第17話 この苦しみを受け止めるのは(前編)
女になってから今まで、本当に散々な目にあってきたが逆にこの体になって良かったと思えた事も実は無いわけではない。
例えば、この体になってから好物である甘い物が男の時と比べて更に美味しく感じる様になった事。
一体何が変わったのか、今までと同じ物を食べていても味は濃く、しかしより細かく感じ取れる様になった。
そのせいなのか普段の食事は濃すぎて口に合わなくなったので、ご飯は以前よりも全体的に味が薄くなったのだが、しかし甘い物だけは別問題だったらしい。
むしろ甘味を濃く繊細に感じ取れるおかげなのか、それとも女性というのが糖分を求める生き物なのかは分からないが、兎に角以前にも増して甘い物を『美味しい』と感じる様になり、そして以前にも増して甘い物に嵌ってしまった。
ここしばらくは一食する事に一つ、デザートを必ずと言って良いほど食べていると思う。
だが今はそんなのでも一応、食べ過ぎると健康上アレな気がするので少し控えようと思っていた事はあるのだ。
結局欲求には打ち勝てなかったのだが、とは言えどうも自分は太りにくい体質らしく幾ら食べても今のところ体型に変化は無い。
だったら別に問題は無いはずだし、それにこんな体になってしまったのだから役得の一つや二つあっても良いだろう。
そう理屈づけた後は極度の食べすぎだけを控える様にして、基本的に甘味への欲求には忠実であろうと思う様になった。
と、それくらいに甘い物は好物なのだが、それでは何故自分は今、目の前に甘味があるのにこんな憂鬱な気分なのだろうか――。
鏡華が女になってから1週間。
その日は特にこれといって何も無い昼下がりだったはずなのだが、何故か鏡華は竜胆家のリビングにて机の上に乗っている、昼飯後のデザートであるプリンを前に、口をへの字に曲げ腕を組んで不機嫌そうに椅子に座っていた。
同じく昼飯後、キッチンで二人分の皿を洗っていた鶴来は、ふと目に留まった鏡華の様子に気づき不思議そうに彼女に尋ねる。
「お前がデザート目の前にしてそんな顔するなんて珍しいな、何かあったのか?」
鏡華は基本的には鶴来の事を快く思っていない。
今回もむっとした顔で『お前には関係無い』とか『子供みたいな扱いをするな』とか言ってくるのでは無いかと鶴来は思っていたが、しかし鏡華の反応は彼の予想とは違ったものだった。
「……ん?何か言ったか?」
鶴来の言葉にも、微妙に上の空で答える鏡華。
「え、いやまぁ……」
いつもと違う調子の鏡華に鶴来は動揺して言葉を濁すが、しかしそういえば昨日もこんな感じだったなと内心で思い返した。
たまに話を聞いていなかったり、ボーっとしていたり、なんかふらふらと足取りがおぼつかなかったり。
昨日は気のせいかと思っていたが、どうやらそうでも無いらしい。
「やっぱ昨日から変っていうかなんか調子悪そうだぞお前。大丈夫か?」
「……昨日からずっと、モヤモヤするんだ」
鶴来の問いに対して、鏡華はプリンをスプーンで一口掬って口に入れた後、だるそうな表情でそう言った。
それにしても意外と素直に答えてくれたが、そんなところもなんだかいつもの彼女らしくない気がする。
そう思い若干心配になった鶴来は鏡華に話の続きを促す。
「モヤモヤ?どこが?」
「えっ……そっ、そんなの言えるか!」
しかし鏡華は何故か一瞬だけ動揺を見せるとその直後、先程とはうって変わって怒りを露にしだした。
「言えないの!?なんかよく分からないけどごめん!」
「……あー……いや別に全体的にあれなだけであって別に特定の部位がどうというわけじゃなくてだな……」
鏡華は鶴来の謝罪に頭が冷えたのか、今度はしどろもどろになりながら真偽の不明な言い訳を始めた。
(やっぱなんか変だよなぁ……)
上手くは言えないが、何処と無くいつも彼女とは違う。
鏡華の様子を見て、鶴来はそんな感想を抱いた。
先程言ってた『モヤモヤ』もあるし、もしかしたら体調が悪いのかも知れない。
「うーん、なんかよく分からんけど大変だな。風邪か何かかもしれないしあんま無理すんなよ?」
