7.選択
あの時よりもずっと冷たい王子が、目の前にいる。書簡を送ってきたくせに、自分から何も口にしないまま沈黙でいるなんて、失礼極まりない。
「……殿下」
仕方なく、口火を切った。
「お久しぶりです」
「……随分、余裕だな」
「そう、見えますか?」
逸らされてた視線が、ぶつかった。
「自分から、この話を受けたらしいじゃないか」
「……条件付きですけどね」
「聞いてる。で、何を確認したいというのだ」
「殿下の意向だけです」
小さく鼻で笑った殿下が、皮肉めいた声「変わってない」それだけを言った。今も結局、あの時と同じ拒絶だけ。
「では、なぜ書簡を?」
「俺は、この件に関わってない」
「一言、婚約しない……そう伝えるだけでは?」
「出来る立場なら、とっくにしている」
ぴたり、と言葉が止まった。
ちょっと待って……それなら、この婚約話は――
「では私は、嫌われた婚約者候補になるのですね」
「……っ、別に嫌ってなど――」
「でも、番いはいらない……選ばない。そう仰いました。選ばれない婚約者候補を、嫌われた……と表現して、何か問題でも?」
言い切ったあと、静かに視線を外して「……それとも」と続けた。
「関わらないための言い訳ですか?」
「……何?」
反応した殿下のせいなのか、空気が動いた。でも、私だってここまで来て逃げるわけにはいかない。今度は逃がさないようにと真っ直ぐ殿下を見据えた。
「拒絶しておけば、傷つけずに済む……そんな風に思ってるなら、大きな間違いです」
「……」
「中途半端に関わって、突き放して……その方が余程タチが悪い。こう思うのは、私だけでしょうか?」
自分でも驚くくらい、声は冷静。自分の中にある感情を、こんな前面に出すのは……多分この方だけ。
「殿下は、私を選ばないと仰いました」
「……あぁ」
「でしたら、最初から何もなかったことにして下さい」
身体に不足する酸素を意識して、少し深めに息を吸い込んだ。
「その代わり……二度と、あの距離に来ないで下さい」
「……っ、」
明確に反応が返ってくるのは、それがどの場面の、どの状況だったか分かるから……でしょ? 本当に微かにでも触れた、あの瞬間。
忘れていないのは――お互い様。
「……それが出来ないなら――」
その先の言葉に、まるで狼狽えるように表情を崩す殿下から、視線は逸らさない。
「私は、この縁談を受けません」
***
この女は……なぜ、これ程まで強かでいられるんだ。
可愛く「はい」と言うでもなく、涙を流して「嫌だ」と言うでもなく、自分の思いを真っ直ぐぶつけてくる。
「随分、強気だな」
……違う。本当は、こんな言葉を紡ぎたいんじゃない。
「この縁談を、断ってください」
「……出来ない」
「では、私を婚約者候補とするのですね?」
「……出来ない……お前が怪我をするからっ――」
……しまった。
「怪我?」
「何でもない。忘れろ」
「無理です」
「どうして、お前は……」
「私のことだからです。私に怪我をさせないために番いを避けるのなら、逃げずに真意を聞かせてください」
俺は……可哀想な王子になりたい訳じゃない。同情されたり、したい訳でもない。
「……お前には関係ない」
――そこへ、割って入るように扉を叩く音が空気を止めた。
「失礼します。エイキ様、陛下がお二人をお呼びです」
「……わかった。行こう」
距離を取って後ろから付いてくる彼女を、横目に確認しながら、父が待つ玉座の扉を開けた。すでに協議してたのか、ウェルガリアの王と彼女の父もその場にいる。
「待っておったぞ。二人とも、もっと近くまで来い」
「……はい」
絨毯の切れ目まで進んで、空間を開けて彼女と二人並行に並んだ。
「それで? 話とやらは終わったか?」
「はい」
「……ほう。では、結論を聞こう」
一瞬、彼女の香りに当てられそうになったが、拳を握って払った。
「此度の縁談ですが、無かったことに――」
「陛下。互いに意見を交わした上で、合意しました」
遮った彼女の言葉に、嫌な汗が背中を伝った――
「この縁談、お受けいたします」
「……っ、おい」
振り向かざるを得ない状況に、仕方なく彼女の方を見た。真っ直ぐ、僕を視界の端にも入れず、ただただ前を見据えた目。
「そうか、そうか。こりゃめでたい。なぁ、王妃よ」
「……えぇ」
「では、今後の日程を組ませよう。善は急げ、そうだろ?」
「父上っ……」
「案ずるな。すでに両国間の協議も済ませてある」
これじゃ、引き返せなくなる……!
「一つだけ、宜しいでしょうか」
彼女が、静かに言葉を差し込んだ。
「殿下ご本人の意思が伴わないまま進めるのであれば……それは縁談ではなく、ただの政略です。ですので、改めて伺います。殿下は、この縁談をどうなさいますか?」
「俺は――」
「曖昧なまま進めるのであれば、私は今この場で辞退いたします」
静寂の間に、父も、誰も口を挟まない。なぜ、こんなに逃げ道ばかり塞がれるのだ……。
「お答えください」
「……っ、受けない」
サーッと引いていく空気感が、妙に刺さる。
「承知しました。では、私はこちらで失礼します」
彼女がただ一人、扉に向かって歩いていく。自分でもこの感情に追いついていいけないのに、どうしろと言うのだ。グッと奥歯を噛んで、拳を握った。
「……待て!」
扉に手をかける寸前の彼女が、その場でぴたりと止まった。
「……行くな」
「……受けないのに?」
少し離れた彼女の、憂いた表情に心臓が傷んだ。
「……受ける」
「え?」
「この縁談、受ける……と言った」
彼女と視線が絡んだ――
「だから、行かないでくれ」




