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第21話 闇を裂く熱と歪み始めた日常

「ふぅ、なんとか間に合ったみたいだね。鏡華ちゃん」

「――沙由!?」


 突然の闖入者とその正体に鏡華が驚愕の声を上げたのとほぼ同時刻。






(失踪事件の犯人が『妙な反応』の奴の仕業だったとしたら……)


 自分達の居たところからは若干距離のあるプレハブ小屋の様な更衣室の裏側で、鶴来は焦りを顔に浮かべながらも周辺をきっちり確認するとセイバーを虚空から取り出す。

 そして裂け目を開き、その中に急いで飛び込んだ。




「まさか沙由もブレイカーだったなんて……」

「バイトみたいなものだけどね。ってむしろブレイカーって言葉を知ってるって事にこっちが驚いたんだけど……もしかして鏡華ちゃん、RWGの人?」

「いや、まぁ何と言えば良いのか……」


 今は一言で説明出来ない上にあまり人に言いたくないもとい言いふらせない立場の身。

 どう説明したものかと鏡華が言いあぐねていると、急に怒声が割り込んできた。それは鏡華を襲っていた少年のものだ。


「てめぇら……この俺を無視すんじゃねぇぇ!」


 突然割り込まれた上に無視された少年の怒りを体現するかの様に、彼の『何か』は五指を一本に束ねると沙由に向かって槍の様に飛んできた。

 だが沙由は冷静に手持ちの槍形セイバーで掬い上げる様に下から『何か』に刃をかち当てて、上手く弾き飛ばした。


「事情はよく分からないけど……とりあえず、大人しくしてください!」

「うるせぇ!どいつもこいつも……!」

「もう……ちょっと痛いかもしれないけど、我慢してもらいますから……!」


 先程鏡華を襲った時と同じ様にジグザグな軌道を描きながら再び襲ってくる少年の『何か』を、沙由は器用に槍で弾きながら彼我の距離をじりじりと縮めていく。

 思わぬ増援により平静を取り戻した鏡華は、沙由を後ろで見守りながら敵の不可解な力について思考を巡らせ始めた。


(あの少年自体の立ち回りはやはり素人のものだ。完全に力に頼っているだけ……だが、あの腕はなんだ?普通の武装とは違う、奇妙な……まるであれそのものが意思を持ってるかの様な動き……しかもあの武装の外見はやはりアレ(・・)に……ディザイアに似ている……)


 鏡華の分析を他所に、二人の攻防は早くも佳境へとさしかかっていた。

 状況は沙由の優勢。

 恐らく『力』を持った自分が追い詰められるなんて夢にも思っていなかったのだろう。少年の顔に焦りが浮かぶ。


「これなら……!」


 このままいけば捕縛出来る。そう確信した沙由は歩みを速めながら、『何か』から放たれる少年の苛烈ながらも稚拙な猛攻を躱し弾いて受け流し、着実に彼との距離を詰める。

 しかし沙由との距離が残り数歩となったところで、高く振りかざされた少年の『何か』の五指が捻れて癒着し始めた。


「っ……クソがぁぁぁ!」


 まるで一本の鞭の様に形を変えた『何か』が、少年の激昂を乗せて正面から襲い来る。

 軌道は単純な一直線。今までの様に途中で軌道そのものを変えられる可能性も想定出来たが、それでも冷静にぎりぎりまで引き付けて躱せば追いつけないだろう。

 それに大振りな攻撃だ、一度躱せれば隙も大きいはず。


(この攻撃を躱しながら、一気に踏み込んで勝負をつける!)


