17.ルール違反
「番い様ですが、まだ体調が悪いそうです。今日もお部屋からは出られないと」
「そうか……」
こうも……会えなくなると、胸が締め付けられる。香りだけが存在を知らせてくれるが、それが余計に我慢を強いられるな。
「会話の件はどうなった」
「そろそろ戻る頃だと思いますが」
背もたれに寄りかかって、天井を見上げた。無理に部屋へ行って、過去の全てを話すべきか……リゼに委ねるか。
あれだけ離れろと願っていた番いを――失いたくない。
「呼べば、行くと言っただろ……」
***
部屋に差し込む光が、やけに眩しい。
体調が悪い、なんて嘘。本当は……ただ、顔を合わせる勇気がないだけ。逃げてるだけ。殿下が優しい人なんて、とっくに分かってる。これまで向き合ってきた時間が、それを証明している。
だけど。
『だって、あの子。自分のせいで母親が死んだって言うの』
あの言葉が、離れない。
「……きっと違う」
もし仮に、お母様を失ったのが自分と思い込んで、番いを避けていたんだとしたら――
「……私がいなければ、傷付かないのかもしれない」
ぽつりと落ちた言葉に、自分で息を呑んだ。都合が良い、逃げる理由を作っているだけ。でも……巻き込まない選択肢もあるのかもしれない。
――それなら、私は……殿下を呼ばない。
朝も昼も食事に手をつけず、薄暗くなり始めた頃。
――チリンッ
テーブルに置いてたサシュが、落ちた。拾い上げたそれを見つめていると、ふわっと殿下の香りが鼻を撫でる。
「……だめ。今は何も考えたくない」
それでも、香りがあの日の記憶を呼び起こす。抱き寄せられた温度。名前を呼ばれた、あの声――
「……っ、」
胸の奥が強く脈打って、じわりと広がる熱が身体の奥を締め付ける。
「はぁ……っ、発情……?」
呼ばないと決めたのに。
「……っ、殿……ダメ……」
名前が零れそうになって、慌てて口を押さえた。呼んでしまえば、きっと楽になる。でもきっと、離れられない。
熱くなった身体を、ベッドの上で丸めた。苦しくて、どこかで求めてしまう矛盾……それが、余計に身体の熱を上げてる。
「耐えろ……きっと治まる。大丈夫……っ、」
***
「……エイキ様」
ソイルの声に、顔を上げた。
「王妃との会話ですが――」
「手短に言え」
苛立ちを隠さず促すと、ソイルは一瞬だけ言葉を選ぶように視線を落とした。
「同席したメイドによると、リゼ様に『距離を取るべき』という趣旨の話があったようです」
「……それだけか?」
「それと――」
“あの子、自分のせいで母親が死んだって言うの“
「……そうか」
「どうされるのですか? このままでは……」
「一度、リゼに会いに行く」
「ですが」
「分かってる。呼ばれてないから、ルール違反だ」
だけど、嫌な予感がする。
自分の部屋の扉を開けただけなのに、鼻を掠めた香りに、息が止まった。
「――っ、」
強い……、こないだとは比べものにならないほど――
「リゼ……!」
抑えきれず駆け出して、リゼの部屋のドアを叩いた。後から侍女が「どうされたのですか?」と廊下を歩いてきた。と言うことは、彼女一人……!
「しばらく誰も入れるな。良いな、誰もだ」
「わ、わかりました」
扉を開けた瞬間、むせ返るような甘い香りに脳が痺れる。
「……っ、リゼ……?」
部屋の奥、ベッドの上で――小さく身体を丸めている影。
「……来ないで……」
かすれた小さな声。拒絶のはずなのに、色香が溢れる。一歩近付く度に、リゼの肩がビクリと揺れる。
「やめて……来ないで……っ」
――違う。本当に拒んでいるなら、こんな声にはならない。辛そうなリゼを見て、責める気持ちにはなれなかった。
「……なんで、呼ばなかった」
「……ん……」
「困った時は呼べと……俺が行くと言っただろう」
ベッドの端に手を掛けると、逃げるように身を引こうとして――力が入らないのか、シーツを掴むだけで動けていない。
「……呼べるわけ、ないです……」
やっと返ってきた声は、今にも消えそうで。
「どうして」
「だって……っ」
言葉を無理やり飲んで、唇を噛んだ。
「……誰に、何を言われた」
「……何も……」
「嘘だ。俺を避ける理由なんだろ?」
「っ……」
図星だと分かる反応。手を伸ばして、額に触れる。びくりと震えたあと、抵抗はなかった。
「こんなになるまで、一人で耐える必要はない」
「でも……」
「でもじゃない。約束しただろ? 俺は、それを守ってここに来てる」
ぐっと、シーツを掴んでいた手が緩む。
「怖いから……」
「何が」
「……全部……」
曖昧で、でも重い一言。それ以上、言葉に出来ないのが分かる。ここまで追い込んだのは、他でもない俺だ。
「……分かった」
ゆっくりと身体を起こして、リゼを引き寄せた。
「っ……」
一瞬だけ抵抗しても、すぐに力が抜ける。今にも泣きそうなリゼの顔を胸に寄せて、耳元で囁いた。
「これは、約束の範囲内だ。楽になるまで離さない」
腕の中で、小さく息を飲む音。それから……縋るように、服を掴まれた。自分の発情とか、欲望とか、そんなものは全部置いて、思い切りリゼを抱き締めた。
「……あとで、全部話す。だから今は……何も考えるな」
腕の中の体温が、少しずつ落ち着いていく。
この体温を溶かす役目は、俺だけ。……俺だけだ。




