爆撃機 富岳 第一話
富岳。
赤色戦争《1938-1945》当時のB-29とB-32爆撃機を参考にした戦略爆撃機である。
なお、B-32爆撃機は、B-29爆撃機という脅威に対抗するために配備された爆撃機である。
この機を語るためには、まずB-29について知ってほしい。
ボーイングB-29“スーパーフォートレス”。
空の要塞と呼ばれた本機は、アメリカ連邦軍の軍事拠点を戦略爆撃するために配備されたアメリカ連合軍の戦略爆撃機である。
完全与圧された機内とノルデン爆撃照準器が可能にした、当時としては信じがたい高高度である高度1万メートルの飛行と、ピンポイントと賞賛された精密爆撃能力は、爆撃を受ける側としては悪夢でしかなかった。
迎撃すべき立場の連邦軍は、本機が投入された時点では、高度1万メートルで迎撃出来る戦闘機もなければ、高度1万メートルの航空機に命中させることの出来る対空砲も保有していなかったから尚更の話だ。
西海岸側の基地から飛び立ち、我が物顔で爆弾の雨を降らせるこの爆撃機の存在によって、連邦は数多くの軍事拠点や工場を爆撃され、大打撃を被り、一時は連合に対して和睦を求める声さえ連邦には強くあがった。
つまり、この機はたった1機で敵を降伏の一歩手前まで追い込んだことになる。
これに対抗し、南部連合を逆に廃墟とすべく開発されたのが、コンベア社製のB-32爆撃機である。
連邦の航空技術をかき集めて開発されたこの機だが、B-29と同等の戦果をB-32が上げることはなかった。
理由は一つだ。
B-29を配備した連合軍は、同様の機体を連邦が準備するだろうと予め想定しており、高度1万メートルで迎撃可能な戦闘機の配備をすでに完了、さらに濃密な対空防空網を全土に配置していたからである。
この時点でB-29に脅威を感じ、かつ、被害を被っていたのは何も連邦軍だけではない。
アメリカ連合を攻略していた大日本帝国軍にとっても、冗談抜きでB-29は十分以上の脅威であった。
西海岸に接近する艦隊は、容赦なくその空爆の雨に曝され、迎撃に立ち向かった戦闘機(零式艦上戦闘機シリーズ)は近づくだけでその優秀な火器管制装置により制御された防御火器群によって撃墜されたし、仮にB-29を撃墜しても、その方法たるや、体当たり攻撃による自殺的戦果がほとんどであった。
そして、この時点で全天候型、特に夜間戦闘能力のある戦闘機を保有しない日本海軍にとって致命的だったのは、このB-29が夜間でも爆撃が可能であるという点だ。
潜水艦と連携して部隊の位置を割り出され、レーダーによる絨毯爆撃にさらされた第二次サンフランシスコ沖航空戦では、正規空母2隻が大破、巡洋艦2隻と駆逐艦3隻が戦没するという大惨事となった。
さらに追い打ちをかけるように、艦載型高高度迎撃機として連合軍が配備したF8“ベアキャット”の登場もあって、日本海軍は西海岸に近づくことさえ出来なくなった。
護衛空母に搭載されたベアキャットは確実に日本海軍を押し戻し、反撃する艦隊はB-29からの空爆にさらされることになる。
手も足も出ない日本軍の弱みにつけ込んだのが、B-29によるハワイ真珠湾への戦略爆撃の開始だった。
日本をはじめとした連邦支援国の軍事拠点だったハワイ王国の港、真珠湾は連日の空爆によって大打撃を被り、冗談抜きで海軍艦艇はハワイに近づくことさえ危険となった。
B-29の存在によって、数カ国の海軍の連合部隊は、太平洋側の制空権を一時的に喪失したのだ。
この状況は、河崎重工製の全天候型高高度迎撃戦闘機キ108“電征”、上島航空機の六式戦がハワイに配備され、連邦に制空権が戻るまで続く。
太平洋側からの戦略爆撃を検討した日本軍は、連邦政府にB-32の技術供与を求めるが、連邦はこれを拒絶した。
彼等にとって、日本は協力してくれるパートナーではあるが、その力が対等になることを認める価値のある相手ではなかったのだ。
日本がB-29やB-32と同等の戦略爆撃機が欲しければ独自に開発するしかなかった。
それを可能にするある出来事がハワイ沖で発生したのはまさに日本側の僥倖とかいいようがない。
俗に言う伊69号の奇跡である。
その日、哨戒任務中の潜水艦伊69は長時間の潜水の後、換気のため浮上した。
艦橋に出た見張り員が艦橋のハッチから顔を出した途端、彼等が目にしたのは、自分達めがけて突っ込んでくる巨大な爆撃機の姿だった(後の調査で、ハワイ爆撃の際、左右双方の燃料タンクに被弾し、不時着を余儀なくされた“プリティー・バニー”号 (機長ケリー・ベントレー大尉)であることが確認された)
爆撃機は伊69の50メートルという間近に不時着水した。
驚いた見張り員がラッタルから墜落して軽度の打撲を負ったものの、伊-69の艦長はすぐに武装した乗組員を水に浮かぶ機内へと乗り込ませた。
脱出準備中に日本軍の乗り込まれた不運なB-29搭乗員は、当初驚愕していたが、降伏勧告中に爆撃手がノルデン照準器を破壊しようと銃を抜いたことから全てが台無しとなった(注:爆撃手は照準器を命に代えてでも守ることと義務づけられており専用のテルミット銃が支給されていた)
