指揮官の有り様を巡って
疑似感覚によって腹部を強打した夏川は意識を失い、シミュレーターから引き出された後、担架で運ばれて医務室送りになった。
大月と衛生兵によって運ばれていく夏川を、美柚姫達はそれぞれのシミュレーターの前で見送った。
担架の上でぐったりとしている夏川の顔に、大月がそっとタオルを乗せ、皆の前から姿を消した。
「……何だかさぁ」
夏川がとった行動の意味を考えてなのか、佐野姉妹の顔にも覇気が無い。
「負けるよりショックだよね」
「……私達が戦死判定受けてないこと知っていたのかなぁ」
「多分……ね」
部隊が全滅する程の戦いの中、騎体は破壊されたが、騎士で戦死判定を受けた者は、たった一人を除いていなかった。
それが夏川だ。
腹の下に手榴弾3発をかき集めたのだ。
シミュレーションシステムはご丁寧に騎体が爆散する光景までを描ききって見せたものの、彼女が受けた疑似感覚もまた半端ではなかった。
騎体を擱座させても、死者を出さなかったのは千鶴の才能か、自分達の運か考える必要も無い。
結果論として言えば、皆が戦死判定を受けなかったのは夏川の自己犠牲による。
それを皆が知っている。
憎むだけ憎んで、嫌うだけ嫌った相手がとったその行動が何故、自分達を助けるような行動だったのか?
それを説明出来る者は誰もいない。
皆が戸惑っている。
「……とりあえず」
不意に、美柚姫がパンッと手を叩いた。
「状況は終了―――津島中佐に報告するわよ?」
「「了解」」
皆は、それに従うしか無かった。
“死乃天使”に飛び乗られると同時に太刀を首筋に叩き込まれ、脊椎を切断された佐野姉妹。
その二騎から引き抜かれ、投げつけられた太刀によって首を吹き飛ばされた麗央とはるか。
大月と美柚姫は共に脚部大破によって行動不能。
対する千鶴はかすり傷ひとつ受けていない。
たった1騎で一方的すぎる展開……いや、一方的な虐殺をやってのけた千鶴に感慨らしいものはない。
美柚姫達を一瞥すると、夏川がシミュレーターから引き出されるのも無視するようにして部屋を出て行く。
「……何だろう。あの態度」
亜夜がぽつりと言った。
「こーまんっていうか、あいつの方がババアよりムカつくんだけど」
「……同感」亜紀が大きく頷いた。
「鉄板のくせに」
「私達よりサイズ小さいよ、あれ」
「弱いはずだよね」
「うん」
「……おっぱいがのサイズが、戦力とどう関係あるの?」
思わず麗央が訊ねた。
「ちっちっちっ……わかってないなぁ」
まるで嘲るような視線を投げかけると、亜夜は不意に美柚姫の背後に回り込んで、
「ひゃっ―――きゃぁぁぁぁっ!?」
突然のことに悲鳴をあげる美柚姫のおっぱいをわしづかみにした。
「ウチの隊長はこのサイズだよ?」
もみもみもみもみ―――
戦闘服の上からでもわかるそのふくよかなサイズ。
小さな亜夜の手に余る胸が、その手の中で面白いように形を変える。
「このサイズこそが、今回の敗北でさえ最小の犠牲に抑える奇跡を成し遂げた!」
「そうそう、おっぱいが致命傷を避けたんだよ―――あれ?」
亜紀がはるかの胸を掴もうとする。
しかし、はるかは、あっさりと亜紀の攻撃をかわしてのける。
「……むう。とにかく、おっぱいのサイズは戦力においては決定的な差なのだ!」
「ってことは……」
麗央はむしろ哀れむようにして、ふんぞり返る佐野姉妹を見た。
「あんた達、戦力にならないじゃない」
「「そんなことないっ!」」
二人はムキになって反論した。
「私達、貧乳は希少価値だ!それが双子なら特別プレミアが付く!特殊な趣味相手にはむしろこの巨乳より有効なんだ!」
いやぁぁぁっ!