 決意と共に、沙由は集中を強めた――が。


「えっ……きゃああ!」


 沙由の眼前では、彼女の予想を大きく裏切り『何か』が先端から裂けて十本、いやそれ以上の数の触手へと分離、変貌を遂げた。

 あえてぎりぎりまで攻撃を引き付けていた沙由は、大きく広がり自身の予想を遥かに超えた攻撃範囲を持ったそれに対応出来ず、幾つかの触手を弾いたものの逃した残りからの強烈な打撃を全身に受けた。

 甲高い叫びを上げてセイバーを手放しながら、沙由の体が大きく吹き飛ぶ。


「沙由!?――ぐぁ……!」


 吹き飛んでいった沙由に思わず注意が向いてしまった鏡華だったが、それがまずかった。

 沙由を攻撃した直後に目ざとく鏡華へと狙いを変えた触手群に肢体を絡め取られ、少年の下へと乱暴に引き寄せられる。


「お前も、よくもコケにしてくれたな……おらぁ!」

「っ……!」


 鏡華は触手に拘束されたまま、仰向けになる形で地面に投げだされた。

 無生物、それも鉱石類の様な見た目でありながら若干の弾力を持ち生物の様に脈動を起こしている不気味な触手の感覚に不快感を覚えながら、それでも突破口を探していた鏡華。

 しかしその思考は、少年の空いていた左手に胸の水着を強引に剥がされた動揺で消し飛んでしまった。


「っ!?」


 遮蔽物が無くなり腕も使えず、無防備な胸が外気に晒される。


「このっ……!」


 羞恥心と怒りに顔を赤くして鋭い視線を少年に向けた鏡華だが、彼は動じないどころか下卑た笑みを浮かべていた。

 先程とは違い鏡華を拘束しているのは少年の腕では無く、触手の様に変形した『何か』だ。

 先程不意をついたからか、今度は徹底的に四肢を余す事無く縛られており抵抗するのが難しくなっている。


「こんな事して何が目的だ!この変態!」

「キーキーうるせぇな」

「なっ――んぅ!?」


 せめてもの抵抗を示す様に罵倒を吐く鏡華の口に触手の一本が巻きついて、猿轡の様に口を塞いだ。

 鏡華は歯を立てて抵抗を見せるも、当然歯は食い込まず触手はびくともしない。

 それどころか、見た目の無機質さに反した微妙な柔らかさと不定期な鼓動が伝わり吐き気すら催してしまった。

 それでも交戦の意思を捨てず、敵意を乗せた眼光で少年を睨みつけた鏡華。

 しかし鏡華とかち合った少年の視線は、鏡華の様に自らの敵へと向けるそれでは無く雄が雌を見る時の、性欲にぎらついたものだった。

 相手をどう穢してやろうかという事しか考えていない、踏みにじる側の人間の瞳。


「――っ!」


 ぶわりと全身から鳥肌が立つ。

 少年と目が合った瞬間、鏡華の体は竦み強張っていた。


(なんだ、これ……)


 ドクンッ!と、まるで心臓が自身の危機を示すかの様に一度だけ大きく跳ね上がったのが聞こえた気がした。


(なんなんだ……)


 その直後、鏡華は心の奥底から今まで感じたことの無い程に大きな、ある感情が湧き上がってくるのを自覚した。


(やだ……!)


 その感情の名は恐怖。

 人の肉体を、そして心までもを縛る感情の鎖だった。


(怖い……!)


 目の前には少年の、男の(・・)性欲と、そして支配欲に満ちた視線。

 対する今の自分は全身を余す事無く縛られた、ただされるがままでしかない非力な女の(・・)肉体。

 絶望的な状況を自覚してしまった鏡華の脳裏でこれから起こるであろう事が、最悪の想像が見たくもないのに勝手に暴れまわる。


「う……うぅーー!!」


 恐怖から引き出されるのは、猿轡に塞がれた口から放たれる言葉にならない絶叫だった。


(嫌……やだ、やだ、嫌だぁ!)


 突如としてパニックに陥った鏡華は、身じろぎをして何とか拘束から逃れようとするが全身を縛る触手群は当然、びくとしない。


「礼はたっぷりしてやらねぇとなぁ……殺さなきゃいいんだしよぉ」


 恐慌状態の鏡華に少年の言っている意味は殆ど分からなかったが、それでも彼が何をしようとしているのかはすぐに分かった。


(助けて、誰かっ、助けてぇ!)

