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2 修羅場と焼酎

 近江祭はこの街最大のイベントだ。

 あの寂しい公園に何千何万という人々が集まるのだから。そして、屋台から漂よい匂う焼きそばやイカ焼きを頬張り、花火を見る。ありふれているかもしれないが、規模が違えばまた見え方も違ってくる。あの場所に大勢が集まり、賑わいを見せるマツリに参加することはとても楽しいものだ。

 そして、この街の学校は地域交流の一環として近江祭へ出店することになっている。そのため、時間割の変更を文部科学省から許可をもらいテストを早くから始めている。そのためテスト期間が終わると、どこの学校も祭りの準備が始まる。

 そんな中、俺はある理由で実行委員を任されているので、担任に呼ばれ職員室へと来ていた。今は話が終わったので、職員室前の廊下を歩いているところだ。

 そんな時だった。

「さっちゃんせんぱーい!」

 学校の廊下で大声を上げながら、背後から誰かがどたどたと勢い込んで駆け込んでくる。俺は面倒臭いと思いながらも、無視するともっと面倒くさいので渋々振り返った。

 振り返った先では、特徴的なくせ毛を一纏めにした少女――(みや)﨏(さこ)(とう)()が大きな段ボール箱を抱えて走ってきていた。そして、俺の目の前で止まろうとしていたのだが、勢い余って盛大にすっころんだ。

 このまま無視して歩き去ってしまおうかもと考えたが、周りの視線が「お前の知り合いならどうにかしろ!」と語りかけていたので、逃げられなかった。仕方がないので、転んだままの桃花に近づく。

「うへぇ~、痛いですー」

「だろうな。ほら、手をかしてやるから立てよ」

 差しだした手を桃花は握り、俺は引っ張り上げた。そして、ついでにせっせと段ボールの中に入っていた物を拾い上げる。全部拾い上げると段ボールを手渡してやった。

「あ、ありがとうございます、さっちゃん先輩!」

「どういたしまして。つうか、さっちゃん先輩言うな! 長い!」

「え~、良いじゃないですかー可愛らしくて。それに、皆もそう呼んでるんじゃないですか」

 いや、それはお前が言い始めた所為で、それが皆にも伝染しただけだ――と言ってやりたかったが、ため息をするだけに留めておく。

 小柄な体格の所為か小動物のような印象を受ける桃花の、可愛らしい笑みを見ると馬鹿らしく思えてきたからだ。

 まったく、俺は悠姫だけじゃなくて桃花にも弱いな。せめて、コイツにだけは負けたくないのだが。

「さっちゃんせんぱーい、何か今失礼なことを考えていませんでした?」

「いーや、全然」

 頬を膨らませ、じとっとした目で見てくる桃花に気圧されそうになるが、普段から悠姫に鍛えられているおかげで平然とした調子で言葉を返した。が、桃花はまだ疑っているらしく、じーっと俺の顔を睨んでくる。

 面倒臭さから、はあ、と内心でため息を吐く。体格だけなら小動物のような印象を受けるが、中身は諸突猛進なイノシシだなと。まあ、それがこいつらしいし、良いとこでもある。

「そういや、桃花。お前も実行委員やってるんだったな」

 俺と同じように二の腕に、実行委員の証である腕章が着けているのが目についたのだ。

「はい! 美術部ですから! さっちゃん先輩もそれが理由で、やっているんですよね」

 喜々として肯定する桃花にまあな、と答える。

 実行委員というのは、来月にあるお祭り『近江祭』の取り締まりと、クラスの出し物のまとめ役などを担当している。で、何故かこの学校では、美術部員がこの役を担うことになっているのだ。

