表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
並界戦記-環-  作者: ootori
PR
4/10

第三話「王宮」

和華が目を覚ますと、辺りは薄暗かった。


見覚えのない天井が、ぼんやりと視界に映っている。


「……ここ、どこ……?」


声を出そうとして、思いとどまった。


全身が痛い。


激しい運動をした翌日のように、身体中の筋肉が軋んでいた。指先をわずかに動かしただけでも、腕の奥に鈍い痛みが走る。


私は、何をしていたんだっけ。


今日は、始業式だった。


家を出て、学校へ向かって――。


そこで記憶が途切れ、代わりに現実とは思えない光景が次々と浮かんでくる。


見知らぬ山。


人ではないものが暮らす森。


犬の面をつけた燕華。


神と呼ばれていた白銀の少女、皓月。


武器を持った兵士たち。


そして、自分の意思とは関係なく動き、戦っていた身体。


別の世界へ来てしまった。


そんなことが、本当にあるのだろうか。


あれは夢だったのかもしれない。


それにしては、妙に生々しい夢だった。


和華は考えながら、痛む首を傾けた。


部屋の片側から、わずかに光が差し込んでいる。


そちらへ目を向けた瞬間、身体が強張った。


鉄格子。


部屋の入口を塞いでいるのは、どう見ても頑丈な鉄格子だった。


「……牢屋?」


無意識に漏れそうになった声を、慌てて呑み込む。


森での皓月の言葉が蘇った。


和華が放ったという霊波。


それによって命を落とした兵士たち。


本当に、私が殺してしまったのだろうか。


ただ大声を出しただけだった。


誰かを傷つけようとしたわけではない。


それでも、結果として人が死んだのなら――。


和華は身体を起こそうとした。


しかし、腕に力を入れたところで、何かがおかしいことに気づく。


両手が動かない。


足も、ほとんど動かせなかった。


手首と足首が、それぞれ縄で縛られている。


やっぱり。


私は、罪人として捕まったんだ。


胸の奥から、恐怖が込み上げてくる。


「誰か――」


呼びかけようとして、再び口を閉ざした。


霊波というものが、声によって起こるのだとしたら。


不用意に声を出せば、また誰かを傷つけてしまうかもしれない。


今は、下手に喋らない方がいい。


だが、このまま何もせずにいるわけにもいかなかった。


和華は身体を横へ倒し、ベッドの端まで少しずつ転がった。せめて、鉄格子の向こうに誰かいないか確かめようとしたのだ。


もう少し。


あと少しだけ――。


身体が、ベッドの端を越えた。


「――っ!」


そのまま床へ落ちる。


鈍い音が部屋に響き、全身へ強烈な痛みが走った。


(いったぁ――!)


叫び声を必死に堪え、床の上で丸くなる。


痛い。


ただでさえ全身が筋肉痛なのに、どうしてこんなことをしたのだろう。


牢屋に入れられているということは、自分が何か悪いことをしたと思われているか、そう判断されるだけの証拠があるということだ。


少なくとも、元の世界ではそうだった。


この世界も、建物や服装こそ違うが、基本的な考え方まで大きく異なるようには見えなかった。


ならば、自分は罪人ということになる。


この状況から逃れるには――脱獄。


和華は鉄格子を見上げた。


手足を縛られ、全身が筋肉痛で、ベッドから落ちただけで動けなくなっている。


無理だ。


どう考えても無理だった。


(こんなことなら、大人しく寝ていればよかった……)


床へ頬をつけたまま、深く後悔する。


(ベッドに戻りたい……)