「んん、んんっ、んぅー!」


 恥も外聞も無く涙を流しながら叫ぶ声も、言葉にはならず誰の耳にも届かない。

 むしろその姿が少年の嗜虐心を刺激した様で雄としての表情を強め、それが鏡華を更に恐怖させる。

 ついに少年の、男の左手が彼女の胸を乱暴に掴んだ。

 それと同時に鏡華は頭の中でプツリと、糸の様な物が切れてしまった音を聞いた気がした。

 それは意識と肉体を繋ぎ止める糸だったのかもしれない。最早声すら上げる事無くただ視界が暗くなっていくを感じながら、鏡華は無意識の内にとある名前を心の中で呟いていた。


(つる……ぎ……)





「ぐああああ!」


 それは少年の叫び声だったのだろうか。

 それが聞こえた直後、朦朧とする意識の中で、鏡華は宙に投げ出されたのを何とか自覚する。

 しかし次の瞬間には、何かに抱きとめられた様な支えを背中に感じていた。


「ぁ……」


 お姫様抱っこ、もとい横抱きにされているのだろうか。

 背中から伝わる何者かの腕からは何故だか、蕩けそうな程の熱さを感じた。

 鏡華の精気の無い虚ろな視線は縋る様に熱の正体を求めて、ふらふらと宙をさ迷う。

 そしてついにそれを認めた。


「ぁ……!」


 赤みがかった茶色の短髪。

 強く真っ直ぐな意思のこもっているかの様な、澄んだ光を放つ黒い瞳。

 

「ああ……!」

「――大丈夫だったか、鏡華……ってうわぁ!」


 鏡華を助けた張本人である赤金鶴来は、水着が外れて露出している鏡華の胸を視界に入れてしまうと、即座に顔を赤くして顔を背けた。


「あ、あのっごめん!別に見るつもりは無くて!ただ本当に危ないと思っただけでほわぁぁ!」


 鶴来が妙な声を上げるがそれもそのはず。

 鏡華が上半身裸なのを気にも留めず、鶴来の胸に顔を埋めてきたのだ。

 当然鶴来も水着なので上半身は裸であり、必然的に地肌同士で触れ合うわけで。


「わ、わ、わ、わ、わ」

「鶴来君!?ってそれよりも、鏡華ちゃん!駄目だって、それ駄目だって!」

「やっ……!」


 テンパって上ずった声を上げる鶴来に助け舟を出すかの様に、先程の攻撃から回復したらしい沙由が鶴来の傍まで駆け寄って鏡華の体を半ば無理矢理鶴来から引き剥がす。

 その時鏡華が短い悲鳴を上げながら鶴来にしがみつこうとしたが、体力の消耗していた彼女はあっさりと引き剥がされた。

 鏡華を守る様に優しく抱きしめる沙由。

 鏡華は何かに怯える様にびくびくとした様子で、恐る恐る自身を抱きしめる者の顔を窺った。


「沙……沙由……?」


 見知った人間だと知って安心したのか、鏡華は水着をつけるのも忘れて沙由にぎゅっとしがみつく。


「わっ……鏡華ちゃん……大丈夫、もう大丈夫だからね……」

「ひっく……えぐっ……ぐすっ……」


 沙由はその場にしゃがみこむと、胸の中に鏡華を抱える様にして抱きしめた。

 腕の中の鏡華は、いつもの彼女からは考えられないくらいに弱弱しい。

 しばらく沙由が鏡華を抱きしめていると、少年の声が聞こえてきた。

 彼女達を庇う形で、鶴来が予め地面に刺しておいた大剣型のセイバーを引き抜きながら正面に立つ。


「痛ぇ……痛ぇよ……くそっ、てめぇら一体なんなんだよ!これは俺だけの力じゃ無かったのかよ!」


 苦痛に顔を歪める少年の『何か』は、その十数にも分かれた触手の根元辺りで真っ二つに寸断されており、黒い断面を覗かせている。

 恐らく鶴来が先程鏡華を救出する際に切り飛ばしたのだろう。

 その鶴来はセイバーを構えて臨戦態勢を取り、戦意に満ちた目を少年に向けた。


「お前の言ってる事はよく分かんねぇけど、とりあえずお前が反転世界を自由に行き来出来る事は分かった。そういうのはRWGの管轄だからな、ちょっと手荒だけど、鏡華の分の利子もつけて無理矢理でも取り押さえる!」

