第九話 13-7月の悲劇
僕と、矢沢と、知花の3人は窓際に置かれた4人がけの円卓を1つ陣取って、昼食を始めた。遠巻きには、そんな僕等の様子を監視するかのように見物する人達が大勢いて、耳打ちしていた。内容は、矢沢も知花も僕の不良仲間で、それぞれ二人について身も蓋もないことを言っているだけであった。
僕のことを言うのは良いとまでは言えない。そんな格好の良い言葉を言えるほど、僕は強くない。けれど、矢沢や知花の悪口は本当にやめて欲しい。二人は本当に優しくて、良い人達なのだから。僕が本気で友達になりたいと思っている人達なのだから。
……そんな人達の為に声を上げられない僕は、本当に、度し難いほど、世界一の屑だ。悲しくなる。
「美味ぇな、あんかけチャーハン」
そんな僕をよそに、向かい合わせに座った矢沢は一口それを味わうと、そう感想を述べ、レンゲでかき混ぜつつ黙々とそれを口に運んでゆく。
かにたま定食とは、なんだったんだろう? 歌まで作っておいて、頼まないなんて、かにたま定食に可哀想じゃあないか……。
僕はあんかけチャーハンを美味しそうに食べる矢沢の顔を見ながら僕はそんな思いに駆られる。
「ん? どした? 食わないの?」
「あぁ、うん」
そう指摘を受けて僕は慌てて、カレー蕎麦をすすり始める。
……失礼ではなかっただろうか? 食べてる顔、見つめるの。少し心配になる。
「キヨちん、気にし過ぎ」
そんな僕のことを察してか、知花はそう言って、マスクを外し口元を手で隠しながら、購買で買ったらしいウィダーインゼリーを飲み始めた。
「昼食、それだけ?」
僕の質問に、知花はそれを飲みながら頷いた。彼女の手元に、食べ物の類はウィダーインゼリー1つだけ。
「足りるの?」
その問いにも、彼女は首肯する。
「チカ、いつもそれしか食わねぇんだよ」
矢沢が補足するようにそう言った。
知花は小食らしい。ただ、心配になってしまう。45分×3の授業と、部活動をこなすだけのエネルギーを、ウィダー1つで賄えるものなのだろうか? それに知花は背が高い。摂らなければならないエネルギーもそれだけに多くなる筈だから、力が出なくなってしまうだろう。
尤も、これは人一倍体が大きな僕が、偶々大食いだからそう思い込んでるだけなのだが。いや、それよりも――。
「というか、口……」
「これ、ママの国での作法」
僕が先ほどから気にかかっていたことを言いかけると、知花は目元で笑ってそう答えたが、僕はそういうことを聞きたいわけではないのだ。
知花は普段マスクで顔を隠し、部活の休憩の際の水飲みの時もママの国――恐らく韓国――の作法とやらを理由に口元を隠すから、僕は彼女の顔を見たことがない。
というか、恐らく矢沢以外の誰もが知花の顔を見たことがない。
だからこそ、僕は彼女の素顔に興味がある。
人に対して酷いことをした後だというのに、つい気になってしまう。
「どうしたの?」
「い、いや。なんでもない」
知花に訊ねられて僕は慌てふためく。
――またも同じ失礼を知花にも……。
僕は自分の行動を悔やむ。知花は食事を終えマスクでいつも通り口元を覆うと、
「変なキヨちん」
とそんな僕のことを笑った。
「てか、あーちゃん、話」
「分かってる」
知花の端的な言葉に矢沢はつうかあな受け答えをする。
「キヨの気持ちが落ち着くまで待ってたんだよ」
「俺の?」
「見た感じ、なんか傷付いてたみたいだからさ」
矢沢は恥ずかしげに、頭を掻いた。まるで、僕に気を遣ってくれていることを、自分の柄ではないと言わんばかりに。
「……ありがとう」
僕はその言葉を口にしていた。いつ何時聞いても、『ありがとう』は美しい響きだった。
その言葉を聞いて、矢沢は意外そうに少し目を見開き、その後フッと微笑を浮かべ、