その時だった。


遠くから、複数の足音が聞こえてきた。


一定の間隔で鳴る硬い靴音が、ゆっくりと近づいてくる。


どうしよう。


起きていると分かれば、すぐに尋問されるかもしれない。


まだ、寝たふりをしていた方がいいのだろうか。


和華は慌てて目を閉じた。


床へ落ちた状態で寝たふりをすることに、どれほど意味があるのかは分からない。それでも、今できることはそれくらいだった。


やがて、足音が鉄格子の前で止まった。


「まだ、気を失っているようですね」


聞き覚えのある男の声だった。


衛穿だ。


「気を失っているふりをしているだけですよ」


続いて、少女の声が聞こえる。


「もう起きていることは、分かっていますよー」


皓月だった。


完全に見抜かれている。


和華は観念し、恐る恐る片目を開いた。


「……私、喋っても大丈夫ですか?」


声を出したのは、皓月の言葉にどこか優しさを感じたからだった。


すると、皓月の顔がぱっと明るくなった。


「やりました! 当たりましたよ、衛穿!」


「……お見事でございます」


衛穿は淡々と答えた。


和華は目を瞬いた。


バレていたわけではなかったらしい。


騙された。


「…………」


「あっ、すみません!」


和華が黙り込むと、皓月が慌てて両手を振った。


「喋っていただいて大丈夫です。ただし、念のため、大きな声だけは出さないでくださいね」


そう言って、にっこりと笑う。


森で兵士たちを指揮していた時とは、まるで別人のようだった。


皓月は床に転がっている和華を見て、すぐに衛穿へ顔を向ける。


「衛穿、縄を解いてちょうだい」


「承知しました」


衛穿が鍵を使って鉄格子を開ける。


牢へ入ると、和華の手首と足首を縛っていた縄を手際よく解いた。


「あの……ありがとうございます」


自由になった手首をさすりながら、和華は二人を見上げる。


聞きたいことはいくつもあった。


だが、まず確かめなければならないことがある。


「私は……罰を受けるんですか?」


皓月は少し驚いたように目を見開いた。


それから、和華を安心させるように柔らかく微笑む。


「その心配はありません」


「でも、私のせいで兵士の人たちが……」


「そのことも含めて、後ほどお話ししましょう」


皓月は鉄格子へ視線を向けた。


「あなたを新手の妖怪だと疑っている者が、まだ城内におります。そのため、目を覚ますまで、このような場所へ入れざるを得ませんでした」


そう言って、深く頭を下げる。


「本当に申し訳ございません」


形式だけの謝罪ではなかった。


その表情から、本当に悪いと思っていることが伝わってくる。


「いえ……大丈夫です」


和華は慌てて答えた。


目の前にいるのは、本当にあの皓月なのだろうか。


森で見た皓月は、兵士たちへ迷いなく命令を下し、自分へ剣を向けてきた。その姿は冷たく、近寄りがたいものに思えた。


だが、今の皓月は同じ年頃の少女にしか見えない。


「立てますか?」


「身体中が筋肉痛みたいに痛くて……。ゆっくりでもいいですか?」


「もちろんです。では、ゆっくり行きましょう」


皓月と衛穿に支えられながら、和華は立ち上がった。


全身が悲鳴を上げている。


燕華に身体を操られていた時、普段は使わない筋肉まで無理やり動かされていたのだろう。


三人は牢を出て、薄暗い廊下を進んだ。


階段を上り、重い扉を開ける。


外へ出た和華は、建物を振り返った。


牢屋が入っていた建物自体が、さらに高い鉄格子で囲まれている。逃亡を防ぐための二重構造なのだろう。


外側の門を抜けると、景色が一変した。


「わあ……」


和華は思わず声を漏らした。


森の近くで見た里とはまるで違う。


道路には石畳が敷かれ、その両側には木造と石造りの建物が並んでいる。屋根や柱にはどこか和風の趣があるが、窓や壁の造りは西洋の街並みに近い。


和洋折衷。


その言葉が、もっとも近いように思えた。


道には多くの人が行き交っていた。


荷車を引く者。


店先へ野菜を並べる者。


鎧を身につけた兵士。


見慣れない服装であるにもかかわらず、人々の営みそのものは元の世界と大きく変わらない。


