

# 第二話 人間証明書


 件名【内部告発の準備があります】のメールは、本文がたった二行しかなかった。


 明日午前九時、管理本部第三会議室。

 あなたの名前はもう議題に含まれています。


 差出人名は空欄。署名もない。送信経路を確認すると、匿名化ノードを何段も挟んでいた。手慣れている。悪戯ではない、と澪は思った。


 その夜、澪は自宅の小さな机でノートPCを開き、過去の作業履歴を眺め続けた。編集プロダクションに入ってからのファイルは、社内クラウドの規約どおり整っている。問題はそれ以前だ。業務委託で書いた、名前の出ないレビュー記事。出版社の下請けで担当した匿名エッセイ。さらに古い、文体模倣AIの検証ログ。


 ログのヘッダには、もう使われなくなった時刻同期サーバの名が残っている。


 NTP source: tokyo-rack03.oldnet

 model: mimic-jp-v2

 operator: m.asakura


 澪は画面を閉じた。閉じたところで過去は消えない。けれど見続けていると、いまの自分まで、ただのログ行に戻ってしまいそうだった。


 翌朝。九時十分前。


 第三会議室は、窓のない細長い部屋だった。白い壁、白い天井、空調の乾いた音。石堂部長のほかに、管理本部の室長、法務担当、情報セキュリティの担当者が並んでいる。テーブル中央のモニタには、NOVA-ARKの追加発表資料が映っていた。


「朝倉さん、座って」


 石堂の声は、昨日より低かった。


「単刀直入に言う。今日からうちも『人間執筆証明』の提出を取引先ごとに求められる。自主提出じゃない。契約条件だ」


 管理本部の室長が、資料を一枚ずつ滑らせる。そこには新しい運用項目が並んでいた。


・執筆時の入力ログ提出(任意提出から原則提出へ)

・生成支援ツール利用有無の自己申告

・作業工程の第三者監査

・不一致時の再審査および掲載保留


「証明って、何をもって証明するんですか」澪は聞いた。


 法務担当の女性が、すぐに答える。


「完全な証明はできません。これは法的証明というより、説明責任の枠組みです。いわば、『疑義が生じたときに説明可能であること』」


「説明できなければ?」


「掲載停止、契約見直し、場合によっては返金対応です」


 言葉は丁寧だったが、刃はまっすぐだった。


 会議が終わるころ、澪のタブレットにニュース通知が連続で届きはじめた。出版社、文芸誌、公募サイト。どこも似た見出しだ。


 『人間執筆証明制度を導入』

 『投稿時に制作履歴の提出を必須化』

 『AI疑義作品の一次審査を停止』


 昼までの三時間で、澪の知っている新人作家が二人、投稿取り下げを宣言した。ひとりはメモアプリだけで下書きしていたため、履歴を提出できなかった。もうひとりは、障害補助ソフトの文体補正機能を使っていた。補助なのに、疑義扱いになった。


 澪はタイムラインの流れを見て、喉の奥がきしむのを感じた。


 制度は公平を目指す顔で始まり、最初に弱い者から落としていく。


 午後、編集部フロアの大型モニタに生放送の討論番組が映った。テーマは「文学の未来とAI規制」。中央に、端正なスーツ姿の男が座っている。久世連。いま最も拡散力のあるペン・ラッダイト(PL)の論客だ。

 元は公募に何度も落ちた小説家志望で、その挫折の温度を語るときだけ、彼の声は不自然なくらい静かになる。


 司会者が問う。


『補助的なAI利用まで一律に否定するのは、行き過ぎではありませんか』


 久世は首を横に振った。


『線引きは必要です。必要だから、厳しくするんです。汗のない作品に価値はない。私はそう考えます』


 スタジオが少しざわめく。


『汗とは、努力の比喩ですか?』


『比喩ではありません。制作の時間、迷い、失敗、その痕跡です。作品は結果だけでなく、過程にも倫理が宿る。機械に最短経路を計算させる時点で、その倫理は消え去る』


 言葉が強い。短い。切り取りやすい。


 すぐに字幕がついた。


 【汗のない作品に価値はない】


 フロアの数人が「その通り」と言った。別の誰かが「極端だろ」とつぶやいた。三輪は黙っていた。澪も黙っていた。


 過程に倫理がある、という主張はわかる。わかるからこそ危うい。倫理を可視化する仕組みは、やがて倫理を点数化する仕組みに変わる。点数は監視を呼ぶ。監視は萎縮を呼ぶ。そして最後に、作品は「正しい作り方」の競争になる。


