第六話「接触」
今日は、皓月との訓練日だった。
和華の戦闘スタイルは、銃と短剣。そして、バスケットボール部で培った俊敏性を生かしたものだ。
霊力を足に集中させることで、今では人間の限界を超えた速度で動けるようになっていた。
和華が地面を蹴る。
一瞬にして距離を詰め、皓月の側面へ回り込む。しかし、振るった短剣は、皓月の霊剣によって難なく受け流された。
「だいぶ動きが良くなってきましたね」
皓月は穏やかに笑いながら言った。
「はい!」
和華は息を弾ませながら返事をする。
相変わらず、和華の攻撃は皓月に届かない。
だが、以前とは違う。
皓月から繰り出される霊剣の攻撃も、少しずつ避けられるようになっていた。
「では、そろそろ型を変えますね」
「え?」
それまで皓月は、霊力で作り出した剣だけを使っていた。
しかし次の瞬間、皓月の霊剣から放たれた霊素が、鞭のように細長く伸びた。
予測できない軌道を描きながら、霊素の鞭が和華へ襲いかかる。
変則型。
今までとはまるで違う攻撃に、和華の反応が一瞬遅れる。
「うわっ!」
和華は身をひねり、頬をかすめた鞭をなんとかかわした。
間髪を入れず、二撃目が迫る。
和華は地面を蹴り、鞭の軌道を飛び越えた。その勢いのまま皓月の懐へ潜り込み、霊剣を振るう。
皓月が霊剣で受け止めようとする。
だが、和華の勢いは止まらない。
互いの霊剣が激しくぶつかり合い、甲高い音が響いた。
驚くことに皓月の身体がわずかに崩れる。
弾かれた皓月は、片手を地面についた。
「当たった!」
初めて皓月の体勢を崩した。
その喜びに、和華の意識が一瞬だけ戦いから離れる。
皓月は、その一瞬を見逃さなかった。
地面を這うように伸びた霊素の鞭が、和華の足首に巻きつく。
「えっ――」
身体が強く引かれ、和華は宙を舞った。
視界の端で皓月が駆ける。
上下の感覚を失った直後、背中から地面へ叩きつけられる。
「ぐっ!」
本能的に頭は守ったがその激しい衝撃に、息が詰まった。
そのとき、和華の背中に触れた地面が淡く輝いた。
そこは先ほど、皓月が手をついた場所だった。
嫌な予感がする。
そう思ったときには、すでに遅かった。
地面に残されていた霊素が炸裂する。
爆風とともに和華の身体が再び跳ね上がり、地面を転がった。
「霊素は、こういう使い方もできるのですよ」
皓月は満面の笑みを浮かべていた。
少し前まで真剣に戦っていたとは思えないほど、爽やかな笑顔だった。
和華は地面に倒れたまま、恨めしそうに皓月を見上げる。
「そんな使い方をしているの、皓月様くらいです……」
「戦いでは、相手の予想を外すことも大切ですから」
「それは分かりますけど……」
結局、和華はいつものように皓月の治癒を受けることになった。
◇
訓練を終えた和華は、寮で昼食を済ませた。
食器を片づけ、ひと息つこうとしたときだった。
扉を叩く音が響く。
「はい」
いつものように衛穿が来たのだろうと思い、和華は何の警戒もなく扉を開けた。
しかし、そこに立っていたのは衛穿ではなかった。
見覚えのない兵士だった。
「和華殿はおるか?」
「あ、私ですが……」
「少しお時間をいただきたい」
兵士の表情からは、用件を読み取ることができない。
「良いですけれど……誰かが私に?」
和華が尋ねても、兵士は答えなかった。
「こちらへ」
それだけ言うと、兵士は歩き出した。
怪しい。
そう感じながらも、和華は兵士のあとをついていく。
案内されたのは、これまで一度も通ったことのない廊下だった。
城内は広い。
同じような壁や柱が続き、何度も角を曲がっているうちに、和華は自分がどこにいるのか分からなくなっていた。
――一人で寮まで帰れるかな。
そんな不安が頭をよぎる。
やがて兵士は、ひときわ豪華な扉の前で立ち止まった。
「こちらです」
他の部屋とは明らかに異なる、重厚な装飾が施された扉だった。
皓月の部屋の扉と似ている。
ここを使っているのは、相当立場の高い人物なのだろう。
――もしかして、五家評議会の誰か?
