1 彦星と織姫
「ねえ、さっちゃん?」
テスト期間という地獄のような日々を乗り越えた松原聡――俺は、茜色に染まった民家の立ち並ぶ住宅街を歩いていた。隣に幼馴染である駒村悠姫と共に。
隣を歩く悠姫は短い栗色の髪を揺らしながら、声を掛けてきた。
「なんだ、悠姫?」
俺は視線を横に向けながら、悠姫の顔を見た。が、俺は悠姫の顔を視界に入れた瞬間に心臓が跳ねた。
どうしてかと言うと、悠姫の斜め左には地平線の彼方に沈みかけている太陽と、橙色の輝きが妙に絵になっていたからだ。元々、可愛らしい容姿をしている悠姫なので、背景に見劣りしないほどの魅力と言うかなんというか、目を逸らせない何かがある。
「どうしたの、さっちゃん?」
「い、いや、なんでもない!」
悠姫の声で我に返った俺は、何故か頬を赤らめさせながら断言した。気まずいというかよく分からないが、多分恥ずかしいといった感じの理由で目を逸らしたのだ。悠姫は理由が分かっていないようだが、くすくすとおかしそうに笑っていた。
俺は先ほどのことを誤魔化すために咳払いをすると、再度用件を尋ねる。
「で、なんだ?」
「ふふふ、あ、そうだね。ねえ、テストどうだった? わたしの貸した攻略本は役に立った?」
「うっ……」
その問いに顔を引き攣らせる。
これだけでどういう事態なのかを悟った悠姫は、むすっとした表情を作り睨んできた。怒っているのは分かるが、可愛らしくて思わず見入ってしまう。
「もう、さっちゃん! せっかく貸してあげたのに、何で有効利用しないかな⁉ あれ、があれば平均点は確実に取れるのに!」
うん、それは分かっている。ぱらぱらとマンガを読むような感覚で、渡されたノートの何頁かに目を通した。そこにはわかりやすい説明と共に問題が解答されていて、赤点ギリギリの馬鹿な俺でも平均点は取れるんじゃないのかと思ったさ。
けどね。眠くなるのよ。
さあ、勉強やるぞー! と意き込んでやり始めたけど一分も持たずに俺は眠りについてしまったのだ。べつに好きで寝たくて寝たわけじゃない。気が付いたら寝ていたのだ。
きっと、アレだな。攻略本とは言っていたけど、渡されたノートには眠りの呪文が掛けられているに違いない。
「何で点を取れないかな!?」
普段日向のような声音で話し掛けて来る悠姫なのに、今の悠姫は怒気の塊を俺にぶつけてくる。いつもなら笑って流せるが、こればかりはどうにも右から左に流せそうにはなかった。
そもそも、昔から俺は悠姫に口喧嘩もとい口論で勝てはしない。
「ちょっと待て、まだ点が取れていないとは限らないぞ! 結果を見るまで何が起こるか分からない、それがテストだろ!」
「この前もそう言ったよね」
「うっ」
再び顔を引き攣らせる。
た、確かに言った。
あの時は自信満々に太鼓をたたいていたので、テストの点数が散々だった時は俺も相当にショックを受けたし、悠姫の呆れ顔を見て相当落ち込んだ。
「こ、今度は大丈夫だ!」
「二度あることは三度あるって言うよね」
俺の言葉はバッサリと切られた。
ああ、分かっているさ。今言ったことが、何となく死亡フラグだってな。でも、もう少しやんわりと言っても良い気がする。
まあ、昔からの付き合いだから手加減無しにこんなことを言えるわけだし、その部分に対しては感謝している。
「まあ、いっか。もう十分、さっちゃんを虐めれたし」
「性格悪いぞ」
「もっと虐められたい?」
「とても性格が良いですね」
いや、親しき仲にも礼儀あり。多少の手加減は必要か。
そんな風に下らない話題で会話をしたり、ちょっとしたことで小競り合いを起こしたりしながらいつも歩いている道を自宅に向って辿る。その間にも、水平線の彼方の太陽は半分以上沈んでいった。
「ねえ、さっちゃんは七夕の短冊になんて書いたの?」
突然、悠姫はのんびりとした声音で尋ねてきた。
多分こんなことを尋ねてきたのは、テストが終わった後の授業で、短冊に願い事を書いたからだろう。高校生にもなってやるには恥ずかしいイベントだが、この街の学校は七夕祭りに短冊を出すことが習慣になっている。理由は全く不明だが。
「人に尋ねる前に、自分から答えるのが礼儀じゃないか」
「ねえ、なんて書いたの?」
無視かい!
