26.物語の一部
残り数話となりました。
最後まで、どうぞお付き合い下さい!
ふわっと、懐かしくて一番安心する香りがした。自由の効かない身体にじわりと沁みるような、甘い香り。
「——貴方の香り、ちゃんと分かりますよ」
耳を撫でる柔らかい声が聞こえた。瞼が重いせいか、なかなか視界が開けない中で、尚も柔らかい声が降ってくる。不思議と、心地良い音色のようにも聞こえる。
「今、私が発情したら……どうするんですか? 早く目を覚ましてくれないと……困るんですけど」
それは……確かに困る。だって、彼女を守れるのも救えるのも自分だけでありたいから。願わくば……貴女と一つになりたい——
「今度、発情が来たら……その時は、貴方と一つになりたいよ。そうでしょ、エイキ様」
ドクンッ——と、心臓が一つ大きく動いた。僕の願いが……二人の願いになったと確信したからだろうか。内側から込み上げるような熱に、思わず「……う、」と声が漏れた。
「……エイキ様?」
「…………ん、リゼ……」
掠れた声で名前を呼んだ瞬間、頬に生温かい滴が落ちた。それがリゼの涙で、目を覚ましたことへの喜び……という解釈は間違ってないと願いたい。
リゼがソイルを慌てて呼び、視界の端々に次から次へと色々な人が映り込んだ。
「もう大丈夫でしょう。数日は,安静に」
枕元に置かれた薬を横目に、しばらくぶりのリゼの香りをこれでもかと吸い込んでいる。
「す、すごい深呼吸しますね……」
「足りないんだ。リゼが」
「……私が?」
「満タンにならないと動ける気がしない」
僕の言葉に、リゼがククッと笑った。決して冗談などではないのに、それは面白そうにしている。
「私は、燃料なんですか?」
「知らなかったのか? リゼがいないと生きていけないし、リゼがいないと何も出来ない」
「……なんか、恥ずかしいです」
ベッドサイドで握っていた手を、自分の口元に引き寄せ、また思い切り深呼吸した。
「……っ、エイキ様」
「香りが戻ったせいか、身体が渇望してるんだ。この良い香りを。出来るなら、食べてしまいたいくらい」
「た、食べるって……」
「さっき、リゼも言ってたじゃないか。今度、発情が来たら一つになりたいって」
「き、聞いてたんですか!?」
「……僕も、同じことを思ってた。出来るなら一つになりたい、そう願ってた。二人の願いになったなら、どれほど嬉しいだろうって」
口元に引き寄せた手にキスをして、リゼを見つめた。こんな自由の効かない身体で言ったって、どうしようもないけど、それでも確かに二人の願いだと認識してほしい。
「それじゃ、ベッドから出れるようになるまで恋愛小説を読んでください」
「あぁ」
「それで、結末がハッピーエンドだと分かっても、物語の幸せと向き合ってください」
「分かった。でも、急になんで……」
「どんな不幸や困難があっても、乗り越えてきた私たちの現実は、物語の一部だって思うんです」
「確かに……」
母を失った日からずっと、見えない闇を彷徨ってた。運命に逆らい、自分を押し殺して抗ってた。手に入れたって苦しむだけ、それなら最初から望まないと頑なだった自分を、リゼが解き放ってくれた。それも、自分という物語の一部——
「お母様もきっと、エイキ様の幸せを願ってると思います」
リゼの言葉が、スッと心に入り込んだのは、どこか母さんと重なったからかもしれない。朧げな記憶の中に映る、微笑んだ母さんが「幸せになってね」そう言って、手を握った記憶が蘇った。
「あぁ……母さんとリゼは、よく似てる気がする」
「だから、早く治して下さい」
「……」
「それで……一緒に幸せになりたいです」
今度は、僕の手を自分の口元に持ってきたリゼが、その柔らかい唇でキスをした。
「あぁ、早く一つになりたい」
***
「調香師の男と、暗殺未遂の刺客を地下の処刑場へ連れてこい」
私の命令を聞いた騎士が動き始めた。手足の自由を奪われ、口も塞ぎ、もしかしたら目元も覆われてるやもしれん。それで恐怖を与えられるなら、それでも良いが、まぁ簡単には口を割らないだろう。
処刑場に着いた時には、目を見開いた二人の男が騎士に押さえつけられ唸っていた。
「さて、最後に申したい事はあるか? 口輪を外せ」
調香師の方はガタガタと震え、今にも吐きそうな顔色をしている。刺客は……さすが、刺客なだけあるな。
「何もないなら、首を刎ねる。用意しろ——」
「ま、待ってくれ。ちが、ちがう。待って下さい。俺はだって頼まれて、頼まれたから仕方なく、だから」
ボロボロ涙を流しながら、目の前に運ばれてくる可動式の断頭台を見ている。
「ほぉ……頼まれたと。それは、誰だ」
「だれ、言えな……いけど、でも俺——」
「言えぬなら、そのまま処刑されるだけだ。首を掛けろ」
「ま、ま、待ってくだ、言い、言います言います。王妃様が、昔と同じようにやれって、だから」
「昔……それは、いつの話だ」
「じゅ、十年前の、今頃……第二王妃にた、焚いた……」
男を凝視するまま、右手をひらりと振った。騎士がその合図を見て、男を別室へ連れて行った。
「では、お前の処刑からだ。首を掛けろ」
「…………」
何も言わぬまま台に乗せられ、身動きもとれず地面を見ている。刺客とは、そう教育されている。雇い主は死んでも明かす事はない。ただ、一つを除いては——
「病気の娘のために、汚い金が必要だったか」
「……っ、」
「どうせ払われん。失敗したのだから」
「……」
「代わりに、私が保証してやろう」
「……金を、か?」
「金も、優秀な医者も」
「……」
「無理に、とは言わん。どちらにしろ汚い金に変わりは無い。だが……選択肢はお前にある」
誰と繋がり、誰の雇われかくらい分かってる。息子に手を掛けた時点で、すでに終わったも同然。
「……娘だけは……」
「交渉成立だな」
「……王妃に」
——スパッ。




