第19話 それは誰にも聞こえぬ予兆
どこまでも広がる……と言うのはさすがに誇張表現が過ぎるがそこそこには広い砂浜と、こちらは正にどこまでも広がっている青い海を、雲一つ無い澄み切った青空に昇る太陽がこれでもかという程に照らしている。
巻波市の、海に面した一角にある海水浴場での光景だ。
特筆する様な物は何も無い外部には無名の海水浴場だが、だからこそ地元民にとっては割と手軽に行ける上にそんなに混雑しておらず、ついでに最寄り駅も目と鼻の先にある何気に評判の良いレジャースポットとなっている。
その海水浴場の最寄り駅では現在、黒髪を一つに束ねた気の強そうなツリ目の少女が何故かアンニュイな感じの表情で、眼下に広がる海を見つめていた。
「とうとう来てしまったか……」
レジャースポットにそぐわない、妙に哀愁漂う発言をした彼女の名は竜胆鏡華。
一体何の因果か、つい数週間前に何故か性別が変わってしまった不憫な少年もとい少女である。
「やっと着いた!おー、近場とはいえやっぱ海見るとなんか楽しくなってくるな!」
鏡華の横では短い赤みがかった茶髪と180cmを越す長身が特徴の少年、赤金鶴来が目を輝かせている。
テンションの低い鏡華とは対照的に実に楽しそうな鶴来の後ろで、もう一人の茶髪の少年が鶴来の言葉に同意するかの様にうんうんと頷いていた。
「その気持ちは単純だと思うがしかしよく分かるぞ鶴来。なんたって海と言えば水着の美少女だからな、テンション上がってもしゃあない。俺だって楽しみさ」
それはあまりにも男の性に素直な意見だったが、同意の声を上げるのは彼と似た顔と背丈を持ち、自らの茶髪を鏡華と同じく一つに束ねた少女だった。
「人間皆、水着の美少女が大好きだものね。私だって否応無しにテンション上がるわ。しゃあないしゃあない」
発言までどこか似た感じの二人だが、それもそのはず。彼らは双子なのだ。
少年の名前は地里守、少女は地里このみと言った。
その地里兄妹の発言を聞いた鶴来は、それを慌てて否定しだす。
「いやいやいや俺はそういう意味で言ったんじゃないって!ただ単純に海が楽しみなだけで――って鏡華は何で離れていくんだよ!?」
「いや、なんというかお前も男なんだなぁと」
「だから違うってー!」
「そうよ鏡華ちゃん男なんて皆獣よ。心の底じゃそれはもう、私みたいな清らかな乙女の口からは決して言えない様な事ばっかり考えているの。だからここは健全な女同士で――」
「一番の獣が何言ってるんだっ……と」
世迷言をのたまいながら飛びつこうとしたこのみを、分かっていたと言わんばかりにひらりと躱しつつ鏡華は再び鶴来の傍に戻る。
そして鶴来を見やると呆れたようにため息を一つついてから言った。
「冗談に決まってるだろ。お前の性格ぐらいさすがにもう分かる、一体何日一緒に住んでると思ってるんだ」
「お、おお……ありがと、う?」
最近の鏡華は、たまにいつもとは違う感じの態度をとってくることがある。
鶴来はそれを前よりも距離が縮まった証拠だと思っておりそれを嬉しく思ってもいたが、それはそれとしてこういう態度をされると、いつも強気な態度をされていただけにどういう反応を返せば良いのだろうと若干困惑してもいた。
しかしそんな鶴来の困惑を他所に、以前よりも仲の良い二人の様子に何か怪しいものを感じた地里兄妹は、二人の後ろでこそこそと話し始めた。
「おいなんであの二人ラブコメ空間みたいなの形成してんだ、なんかあったのか?」
「私が聞きたいわよんなもん!あんの馬鹿め一体何を……ってあー、もしかして『アレ』か……?」
守はその場に居なかったので知る由も無いが、このみの思い浮かべた『アレ』とは鏡華の初潮の事である。
「そこを詳しく」
「男は知らんでいいのよ」
「そう言われると余計に気になるのが人の性なんだが分かってやってるだろお前」
「そりゃ勿論。教えないけどね!」
「だったらカードゲームで勝負だ!勝ったら全部吐いてもらうぞ!」
「唐突なカード脳ね、でも望むところよ!1ターンで決着をつけてあげるわ!」
最早大声で騒ぎながら向かいあう二人だが、直後にその後ろから女性の咎める声がかかった。
「全く二人はいつもいつも……せっかく海に来たのに何言ってるの、早く行くよ」
眉を顰めてそう言ったのは、清楚な雰囲気を身に纏う綺麗な顔立ちの少女だった。ちなみに胸は鏡華よりも一回りは小さいと思われる。
いつもは垂らしたままの腰まで届いている長く艶のある黒髪を、今日はツーサイドアップにした彼女、戸崎沙由は地里兄妹に注意をした後、鶴来と鏡華の間に割り込むと茶化す様に笑って二人に声をかけた。