無益な銃撃戦によってB-29搭乗員11名のうち、不時着の時点で死亡していたとされる後部機銃手と通信手、また伊69に収容される前に死亡が確認された所属不明の搭乗員2名を除く7名の射殺が確認された。
機体を占領すると伊69艦長は、すぐに沈没を防止するためのあらゆる手段を取った。
最後には艦橋が潰れるのを覚悟で艦に縛り付けるという荒技まで見せたこの艦長のおかげで、日本軍は検証可能なB-29を入手することに成功し、機体はハワイで解体の後、日本へと運ばれた。
このB-29を参考に上島航空機(現富岳重工業)が実用化したのが、戦略爆撃機“富岳”である。
光菱が身銭を切って烈風を開発したように、上島も会社を傾けてまで富岳を実用化させたのだ。
20トンの爆弾を搭載した状態で高度1万5千メートルまで上昇、1万キロの距離を時速650キロで飛行できる。
とどのつまり、富岳はこの当時としては破格の超高性能機として生まれた。
性能の一部は、B-29もB-32も凌駕していた。
ハワイから西海岸への往復爆撃が可能な、この富岳故に日本軍は戦況を一気に挽回したのかと言われれば、実はそんなことはない。
防空網は実に濃密であっても、爆撃機部隊だけで行動させることが無益な自殺行為であることは、日本軍指導部でさえわかりきっていたし、なにより、都市部を爆撃することで発生する反日世論を政府は恐れた。
都市部の近くの戦場に投入して流れ弾が都市に降り注げば大変なことになる。
烈風や六式と違い、富岳が政府内部で最初から鬼子扱いされたのはこのためだ。
さらに、この高性能故に極めて高額となったこの機を無駄に使うだけの余力、つまり、損害覚悟で戦線に投入する度胸は日本軍には最初から無いこともあった。
如何にしてこのクソ高い爆撃機を効率よく使うかこそが運用上の最大の課題だった。
本来、ハワイから往復爆撃が可能な飛行能力を持つ富岳が作戦に参加出来るようになったのが、カリフォルニア半島から241キロ沖合にあるグアダルーペ島を日本軍が占領して空港を設置、西海岸へと陸軍が上陸する段階になってからというのが、その証左だ
ちなみに同島はホオジロザメの群生地でもあり、不時着水した乗組員に待ち構えていた悲劇は、後にスペルバーグ監督によって制作された名作パニック映画“サメ”の元ネタとなるがどうでもいい。
とにかく、日本軍がアメリカの土を踏んだ第一歩となるロングビーチ上陸作戦、通称“天一号作戦”における支援爆撃が富岳の初陣となったのは確かだ。
太平洋に浮かぶこの火山性の島に設置された飛行場から離陸した富岳は、最後まで一貫して、制空権を確保した戦域での空爆支援任務のみに投入された。
その意味では、制空権を無視してあらゆる局面に投入されたB-32とは運用方法がかなり違う。これは兵力温存を求めた軍部の方針故とされがちだが、実はそれよりも都市部を戦略爆撃することによる米国民の世論を恐れた政府の事情の方が強い。
戦略爆撃を指揮した岩永少将は幾度となくロサンジェルスやサンフランシスコ、その他工業地帯への戦略爆撃と富岳投入を求めたが軍上層部は頑としてそれを認めなかった。
おかげで富岳の主な戦果といえば敵陣地への絨毯爆撃がほとんどで、ラスベガスをはじめ、数多くの街を廃墟(指揮官であるルイ少将曰く“更地”)にしてのけたB-32とは大違いなのだ。
戦果の少なさ故か運用に高額の費用を必要とする故か、赤色戦争後に富岳はほとんど不要、もしくは軍のお荷物のレッテルを貼られて解体されるか燃料給油機に改造され、いずれにしても1960年代には空から姿を消した。
なお、上島はこの富岳から得た技術で、ボーイングと並ぶ世界有数の民間航空機メーカーへと発展、社名を富岳に変えた。
富岳がもたらしたものは、富岳自身を民間機とした、FUJ、通称“フジ・ジェット”シリーズの基礎である。後に旅客飛行機のスタンダードとなるのだから、日本は航空機開発に対する投資に十分な元をとったことにはなる。
これ以降、日本軍が戦略爆撃機を持つのは、1970年代に少数が反応弾運用のために導入された飛鳥重爆撃機のみ。しかも、この飛鳥は実戦に投入されたことはないなど、爆撃機の面から面からみればいろいろと疑問符が付くのも事実だ。
富岳の後、実戦に投入された重爆撃機は、1980年代に新たに設計された富岳改だけであり、一般には富岳と呼べばこちらの富岳改のこととなるのも奇妙な話ではある。
富岳改。
この機体が登場するのは、アフリカ戦線で再び重爆撃機が必要となってからだ。
ジェットエンジンが使用できないアフリカ戦線で最も物を言ったのは富岳と同じエンジンを搭載するA-1攻撃機“スカイレーダー”のシリーズだが、より多くの爆弾を搭載して広い面を叩ける爆撃機が前線から求められ、軍は再び富岳に登場を命じたのだ。
そして富岳改は生まれた。
80年代の最新技術で再設計された富岳は、マグネシウム素材で出来た燃えやすい機体構造から、難燃性と防弾性を兼ね備えた軽量な複合繊維素材に改められるなど、最新の技術を湯水のように注ぎ込まれて性能が高められた。
だが、新たに空を舞った富岳の相手は人間ではなかった。