「うるせぇよ、どいつもこいつもうるせぇぇぇぇ!!」


 少年の怒りに呼応するかの如く、彼の右腕に宿る『何か』は鶴来に切られた断面を泡を立てるかの様に膨れ上がらせて再生していく。


「何アレ……?」

「分かんないけど……何だかヤバイ気がする……!」


 鶴来と沙由が『何か』の変化に驚く中、それは触手同士を再び絡ませ合い癒着させながら、ゴキゴキと骨を鳴らす音……を何倍にも大きくした様な不気味な音を響かせて、最終的に大きく歪な形をした一本の刃へと変化した。

 目測でも成人男性二人分はあるであろう全長を持つ、刃状の『何か』を少年は躊躇無く振り下ろした。

 

「は……はは……全員纏めてくたばりやがれぇぇぇ!」


 最早己の目的すら頭の中に無いのか。

 まるで処刑台のギロチンが如き迷いの無さと勢いで振り下ろされる刃の攻撃範囲には、鶴来どころかその後ろに居る鏡華と沙由までもが入っていた。

 そのサイズの物を人間が振り下ろしたとは思えない程の速さで迫ってくる刃に、鏡華を抱きかかえていた沙由は迎撃も回避行動もとることが出来ない。


(駄目っ……!)


 とっさに目を瞑る沙由。

 ガキンッ!と何かが衝突する音がなった。だがそれは少なくとも、人体の裂ける音では無い。

 恐る恐る目を開けた沙由が見たものは、空中で静止する『何か』だった。

 その下では鶴来がセイバーの刀身で『何か』を受け止めていた。


「ぐぅぅ……!」


 質量の違いかそれとも単純な力負けなのか、鶴来は全身の筋肉を張り詰めながら苦しそうな表情で、『何か』を受け止め続ける。


「ちぃぃ……!」


 しかし少年の方も優勢ではあるものの、自身の攻撃を受け止められているせいかその顔の苛立ちは更に増していた。


「凄い……え?」


 自身より巨大な刃を受け止める鶴来を呆然と後ろで見ていた沙由は、胸の中で何かがごそごそと動く感触に気づいた。

 視線を下げてみれば、胸に顔を埋めて泣いていたはずの鏡華が、その涙を止めて呆けた様子で鶴来の方へと顔を向けていた。


「鏡華……ちゃん?」

「…………」


 沙由が呼びかけてみるが反応は無く、視線も固定されたまま。

 不思議に思いながらも今はそれどころでは無い、沙由は再び視線を鶴来達へと戻す。

 直後、どうにか刃を受け止めていた鶴来の膝が軽く折れ曲がった。

 つば競り合っていた刃同士の距離が、僅かに開く。

 沙由は一瞬、鶴来が押し負けてバランスを崩したのかと思い息を飲んだ。

 しかし実際にバランスを崩していたのは、少年の方だった。

 鶴来が膝を折り剣を引いた事により、突然力の矛先を失った刃はガクンと急に高度を下げる。

 刃の重みと勢いに釣られた少年も、前のめりになってしまい片足が軽く宙に浮いてしまった。

 その隙を見逃さず、鶴来は自身の大剣を軽く後ろに戻すと頭の上から惰性で降りてきた刃の側面に向かって思い切り振り当てた。


「ぐわっ!」


 『何か』は切断こそされなかったもののあらぬ方向へと振れながら地面に落ちて、灰色の砂埃を上げる。

 『何か』がついている右手に引っ張られてたたらを踏みながらも何とか転倒は免れた少年は、先程よりも更に殺気を漲らせた瞳で鶴来を見やると最早獣の雄叫びと聞き間違えんばかりの叫び声を上げて、巨大な刃を横に薙いだ。