 ちなみに殺伐としたあの公園だけでなく、近江祭は街の方も結構な賑わいを見せている。俺の学校が出店しているのは町の方だ。

 まあ、それはどこかに置いといて、

「教室までその荷物を運ぶのか?」

「あ、はい。ちょっと、足りてなくて貰って来たんです」

 にこっと微笑みながら、桃花は答えた。

 なるほど。だから、段ボールの中にごちゃごちゃと色々なものが入っていたのか。

「そっか、途中まで送って行ってやるよ」

「そこは普通荷物を運んでやるよ、とかじゃないんですか⁉」

 半眼で俺を睨みつけてきた。ったく、声がデカくて頭にキンキンと響くし、うるさい。あー、いやだいやだ面倒くさくって。

「神様の力を越える願いは叶えられない」

「段ボール一箱運ぶのに、どんだけ神様の腰が重いんですか⁉」

「だーもう、うるさい! 運んでやるから安心しろ! けがはないみたいだけど、また転ばれたらかなわないからな」

 冗談に決まっているだろうに。

 まったく、どんなに騒がしい奴でも、中学時代から付き合いのある可愛い後輩だ。目の前で転んだところ見たのだから、その後の面倒くらいは見るに決まっている。

 そんなことを思いながら俺は、さっき手渡した段ボール箱を抱え込むと、桃花の教室まで運んでいく。

「あ、ありがとうございます、さっちゃん先輩!」

「どういたしまして」

 元からそうするつもりだったとは言え、誘導している奴がよく言うよ、と思ったが礼を言われることはそんなに悪いことじゃない。

「えへへ、お礼に~キスでもしてあげましょうか?」

「結構だ。お前にそんなことをされたら、魂でも吸われそうだからな」

「酷いですよー」

 ぷくーっと、風船のように頬を膨らませ抗議の言葉を投げてくる。が、何となく本気で怒っていない事が分かった。冗談だと言う事が分かってくれているからだろう。

 そんな調子でたわいもない話をしていると、階段の前で桃花が急に立ち止まった。そして、桃花は冗談なのかどうか判断の付かないことを言ってきた。

「まあ、さっちゃん先輩は悠姫先輩の物ですから、私のキス程度じゃ振り向かないのは仕方がないですよねー」

「あのさ、あいつに俺の所有権を売った覚えはないぞ!」

 俺の所有権は買える物でもないし、冗談でも売ったりはしない。というより、コイツに売られてたまるか。

 ほんと、冗談なのかどうかが分からん。

「……っていうかさ、なーんでそこで悠姫が出て来るかな」

 その言葉に心底不思議そうな表情を、桃花は浮かばせた。そして、冷めた眼差しを向け、呆れたように語りかけてきた。

 なんか、腹が立つのだが。

「……さっちゃん先輩って、やっぱり鈍チンですね」

「何に対して言われているのか分からんが、とりあえず馬鹿にされていることは分かるぞ」

「はい、馬鹿にしています」

「……、」

 後輩にきっぱりと言われ、昨日と同じくらいの心の傷を負う。傷口に塩でも塗られたような気分だ。

 そうと知ってか知らずか、つい数秒前のことなど関係なしに桃花は尋ねてきた。

「あの……さっちゃん先輩は気が付かないんですか?」

「……何に?」

 歩きながら素直に首を傾げ、問い返した、

 その反応に、はあ、とため息を吐かれる。そのせいで。理由が分からなまま馬鹿にされていることに対しての、苛立ちが爆発しかけていた。

 しかし、実際に爆発することはなかった。

「まあ、良いです。さっちゃん先輩は優しい先輩でいてくれれば」

「あっそ」

 適当に返事を返しておく。

 訳は分からないが本人は何かに納得したので、俺はもうそのことを一切考えないことにする。俺の心情としては、分からないことはいくら考えても分からないのだから、考えないようにしているのだ。

 そのまま本当に話題には触れず再び他愛もない話をしながら、階段を上り渡り廊下を歩いている時だ。ふとそこで、奇妙な視線を感じた。言葉でどう表現すればいいのか分からないが、とにかく恨みに近いような視線だと言うことだけは分かる。