逃れようともがく美柚姫の胸を揉み続ける亜夜は力説した。
「特に日本はロリコン文化が盛んだから、そういうのが相手なら、私達でも一端の戦力となるんだから!」
「都合がいいっいうかなんて言うか……いろいろ矛盾している気がするんだけど、気のせい?」
「気のせいっ!」
「少なくとも、あの死神は私達のメじゃないわね!」
「いや……私達、束になってボロ負けしたんだけど」
「戦いはこれからだよ!」
「そう!私達は、これからもっともっと可愛くなるし、スタイルだって、ボンキュッボンになれるし、アノ時だって、双子プレーが可能な特殊オプションがデフォでついてる!」
「……クスリやってる?ちょっと腕見せて」
「放せっ!もう死神にもアンタにもオンナとしての将来はないっ!これ確かっ!」
「なっ、ちょ、ちょっと待ってよ!
千鶴はともかく、そこに何で私が入るのよ!
あの超絶ぺったんこと私を一緒にするな!
取り消しなさいよ、あんなえぐれた胸とこの将来有望赤丸どころか花丸印の私のおっぱいをワンセット赤札投げ売りするなんて、許せないっ!
人生18年生きて、最大の侮辱だわ!」
「この胸には、ほど遠いけどねぇ……」
「やめてぇぇっ……あっ、い、いやぁ……も、もう立ってられない……ぐすっ。もう、何でもするからおっぱいだけは勘弁してぇ……」
「あの貧乳に、このおっぱい触させたら、どれだけ悔しがるかなぁ」
「泣き出すんじゃない?」
「死にたがったりして」
あははははっ!
佐野姉妹の邪悪な笑い声がこだまする室内。
キイッ
小さく開いたドアから、何かが投げ込まれた。
「ん?」
床を転がってくるのは、円筒状の黒い物体を束にしたものだった。
コロコロコロ―――
皆が眺める中、木製の柄がついたその物体は、本来求められている能力を発揮すべく、内蔵された信管を作動させた。
数分後―――
「……やっぱり」
苦い顔どころか、青筋を立てて殺意を露わにする紅葉の横で、千鶴は平然とした顔で呟いた。
シミュレータールームの中は床がえぐれ、シミュレーターが横倒しになっている。
換気システムが最大に働いて尚、立ちこめる煙が視界を遮っている。
「ドイツ製は効きませんね。やっぱ日本製じゃないと」
「普通なら重戦車だってふっとぶわよ……あ、あんた、あのシミュレーションシステムが1基いくらするか、わかってるよね」
「あんな所に危険物を持ち込むなんて、何を考えているんでしょう」
「あんたが、あんたがやったんでしょうが!」
「私が何を?」
「本気で言ってる!?アタマ沸いてる!?」
「さすがに近衛騎士として連敗、しかもたった一人のこんな可憐な少女に、美貌だけでなく、剣でまで負けたことに耐えられず、名誉の自決を遂げようとしたのだと、私は信じます」
「手を合わせるな!
ついでに、あれは自決じゃない!
っーか、何よ、今の可憐な美少女って!?
ついでに、模擬戦で負けて自決決め込むバカがどこにいるってのよ!」
「……敗北の辱めを受けるくらいなら死ぬと、誰かが言ってたような言わなかったような」
千鶴は遠い目をしてため息をついた。
「そんなアバウトすぎる根拠が通用すると思ってるの!?あんた、近衛なめてんの!?」
「―――津島中佐」
ポンと、千鶴は紅葉の肩に両手を置いた。
「今、私達は、おっぱいのサイズが戦力の決定的差ではないということを……教えてやったのです」
「自決はどうしたのよ、あいつら自決したっていったじゃない!自決におっぱい関係ないし、私まで一緒にするな!」
「このシミュレーション施設、火器持ち込みは厳禁。当然、担当者の許可がいります」
「さらっと話をころころ変えるな、ついでにその責任者様が、あんたのイカれたお目々の前にいるでしょうが!」
「当然、私も火器は持ち込んでいません」
「そこで何してた?さっきまで、私の目の前で何してた?柄付手榴弾で収束装薬作って、あそこに投げ込んだのは誰?」
「……同僚の惨めな姿は見るに堪えません」
俯いて、肩を振るわせた千鶴。
「ワケわかんない。ここに手榴弾の柄とか、ワイヤーが転がってるでしょう?これ、誰の仕業だと?」