「あああクソがぁぁあああ゛あ゛あ゛あ゛!!」

「くっ……おぉぉぉ!!」


 だが既に少年に向かって駆け出していた鶴来も再び向かってくる刃に気づくと、苦々しい顔をしながらもその場で足を止めて負けじと叫ぶ。

 そして大剣を持ち上げ、向かってくる刃へと正面から叩きつけた。

 一方、二人の闘気に当てられたのかいつの間にか戦いに見入ってしまっていた沙由だったが、再びぶつかり合った刃と刃の音を聞くとはっとしてすぐに、未だに鶴来から視線を離さない鏡華に問いかけた。


「鏡華ちゃん、立てる?」

「……」


 反応は無い。聞こえていないのだろうか。

 ならばと沙由は、先程よりも少し強い口調で言ってみる。


「鏡華ちゃん」

「え?」


 鏡華は漸く沙由の存在に漸く気づいたらしく、この緊迫した場に似つかわしくないぽかんと間の抜けた顔を沙由に向けた。


「立てる?少し離れるよ」

「離れる……え、あ。うん……」


 返事をするも鏡華はその後一瞬、不安そうな眼差しで鶴来を見やる。

 だがそれに気づかず沙由が軽く立ち上がると、鏡華もそれを支えにして一緒に立ち上がった。


「うおお!」


 鏡華達が離れていく間も鶴来と少年の戦いは続いていた。

 鶴来は大剣を振り回して少年の刃を何度も弾くが、しかし少年もその度に形相を一層恐ろしい物に変えながら常人を遥かに超えた速度と威力で、右腕の刃を鶴来に向かって執拗に何度も何度も叩きつけてくる。

 最初は先程と同じ様にフェイントをかけて隙を作ろうと試みていた鶴来だったが、先程とは違い理性を失ったかの如く無茶苦茶な、読めない軌道になっていく少年の剣閃と徐々に上がっていくその威力と速度のせいで、今はただ弾く事に専念させられていた。

 少年の刃を受け止めた衝撃に押されて、鶴来の足が徐々に後退していく。


「鶴来君……」


 激しくなる戦いから逃れる為に安全なところまで下がり見守っていた沙由の表情が、鶴来への心配からつい曇ってしまう。

 しかし今鏡華の元から離れるわけにはいかない。

 援護に迎えないもどかしさと不安が募る沙由の胸元で、ふと鏡華がぽつりと呟いた。


「……多分、大丈夫」

「え?」

 

 あまりにも小さい声だったので聞き間違いかと思い聞き返してしまった沙由だが、鏡華はまた鶴来をじっと見ているばかり。


「一体どういう……あれ、なんだろう……?」


 鏡華の言葉に疑問を持ちながらも再び視線を鶴来達の方に戻した沙由は、その戦況に何か違和感の様な物を覚えた。

 鶴来に向かってがむしゃらに打ち付けられる刃も、それを弾き続ける鶴来という構図も先程と変わらない。

 ――いや、よく見れば一つだけ注目すべき違いがそこにはあった。


「相手の刃が……欠けてきてる?」


 鶴来の大剣に弾かれる度、少年の右腕に根付いている刃がその破片を少しずつ散らしているのだ。

 しかも気のせいか刃が、『何か』が欠けていくペースが徐々に上がってきている様にさえ沙由の目には映った。


「はぁ……はぁ……!」


 鶴来の息は荒く、体力を消耗しているのが目に見えて分かる。

 だがその瞳はむしろ輝きを増しており、それゆえか疲労は大きくても彼が劣勢だとは沙由には思えなかった。


「あ……あお、あ……あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」


 一方の少年は突然喉の奥から絞る様に吼え、最早調子に乗っていた悪餓鬼の様な面影は無く鬼気迫った、いや正しく鬼の様な面相で、口から溢れるよだれを押さえる素振りすら見せず、瞳孔を思い切り開いたギラつく瞳と強烈な殺意を鶴来に向けた。

