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番外編3話 夜の帳が落ちし時

 そこは、暗く小ぢんまりとした部屋だった。

 床には脱ぎ散らかした服や放置されたままのカップ麺の容器等、大量に散乱したゴミか必要な物なのかも分からない物達がほどよく辛気臭さを演出している、そんな部屋の片隅では一人の少年が膝を抱えて座り込んでいた。

 その姿を窓から差し込む、どこか妖しげな月の光だけが照らしている。


「畜生っ……どいつもこいつも俺の事を見下しやがって……!」


 少年は何かを恨む様な表情で親指の爪を歯でかりかりと齧りながら、腹の底から響く怨嗟の声を上げる。

 理由は単純。現在、高校1年生である少年は所謂『いじめ』を受けていたのだ。

 彼はかつて――中学生だった頃は『いじめる側』の人間だった。

 中学ではヒエラルギーの上の方で気分よく胡坐をかいていたはずなのに、高校に入ってからふとしたはずみで今度は自身が標的にされてかつて馬鹿にしていた側へと堕ちる。

 ままある話といえばその通りだが、少年はその現状を認められなかった。

 今まで上の立場にいたはずの自分がこんな事になるなんて何かの間違いだと。

 自分はこんな惨めなところにいる人間では無いと。

 本当はもっと強い人間のはずなんだと。

 そんな、傍から見ればあまりに身勝手としか言えない思いは、いつしか歪んだ力への渇望となっていた。


「俺だって……俺だって昔はもっと上にいたんだ……力が……もっと力さえあれば今だって……」


 少年のその歪んだ願いは今日、更に歪んだ形で叶うこととなる。

 一人の来訪者を伴って。


「――ほう。お前、力が欲しいのか?」

「うわぁ!」


 唐突に耳へと届いた、若い男性の物と思わしき声に驚きの声を上げる少年。

 声のする方へと視線を向けると、月の光すら殆ど差し込まぬ暗がりの中に一つの人影が浮かび上がっていた。

 少年から見れば、今にも闇に溶けていきそうな程に淡いシルエットとしてしか認識できない、正しく文字通りの『人影』だった。

 音すら立てずいつの間にか何処からとも無く侵入してきた不審者。

 普通なら出合った時点で逃げ出したり110番してもしてもおかしくはないが、しかし――。

『お前、力が欲しいのか?』

 その言葉が頭の片隅に引っかかった少年は、つい人影に話しかけてしまった。


「誰だお前……いつからそこに、ていうかどうやって入ってきたんだ……?」


 少年の震える声に、人影の方は軽い調子で答える。


「ああ、こっからだよこっから」


 人影は親指を立てて後ろを指し示す。

 少年がつられて視線を向けると、暗闇に浮かぶ光の輪の様な物が今にも閉じようとしているところだった。


「あ、ああ……」


 非現実的な光景と突然現れた侵入者に、少年の体が恐怖と困惑で震える。

 そんな反応のせいか、少年には人影が肩をすくめた様に見えた。


「おいおい、俺がそんな怖い人間に見えるかよ。酷い奴だなぁ、むしろ感謝して欲しいくらいなのに」

「ど、どういう意味だ……」

「俺は、お前に力を与えに来たんだぜ?」

「力……?それってまさか……」


 少年の視線はつい先程、人影の背後で消えた光の輪があった所に向いた。

 そして人影が言葉を続ける。


「そう、そのまさかさ。だがあれはあくまでも、俺が与えてやれる力のほんの一部でしかない。もしもお前が俺を受け入れるというのなら、お前にはそこらの凡人には想像もつかない様な、人知を超えた力が手に入るだろう」

「人知を超えた……力……」


 人知を超えた力が手に入る。

 見知らぬ人間に、いや見知った人間にだろうと関係なく、突然そんな事を言われても普通は信じない。

 勿論少年だってそうだった。素行は悪いが彼だって普通の一般人だ。

 しかし目の前の相手は普通じゃない。そして少年の精神状態もまた、普通とは言い難かった。

 故に少年は思ってしまった。

 こいつなら本当に力を与えてくれるのでは無いか、と。

 少年の心境を知ってか知らずか、人影は話を続ける。

 まるで少年を、今自らの立つ暗く光の届かない場所に誘う様に。


「そうさ、そしてその力はお前だからこそ手に入る。お前に秘められた素質が、才能があったからこそ手に入る、お前の本当の力でもある」

「お、俺の……本当の……」


 自分の本当の力。

 自分の素質、才能があったから手に入る。

 その言葉は、自分の現状を否定していた少年が何よりも欲しているものだった。


「さぁ、これを受け入れろ」


 人影が闇から突き出した腕が、窓から差し込む月明かりに照らされる。

 その掌に乗った、怪しく蠢く『何か』も一緒に。


「お前の願いを、力への欲望をさらけ出せ……!」


 球体……というよりかは多面体と言った方が適切であろうそれは、角ばった形も月明かりで冷たく光る表面も無機物の様な印象を与えるが、しかし不定期に鼓動してぐにぐにと生理的な怖気を感じる蠢き方が奇妙な生物感を感じさせ、そのギャップがより一層それの不気味さを強調していた。

