志願卒業
志願卒業―――
全ては先の戦争で大量の男性が命を落とした結果として、深刻な労働力不足に社会が陥ったことから始まる。
社会は、経済学者が語るように、資本家が労働者を搾取することによって成立する。
資本家にとって、都合のいい賃金で十分な労働力となるなら、基本的に労働者の性別、年齢、国籍、民族、宗教、こうしたものは不問とされる。
敬虔なクリスチャンを吹聴する拝金主義者の資本家の下に、イスラム教徒のテロリストが労働者として雇用されていても、何ら不思議ではないのはこのためだ。
資本家にとって労働者は消耗品、金が絡まなかったらトイレのちり紙と一緒。
労働賃金を理由に長年勤め上げた労働者を切り捨てても資本家が痛痒も感じないのは、彼等にとって労働者なんてその程度の価値しかないからだ。
その資本家から、戦争は主な労働者である男を奪った。
当然、資本家は男の代わりになる労働力を求めた。
それが女―――その頃まで家庭を支えるのが仕事とされた主婦達だった。
政府としては、戦争未亡人の就職斡旋の意味合いの方が本当は強かったのだが、この動きを一部の“自称”進歩的な女性達は悪用し、女が社会進出しれば正義とされる社会風潮を作り上げた。
女が社会に出るのは、家庭を支えるためだった。
自分と家族を養うためだった。
それ以上は、求められていなかったのに。
一部の暴走が毒となって全てを麻痺させた。
女は社会で働くもので家庭にいるべきではないとして、伝統的な、日本開闢以来、日本の社会と個人を支えてきた価値観が狂いだした。
専業主婦には歪んだ男尊女卑の社会風潮の被害者というレッテルが張られ、それに追い立てられるように家庭から女性達が消えた。
女性達は職場で仕事に追い立てられ、子供は放置された。
ライターを悪戯するなどして、主婦の留守中に誤って命を落とす子供が年間千人を超えるようになった。
そんなことが日常となり、気付いた時には―――
女性達は出産や育児より目の前の仕事とレジャーに明け暮れる。
家庭という言葉に女達は魅力も価値も見失った。
男は労働をもって家庭を支え、妻を専業主婦として家に留める力を失った。
子供は男女から必要とされなくなった。
男は女を不要とした。
女は男を重荷とした。
社会は、家庭を構成単位として認識することが出来なくなった。
そんな社会では出生率は低下に歯止めが利かなくて当然だ。
労働力の補填を安易な方法で行った政府に打つ手はなかった。
減少を続ける労働力を確保する上で、次に目をつけられたのは子供達だ。
出生率の低下に伴う子供の減少、それを最も危惧したのは、彼等を戦力として使いたい軍部だった。
軍部は文部省と組んで、子供達を学校から追い出した。
別な表現を使えば、勉学する場を子供達から奪った。とも言える。
何をしたか?