「……いや、多分そこまで深刻なものでは無いだろう。別に熱は無いみたいだし食欲なんかも普通にあるし」
プリンをつつきながらそう言った鏡華の顔色は確かに悪くなさそうだし熱っぽいわけでも無い。
言われてみれば、今日の昼飯もいつも通りきっちりと平らげていた。
「……まぁお前がそういうんならとりあえずはいいけどさ。なんかあったらすぐ言えよ?」
「なっ……さっきから一々構いすぎだうっとおしい!お前は私の親か!」
「お、おお悪い……」
「あ、いや今のは……うー、もうなんなんだ……」
机に突っ伏してうなだれる鏡華を見て漸く、何と無くだが鶴来は合点がいった気がした。
どうやら鏡華は、いつもよりも情緒不安定らしい。
それが例の『モヤモヤ』のせいなのか違うのかは分からないが、後で巻波支部の医療部門にでも相談してみようか。
そんな事を鶴来が考えはじめた時、鏡華は突然立ち上がって言った。
「よし!こういう時は甘い物に限る!というわけで私はちょっとコンビニに行ってくるから!お前この後バイトだったな、ちゃんと鍵は閉めて置けよ!」
「と、突然だな!てかそんな調子で外に出て――」
言い切る前にリビングのドアを開けて飛び出す様に出て行った鏡華の様子は、やはりどこかおかしい気がした。
どうせバイトで巻波支部行くんだし、やっぱり相談するべきかな。
鏡華の身を案じる鶴来の手元は、流しっぱなしになっていた蛇口の水を浴び続けていた。
逃げるように家を飛び出した鏡華は、肩を落としていかにも意気消沈といった面持ちでコンビニへ歩いていた。
「はぁ……もしかしたら、あいつの言う通りどこか体の調子がおかしいのかもな」
昨日から発生した下腹部の――なんだかアレな部位な為鶴来にはつい誤魔化してしまったが――モヤモヤは、未だ同じ様に、いや昨日以上に強く感じる様になっている。
しかも、そのモヤモヤの不快感もあるだろうがそれを差し引いても、急にイライラしだしたり逆に落ち込んでしまったり、何故か自分でもよく分からないくらいに感情が振れてしまう。
家を出た理由の大部分も、あれ以上鶴来に情緒不安定な自分の醜態を見せるのが嫌だったからだ。
とは言え、甘い物で頭を落ち着かせたかったのも事実。
鶴来ももうじきバイトでいなくなる事だし、さっさと良さげなのを買って帰って一人でゆっくりと食べようと、そんな事を考えていた鏡華の視界に目的のコンビニが見えてきた。そこは沙由や地里兄妹と初めて出合ったコンビニでもあった。
ついでに何やら見かけた事のある人影も、一人。
ちょうどレジ袋を一つ手に持ちコンビニから出てきたばかりのその人影は、鏡華が近づいている事に気づいたらしく、彼女に向かって嬉しそうに手をぶんぶん振ってきた。
「やっほー!鏡華ちゃーん!」
鏡華がコンビニにつく前に彼女の元に駆け寄ってきたのは、地里兄妹の妹の方である地里このみだった。
「あ……このみか……」
「こんな所で会うなんて奇遇ね!これは間違い無く赤い糸で繋がっているわね!さぁ今すぐ私とか・け・お・ち――」
「いやしないから……」
出会い頭からやたらとテンションの高いこのみだが、正直今このタイミングでこのテンションに付き合うのは若干、いや結構きつい。
このみに気力を吸いとられているかの様に、みるみるテンションの落ち込んでいく鏡華。
そんな彼女の様子に気づいたこのみが鏡華に訳を尋ねる。
「なんだか元気ないわね、どうかした?気分悪いならうちに来ると良いわ!私の家近くだし!」
「嫌な予感がするから謹んで遠慮しておく。まぁ心配しなくても、別に体壊したわけじゃないから……多分」
「ああ成る程、それじゃあアレの日ね。アレがアレで心と体が不安定なのね!ほうらお姉さんに思う存分甘えていいのよ!?」
「甘えないし……というかアレってなんだアレって……」
相変わらず、このみの言っている事はたまに分からなくなる。
そのこのみは『あれー?……やっぱおぼこちゃんねこの子、てかもしかしてまだ来てないとか?』とか言いながら首をかしげているが、彼女は本当に何を言っているのだろうか。
