22.細い香り
「ソイル!!」
「はい、馬車が来ます!」
そのやり取りの間にも、リゼの体温がじわりと上がっていく。
「……熱い……」
額に触れた瞬間、確信に変わった。ただの衰弱じゃない……ゆっくりと、確実に侵されているんだと。
「チッ……」
助けたはずなのに。間に合わなかったことに、舌打ちが漏れた。
「……リゼ、しっかりしろ」
呼びかけるたびに、薄くなる反応。
縄に縛られた男が「……これ、使えば助かる」と、胸元を見て笑った。騎士の一人に胸元を漁らせ、出てきた薬瓶に怒りが湧いてきた。
「ふざけるな。誰が、そんなもの信用出来るか!」
「じゃ、その女はもう番いに戻らない」
「……どういう意味だ」
「香りもない、発情もない。番いの資格はない。そのままの意味だ」
発情もない――?
消える薬が存在したと言うのか? いくらソイルと調べても出てこなかった問いを、こいつが知ると言うのか……?
「飲めば進行を遅らせるくらい出来る」
「何だと」
「進行を遅らせるだけだ。あの女の作った流れは、そう簡単には止められない」
「お前の話が本当かどうか証明出来ない」
「……証明は出来ない。ただ、助かるか助からないか、それだけだ」
「くっ……」
腕の中でぐったりするリゼが、薄く目を開いて一粒の涙を流した。
「……嫌」
「リゼ……」
「そばに……いたい……」
騎士が持つ怪しい薬瓶と、リゼを交互に見た。
これが毒なら……でも、薬なら――
「エイキ様、馬車が……来てますが」
「……っ、」
どうする……!
「……ソイル、その男をここに連れてこい」
「は、はいっ」
「リゼ……この決断が吉と出ても、凶と出ても、俺はお前と共にある」
熱が上がるリゼを強く抱きしめ、目の前に連れてこられたニヤつく男を、跪かせた。
「……その薬が毒だった場合、もしくは効かない場合、今ここでお前を処刑してやる」
「……効いたら?」
「命だけは保証してやる。それからの話しは、リゼが助かってからだ」
「くくっ……早くしな」
騎士から薬を受け取ったソイルが、蓋を開けた。それをそっと受け取って、リゼの口元に当てるが……意識の薄いリゼが自力で飲むには難しい。
多少の毒に耐性がある俺が、口に含んで……リゼに口移しで薬を流し入れた。間に合ってほしい、ただそれだけを祈って、喉を揺らすリゼを見つめた。
口に残る苦味は、リゼと一緒だ。
「……リゼ……」
名前を口にした時――
リゼのポケットからサシュが落ちて、チリン……と音を鳴らした。それは以前、ソイルに頼んで持たせた物。ゆっくり開くリゼの瞼、浅かった呼吸が少しだけ整いつつ、戻ってきたとは言い難い微かな香り――
「……エイキ……様」
男が、騎士に連れて行かれる肩越しに笑う。
「言っただろ……止まらないって」
その言葉だけ残して、その場から去って行った。毒でなかったことに安堵はしたが……。
"あの女の作った流れは、そう簡単には止められない"
不安の中で、腕に抱く温もりが、まだ消えていないことだけが唯一の救いだった。そして……男が言った言葉の意味を知るのに、そう時間は掛からなかった――
***
朧げな記憶の端々には、いつだって心配そうに見つめて、力強く抱きしめるエイキ様がいた。側にいてくれることに安心して、また目を閉じる。それを繰り返して、気付けば自室の天井を見つめていた。
「リゼ様……」
「……シェリル、ごめんね……」
額の汗を、ヒンヤリとしたタオルが触れた。あれからどれくらい寝てたんだろう……。横たわったまま、掌だけを開けては開いて感覚を確かめた。
「……違和感がありますか?」
「いいえ。だいぶマシ、だなって」
「熱はまだ下がってません。暫く安静が必要だと、お医者様が――」
「エイキ様は? エイキ様は、無事?」
「はい。先程まで、こちらでリゼ様の側にいました」
「そう……」
……どこまで気付いただろう。聡い人だから、きっと過去の出来事と重ねたはず。私が巻き込んでしまったんだ……。
そして私が狙われた理由は、真相に近付こうとしたから? それとも――最初から消す対象だったから……?
「私、お知らせしてきますね。きっと――」
「待って。少し……考える時間を頂戴」
「考える時間ですか?」
「次は失敗出来ないの。私に出来ることを探さなくちゃ……じゃないと――」
――ノックの音と、エイキ様が顔を出した。
考える時間がないどころか……近くに来てたことすら感じ取れなくなってる……。今までだったら、香りが知らせてくれてたのに。
「リゼ、目が覚めたんだな」
「……ご心配おかけして……申し訳ありません」
二人きりの部屋だけど……安心感がどんなものだったか思い出せないくらい、今までと違う焦りがじわりと来る。
「どうした、顔色が悪いな」
「……いえ、」
そう言いかけて、言葉を止めた。このまま隠してても、良いことなんて一つもない。だから、不安定な身体を無理に起こした。
「無理するなっ」
「エイキ様、すいません……私に触れて頂けますか?」
「え……? あ、あぁ」
私の手を取って、優しく包み込む。温かくて逞しい、いつものエイキ様の手。だけど……それだけ。
「……何も、感じないんです」
静かな部屋に、その言葉だけが落ちる。
「香りは少しだけ分かります。でも……それだけなんです。前みたいに、安心したり……苦しくなったりもしなくて……」
言葉にするほど、はっきりしてしまう。
「……ごめんなさい」
俯く私は、無言の部屋が急に怖くなった。ガッカリされたり、失望されたら――
「……俺もだ」
ハッと見上げたエイキ様が、苦しみを堪えて微笑んだ。