 しかしその不気味さも、今の少年にとっては『人知を超えた力』というフレーズに真実味を帯びさせるエッセンスの一つにしかならない。

 少年にとって目の前の『何か』は、最早甘美な果実の様にしか思えなかった。

 少年は恐怖――ではなく歓喜に震えた腕で、『何か』に手を伸ばした。


「は、はは……ははは……これが、これが俺の――」






 まるで骸骨の様に白い満月が、モノクロの世界を淡く照らし出す。

 反転世界。

 現実の世界と同じ姿をしているが色彩が失われ、そして生命の息吹が感じられないその世界で今、一つの命が消えようとしていた。


「や、止めてくれ……俺が悪かった、だから助けて……はぁ、はぁ……く、苦しい……」


 この世界では、ある特定の『力』を持つ者以外は自由に動けない。

 それどころか、存在そのものが不安定な物と化して時間の経過と共に消滅していく。

 現に今『力』を持たない高校生ぐらいの歳のとある少年は、地に倒れ伏して苦しそうに喘いでいた。

 その体からは薄らと光の粒子が立ち上っている。その光は、少年の命の灯火でもあった。

 その、今にも消えそうな体で必死に命乞いをする少年を、同じ歳ぐらいのもう一人の少年が醜悪な笑みを浮かべて見下ろしていた。

 つい先程とある男に『力』を貰ったその少年は、『力』を持たない少年を馬鹿にする様にせせら笑う。


「はは、良いざまだなぁ……自分の身の程も知らないで、この俺のことをコケにするからこうなるんだよ」

「すまなかった……!もうお前に手は出さない、言う事だって何でも聞くから……だから、助けてくれ……もう体が……!」


 その言葉を聞いて、『力』を持つ方の少年は満足したのか一層笑みを深くする。


「分かれば良いんだよ分かれば。それじゃあ仕方ないから助けてやろうかね……」


 その言葉を聞いた『力』を持たない方の少年は、苦しみながらも安堵の表情を浮かべた。

 自分の命が助かる。その事実に少年は思わず歓喜の声を上げる。


「ほ、本当か!やった……やっと助か――」


 そう言いかける彼は、一つの勘違いをしていた。

 自分と目の前の相手。二人の少年にとっての『助ける』という言葉には齟齬があった事を、彼は知らなかった。

 『力』を持たない少年がその事実に気づいたのは、自身の肉体が腰の辺りを境に二つに分かたれた時だった。


「あ、ああ……なん……で……」


 この世界で血は出ない。死ねばただ光となって消えるのみ。

 本体と分離されたからか、急速に消滅を早める下半身を見つめながら震えた声を発する少年。

 彼は縋る様に目線を上げてもう一人の少年を見やる。

 そして何故か「ひっ」と一言小さく悲鳴を上げた。


「な、なんだ……なんだよ、それぇ……」


 『力』を持たない少年の視界に映ったのは、相変わらず醜悪な笑みを浮かべた『力』を持つ少年。

 そしてその右腕の、手首から上で不気味に蠢き刃の様な形を形成している『何か』だった。

 『力』――蠢く『何か』を右手に宿した少年は、今しがたその『何か』で切り裂いた方の少年の怯える顔が余程愉快に感じたのか、突然大声でけたたましく笑い出した。


「あーっはっはっはぁ!!これは俺の力だ!俺の眠っていた才能が目覚めたんだ!俺はやっぱ特別だったんだよ!はははははは!!」


 異形を宿した右腕を誇示する様に高く掲げながら狂人じみた笑い声を上げる少年に恐怖を感じているのか、倒れ伏している少年は声すら上げる事が出来ない。

 もう一方の少年はしばらく笑い続けていたが、急に笑うのを止めると一息ついてから、まるで飽きた玩具に向ける様な目をして言った。


「さて、それじゃあお望み通り『助けて』やるとしますかね」





「その『力』、気に入って貰えたかな?」


 かつて一人の人間だった光の粒子がモノクロの空へと溶けていったとほぼ同時に、少年の背後から男の声が届いた。

 その声は、自身に『力』を与えたあの人影の声だ。

 しかし少年はその声に振り向きもせず、まるで美酒に酔ったかの如き虚ろな目で、未だ右手で蠢き続ける『何か』を慈しむ様にまともな左手で触りながら返事を返す。