「二人も。仲良くしてるのは良い事だけど、どうせなら水着に着替えてからでも良いんじゃない?」
「んなぁ!?べ、別に仲良くしてるわけじゃなくてだな――ってちょっと待て沙由!人の話を聞けー!」
鏡華の弁解が終わる前に沙由がくすくすと笑いながら先に走りだし、それを鏡華は追いかける。
その後ろではおいてかれた鶴来が地里兄妹に両側から肩を組まれて文字通り絡まれていた。
「おい鶴来ーお前いつの間に鏡華とあんな仲良くなったんだよぉええ?」
「あ、やっぱ仲良くなった様に見える?いやー良かった良かったやっぱ前よりも距離は縮まってちょっ、お前ら首絞まる……!」
「お前鈍感そうな顔してやっぱそういう魂胆だったのか羨ましいじゃねぇか畜生……!」
「やっぱ男はどいつもこいつも獣ね……鏡華ちゃんに代わってここで成敗してやるわ……!」
地里兄妹は双子らしい阿吽の呼吸でお互いの腕を上手く組み合わせて鶴来の首をきりきりと絞め上げるが、鶴来も負けじと両手を使い双子の腕をこじ開けながら、足腰に力を入れる。
「お前らの言ってる意味はよく分からないけど……とりあえず俺は負けねぇー!」
鶴来は叫びながら双子の腕を無理矢理引き剥がし、同時に鏡華達の元へと走り出した。
「うわっ!相変わらずの馬鹿力ね!」
「逃がすか!この砂浜がお前の墓場だ!」
地里兄妹も鶴来達を追って走り出す。
やいのやいのと海岸へと駆ける少年少女を、焼ける様に暑い太陽が見守っていた。
「おまたせー」
砂浜に設置された更衣室から淡い水色のワンピースタイプの水着姿で出てきた沙由は、何故かやたらと気落ちしているこのみの腕を掴み引きずる様に連れてきながら、更衣室の前でたむろしていた他の3人に声をかけた。勿論このみも水着を着ている。上下に分かれており下部がひらひらしたスカートの様になっているピンク色のそれは、所謂セパレートタイプの水着だ。
「おう超待ったぞ、この借りは体で返してもらわねぇとなぁ……」
「だったらただで合気道の稽古つけてあげようか?うちの道場で」
「すいあせぇーっしたぁ!」
腰を90度曲げた綺麗なお辞儀と無駄にはきはきとした発声で大げさに謝る守も、その後ろにいる鶴来も勿論水着姿だ。両方とも特筆する事の無い普通の海パンだった。
鶴来の隣に立つ鏡華も水着姿……のはずではあるのだが、何故かオレンジ色の大きめのパーカーを水着の上から着ており、更にはこれまた何故か口に棒状のアイスキャンディーまで咥えている。
その鏡華は沙由の背後でしょぼくれた表情をしているこのみに気づくと、アイスを口から離して彼女を指差しながら沙由に尋ねた。
「……なんかその後ろの、来た時とテンション違いすぎないか?」
「ああこれ?ううん大した理由じゃないから気にしないで?」
「はぁ。それなら良いんだが……」
沙由の若干やるせない感じの表情を見る限り、触れてはいけない類の理由だろうという事を何と無く察した鏡華はそこで話を打ち切ろうとした。
だがその時、沙由の背後で項垂れて置物の様に黙っていたこのみのか細い声が、騒がしい海岸だというのに鏡華の耳に妙にはっきりと届いた。
「鏡華ちゃんの……」
「え、私の?」
いきなり自分の名前を呼ばれた鏡華が思わず反応してしまった瞬間、このみはたがが外れたかの様に膝を折り砂浜に崩れ落ちて、涙ながらに声を上げた。
「鏡華ちゃんの着替えが見れなかった~!ちょっかいもかけられなかった~!!」
「……うわぁ……」
「ね、本当に大した理由じゃないでしょ……」
このみの心からの慟哭に、鏡華は顔を引きつらせて沙由はげんなりとする。
「そういえば鏡華はやたら着替え早かったけど……」
「ああ成る程。お前、下に水着着てたのか」
「まぁな。それにしても、着ていて本当に良かった……」
納得する男子達と心の底から安堵した様な表情をする鏡華。
本当は男としての罪悪感から、女子更衣室から1秒でも早く出る為の対策だったのだが、それがどうやら功を奏したらしい。持ってて良かった清く正しい精神。
「しかも何でパーカー着てるのよー!それじゃあ水着も素肌も見えないじゃない!」
「見せない為に着てるんだから当たり前だろう……」
鏡華は眉尻を下げてため息をつく。
そして今自分の着ている股の辺りまで覆い隠すくらいに大きいパーカーを見下ろしながらこの間の事を回想した。
それは3日前の事。
今回の時の為にこのみと沙由と一緒に半ば強制的に水着を買いに行く羽目になってしまった鏡華は、すったもんだの上に結局はこのみが提示した『某有名ケーキ店のスイーツを奢る』という餌に釣られて(鏡華視点で)露出度の高い水着を買わされてしまったのだ。