 突き刺さるくらいの視線がある方へ視線を向けると、そこには悠姫がいた。ただし、堂々と出なく、半身を隠して様子を窺うように。

 俺は立ちすくみながら頭を悩ませた。漫画の読み過ぎだと言われようがこういうシチュエーシェンでは、何を言っても地雷を踏むことが確実である。だから、頭をひねっていい案を出そうとしている。が、そんな暇は俺には残されていなかった。

 こちらが何か言う前に、向こうから話し掛けてきた。

「さっちゃん、何してるの?」

「えっっと……」

 言い淀みながら何かの修羅場だと直感した。

 ここで答え方を間違えば、先程思ったように爆弾が爆発すると。長い逡巡の後、俺は別に変なことをしてもいないのだから、普通に答えればいいと判断した。

 マジ、ほんとそうだよ。可笑しなことなんて何もないんだから、飾りっ気なしに段ボール箱を運んでたって言えばいいんだよ。

 が、そんなマニュアル通りの回答をする前に、桃花がとんでもないこと言い放った。

「あ、別に変なことはしてませんよ。ただーちょっとー学校の中でデートしてただけですよ」

「……、」

「……、」

 場が一瞬だけ凍りついた。

 そして、すぐに噴火した。

「さっちゃん、良いね。みんなが近江祭の準備で頑張っている時にデートだなんて。ああ、そっか、さっちゃん馬鹿だもんね」

 冷たい感情が込められた二つの瞳と声で、俺を罵倒してくる。時が流れるとともに、瞳の冷たさが増しているように感じた。それに、気のせいかもしれないが周りの空気が冷えているようにも感じる。

「悠姫、ちょっと待ってー‼ そして、桃花はなに爆弾放っちゃってんの⁉ そんなこと言ったら誤解しか生まないでしょ!」

「全部事実です」

「嘘だからな!」

 な、何言っちゃんてんのこの子は―っ⁉ と心の中で絶叫しながら俺は焦っていた。もう、最後の爆弾が爆発しそうなんだもん。

 ここはなんとしてでも、「桃花に冗談ですよー」と言ってもらわなければならない。

 しかし、桃花は俺が抱えていた段ボール箱を自分で抱え込むとこう言った。

「じゃあ、さっちゃん先輩ここまで運んでくださってありがとうございます! お礼のキスは後日しますね!」

 そうとんでもないことを言い残すと、桃花はこの修羅場を難無く去って行った。

 対する俺はと言うと。

 と、とんでもねぇ置き土産を置いていきやがったー⁉ と悲鳴を上げ、がくがくと体を恐怖で震わせていた。

 ゆっくりとした動作で、悠姫の顔を見る。

「さっちゃん」

「はい、なんでしょうか?」

 自然と敬語になり、返事を返していた。

「さっちゃん? 歯を食いしばってね」

「は、はい」

 頷いた次の瞬間。

 俺は頬を思いっきり殴られ、長い渡り廊下の向こうまで吹き飛ばされた。消えかけている意識の中で、俺はこう思った。

 ――と、桃花のやろう覚えてやがれ!

 それと、

 ――悠姫なら五輪の女子のボクシングで優勝できる。

 としみじみと思った。




 俺の意識が回復したのは、三十分後のことであった。

 双眸で質素な作りの天井を眺める。が、それだけではここがどこなのか分からず首を傾げる。気が付くヒントになったのは毛布で、その毛布でここが保健室のベッドだと分かった。

「あら、気が付いたみたいね」

 敷居のためのカーテンを開けて現れたのは、担任教師の淡島(あわしま)(しおり)だった。担当授業は社会なのに、男っぽい口調といつもジャージ姿、ショーヘアのせいか体育会系の先生の様に思える。事実スペックはそのくらいある。 アレは去年の体育祭の時だった。教師対抗の徒競走で、ウチの体育教師に優々と勝っていたのだから。