 再び振り上げられる刃。

 純粋な殺意のみを、強烈な速度と威力として刃に乗せた縦一閃。

 それを鶴来は再び防ぐ――のでは無く、真っ向から迎え撃つ為に大きく振りかぶる形で構えた。


「うおおおおお!!」


 気迫を込めた叫びと共に小細工無しの、全力のフルスイングを鶴来が放った。

 鶴来の大剣が少年の『何か』と正面からぶつかる。

 そしてつばせり合う――事は無かった。鶴来の大剣が少年の刃へと抉り裂いたのだ。

 鶴来は剣を握る手も、剣の勢いも緩めずにノンストップで振りぬく。果たして少年の刃は今までの攻防が嘘の様にいとも簡単に両断された。


「えっ……!?」

「……」


 巨大かつ不気味な刃の片割れが、所有者を離れて空を切り裂き宙を舞った。

 あの巨大な刃があっさり切断されたという予想外の出来事に驚く沙由、対して予想していたかの様に動揺を見せない鏡華。


「がっ!?」

「い、ま、だぁぁぁぁぁ!」


 驚愕に顔を歪める少年と、彼に向かって走りだした鶴来。

 そして鶴来はあっという間に少年の懐へと飛び込むとその右腕を、『何か』が生えてきている右手首へと刃を振り下ろす。

 拍子抜けする程あっさりと少年の右手首から先が、地面へと落ちていった。


「あ゛あ゛あ゛あああああぁぁぁぁ……」

「はぁ……はぁ……」


 現実世界とはまた別の理(ことわり)を持つ反転世界では、出血する事は無い。

 だがたとえ血は出ずとも痛みはある。

 その場に倒れて右手首を押さえ蹲る少年を、鶴来が地面に押さえつけた。

 少年の顔は苦痛に歪んではいたものの、その眼には先程までと比べて幾らか理性の光が戻ってきている様だった。


「答えろ……何のために鏡華を狙った!今までの失踪事件もお前が犯人か!?」

「ひぃ!こ、殺さないでくれ……違う、俺はただ命令されただけなんだ!」


 剣先を少年の首元に突きつけて威圧する様に声を荒げる鶴来に対して、少年は先程までの鬼気迫る殺気も元来持っていた横暴さすらも全て消えうせた、まるでどこにでもいる普通の少年の様に、自身の命の危機に怯えていた。