床に広げられたシートの上に転がっている手榴弾用の研磨された木製の柄とか、ワイヤーの破片とか、あるいはペンチなどをわしづかみにして、紅葉は千鶴に突きつけた。
「ほら、これ、見なさいよ!見覚えあるでしょう!?」
「―――なんて事するんですか」
「はっ?」
「こんな所で、爆発物を作るなんて」
「……ちょ?」
「調べてもわかります。そこに私の指紋はないですし……」
「……」
紅葉は唖然として、自分の掴んでいる物体と、千鶴を交互に見比べたが、言葉が出てこない。
「……え?」
「落ち着いて下さい。こんな所で爆発物作りますか?普通」
「っていうか、何を私がやったように仕向けてるのよ!何?その冷たい視線、すっごいムカつくんだけど!」
「白石大尉。憲兵隊に連絡。只今の爆発音は、津島中佐の暴走によります」
「了解―――憲兵隊です」
憲兵隊に通じるホットラインの受話器を掴んだ白石が、平然とした顔で千鶴に振り返った。
居合わせたスタッフで、あえて紅葉の味方をする者が誰もいない。
「白石ぃっ、テメエ!」
「ありがとう……穂村少尉です……はい、津島中佐が突然乱心されて……もう、私達スタッフでは、どうしていいか……グスッ」
「い、いや、ちょっと違うから。ねぇ、私、絶対、何も!」
「グスッ……ありがとうございます……はい。では、鎮静剤をお願いします。二度と復活しないくらいに強いヤツを……」
「てめぇ、殺してやるぅぅぅっ!!」
それから半時ほど後のこと。
美柚姫は医務室を訊ねていた。
「簡易検査の上では問題ないです」
ベッドに寝かされた夏川の横で書類を書く女性医師が答えた。
「骨、神経、内臓共に破裂や内出血はありません。ただ、強い負担がかかったのは事実ですから、一晩は様子を見て下さい」
「ありがとうございました」
美柚姫が頭を下げ、医師を見送った後、夏川に話しかけた。
「大丈夫ですか?」
「……意外だな」
美柚姫をみつめる眼に笑みが浮かんだ。
「よもや、見舞を受けるとは」
「……ははっ。お話、いいですか?」
「そちらがよければな」
「……どうも」
美柚姫はベッドの横に置かれていたパイプ椅子に座った。
「驚きました」
「それはこっちのセリフだ」
「えっ?」
「―――なんだ、その格好は」
「ははっ」
シミュレーション室での爆発に巻き込まれた美柚姫は顔といわず体中煤だらけだ。
煤まみれの顔で自嘲気味の笑みを浮かべた美柚姫が頬を掻いた。
「あの後、いろいろありまして……」
「みたいだな」
笑おうとして夏川は痛みに顔をしかめた。
「疑似感覚で、ここまでする必要があるのか?」
「作ったのが津島中佐ですからね」
「説得力がある」
「お医者様からは一晩の安静が出ています。このままゆっくりと」
「……情けない話だ」
「何を言っているんですか」
美柚姫が布団を直しながら言った。
「模擬戦とはいえ、あなたは私達の命の恩人です」
「恩を売りたくてやったわけじゃない」
夏川は美柚姫の言葉を鼻で笑った。
「あれが指揮官の責務だ」
「……指揮官の」
「そうだ。部下が一人でもいたら、ああやるのが指揮官だ。私は義務を果たしたに過ぎない」
「模擬戦は関係ない―――と?」
「これは模擬戦だから、何やってもいい。私がそう思ってやったと?」
「失礼は、覚悟していますが」
「ふん……疑いたくなる気持ちもわかる。私はいつだって、後ろに立っているだけだったからな」
「……」
「私が後ろに立ち続けていた理由がわかるか?」
「……考えはしましたが、間違いだろうと思うから黙ります」
「面白い答えだな」
夏川は目を閉じた。
「大月はどうした?」
「大尉の検査の関係で、部屋から出されました」
「……廊下か?」
「……いえ」
何故か、美柚姫は開いたままの窓を見た。
「ここ、5階なんですよね。確か」
「ん?」
「何でもありません。それで?」
「私は自分の務めを間違えたくないんだ」
「務め?」
「兵達と共にあることは大切だが、共に剣を振るうだけでは指揮官の存在意義はない」
「……」