兵士が扉を叩いた。
「和華殿を連れて参りました」
少し間を置いて、扉の奥から低い声が返ってくる。
「入れ」
兵士は扉を開けることなく、和華へ視線を向けた。
自分で入れ、ということらしい。
和華は小さく息を吸い、あらためて扉を叩いた。
「失礼します」
扉を開けると、広く整えられた部屋の奥に、一人の老人がいた。
老人の顔には十センチほどの長さの髭があり、一本の乱れもないほど丁寧に整えられている。
その姿からは、長い年月を重ねた者だけが持つ威厳が感じられた。
「あなたが和華殿ですね」
老人は立ち上がると、柔らかな笑みを浮かべた。
「私は道玄と申します。立ち話もなんですから、どうぞお座りください」
「はい」
和華は勧められたソファへ腰を下ろした。
道玄も向かいに座ると、すぐに話を切り出した。
「先日、あなたの訓練風景を拝見しました。以前とは比べ物にならないほど成長されていた。実に見事です」
「ありがとうございます……」
褒められているはずなのに、素直に喜ぶことができなかった。
言葉も表情も穏やかだ。
それなのに、道玄との間には目に見えない壁があるように感じられる。
「このような質問をするのは恥ずかしいのですが、私のことはご存じですか?」
「すみません。まだこの都市に来て数か月しか経っていなくて……」
「そうでしたか」
道玄は気分を害した様子もなく、静かにうなずいた。
「私は五家評議会、その一つである道家の道玄と申します」
「あっ!」
思わず声が漏れた。
「その様子ですと、五家については皓月様からお聞きのようですね」
「はい……」
五家。
二つの世界が重なったあと、滅びかけた人類を導いた五人の末裔。
この国の政治を担う者たちであり、王を支える存在でもある。
しかし皓月から聞かされていた現在の五家は、そのような立派なものではなかった。
国を動かしながら、その根底にあるのは民ではなく、自分たちの利益。
皓月が警戒し続けている者たち。
その一人が、今、和華の目の前にいる。
「皓月様は、我々のことを少し勘違いしておられるのです」
道玄の声に、わずかな寂しさが混じった。
「あまり良くは聞いていないのでしょう?」
「いいえ!」
和華は反射的に否定した。
「この国の中枢で、政治の要となっている方々だと聞いています。まさかお会いできるとは思っていませんでした」
完全な嘘ではない。
皓月の話の中でも、五家が国の中枢を担っていることに違いはなかった。
道玄は和華の顔をしばらく見つめたあと、安心したように表情を緩めた。
「そうですか。皓月様も王として大変よく務めておられます。しかし、まだ十七歳の子供でもある」
穏やかな口調のまま、道玄は続ける。
「だからこそ、我々が皓月様を支えなければならない。そう思っているのですが、どうやらあまり信用を得られていないようでしてね。和華殿の言葉を聞き、少し安堵いたしました」
「そう、ですか……」
なんとか誤魔化せた。
和華は胸の内で、そっと息を吐く。
目の前の道玄は、皓月から聞いていたほど悪い人物には見えなかった。
少なくとも今は、和華を脅そうとも、利用しようともしていない。
「今日、和華殿をお呼びしたのは、あなたに皓月様を支えていただきたいと思ったからです」
「私が、皓月様を?」
「皓月様は、和華殿を特別に思っておられる」
道玄は迷いなく言った。
「だからこそ、皓月様にはあなたが必要なのだと感じるのです」
「そう思っていただけているなら、光栄です」
和華は答えながら、道玄の狙いを探った。
しかし、何も見えてこない。
これでは、本当に皓月を心配しているだけの善良な老人に見える。
「もっとも、五家の中には、和華殿が妖怪とつながっていると疑う者もおります。あるいは、妖怪から送り込まれた者ではないか、と」
道玄の言葉に、和華の身体がわずかに強張った。
「ですが、それについては皓月様よりも私の方が顔が利く。疑いを抑える役目は、私に任せていただきたい」
「どうして、そこまで……」
「和華殿を疑う者たちもまた、この国を守るために必死なのです。私は両方の立場の気持ちがわかる。」
道玄は静かに和華を見つめた。
「百を守るために、一を捨てる。この時代を生き残るためには、それが唯一の方法と言ってもよい。しかし、その一を救えるなら救いたいのだ」
穏やかな声だった。
だからこそ、その言葉は重く和華の胸に沈んだ。
皓月もまた、多くを救うために一部を切り捨てる決断をしていた。
それでも皓月は、切り捨てられる者の痛みを忘れない。
道玄も同じなのだろうか。
それとも――。
「はい……」
今の和華には、そう答えることしかできなかった。
「何かあれば、気兼ねなく頼ってください」
道玄は再び柔らかな笑みを浮かべた。
「ただ、皓月様がこのことを知れば、あまり良い顔はされないでしょう」
「皓月様には、話さない方がいいということですか?」
「皓月様にとって、和華殿は気を許して話すことのできる数少ない存在です。その和華殿を皓月様が疑わざるを得ないのはとても寂しいでしょう」
道玄はゆっくりと話す。
「今日のことや、今後私に相談することがあった場合は、内密にしておく方がよいかもしれません。もっとも、最終的な判断は和華殿にお任せします」
「分かりました」
「では、貴重なお時間をいただき、申し訳ありませんでした。帰りは先ほどの兵に案内してもらってください。何せ、この城は広いのでね」
道玄は、ふっと笑った。
それはまるで、先ほど和華が抱いていた不安を見透かしたかのようだった。
「ありがとうございました。失礼します」
和華は立ち上がり、道玄に頭を下げた。
部屋を出ると、扉の前には先ほどの兵士が待っていた。
兵士に案内され、和華は再び長い廊下を歩く。
寮へ戻るまで、道玄との会話が頭から離れることはなかった。
――今日のこと、皓月様に伝えた方がいいのかな。
寮に戻っても、答えは出なかった。
今日に限って、寮には誰もいない。
この世界での暮らしには慣れつつあったが、寮で一人きりになる日は、まだほとんどなかった。
静かな部屋にいると、道玄の言葉が何度も頭の中で繰り返される。
彼の言い分はもっともだった。
皓月はまだ十七歳だ。同い年くらいだとは思っていたが、まさか本当に同い年だった。
できれば1つか2つくらい年上であってほしかった。どうしても自信と比較してしまう。
あれだけしっかりしている皓月も、和華のいた世界では高校生。
王として多くの責任を背負っていても、一人ですべてを決められるわけではない。
五家が皓月を支えようとしているという話にも、道理はある。
だからこそ、和華は迷っていた。
窓の外へ目を向ける。
その日、空は厚い雲に覆われていた。
月の光は、どこにも見えなかった。