 しかし沙由は少年の変わり様よりも、普段人当たりの良く温厚な鶴来があそこまで怒りを露にした事の方に大きい驚きを覚えていた。

 鏡華も同じ事を思っているのかそれとも違うのかは分からないが、沙由の腕の中で軽く身じろぎをする。

 そんな沙由たちの内心を他所に鶴来は怒りを隠そうともせずに少年への問答を続ける。


「命令……どういう事だ……!」

「お、男だ、姿は見えなかったけど、本当だ!ただ俺はそいつを――」


 パスッ。

 言葉で表すと何処か間抜けな感じすらする、まるで浮き輪の空気でも抜けたかの様な音と同時に、少年の額に小さく丸い穴が開いた。

 少年の全身が一瞬震えたかと思うとすぐに弛緩して、糸の切れた人形の様にダラリと肢体を地面へと投げ出した。


「なっ……!?」


 目の前で起きた事を理解しきれずただただ絶句するしかない鶴来。

 白く色の無い砂浜の上に投げ出された少年の左手は、人差し指だけが誰かを指し示しているかの様に立てられていた。


「…………!」


 少年の指の先で、鏡華と彼女を抱きしめる沙由が息を飲む。

 鶴来も沙由も鏡華も、誰も口を開かない、開くことの出来ない静寂の中、少年の肉体はいともあっさりと世界から光となって消え去っていった。

 しばらくの無音が続いた後、何を思っているのだろうか。鶴来がぎりりと歯を噛み締める音だけが砂浜に響く。

 その後鶴来は立ち上がり、自分達の周辺全てに聞こえる様に喉を張り詰めて思い切り叫んだ。


「誰だ!何処にいる!姿を見せろ!」


 返答代わりとでも言うかの様に聞こえてきたのは鉄の様な物同士が衝突する音だった。

 その場にいた全員が、音の発生源へと振り向く。

 そこにあったのはかつて異質な存在を放っていた『何か』だった物。

 少年の右腕から切り離された、今は謎の攻撃によりバラバラに砕けた文字通りの何か。正体不明の欠片だった。

 その欠片達も砕けたせいか、あっけなく光となって消えていった。

 その後、しばらく周辺を警戒していた鶴来達だったが正体不明の攻撃はそれっきり行われる事は無く、その発生源が姿を現すことも無かった。





 こうして、反転世界の海水浴場で起きた一連の事件は多くの謎を残したままとりあえずの収束を向かえた。

 その後の顛末を語ると、事件の後すぐに駆けつけてきたRWGの人間に事件について報告した跡、彼らに現場の調査を任せた鶴来達は現実世界へと帰還。

 鶴来達が現実世界から姿を消して既に30分以上も立っていたせいで、すっかり怒り顔になり何処へ行っていたのかと問い詰めてきた地里兄妹に、『鏡華が暴漢に連れ去られかけていたので助けていた』等と適当に誤魔化した上でそれを水に流すかの如く、もしくは遅れた時間を取り戻す様に一同は日が暮れるまでひたすらに遊びまくってから帰路についたのだった。

 と、端的な説明ならこの程度で十分だろう。

 だがあえてもう一つ話を加えるならそれは帰りの電車内で起きた、傍から見ればとある些細な出来事なのかもしれない……。





 それは人気の少ない電車内で特に理由も無く鶴来と鏡華、そしてその他3人という組み合わせで互いに対面の席に座っている時の事だ。

 元より乗客は少なく、皆疲れているのか口数も少ない為に線路をひた走る電車の音だけがガタンゴトンと大きく響く車内。

 眠気を誘いそうな揺れと運動後の心地良い疲れに身を任せながら、鶴来は隣でスマートフォンを弄っている鏡華をちらりと見やる。

 スマートフォンに視線を向ける鏡華の顔は、いつもと変わらぬ様に見える。だがそこに鶴来は一抹の不安を感じてしまった。

 鏡華はあの事件の後、その時の怯えようが嘘だったかの様にいつもと同じ、いやむしろいつもよりも明るく振舞っていた。

 実際にそう見えるかは兎も角、基本的に一歩引いたクールな振る舞いを取ろうとしている彼女には珍しく、率先して皆の輪の中に入り普段見せない様な笑顔まで見せていたのだ。

 鏡華の精神が思いの他柔軟だったのか、それとも傷ついていても気丈に振舞っているだけなのかは分からない。

 だがどちらにせよその時は、会話も遊びも普通に出来る精神状態だという事に鶴来は内心ほっとしていた。

 地里兄妹への誤魔化し等もだが、鏡華の泣き顔は出来る限り見ていたくなかったというのが一番の理由だった。

 だがそれならどうして今になって妙な不安感を覚えてしまっているのか。

 鶴来はその理由が自分でも分からず内心で首を傾げてしまったが、しかし同時に一つの小さい違和感に気づいた。

 近いのだ、距離が。

 鏡華は今鶴来の隣に座っているが、その距離は肩が触れ合いそうな程に近い。

 半袖のTシャツに4分丈のジーンズというシンプルながら露出度高めの服装の鏡華は、予め日焼け止めを塗ってあったのか、直射日光に照らされていたはずの肌が未だ染み一つ見当たらない白さを保っている。