「さいっこうだ……ははっ、これが……この力があれば俺は誰にも負けない……!俺はまた昔の様に、いやそんなみみっちいところじゃねぇ。もっともっと上に立てる!」

「うんうん。そんなに気に入って貰えたら、渡したこっちとしてもやりがいがあるってもんだ……が、実はな、それはまだ『お試し期間』なんだ」

「なっ、どういう意味だ!そんなの聞いていないぞ!」


 正に寝耳に水でも入れられたかの様に勢いよく振り向きながら怒鳴る少年だが、その視線の先には誰もいない。


「なっ……どこ行った!」

「まぁそう慌てるなって。何事もギブ&テイクだ、とは言え代金なんかをせびるつもりは無い」


 慌てた様子で辺りを見渡す少年の声に応じる男の声は、意外にも空から降ってきた。

 声のする方へと顔を上げた少年の目に映ったのは、彼の傍に建っている2階建の小さいビル。その屋上だ。

 高低差から姿こそ見えないが、男の声が確かにそこから聞こえてくる。


「ただその代わりにちょーっとだけ、やって欲しい事があるんだよ」


「いつの間にそんな……いや、それよりもやって欲しい事、だと?」


 一瞬で場所を移した男に驚くが、『力』を与えた張本人なら何をしてもおかしくは無いだろうと思い至った少年はすぐに考えるのを止めて、男の頼みを聞く事にした。


「ああ、それさえこなしてくれれば、それは永久にお前のものだ。約束する」

「本当だな……分かった、やってやる。俺にはこの『力』が必要なんだ」

「OK、契約成立だ。それじゃあ、こいつを受け取ってもらおうか」


 男がそう言った直後、少年の下へと屋上から一枚の写真がひらひらと舞い降りてきた。

 少年がその写真を手に取って見てみると、そこに写っていたのは一人の黒髪の少女だった。

 盗み撮りなのか、その顔はカメラとはまるで別の方向を向いている。


「……誰だ、この女」

「標的、お前が知っておくべき情報はそれだけで良い」


 標的と称された写真の中の少女は、一本に束ねられた黒い長髪と気の強そうなツリ目が特徴的だったが、少年の視線はどちらかと言うとその小柄な体躯の割りに大きく育った胸へと惹きつけられていた。


「ふーん……何だかよく分からないけど、結構可愛いじゃんか」

「く……くくくっ、そうだな。全くだ……ああそうだ、一応名前だけ教えといてやるか」


 少年の感想に、何が可笑しいのか男は短く笑い声を上げた後少女の、標的の名前を告げた。


「竜胆鏡華――それが、そいつの名だ」






「ははっ、そんだけでこの力が永久に俺の物になるのか!拍子抜けするくらいに簡単だが、まぁお望み通りやってやるよ……案外俺も楽しめそうだしな」


 男の依頼について詳しく聞いた後、そう言い残して反転世界から去る少年。

 彼を上から見送りながら、男はくつくつと可笑しそうに笑った。

 しかし少年には男の笑い声もその後呟かれたその言葉すらも、とうとう聞こえなかった。


「……お前の才能はその腐った性根と、たったそんだけの『力』でそこまで調子に乗れるその哀れさだよ」


 少年と話していた時も数段冷ややかな口調でそう吐き捨てた後、男は屋上に設置されている貯水タンクに身を預けた。

 反転世界の空に昇る月に色は無い。

 怖気すら感じさせる程の純白のみが静かな世界に光を灯す中、しかしそれすら届かない貯水タンクの陰で男は一人虚空に向けて言葉を紡ぐ。


「さて、こないだ刺激を受けたおかげでアレ(・・)が漸く目覚める……さぁ――祭りの始まりだ」


 誰からも見えず、誰からも聞こえず、誰もが知らない闇の中で時は今、静かに動き始めていた。

【今日の戯言コーナー】

 反転世界とか覚えている読者は一体何人居るのだろうでしょうかねこれ。何話前だっけ出たの……。

 はいそんなわけで、そんなわけで?一応こっからが本番という感じでぼちぼち話も動き出す予定なのでもうしばらくお付き合い願えると幸いですとかそんな感じで。


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