 ある意味恐ろしい人だ。

「ったく、渡り廊下で倒れていると聞かされた時は驚いたわよ。体の調子はどう?」

「大丈夫ですよ。少し、頬が痛いですけど」

 さすってみる。頬がただ痛いだけでなく、腫れていることに気が付いた。どんだけアイツ馬鹿力を発揮したんだよ。

「で、渡り廊下で何があったのよ?」

「えー……それはですね……」

 こめかみ辺りを、人差し指で掻きながら言い淀む。

 えっと、修羅場を経験して、とんでもない置き土産を置かれ、その後始末のためにベルト保持者級の拳で思いっきり殴られた。

 ものすごく言いづらい、と言うか信じてもらえなさそうな内容だ。素直に言えばいいのだろうけど、胡散臭がられると言うか怪しい目で見られることは確実だ。

「熱でやられまして」

 胡散臭い代わりに嘘臭い臭いが漂っていたが、粟島担任は深くは考えず、

「そう、気をつけなさいね。実行委員のアンタがいなくなると、困るんだから」

 こっちはこの学校の習わしの所為でやってるだけなんだがな、と言ってやりたかったが、高校生にもなってそんなことを愚痴るよな俺ではない。素直に頷いておいた。

 その態度に満足げな笑みを浮かばせると淡島担任は、

「まあ、熱でやられたんならちょうどいいか。ほら、暑中見舞い」

 缶に入った何かを手渡してきた。

 受け取った俺は普通に飲料水かなと思っていたのだが、

「あ……ありがとうござい――ますじゃねぇ!」

 それは酒だった。ラベルを見ると焼酎と書かれている。

 俺はがばっと顔を上げ、淡島担任を睨んだ。

「先生、これ酒じゃないですか! 教師が昼間っからこんなもん持って歩いていていいんですか⁉ あと、ちょうどいいって暑中見舞いと焼酎見舞いの事ですよね⁉」

「うるさいわよ。まあ、確かに酒を学校に持ち込むのは良くないわよ。けどね、松原?」

 淡島担任はシリアスな場面でしか使われない表情を浮かばせてこう告げた。その表情に俺も思わずのど、真剣な眼差しを浮かばせる。

「世の中には反面教師は必要だ。一人の社会人を見て、自分はこうなっちゃいけないんだってことを分からせる必要がある。だから、私は酒を学校に持ち込んでいる」

 めちゃくちゃ男前で教師の鑑の様なこと言っている。あと一押しでもあれば、涙を流し感動していたいだろう。が、俺は騙されない。

 この人は反面教師とかそんな御大層なことは考えていないのだ。

「本音は?」

「ただ飲みたいだけ。ウザったい高校生どもを素面(しらふ)で相手できるか‼ おらおらアルコールだ、アルルコールをよこせ!」

 ほら、やっぱり。

 この人こういう人なんだよ、正論で丸め込んで自身の行いを正しいと思わせるんだよ。というより、教師としてとんでもないことを今言ったような気がする。

「仕方がないな、ほら焼酎が駄目なら――」

「醤油見舞い、なんて言いませんよね?」

「よくわかったな。さすがあたしの教え子だ」

 この人の考えていることなど分かる。俺以上に単細胞なのだから。そんなことを所為とに思われる可哀相な教師は、にたぁっとした笑みを浮かばせながら、

「それにしても、アンタも大変ねえ。あんな修羅場を経験するんですもんね」

「……見てたんですか?」

 言葉で表現できないような表情を浮かばせ、俺は淡島担任を睨みつけた。が、そんな睨みに怯むような人ではない。

「ははは、まあね。松原に伝え忘れたことがあって追い駆けたら、面白い状況になってるんじゃないの。ほんと、楽しかったわよ。桃花がとんでもないものを置いていくんだからねえ」

 げらげらと下品に笑う淡島担任。が、憎めないくらい明るい笑みを浮かべるせいで、そのことを口にできなかった。

 ただ、その明るい笑みが口につけた酒のお蔭なのかどうか分からなかったが。


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