鏡華がこのみの言動に首をかしげていた時、ふと鏡華のおなかに痛みが走りその感覚に体を震わせた。
もしかして尿意だろうか、だとしたら割とまずい。
女性の体は男性と比べて我慢が出来ないので、来たと思ったら早めに済ませておかないと大変なのだ。
本当に不便だなこの体、と何度思ったか分からない事を思いながら鏡華はこのみに自分の意を伝える。
「あの、ちょっと悪いこのみ。少しトイレ行って来るから」
「女の子なのに微塵も隠そうとしない辺りがまた良いわねぇ、私もついてくー」
「そういうのいいから!」
本当についてこようとする素振りを見せたこのみから逃げる様にしてコンビニに駆け込んだ鏡華。
女の体になってから1週間経った今でもこういう場所では少し躊躇してしまうのだが、とは言えこの体で男子トイレに入るのもそれはそれでどうかと思う。
僅かな間をおいて鏡華は女子トイレの扉を開けてその中の一室に入る。
(こういうのにも大分慣れてきたなぁ……何だかどんどん自分が駄目になっていく気がするが)
男に戻った時大丈夫だろうか色々と、などという心配をしながらズボンを下ろすとその下に着けていた、柄の無い淡い水色の女性用のパンツが姿を現した。
この体になった初めての日にきららに買ってもらった女性用の下着は、当初こそそれをつけるのに色々と葛藤もあったのだが今となっては少なくとも、自分の今穿いてるそれはただの布でしかない。
だから特にそれを見てどう思うわけでも無いし、今もただ何気なく視界に入っただけのはずだった。
だが鏡華は何故かそれを、自分のパンツを視界に収めた瞬間、驚きのあまり目を見開いた。
「――――え」
呆ける様な、間の抜けた声を出す鏡華の視線の先にあるパンツには、赤黒い染みが僅かに付着していた。
トイレから出てきた鏡華の足取りは、ふらふらとしていてどこかおぼつかない物だった。
その表情は、俯いてよく見えない。
「あ、鏡華ちゃん遅かっ――」
いつの間にかコンビニの中で漫画雑誌を立ち読みしながら待っていたこのみの言葉は、そこで途切れた。
何故ならば、このみの言葉にかろうじて反応し、ゆっくりと顔を上げた彼女の瞳から読み取れたのは恐怖と動揺のいり混じったそれだったからだ。
その理由がつかめず一瞬困惑したこのみだったが、直後に先程言った自身の言葉を思い出す。
『ああ成る程、それじゃあアレの日ね。アレがアレで心と体が不安定なのね!』
『てかもしかしてまだ来てないとか?』
……まさかあれらがマジだったと言う事なのだろうか。
「……鏡華ちゃん、もしかして」
ピクリと鏡華は体を震わせ、その目を伏せた。
あ。マジだ、これマジだ。
その事実を察するやいなや、このみは鏡華の手を有無も言わさず取り、急いでコンビニを後にした。
「家まで歩ける?」
コンビニを出てすぐそう問いかけたこのみに、鏡華はこくりと小さく頷く。
「家の場所は?」
「……もりびと荘」
今にも消え入りそうなかすれた声だが、何とか聞こえた。
「あああそこ……オーケーそこなら多分分かるわ。本当はちょっと色々用意してからが良いんだけど、とりあえず先に貴方をうちに届けるから」
「……」
反応は無いが、今は急ぎだ。
その無言を肯定と捉え、このみは鏡華の手を引きながらもりびと荘へと早足で歩き出した。
一方、鏡華が家を出てしばらくした後の竜胆家では、鶴来がRWG巻波支部に向かうために玄関の前まで歩いてきていた。
しかし彼が玄関を開けようと近づいたその矢先、ガチャリと開錠音が鳴るとノブが回されて玄関のドアが開く。
竜胆家の鍵を持っている人間、つまり鏡華が帰ってきたのだと思った鶴来はその姿をちゃんと確認する前に声をかけた。
「おお、おかえり鏡華。早かったな――ってこのみも?何で?」
「ちょっとした諸事情よ、どいたどいた」
「え?お、おう……」
適当に靴を脱ぎ散らかしつつ廊下に上がり、鶴来の質問を適当にあしらったこのみは逆に鶴来に問いかける。
「ところで鏡華ちゃんの部屋は?」