和華が夢中になって街を眺めていると、皓月が小さく微笑んだ。


「では、行きましょうか」


皓月が進む先へ目を向ける。


街の奥には、巨大な城がそびえていた。


白い石壁に、いくつもの尖塔。


和華が想像する西洋の城に近い。


牢の外では、皓月の護衛と思われる兵士たちが待っていた。和華は彼らに囲まれながら、皓月たちとともに城へ向かった。


「皓月様、お帰りなさいませ」


「今日もお美しいですね、皓月様」


道を歩く人々が、次々と皓月へ声をかける。


その表情にあるのは、恐怖ではない。


尊敬と親しみだった。


森の近くにあった里では、皓月を前にした人々は怯えるように頭を下げていた。しかし、この街の住民たちは、敬意を払いながらも嬉しそうに皓月へ手を振っている。


皓月も、小さく手を振って応えていた。


同じ国の中でも、皓月に対する印象は違うらしい。


一行は大きな門をくぐり、城の中へ入った。


「お腹が空いているでしょう?」


広い玄関広間へ入ったところで、皓月が和華へ振り返った。


「まずは食事になさってください。お話は、その後にしましょう」


先ほどまでとは、少し雰囲気が違っていた。


背筋を伸ばし、穏やかな笑みを浮かべる姿は、物語に登場する姫君のようだ。


牢にいた時は、年相応の少女に見えた。


しかし、兵士や城の者たちの前に立つと、皓月は人々を率いる者へと変わる。


(私と同じくらいの年なのに、すごいなあ……)


和華は素直に感心していた。


皓月と衛穿に別れを告げ、案内役の兵士についていく。


連れてこられたのは、大きな長机が置かれた部屋だった。


席へ着くと、すぐに料理が運ばれてきた。


それを見た途端、和華の腹が小さく鳴る。


今まで緊張していて気づかなかったが、ひどく空腹だった。


皿の上には、鶏の唐揚げによく似た料理が盛られている。他にも、温かいスープや、トマトにそっくりな赤い野菜の入ったサラダが並んでいた。


少し前までダイエットを決意していたことなど、完全に頭から消えた。


「いただきます」


和華は夢中になって食べた。


味も、元の世界の料理とほとんど変わらない。


城で出される食事にしては、驚くほど家庭的だった。


豪華な食器に載ってはいるものの、高級そうな見慣れない料理ではなく、どれも親しみのある味がする。


和華にとっては、その方がありがたかった。


「お腹いっぱい……」


すべて食べ終え、満足して背もたれへ身体を預ける。


「ご満足いただけたようで、何よりです」


部屋の隅に立っていた兵士が、穏やかに声をかけてきた。


「すごくおいしかったです!」


「料理人へ申し伝えておきます」


兵士はわずかに笑った。


「皓月様がお話ししたいとのことです。別室へご案内してもよろしいでしょうか」


「分かりました」


返事をしたものの、急に不安が戻ってきた。


何から話せばいいのだろう。


元の世界へ戻る方法を聞く前に、自分の身に起こったことを説明しなければならない。


別の世界から来たと言って、信じてもらえるだろうか。


里の人々の反応を思い出す。


下手をすれば、頭がおかしいと思われるかもしれない。


兵士について廊下を歩き、別の部屋へ向かう。


「皓月様、お連れいたしました」


扉の先では、皓月が白い茶器を手にしていた。


窓から差し込む光を受け、長い銀髪が輝いている。


静かに茶を飲む姿は、絵画の一部のようだった。


(本当に、様になるなあ……)


純白の乙女。


そんな言葉が頭に浮かぶ。


部屋の端には、衛穿も控えていた。


和華は兵士に促され、皓月の向かい側へ腰を下ろす。


兵士が一礼して部屋を出ていった。


短い沈黙が流れる。


和華は何を言えばいいのか分からず、膝の上で両手を握った。


すると突然、皓月が茶器を置いた。


「えっ?」


机の上へ身を乗り出し、和華との距離を一気に縮める。


皓月の両手が、和華の頬を包み込んだ。


「お料理はお口に合いましたか? 兵士に意地悪をされませんでした? 本当に牢へ入れてしまってごめんなさいね! 立場上、ああするしかなかったのです! 許してちょうだい! それで、あなたはどうして霊脈を持っているのですか? あの妖怪とはどのような関係で――それと!」