「言われるほどでもねぇよ」
と、僕の感謝の言葉に答えた。
「話しなよ、何があったのか」
矢沢にそう言われて、僕は一部始終を話し始めた。
「……なーるほど。つまり、手前が食券機の前でたむろしてる先輩に注意しようと思って声かけたら怖がらせた挙句に失禁させてしまったと」
僕の話をまとめると、矢沢は腕を組み暫し唸り声を上げると、
「キヨ、あんま悪くなくね?」
そう結論を出した。
「そだね、キヨちんあんま悪くないね」
知花も矢沢の意見に同意してくれた。
悪くない? 僕が、悪くない? 君達はそう思ってくれるのか……。そうか、そうなんだ……。
「って、うわぁ!? キヨ、お前なんでいきなり泣くんだよ!」
突然、矢沢が素っ頓狂な声を上げた。
「え? 僕、泣いてるの?」
「泣いてるよ! めちゃくちゃ!」
矢沢に指摘されて、僕は頬に伝わる暖かいものにやっと気が付いた。
そうか――僕は、泣いていたのか……。
「ん」
知花が僕にハンカチを差し出してきたので、僕はありがとうと言ってそれを借りると、涙を拭いた。
「ははは……。恥ずかしいな、男の子なのに……。嬉しくて泣いちゃった……」
味方になってくれたことが。こういう場面に今まで遭った時、皆が僕を加害者に仕立てあげられてきたたから。だから、死ぬほど嬉しかった。
――きついなぁ。女の子の前なのに……。涙、止まんないや。
矢沢も、知花も驚いている。目がかすんで、見えずらいけれど、それだけは分かる。次から、次へと涙が溢れてきて、どうしようもない。でも、それよりも――、
「ありがとう、二人共。僕の味方、してくれて」
僕のこの嬉しい気持ちを、感謝を、僕は言葉にした。言葉にしないと、伝わらないと、そう思ったから。
「いやいや! 別に感謝なんてしなくて良いって! 妾、別に思ったこと言っただけだし!」
「わ、私も! 客観的に見て物事を判断しただけというか! フィルターを覗いて物事を見ただけというか!」
あたふたと、まるで本気で恥ずかしがっているみたいだった。
何故だか、そんな二人を見ていたら余計に嬉しくなってしまった。
周りで、遠巻きに僕のことを見ている人達は、アンパンの禁断症状がどうだとか、薬の副作用だとか、色々僕のことを揶揄しているけれど、正直そんなのもうどうでも良い。
「ちゅーか、ホントガチでお前全然悪かねぇかんな!」
矢沢は、強くそう言った。
「確かに、キヨみたいにデカイのがいきなり話しかけてきたら若干ビビるかもしんねーけど、別に泣いて小便垂らすほどでもねぇし! そもそもアイツ等が、注意されるようなことすんのが悪いちゅーか」
「てか、高校生でお漏らし、カッコ悪い」
「それ以前に、キヨに纏わる噂を信じてこういう場面で悪役に仕立てる連中がもうなんとも言えんな」
「あれだね。被害者面してやってることは加害者っていうめんどくさいパターンのやつだね」
僕のことで、矢沢も、知花も怒ってくれているようだった。
「つーかさ、キヨ! いつも言ってることだけど」
矢沢のことだから、言い返せよ、と言うつもりだったのだろう。
しかし、彼女の言葉は止まった。どうして? どうしてか? 僕の後ろに、誰かが立っているからだ。
圧倒的に、荒い鼻息。体育会系特有の汗の臭い。
「フゥゥゥジィィッダァァァァイィィィルゥァァァアア……」
僕の名前を、まるで呪詛でも唱えるかのように呼ぶ声がして、男の大きな手が僕の頭を鷲づかみにした。
「聞いた、聞いたぞ、報告受けたぞォォォ……。手前ェ、大切な生徒に恐喝かましてくれたんだだってなぁ……」
まるで本物のヤクザを連想させるこのドスの効いた声。知ってる。この声は、生活指導の先生。
「ゲッ! 溝口!」
「『先生』だろうがァ! 何呼び捨ててんだテメェ! 敬え! 礼儀を重んじろォ! 矢沢ァ!」