せっかくの海だと言うのに鏡華のテンションが低かった理由は、その水着をお披露目せざるを得なかったからだった。
「せっかくスイーツ奢るって約束までしたのにー!」
「お前そんなので釣られたのか……」
「だ、だまれ馬鹿鶴来!……ま、まぁさすがに海に入る時は脱ぐからそれで我慢してくれ……」
「うー……」
このみに本気で恨めしそうな視線を向けられた鏡華だったが、しかし恥ずかしいものは恥ずかしい。
内心で僅かながらの罪悪感を感じながらも、目を逸らして手に持っていたアイスキャンディを持ち直して再び舐め始める。
だがその動作に、何故かこのみがピクリと反応を見せた。
このみは顔を上げて鏡華に問う。
「鏡華ちゃん、何それ……」
「何それって、どうみてもアイスだけど……さっき皆を待ってる間にそこの売店で買ってきたんだよ」
「……エロイ」
「は」
「汁が滴る棒状のものを咥えて舐める鏡華ちゃんが見れるだなんてやっぱ海来て良かっ――」
「えいっ」
「ぶぇぁ!」
何故か急に顔を輝かせ始めたこのみだが、その直後に沙由が躊躇無くその足を払いのけると顔面から砂浜に突っ込んでいった。
「ってあっつぁ!!何さらしてくれてんのよこの貧乳ってええん!?」
砂塗れになりながら起き上がったこのみが文句を言った瞬間、彼女は再び砂を巻き上げながら地面と熱烈なキスをする。
ちなみに一応沙由の名誉の為に補足しておくと、彼女は世間一般で言う程の『貧乳』という程に小さいわけでは無い。ただ大きくないだけだ。
「全くもう、いつもいつも……」
「ま、何はともあれこんな所でたむろってても仕方ないしとりあえず泳ごうぜ」
暑さに悶えて転がる片割れを何事も無かったかの様に無視して守がそう提案した。
他の皆も、砂浜でのたうち回る女子高生にから目を逸らしつつ守の意見に口々に同意する。
「それもそうだな」
「時間が勿体無いよね」
「よーし泳ぐぞー!」
「ええ加減にせんかこの薄情者どもー!」
体を跳ね上がらせながら何故か関西弁でツッコミを入れたこのみ。
しかし彼女は唐突に何かを思い出した様な表情をすると、話を切り替えだした。
「あ、そういえば今日はなるべく二人以上で固まって行動した方が良いかも」
「本当にコロコロテンションが変わるな……しかしどうしたんだいきなり」
「ほら聞いた事無い?最近ここら辺で物騒な事件が起こってるって話」
「ん……?ああ、そういえば新聞になんか載ってたな。確か連続失踪事件だったっけか」
「そうそう、数日前から突然失踪した人間がもう十人以上いるって話。しかも被害者は全員巻波市の人間で、しかもちょっと数分、誰も見ていないうちに何処かに消えちゃう事もあるんだって」
「ああ、その噂なら聞いた事あるぞ。なんでも被害者はある高校の生徒や教師に集中してるんだってよ。て言っても噂の高校は俺たちの通ってる高校とは別のところだから、あんま気にしなくても良いと思うけどな」
鶴来、沙由、地里兄妹は同じ高校の同級生。鏡華は元々高校に通っていない。
その為、守の補足説明にそれぞれ安心を覚えた鏡華と沙由。
だが鶴来は何か頭の中で引っかかるものを感じていた。
(んー……なんだろうな、このなんか忘れてる様な感覚……)
「……鶴来?」
「え?あ、ああいやなんでもない」
「……まぁそれなら良いんだが、考え込むなんてお前らしくもないと思ってな」
「いや俺だってたまには真面目に考えたりする事だってあるって!なぁ!」
「…………」
「え、何で黙るんだよ皆」
「……よし!それじゃあ今度こそ泳ぐか!」
「とりあえず事件の事は抜きにしてもはぐれたりすると大変だから、皆なるべく一人にならない様に――って言ってるそばから何でこのみは走り出すの!?自分から言い出したんでしょ!?」
「海と美少女が私を呼んでいる!理由はそれだけで十分よ!」
「皆スルー!?なあたまに思うんだけどマジで俺そんな馬鹿に見えるの!?ちょっと待ってそして話を聞けー!」
各々が海に向かって走り出した。
鏡華も後ろから歩いて彼らについていく。
「皆元気だなぁ……っ!?」
ぞくりと、急に怖気にも近い妙な寒気を背筋に感じて背後を振り向いた鏡華だったが、視線の先には賑やかな浜の光景が広がるだけだ。
何故かふと、先程皆で話していた失踪事件の事を思い出した。
まさか、と思ったが一応周りを見渡してみる。しかしやはり怪しい人物は見当たらなかった。
「……気のせい、だよな」
そう結論付けた鏡華は、根拠の無い不安を振り切るかの様に駆け足で鶴来達の元へと走り出した。
【今日の戯言コーナー】
海だ浜辺だ、勿論水着だ!
そんなわけで、今回が水着回である事に比べればタイトルが若干不穏な事なんて些細な問題ですね。ですね!




