20.過去と同じ道
本を閉じて、ふぅと小さく息を吐いた。
ここ数日は、穏やかな時間が続いている。
エイキ様は、少しでも事実に辿り着けたかしら。私を巻き込みたくない、そんな態度だったから、全てを明らかにしないと話してはくれないでしょうね。
「リゼ様」
扉の向こうから控えめな声がした。
「王妃様付きの者がお見えです」
「……分かりました。通して下さい」
扉が開き、見覚えのある侍女が一礼した。
「王妃様が、お時間を頂きたいと」
「今から、ですか?」
「はい。少しだけお話をと」
「支度をしたら向かうと伝えて下さい」
「はい」
シェリルの視線から、心配されてると感じる。エイキ様に……お伝えするべきか、少し悩んで止めた。私のせいで、時間を割くのは何か違う気がしたから。
――案内されたのは、以前と同じ温室のような部屋。花の香りと、どこか甘い空気。
「いらっしゃい、リゼさん」
変わらない微笑みの王妃様に会釈した。
「お呼び立てしてしまって、ごめんなさいね」
「いえ……」
ソファに腰を下ろした瞬間、ふわりと香りが溢れたけど……こんなに、甘かったかな?
「今日はね、少しだけお礼を言いたくて」
「お礼ですか?」
「えぇ。あの子が……少し変わった気がするの」
琥珀色の微かな花の香りが、カップに注がれる。
「貴女のおかげね」
「……そんな、大したことは」
「いいのよ、謙遜なんかしなくて。人を変えるのは、いつだってキッカケだから」
一口含んだ瞬間、舌に残る違和感のあるお茶に、少し表情を崩してしまった。
「……どうかした?」
「いえ……少し珍しいお味で」
「特別な茶葉なの。体を落ち着かせるのよ」
そう言われれば、少し……身体が軽いような。
「ねぇ、リゼさん。守られるって、どういう気分?」
「え……?」
「大切にされること。選ばれること……それって、努力で手に入れたもの?」
――瞳の奥が、少し怖い。
「私は……分かりません。ただ――」
浮かぶのは、エイキ様の微笑んだ顔。
「自然と、そうなってしまっただけで」
静かな相槌と、王妃様の目が僅かに細められた。
「やっぱり、そうなのね」
何でそんな事を……? そう聞こうとして、一瞬視界が霞んだ。
「少し、空気がこもっているわね」
王妃様が、窓をわずかに開けた隙間から流れ込む外気が、とても心地良い。
「最近、街には出た?」
「え……? はい、この間」
「そう。あの子も一緒だったとか」
「なぜ――」
「護衛の報告よ。外を知るのはとっても良いことよ」
鈍る思考の中で、なぜ私がここに呼ばれたのか考えるのに……分からない。私から何を探りたいの……?
王妃様がカップに口を付けたのを確認して、もう一口……と、思った瞬間。
――チリン……
ポケットのサシュから、微かな鈴の音が聞こえた。それと同時に、いつも近くに感じるはずの香りが——
「……え?」
「どうしたの?」
「……いえ」
あることが当たり前になってた、エイキ様の香りが……でも、上手く言葉に出来ない。
「顔色が優れないわね。少し、外の空気を吸ってきたらどう?」
「……外ですか?」
「えぇ。ちょうど、頼みたいこともあるの。城下に、小さな店があるの。これを」
差し出された包み。
「すぐに届けてもらえるかしら」
「……すぐに……」
「えぇ。簡単な用事よ」
誰でもない、王妃様からの依頼を断る理由がない。
「……分かりました」
「ありがとう、助かるわ」
満足げに微笑む王妃様が、静かに立ち上がった――
***
「エイキ様、ありました」
「……やはり」
「これです。当時の調香師とその弟子です。多額の金銭を受け取ったのち、城外に出ていました。今現在、弟子をしていた者が城を出入りしていると確認出来ましたので、騎士団員数名が向かっています」
「分かった」
母さんの香りが消えたのは、お産が近いからだと思ってた。だが、それ以外の理由で――意図的に消せるなら。
――その時だった。
胸の奥を、鋭く抉るような違和感が走る。
「…………ソイル」
「はい?」
「……今、リゼはどこにいる」
「どこって……エイキ様の方が分かるんじゃ――」
「香りが消えた……」
いつもなら、どれだけ離れていても微かに感じるはずの気配が――完全に途切れている。
「……そんな、馬鹿な……」
あり得ない。あっていいはずがない。
「……消された?」
自分の口から出た言葉に、背筋が粟立つ。机の上の資料に視線を落とした。
“香りが消え”
“所在不明”
“発見時――”
「……っ」
呼吸が浅くなる。
「ふと思ったんですけど……まるで、この調査書のよう……ですね……」
……違う。似ているんじゃない。
「同じだ……」
母さんが辿った道と、完全に一致してる――
「リゼが、危ない……!」
ガタンッ!!と椅子を蹴り飛ばして立ち上がり、勢いよく羽織を掴む手が、わずかに震えている。
間に合うのか? いや、間に合わせるしかない。
――コンコンコン!!
「至急のお知らせに参りました!」
扉を叩く音と同時に、騎士が飛び込んでくる。
「弟子だった男を捉えました。が、訳の分からない事を繰り返し言うだけで話にならず――」
「なんと言ってる」
「それが……」
一瞬、言い淀んで口を開いた。
「もう香りはない。見つけることも出来ない……歴史は繰り返される、と」
その言葉を聞いた瞬間。
心臓が、止まったような錯覚に陥った。
「……ふざけるな――繰り返させるか」
拳を握って、廊下を飛び出した。