 その白い肌と対照的であり、かつ綺麗な明暗(コントラスト)を形づくる真っ黒な長髪は纏めて一本に結われているせいか、髪の艶と美しさが一層強調されている様だった。

 更に女性らしい小さい体躯もその割りに大きな胸も、彼女の全てを間近で捉えればその分だけ心臓の鼓動が早まってくるのを鶴来は感じていた。

 だがそれと同時に、鶴来の中では奇妙な違和感と不安感を織り交ぜた様な物が徐々に膨れ上がっていた。

 気づいたら、鶴来は何故か鏡華に問いかけていた。

 何を問おうとしたのかは自分でも分からなかったが何か知らなければいけない事があると、そう思ってしまったのだ。


「……鏡華」

「ん?」


 鏡華はきょとんとした顔を鶴来に向けてきた。

 彼女の大きな瞳からはいつもの様な敵意やら対抗心やらも、不満や不機嫌さすら一切感じられない。

 いやそもそも一言呼びかけられたくらいで普通はそんな物を持つものでも無いとは思うが、それでも鶴来は思ってしまう。

 違う。やはりいつもとは違う、と。


「いや……悪い、なんでもない」

「そうか……」


 ふと呼んでしまったものの、何をどう言うべきか分からなかったせいで会話を切り上げざるを得なかった鶴来。

 しかし鏡華は文句の一つを言う事すらなく、再び自身のスマートフォンへと視線を戻した。


(違う)


 また違和感が大きくなる。

 否、これは最早違和感などという曖昧な言葉で表すべきものでは無いのかもしれない。

 これはある種の変化だ。

 断言できる。

 昨日までの、いや今日あの事件が起きるまでの鏡華だったら自分と近い所に座らなかった。

 そもそも自分と同席すらしようとはしなかっただろう。

 先程名前を呼んでしまった時だって、いつもだったら絶対鬱陶しそうに顔を上げていた。もしかしたら無視すらされていたかもしれない。

 『なんでもない』なんて言ってしまったら『じゃあなんで呼んだんだ馬鹿』と文句の一つくらい飛んでくるのが、自分が知っている竜胆鏡華という人間だったはずだ。

 もしかして、あの事件の時に曲がりなりにも自分が鏡華の危機を救った事になるから、そのおかげで見直されたのだろうか。


(だからって……やっぱ何かおかしい気が――)


 そんな事を考えた時、隣で音が聞こえた。


「ふぁ……」


 それは彼女が無防備にも可愛らしく小さいあくびを上げる音だった。

 何気無い動作だと言うのに、鶴来は自身の内にある不安を更に煽られた様な感覚に陥った。


(鏡華……俺の考えすぎ、なのか……?)


 考えすぎならそれでも良い。

 助けたおかげで見直されただけと言うのなら、まぁ仲良くなれたという事で喜んでも良いのだろう。

 しかし何かが引っかかる。

 事件の後の妙に明るかった態度も、今の無防備さも。

 鶴来は眉をしかめるが自身の肩の辺りに突然、柔らかな感触と少なくない重みを感じた事でその思考を散らされてしまった。


「なっ……え、鏡華……?」


 肩に感じた感触の正体は、鏡華の顔だった。

 つい先程まで起きていたはずだったのに、余程疲れていたのだろうか。体全体を遠慮無く鶴来の肩に預け、既に小さな寝息まで立てている。


「鏡華……」


 いつもの鶴来なら慌てふためきながらも、男として喜びを感じずにはいられなかったであろうこの状況。

 だが今はどうにもそんな気分になれず、それどころか悪寒じみたものまで感じてしまう始末。

 浮かない表情の鶴来とあどけない寝顔をさらす鏡華を乗せた電車は、暗い夜道をただひたすらに駆けていくのだった。

【今日の戯言コーナー】

 何か気づいたら1万1千文字ぐらいになってました、これだからバトル描写ってのは……。まぁ書いてる間は楽しいシーンベスト5ぐらいにも入るわけですが。疼くぜ!

 それはそうと、今話の内容は色々「?」ってなるところが多かったかもしれませんが、まぁぼちぼち明かされていく予定なので楽しみにしていただければ幸いです。

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