「大切なのは、部下を無駄死にさせないために、一人でも多く生還させるために何が必要かだ。私は指揮官講習でそう教わったし、それに疑問を持っていない。指揮官として任命された以上、部下と同じ事ではなく、部下を使いこなすことが務めだと」
「……」
「確かに、部下と一緒に、或いは部下に率先して敵陣に突撃することは必要だろう。そうしなければ部下が動けない時もある。それは確かだ。しかし、常にそれではダメだ」
「ダメ?」
「指揮官は部下は猟犬として使うべきだ。猟犬は獲物を見つけたら、飼い主の命令一下、何も疑わずに獲物めがけて襲いかかる。もしそれが出来ないなら、それは調教がなっていない証拠だ。それでは無意味に狗を殺すことになる。それは飼い主の責任だ。
第一、銃を持って狗と一緒に獲物に駆け出すバカもいまい?指揮官は状況を冷静に把握し、飼い犬たる部下に適切な判断を下すことが任務。違うか?」
「そ、それは―――そうですけど……」
美柚姫は戸惑った。
何だろう。
夏川の言いたいことがわからないわけではない。
だが、何か心のどこかに反発するものがある。
それが何かわからないにしても、その存在こそが、夏川の意見を飲み込むことを拒絶しているのは確かだ。
「フォーメーションを変えたな」
「えっ?え、ええ」
「あれはいい」
「あ、ありがとうございます。言われればみんなも」
「―――貴様にとってだ」
「私、ですか?」
「部下を後ろから見て、指揮についての見方が変わったんじゃないか?」
「えっ?」
図星だった。
美柚姫は、みんなの背中を見て初めて全体が見えた気がした。
それは確かなのだ。
「どうして、それを?」
「私も人を使う身だ」
「……はぁ」
美柚姫は人に使われたことはあっても、人を使ったことはない。
だから夏川の言葉を額面通りに受け取れない。
「私、よくわからないんですけど」
美柚姫は首を横に振った。
「ん?」
「あのフォーメーションは正しいにしても、後ろで采配に専念する余裕があるかな。と、そう思って」
「……成る程?」
「失礼ですが」
美柚姫は言った。
「夏川大尉の仰る立場は、もう一ランク上ではないかな……と」
「ん?」
「大尉のおっしゃる指揮官としての心構えは正しいと思います。ですが、私、誰を率いているという自覚があんまりないんです」
美柚姫は言った。
「成り行きでなっちゃったようなものですし、でも、みんなと一緒に戦っている。その認識はあります。誰一人死なせたくもありません。この人数ですし、後ろで指揮棒振るっているのには耐えられません」
「……」
「それをやってる余裕が私にあるかもわかりませんし」
「立場はともかく、見解は違う……と?」
「大尉のご意見は正しいんです。でも、私がそれを実践に移せないだけで」
「貴様には貴様のやり方がある……か?」
「……教えて頂きたいことが二つあります」
立ち上がりかけて、美柚姫は一番聞きたかったことを思い出した。
「何だ?」
「まず穂村少尉が、上から来て佐野両騎に襲いかかった時です」
「……ああ」
「あの時、ビームライフルを発砲したのは大尉ですよね?」
「―――かすりもしなかったがな」
「何故、あそこで発砲できたんです?」
「ん?」
「済みません。質問が悪かったですね。どうして、上から来るとわかったんですか?」
「……素人のカンだ」
「カン?」
「ビギナーズラックとも言う……」
夏川は目を閉じた。
「貴重なモノを、こんなところで使い果たしたわけだ……もったいない」
「あの……大尉?」
「全ては偶然だ―――もう一つは?」
「……何故、手榴弾を」
「言ったろう?部下を生還させるのが指揮官の務めだと」
「それでも……あなたが死にます。あなたが死んだら、部下の指揮を誰が」
「私が死んだ後のことまで面倒見きれるものか。次の指揮官を決めるのは司令部か神様だ」
「……部下を信じている、と?」
「馬鹿な。あんなことはとっさの判断であって、それをどうこういうつもりはない」
「結構、アバウトなんですね」
「そう思うか?」
「え……はい」
美柚姫は頷いた。
「もっと理知的で冷静で酷薄で、それこそ物事をチェスや将棋でもやってるように、論理的に進めている方かと思っていました」