「そこのリビングを入って左にある部屋だけど……なぁ、鏡華は――」
俯き表情を見せようとしない鏡華の姿に心配を覚えたのか、再び質問をしてきた鶴来をこのみは、今度はキッと睨みつけると一声。
「シャー!!」
「えっいきなり何してんのお前……もしかして威嚇!?」
まさかの奇行にたじろぐどころかドン引きする鶴来だが、このみはその隙をついて彼の脇を抜けると急いで鏡華を彼女の部屋につれていった。
「ちょっとうちから色々持ってくるけど鏡華ちゃんの部屋には入らないでよ?アンタデリカシーに欠けるから余計な事言いそうだし」
このみは鏡華の部屋から出てくるやいなや、部屋の前で待っていた鶴来に向かってそう言いながら人差し指をつきつける。
基本的に余計な事しか言ってない様な人間に言われて釈然としない気持ちになった鶴来だが、少なくとも今のこのみは真面目な様だったので、とりあえずうなずいておく。
代わりに、先程威嚇によって遮られた質問を再び投げかけた。
「なぁ、というか結局鏡華はどうしたんだ?」
「あ?子供じゃないんだから察しなさいよそれくらい。それじゃあ私はちょっと出るからね」
鶴来の問いに答えになっていない答えを言い残すと、このみは足早に玄関から出て行った。
しかし察しろといわれても、一体何をどう察しろと。
鶴来は首をかしげて考えてみるが、やはり鏡華の体調が芳しくないであろう事ぐらいしか分からなかった。
「うーん……どうすっかなぁ」
このみには入るなといわれていたしその方が良いのかもしれないが、心配なものは心配なのだ。
入るべきか入らざるべきか。
バイトに行かなければいけない事も忘れて、鶴来は扉の前で数分間腕を組んで悩み続けた。
その末に、漸く一つの結論が出る。
「よし、とりあえずは聞いてみよう!俺にも何か出来ることがあるかもしれないし」
どうせどうすれば良いかなんて考えても分からないのだ、だったら当たって砕けるくらいが丁度良い。
もしかしたら詳しい事を教えてくれるかもしれないし、手助けだって出来るかもしれない。
無理強いをするつもりは無いから教えてくれないのならそれでも良い。もし聞く事すら許されなかったのなら一生懸命謝ろう。
鶴来は腹を括ると、意を決して鏡華の部屋のノブを回した。
そっと扉を僅かに開いて、僅かな隙間から部屋の中を覗く。
恐らくこのみが敷いたであろう布団の上では、鏡華がうつ伏せの格好で枕に顔を埋めていた。
扉の開いた音にも反応しないし今もピクリとも動かないので寝ている様にも見えるが、実際のところはまだ分からない。
鶴来は扉を開いて部屋の中に、なるべく足音を立てない様に入ると、未だ微動だにしない鏡華に小さく一声かけた。
「……鏡華?」
その声に鏡華は漸く反応して、ぴくりと僅かに体を動かした。
それにより彼女が起きている事を知った鶴来は、続けて話しかけてみる。
「えっと……大丈夫――」
「……んだよ」
「え?」
鏡華の掠れた声を聞き取れず、疑問の声を上げる鶴来。
だが次の瞬間、再び鏡華は口を開いた。
ただしそれは先程の掠れた声とは全く正反対の怒声だったが。
「なんなんだよお前は!いつもいつも勝手なおせっかいばかりして、もううんざりなんだよ!早く出ていけ!」
【今日の戯言コーナー】
性差による味覚うんぬんの話に関しては、現実では色んな説があるそうなんでここで書いたこれが実際に正しいかどうかは分かりませんがそれはそれとして、ここではこういう感じで通していきます。
なんでって?こっちの方が萌えるじゃないですか!主に自分が!
追記:作中で出ている鶴来の『バイト』とはRWG巻波支部での任務の事です。
最初の方で鏡夜の事を『臨時職員』と表現していましたが、鶴来も同様です。
彼らはまだ未成年であり、RWGでは決まりとして未成年を正規の職員として採用する事が出来ません。故に臨時職員なわけですね。
本当は説明するつもり、というか既にしていたつもりだったんですが、見返してみたら殆どそこら辺の説明がなかったようだったので、申し訳ありませんがここで説明させていただきました。




