泥濘の中で
鈴谷がカリフォルニアに上陸するまでの残り日数は4日。
この間―――実は北米大陸のほとんどの戦線で、戦闘は記録されていない。
戦争どころじゃない!
やってる余裕があるように見えるのか!?
最前線に送り込まれた米中双方のテレビ局のインタビューで、奇しくも両軍兵士の声として伝えられた声を要約するとこうなる。
戦争の行く末が気になる納税者としては納得出来ないだろうが、兵士達のおかれた立場を考えれば無理もないとわかるはずだ。
彼等に何が起きたのか?
超大型ハリケーンの襲来だ。
ハリケーンの分類上最大となるカテゴリー5を超えたとさえ囁かれる超大型ハリケーン“アリソン”は、普通の半分以下というゆっくりとした移動スピードと、異例とも言うべき大量の降雨をもたらした 。
各所で大洪水が発生し、メキシコ湾に面するいくつもの街が、ベネチアさながらの水の都と化し、交通網、通信網を寸断。
水死者達の亡骸と無数のゴミが街から流れていく水の流れをあちこちで流れをせき止め、破壊されたライフラインが、被害をさらに深くした。
水没に近い損害を受けた都市を数えたければ、両手本の指で足りない。
ハリケーンが通り過ぎて尚、復旧作業は遅々として進まない。
人も足りなければ情報も満足に確保出来ない。
やりたくても出来ない。
これが本音だ。
世界に冠たるアメリカ合衆国でさえ、これは出来る話ではなかったのだ。
最優先で復旧されるべき送電線などの基幹インフラは、両軍の空爆の応酬により、各地で破壊されたまま放置されている。
おかげで、復旧に必要な電力を確保出来ない。
つまり、電力で動く機器を使うことが出来ない。
さらに追い打ちをかけたのは、ここ数十年のアメリカの事情だ。
移動手段―――つまり、車だ。
“クリーンな車”として、多角経営の一環として、電力事業に手を出し始めた北米各自動車メーカーによって売り出され、燃料代の低さから普及し始めたものがある。
“シティ・コミューター”や“プラグイン・カー”と呼ばれる、家庭から電力をとるタイプ電気自動車だ。
この時点では、全自動車登録台数に占める普及率が、都市部では80%近い。
つまり、移動手段まで電力頼み。
このアメリカの事情が混乱に追い打ちをかけた。
停電が車の動きさえ止めてしまう。
このため、被災者は避難するための移動手段を奪われた。
都市から移動したくても手段がない。
これが、多くの人々を都市部に釘付けにしていた。
ハリケーンは、その都市に襲いかかったのだ。
最悪なことに、被害が大きい地域ほど中華帝国軍支配地域及び最前線に近いことがトドメとなった。
救援したくても、州をまたいでの人員・機材・物資の輸送が出来ない。
現状、全く電力の供給が停止したままの場所は百を超える。
その中には人口数十万人以上という、大都市部も5つ以上、含まれる。
文明を誇るべき都市部でこの有様ならば、前線はもっと酷いことになっていた。
露出した土は泥となり、泥は海となり、兵士達はそこで生き延びることを求められた。
司令部に命じられるまま、最前線に向かおうとしよう。
冠水した道路を水をかき分けながら歩くか、泥に足を取られながら歩くしかない。
そんな道を、ちょっとでも外れれば、彼等の前には、元爆撃孔という、死の沼が待ちかまえている。
砲撃孔は、今や底なし沼だ。
この横を徒歩で移動する、数十キロの装備を持ったまま戦友が、少しバランスを崩しただけで砲撃孔に落ちて、そのまま浮かんでこなかったなんて話は、前線ではゴマンと転がっている。
それ程の被害をもたらしたハリケーン。
それが過ぎた後。
北米の空には、前代未聞とまで言われる、奇妙かつ、恐ろしく不安定な気象前線が広範囲に居座っている。
雨ばかりだ。
時折、晴れたかと思うと、熱帯のスコール並の雨を数時間に渡って降らせる。
しかも、雨音をかき消すかのように響く雷のすさまじさは、言語に尽くしがたい。
泥まみれになって行軍し、水浸しになった塹壕に潜むことを強制された兵士達に、自然は容赦がなかった。
戦場は、新たな局面を泥の中に潜ませながら、新たな戦いへと向け、静かに動き出していた。
●アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ 第205歩兵旅団司令部
「防疫部隊とメサイアをよこせと言ってるんだ!聞こえなかったのか!?」
激高したウィリー大佐がテーブルを蹴飛ばした。
テーブルに置かれた地図や駒が宙を舞った。
「こんな泥濘の中で這い蹲って戦えだと!?貴様、頭がどうかしたのか!?兵士達に安全な水さえ確保出来ていない!」
通信装置の受話器を持ったまま、ウィリー大佐がヅカヅカと音を立てて歩き回る。
無線の相手はうんざりしたという声だ。
「すでに戦車は送っているだろう」
「連中の対戦車装備を舐めているのか!?M60どころかM1だって葬られるぞ!泥濘で敵は足が遅い!叩くならメサイアこそが適任だ!」
「勘違いするな。ウィリー。我々は貴様に進撃を命じているんじゃない。防戦を命じているのだ」
「まさか!」
「アラモに歩兵中心の敵部隊が接近中だ」
「この泥の中で!?連中は狂ったのか!?」
ウィリーが目を見張ったのも無理はない。
アラモ。
シャウニー森林公園に設定された防衛線のことだ。
シャウニー国立森林公園は、先のタイフーンでかなりの打撃を受けている。
塹壕は水浸し。
岸辺に埋葬した死体が反乱した水に掘り起こされ、川を流れている程だ。
現状、森林公園付近にウィリー等陸軍が展開し、五大湖方面の最前線を形成している。
予備役を再編成した歩兵2個師団と砲兵1個師団。そして戦車2個大隊。
これが駒の全てだ。
ここを突破されれば、もう満足な防衛戦は出来ない。
つまり、合衆国は終わる。
その生命線にも、自然は容赦がなかった。
池と化した塹壕で、兵士達はヘルメットまで使って泥水を吐き出している。
すぐに地面からしみ出してきた水が塹壕を埋めてしまっても、続けるしかない。
ブーツの中は水浸しになり、皮膚がふやける。
傷から雑菌が入り込み、兵士達の体を蝕んでいく。
汚染された水を飲んで、激しい下痢に襲われる。
しばらくすれば、脱水症状に陥り、そのまま動かなくなる。
ハリケーンが通り過ぎてから数日、野戦病院は負傷兵ではなく、病兵で溢れかえっている。
それを知る現場指揮官としては、対策を求めるのは当然のことだ。
このままでは戦線は、戦わずに崩壊する。
それでいいのか!?
「衛生部隊は伝染病の危険性すら警告してる!その最中に攻め込まれたらどうなる!?」
「カナダ軍のメサイア部隊が国境線を超えた」
「数は!」
「ロンゴミアントが10騎」
「おお神様!」
ウィリーは叫んだ。
「そんな数で何が出来る!?相手は重武装のメサイアだぞ!?」
「それでやってもらうしかない。これでも死に物狂いで手配した。我々は果たすべき義務を果たしたと、最後の審判においても、神すら進んで認めてくれると信じるがね」