彼に対してあからさまに不快感を表す矢沢に、溝口先生は怒鳴った。
「目上のモンへの最低限の礼儀も分からねぇようならなァ! テメェも停学にすんぞ!」
そう溝口先生は怒鳴った後、岩肌を思わせる無骨な顔を僕に向け、
「藤平みてぇにな」
と、補足し、口角を吊り上げた。
「え?」
僕は、流石に呆然とした。彼は何を言っているんだ? 僕はそう思った。そう思うしか出来なった。僕の聞き間違いでなければ、僕が先生の言葉の意味を正しく捉えられているならば、僕は間違いなく――
「停学2週間な、藤平」
――やはり、そういう意味だった。
「ど、どうして……ですか?」
「あん? 決まってんだろ? 恐喝したからだよ」
至極当然といった感じで、溝口先生は答えた。
「先生」
知花は急に立ち上がって、溝口先生の間近まで迫って、
「それは酷過ぎです」
と自身より頭半個分は背の大きい、彼の顔を睨んだ。
「知花ァ。先生に対して無礼にもほどがあるんじゃないか?」
溝口先生も睨み返す。中学から大学までずっと柔道をやっていたらしい溝口先生は筋骨隆々で、また凄みのある面構えをしていた。けれど、知花は全く物怖じしていない。それどころか、無言で溝口先生を睨み続ける。
「妾も酷すぎだし、強引だと思うんだけど」
「あん?」
座ったまま、意見を述べる矢沢の方に溝口先生は目を遣る。
「キヨはただ食券機の前でたむろして、皆に迷惑かけてた先輩を注意しただけであって、別に恐喝とかしてねぇしさ。勝手にビビッて漏らしたりなんかする先輩が悪いちゅーか」
そう矢沢が言うと、突然溝口先生は、腹を抱えて大笑いし出した。
「何がおかしい!」
「グフッ……! れっ、劣等生。礼儀も、知らない……イヒッ……劣等生、教えてやる……」
なんとか笑い声を抑え、ひーふーと、息を整えると、溝口先生は、
「そういうのをな、大人の世界じゃ詭弁つーんだよ」
と、自信たっぷりに答えた。
「なっ!?」
「第一それ、誰が言ってたんだよ?」
「キヨ本人から……だけど……」
「嘘吐いてるかもしれねぇじゃんか」
溝口先生は核心をついたことを言った。当たり前だ。悪いことをした人間が、そのことについて話す時に、助かりたくて嘘を吐いていると思うのは。証拠や被害者からの証言が上がっていて、いくら犯人と疑われた人間がそうじゃないと主張しても、信じてもらえるわけがないのだ。
「頭も使えねぇ癖に、物事を穿った見方でしか見られず、感情論でしか語れず、下らない正義感振りかざして本来悪いものに味方する。社会出る前に学んどけ、矢沢に知花。そういうのって屑の極みだからさぁ」
溝口先生はあくまで教師の立場から、多分感情的ではなく理性的に、彼女達に諭すように、やんわりとした口調でそう言った。
矢沢も知花も、「でも」「だって」と言葉を続ける。
――私達の知っているキヨはそんなことするヤツじゃない。口下手で、傷付きやすいけど、頑張り屋で、友達思いで、良いヤツだから。
彼女達はそう言ったけれど、溝口先生は何も聞いてはくれなかった。『感情論』に過ぎなかったから。僕から聞いても感情論にしか聞こえなかったから。
でも――これも感情論的な捉え方かもしれないけれど、矢沢と知花が僕と同等に扱われているのは嫌だ。溝口先生の中で同じ屑として扱われているなんて嫌だ。僕の知っている矢沢と知花は間違いなく、温かくて、良い人たちだから、嫌だ。
僕と同じように屑だって思わないで、先生。屑と思うなら――いや、屑は僕だけで良いから。
そう言おうと思っているのに、声が出ない。こんな時に勇気が出ない。僕なんかの為に頑張ってくれている人達の為に、僕は頑張れない……。駄目だ、僕は本当に……。
「着いて来い」
そんな僕の腕を引っ張って、溝口先生は職員室まで、僕を連れて行こうとした。