「出来るなら、私もそうなりたいものだが……」
クックックッ……。
夏川は喉の奥で笑うと、掌で顔を覆った。
「……難しいよ。本当に難しい。この立場は部下に舐められたら終わりだしな」
「ふふっ……」
「明後日には出撃だ。その時には協力を頼むぞ」
「―――わかりました」
「じゃあ、しばらく寝させてくれ」
「―――はい」
軽い敬礼を払うと、医務室から出て行く美柚姫。
その手がドアを開いた途端、
「わわっ!?」
医務室に転がり込んできたのは、佐野姉妹だった。
「きゃっ!二人とも!?」
「え、えへへっ」
美柚姫は、ばつが悪そうに微笑む二人が何かを抱えているのに気付いた。
銀色の金属の塊。
「……?それは」
「パインの缶詰」
「この前の特別配給、とっておいたんだよ。甘いものは貴重品だから」
「……まぁ」
「お見舞いに、ババア―――じゃなくて、大尉に渡しといて」
「面と向かって渡せばいいじゃない」
缶詰を受け取りながら美柚姫は目を細めるが、
「……言いづらいからヤダ」と、二人はそっぽを向くなり、医務室から走り去っていった。
「―――本当に」
それを見送ると、美柚姫は笑って肩をすくめた。
大丈夫。
みんな素直じゃないだけ。
作戦だろうが何だろうが、上手くいくはずだ。
何があろうと、私達は勝てる。
美柚姫はそう確信した。
「―――失礼」
「ひゃっ!?」
不意に声をかけられ、美柚姫は危うく抱きかかえた缶詰を落とすところだった。
驚いて振り返ると、そこには白衣を着た銀縁眼鏡の男が立っていた。
衛生兵あがりだろうか、がっちりとした体格が、私は軍隊関係者ですと語っている。
「診察の時間ですので、関係者以外は出て下さい」
「……は、はい。あの、このお見舞いだけ置いていって良いですか?」
「私が預かりましょうか?」
美柚姫の返事を聞く前に、白衣の男は缶詰を一つつまみ上げようとして止めた。
理由は美柚姫にもわかる。
下手に掴むと、美柚姫の胸に触れることを男性として心配してくれたのだ。
「……いや、お渡しするくらいならいいでしょう。早めに頼みます」
「ありがとうございます!」
美柚姫が去った後、何故かドアに“清掃中。立ち入り禁止”と書かれたカードがかけられた。
白衣の男は、医療関係者と思えないほどの乱暴さで、先程まで美柚姫が座っていたパイプ椅子に腰を下ろした。
眠ると言っていた夏川は、枕元に置かれた缶詰を手にとって、じっと眺めていた。
「ふん。一昔前なら一缶百円もしなかったがな」
「今では貴重品だ。東南アジアの情勢次第では、次に食べられるのは何年後だろうな」
片手で持った缶詰をしげしげと、まるで信じられないものをもらったかのように眺め続けている。
「缶切りでも持ってくればよかったか?」
「楽しみは最後にとっておくことにしよう」
「そんなモノ、後生大事にするなよ……あのガキ共に情が移ったか?」
「馬鹿な」
夏川は枕元に缶詰を置いた。
「ちょっと甘い顔しておけば、ああいう類はチョロい。この程度の演技は安いものだ。指揮官たるもの、この程度の演技は出来ないとな」
ベッドから起き上がった夏川の顔には苦痛の色もない。
「疑似感覚程度で寝込むと思われるほど、私はヤワに見られているのは腹立たしいが」
「それでお見舞いは缶詰かい……どれ、俺が喰ってやるぜ?」
「やめろ」
「おいおい……せっかくだろうが」
「缶の処分を誤ると後が厄介だ。奴らを騙し続ける小道具には丁度良い」
「ふん……それで?俺もいろいろと、危ない橋を渡ってここまで来たんだ。ヘタな返事は持って帰れないぜ?」
「協力はする……そう伝えてくれ」
「よし……最初の仕事だ」
男は、白衣から取りだした何かを、夏川の胸元に突っ込んだ。
「そいつの指示通りにやりな―――命令だ」
「わかった」
ガシッ。
胸元に突っ込まれた男の腕を掴むと、夏川はにこりともせず、冷たい表情で答えた。
「お前個人への、仕事の礼だ―――とっておけ」
「何?」
ボキッ。
鈍い音が、室内に響き渡ったのは、その直後だった。