まあ、答えてくれるとは思っていない。去年も同じ質問をされて、上手くはぐらかされているのだから。
「そうだなー、去年と同じ」
「あー……やっぱり」
悠姫は脱力して肩を落とす。はあ、と可愛らしい容姿に似合わないため息を吐き、きつく睨んできた。
「他に書くことないの?」
「ないな。つーか、俺が何を書こうが自由だろ。だから別に、願い事を掛けるようになりたいって書いても良いじゃん」
なんて夢のない願い事だろうか、と自分でも思う。もっと若者らしい願い事があるだろ、ほら例えばお金が欲しいとか、ゲームを買いたいとか。
そんな夢のあることを考えている俺に対して、眉目を僅かに引き上げた悠姫は、
「……テストで良い点が取れるようになりたいって書けばいいのに」
「そう言うのは自分の努力でやらないと意味がないだろう」
個人的に自分の力で叶うことは、願わないことにしている。あれ、だとするとゲームとかって自分の力で叶えられるよね。
「志は良いとして、寝る人が良く言うね」
「うっ……」
本日、何度目だろうか。こうやって、止めを刺されるのは。コイツの言葉が突き刺さるばかりか、胸にぐいぐいと食い込んでくる。なんて、持続性のある言葉なのだろう。
俺は顔を引き攣らせたまま、
「ま、まあ、寝る子は育つっていうだろ」
「図体ばかりね」
「……、」
今度こそ息の根を止められた。もう、なんか泣きたくなってきた。口論で勝てないことは百も承知の事ではあるけど、参りましたと言わせてやりたい。
「くっそー、一度くらいはお前にぎゃふんと言わせてやりたい!」
「ぎゃふん」
「今、言っても意味ねーっよ!」
口喧嘩で言い負かした時に言わせたいんだよ。今言われても、自分がひどく小さい器を持った人間にしか見えないじゃないか。
「ごめんごめん、からかってさ。さっちゃんをからかったり虐めたりするのが楽しくて」
「おい、どういう意味だ」
「でも、そうだよね」
無視ですか。
ええ、無視ですか。
「そうだよねって、なにが?」
だから、と悠姫は呟きながら、
「自分でできることは自分でやるべきだよねってこと」
珍しく俺の言ったことに賛同してくれる。そのまま悠姫はうっすらと見えだした星を見て歩きながら、
「だったら、七夕って結構酷だよね」
なにが? と尋ねる。
短冊に切な願い事を書き、笹に叶うようにと祈りながら天に捧げるイベントのどこが酷なのだろうか?
切なく、純真な思いに耽る良いことだと思う。
が、栗色の髪の毛を揺らしながら悠姫は首を動かし、俺の顔を見てこう言った。悠姫の表情はどこか悲しそうに見えた。
「だって、彦星と織姫って頑張ってても願いが叶わないもん」
は? 話が見えなくて首を傾げてしまうが、俺は黙ってゆっくりと悠姫の隣を歩きながら話に耳を傾ける。
そんな俺の態度に悠姫は、嬉しそうに笑いながら話を続けた。
「ねえ、さっちゃん知ってる? 地球から彦星と織姫の星までの距離」
「悪い。知らないな」
今までそんなことに興味を持ったことがなかったし、考えたこともないので仕方がない。でも、頭の中で北極から南極までの距離を何億、いや何兆倍に模した感じなのかと考えていた。
しかし、俺の考えは甘かった。
「彦星は約十七光年、織姫は約二十五光年なんだよ」
「うっわ、マジで遠いなぁ」
光年とは光の速さのことだから、光よりも遅いロケットなんかで行くと一体何年かかるのか全く想像がつかない。
「つうか、それだと俺たちの願いってさ、四十年もないと叶えられないよな」
あくまで光の速さでの計算ではあるけど、光速に例えても恐ろしい計算だと感じる。
その冗談のような発言に、悠姫は苦く笑いながら、
「そう……だね。さっちゃんの言う通り、願いが届いて叶えるために戻って来るまでそのくらい時間が掛かるよね」
俺の話に深く同意した悠姫は急に立ち止まり、右手を頭上にかざし何かの足跡をなぞる様に優しく握り込む。悠姫の行動が、俺には手が届かない事が分かっていながらも何かを強く願っているように見えた。
その行動を見ていると、何とも言えない思いが俺の中に湧き上がる。そして、その沸々と湧き上がるものをどうすればいいのか分からなくなった。
が、そんな錯覚も悠姫がいつもの調子に戻ると霧散してしまった。それと同時に、止まっていた時間が少しずつ動き始め、歩みも再開させる。
「悠姫……」
「ごめん。話を続けるね」
そういって、悠姫はすっかり脇道に逸れていた話を元の話題に戻す。まだ悲しそうな顔を浮かべていたけど、少しはいつも通りに戻った気がする。
「でね、何が酷かっていうと彦星と織姫の距離って十五光年あるってことなんだよ。ねえ、酷いと思わない? それって、一年の内に一日しか会えないのに十五光年かかるところにいるんだよ」
「じゃあ、仮に一日に一光年動けるとして、十五日分休みを貯めればいいんじゃね」
「戻る日にちと一日だけいられる分も計算に入れないとだめだよ。ほんと、馬鹿だね」
「悪かったな」
しかし、悠姫の話から考えると一か月ほど時間がいることになる。何と言うか、とてつもない程の忍耐力がないと無理だ。
何と言うか、そう言う風に考えると泣かずにはいられない恋物語だと思う。
「すごいな」
「そうだよね」
二人して素直に感嘆の声が漏れる。
今日俺たちは、そのまま家までの帰路を物思いに耽りながら帰った。頭上を見上げると、近くに見えて実はとても遠い距離にある二つの星が、周りの星よりも輝いている様に見えた。
それが、彦星と織姫の星なのかどうかは分からなかった。
ただ、一際眩しく輝いていた。