学校への助成金を徹底的に削ったのだ。
削減率は50分の1以下。
1960年代の緩やかな経済成長と共に、受験競争を煽る教育法人の食い物として、雨後の竹の子のように乱立しつづけた私立大学は、国からの助成金を受け取れず、次々と廃校に追い込まれた。
国立大学の学費は3倍に跳ね上げられ、私立大学の学費は文学部で年間一千万が相場。
しかも、そう簡単に卒業できない。
学士位取得試験という国家試験を突破しないと卒業資格が得られず、三回試験に失敗すると受験資格さえ喪失する。
内容は中堅の国家公務員試験並み。
この難関を突破出来ず抗議する学生デモは警察によって鎮圧された。
また、制度改革によって、公務員の試験には、希望する職種によっては、最低数年間の労働経験が盛り込まれた。
学歴の項目は削除というか、記入の時点で禁止された。
例え個人単位での面接でも、学歴を質問すると公務員法で処罰対象となる上、学生には公務員削減の目的で密告が奨励された。
教育改革が社会の価値観を変えた。
学歴より職歴。
そして、教育産業界は壊滅した。
金を払って学校へ送るよりは働かせた方が子供のためだ。
それが親と社会にとって当然の考えとなるのに10年を必要としなかった。
大学への助成金は全て保育へと回され、幼児は社会から手厚い保護を受けられるようになった。
それまで親達が湯水のように使っていた大学進学に備えた教育費は家庭でも宙に浮き、外食や娯楽、そして新たな子供のために使われ、経済力を押し上げると共に、女性一人当たりの生涯出産率をして3.0を超えさせた。
語学の勉強は語り石に触れさせればそれで済む。
専門知識は会社が教える。
社会へ、あるいは世界へ羽ばたくか否かは全て子供達の自由だ。
そんな大義名分、あるいは美辞麗句のもと、教育は変わった。
大学進学のための勉強から、社会で価値ある人間となるための教育へ。
子供達が勉強を拒絶したのではない。
大人が子供達に大学教育という“無駄”を拒否したのだ。
よい学校へ。
よい大学へ入れ。
そうすれば大企業に入社できて、将来は安泰だ。
親達が勝手に描き、あるいは教育産業界が夢想させた子供達の人生設計は崩壊した。
そんな発想は妄想だと、そうなったのだ。
一日も早く学校を出て社会で労働力として活躍してこそ人間としての価値がある。
そうなれば、自分達に都合がいい。
そう夢想し、一連の原動力となったのは軍部だ。
彼等の夢想は実現したか?
実は否だった。
社会をそう煽ってなお、軍は決して満足出来なかった。
何故か?
若者達が社会に出るにしても、軍には志願したがらないからだ。
当然だ。
戦争の現実を子供達だって肌身に感じているのだ。
葬式。
傷痍軍人。
戦争未亡人。
戦争孤児。
その具体例を挙げていたらキリがない。
戦争は、子供達にとって遠い世界での出来事ではない。
すぐ身近に“悲惨なこと”、“嫌なこと”“してはいけないこと”―――否定的な存在として、子供達のすぐそばに居続けたのだ。
だからこそ、子供達は、死を恐れ、その担い手である軍を恐れた。
軍部は次の手を打った。
中学三年生以上で軍に志願して最低3年間の軍務を勤め上げた者は、高校卒業の資格を与える。
そんな仕組みを作り上げたのだ。
戦争に子供を送り込むための愚策として社会で大反発を喰らって尚、軍部は引かなかった。
長く続く戦争によって深刻な人材不足に陥っていた軍部は引けなかったのだ。
これを通すか、1950年代に廃止した徴兵制を復活させるかの二択しか軍部には残されていなかった。
軍の圧力に屈する形で法案は可決され、生み出されたのが、いわゆる志願卒業の制度だ。
時代の要請もあった。
おりからの政府の為替政策上の失政による急激な為替相場の高騰。
グローバル化という美名の元での国内産業の切り捨て。
産業構造の空洞化への政府の無策。
投機に走る資本家達の暴走―――かつて経済大国と呼ばれた日本の大人達の醜態の成れの果て。溢れかえる失業者の群れと、不良債権と化した膨大な建築物。そんな無惨なバブル景気の残骸こそが、子供達の目に映った日本。世の中の全ての姿だ。
家計が火の車となって家々で回り出す中、高校まで子供達を育てられない親の苦境を知って、多くの子供が軍へと志願した。
反政府系、あるいは人権団体はこれを社会問題と抗議するが、彼等には子供を保護し、育てるだけの現実的な力も政策もない。
彼等にあるのは妄想と世迷い言から成るきれい事だけ。
こんな中、常に犠牲となるのは本当の弱者。
子供達だ。
この世界で出身高校を言えない若者の大半が、食うに困って軍に志願した者達だ。
これが騎士など特異な素質があると判明した場合、子供に自由な未来はない。
軍からの勧誘を拒んでも、せいぜい高校卒業までのモラトリアムが精一杯。
やがて道は強制的に閉ざされる。
瑞穂や美柚姫を含め、ここにいる者達の全員の最高学歴が高校卒業というのが、その証拠のようなものだ。