 その日の夕方、社内チャットに緊急招集が出た。


 編集一課、二課、法務、情報管理。関係者のみ、会議室Bへ。


 会議室Bの壁面モニタには、赤いフラグが並ぶダッシュボードが表示されていた。タイトルは【疑義原稿スクリーニング ver.1.3】。言語解析指標、執筆速度、文体ゆらぎ、改稿履歴の異常点。複数項目を掛け合わせて、リスクスコアが算出される。


 澪は画面の隅に小さく出た凡例を見た。


 Score 0-39: 問題なし

 Score 40-69: 要観察

 Score 70-100: 要調査


 石堂が咳払いをした。


「本日付で、社内に『真正性レビュー班』を立ち上げる。取引先から照会が来た案件を、一次調査するチームだ。朝倉さん、あなたに入ってもらう」


 澪は一瞬、聞き間違いかと思った。


「私、ですか」


「文体分析に強い。匿名原稿の照合経験もある。適任だ」


 適任。


 その単語が胸に重く落ちる。過去にやってきたことが、いま別の形で戻ってくる。


「断る選択肢はありますか」


 石堂は視線を逸らさなかった。


「ない、と言いたいところだが、正確には『難しい』だ。ここで回さないと、仕事自体が止まる。わかってくれ」


 澪は返事をしなかった。返事をしないまま、席の上に置かれた端末を見た。レビュー班専用のアクセスキーが発行されている。受け取れば、今夜から閲覧権限がつく。


 会議の最後に、情報管理の担当者が小声で言った。


「ちなみに……この班の設置、外に漏れてますね」


「もうか?」石堂が眉をひそめる。


「ええ。匿名掲示板で『社内密告ライン』って書かれてます……」


 澪の背中を、冷たいものが走った。今朝の匿名メールが頭をよぎる。あなたの名前はもう議題に含まれている。たしかに、含まれていた。


 夜。オフィスに残る人間は少ない。


 澪はレビュー班端末に初回ログインした。二要素認証、誓約文への同意、監査ログの有効化。画面に小さくステータスが出る。


 session start...

 audit trace on...

 case list sync...


 数秒後、案件一覧が表示された。


 CASE-001からCASE-019まで。ほとんどが投稿サイト経由の照会で、個人作家の短編や連載だ。若い名前が多い。見覚えのないペンネームも多い。スコアの高い順に並んでいる。


 CASE-020を開いたところで、澪は手を止めた。


 依頼元が違う。


 NOVA-ARKではなく、光成書房。大手文芸出版社だ。


 件名は【長編受賞作候補に関する照会】。


 対象者名。


 白峰透。


 喉が、ひどく乾いた。


 白峰透は、澪がまだ業務委託だったころ、一度だけ原稿整理を手伝った作家だった。正式なクレジットはない。けれど、確かに関わっていた。締切前、崩れた章を立て直すため、澪は二日間だけ補助に入った。文章の骨格は白峰のものだったが、接続部には澪の手が入っている。


 あれは「編集補助」だったのか。


 それとも「共作」に近かったのか。


 画面下に、照会理由が表示された。


 【内部告発により、過去作業ログの再検証を要請】


 その文を見た瞬間、澪は今朝のメールを思い出した。


 社内の誰かがあなたを売ります。


 売られたのは、自分だけではないのかもしれない。


 澪はゆっくりと、CASE-020の添付欄を開いた。


 そこには、見覚えのあるファイル名が並んでいた。


 2022_rewrite_patch_mioA.txt

 shiramine_ch4_bridge_fix.docx


 一行目を、澪は声に出して読んだ。


「……私の名前」


 無人に近いフロアで、その声は驚くほど小さかった。


 それでも十分だった。


 画面右上に、新着通知がひとつ灯る。


 差出人: 不明

 件名: 次はあなたの番です


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