「皓月様」


衛穿の咳払いが響いた。


「悪い癖が出ております」


和華は目を丸くしたまま、完全に圧倒されていた。


皓月の動きが止まる。


「……ごめんなさい」


皓月は和華の頬から手を離し、静かに座り直した。


平静を装ってはいるが、頬が赤い。


その姿が少し可愛いと思った。


先ほどまで兵士たちの前で見せていた大人びた姿とは、とても同じ人物には見えない。


「では、改めまして」


皓月は姿勢を正した。


「私は皓月と申します。あちらにいるのは、衛穿です。あなたのお名前をお聞きしてもよろしいでしょうか」


たまき和華のどかです」


「たまきのどかさん」


「はい。苗字が環で、名前が和華です」


「みょうじ……ですか」


皓月は、その言葉を確かめるように呟いた。


わずかに考え込んだ後、なぜか口元を緩める。


「では、和華。何か聞きたいことはありますか?」


いきなり名前で呼ばれたことに、少しだけ戸惑う。


それでも、和華はこれまでの出来事を順番に話した。


自分は別の世界から来たこと。


見知らぬ山で目を覚ましたこと。


森へ入り、苦しさで動けなくなったこと。


そこで燕華に助けられたこと。


皓月を隠れて追っていたこと。


そして、森で起こった戦い。


皓月は途中で遮ることなく、最後まで静かに聞いてくれた。


「別の世界ですか」


すべてを聞き終えた皓月が、ゆっくりと繰り返す。


「……信じてくれるのですか?」


「私には霊素の流れが見えます」


皓月は赤い瞳を細めた。


「人が嘘をつく時、霊素にはわずかな乱れが生じます。完全に見抜けるわけではありませんが、少なくとも、あなたの今のお話に大きな虚偽はないと分かります」


にこりと笑う。


「霊素って、便利なんですね」


「そのような使い方をできる者は、あまり多くありませんけれどね」


今度は皓月が、この世界について説明してくれた。


かつて、人間は妖怪を神として崇めていたこと。


しかし、それが偽りの神であったことが判明したこと。


妖怪に代わり、今は皓月が神として人々の前に立っていること。


そして、この世界に存在する霊素という力について。


「では、私の身体の中には、燕華さんの霊脈が入っているということですか?」


「おそらくは」


皓月は答えながらも、どこか納得できない様子だった。


「しかし、本来ならば不可能です。肉体の構造が違う時点で、霊脈を移すことなどできません。妖怪同士で、双子のように瓜二つの肉体を持っているというのなら、まだ可能性を考えられますが……」


人間は、生まれつき霊脈を持っていない。


妖怪は大気中の霊素を霊脈から直接取り込み、自らの力として使う。


一方、人間は食事などを通じて、少しずつ霊素を取り入れる。


霊脈を持つ妖怪は、周囲の霊素が濃くても薄くても、その場に適応できる。


人間は体内から反発する霊素を放つことで、大気中の霊素が身体へ侵入するのを防いでいる。


森で和華が苦しんだのは、元の世界の人間である和華が、その反発する霊素すら持っていなかったからだろう。


霊素が体内へ侵入し、身体を蝕んでいた。


燕華は和華へ自らの霊脈を移植することで、命を救ったのだ。


「燕華さんがいなかったら、私は……」


死んでいた。


その言葉を、和華は口にできなかった。


なぜ燕華は、そこまでして自分を助けてくれたのだろう。


疑問は残る。


だが、今は答えを知る方法がなかった。


皓月は霊素の話だけでなく、この国が抱える問題についても教えてくれた。


人口が増え続け、食糧の生産が追いつかなくなりつつあること。


この都市以外では、道路や水路などの整備が十分に進んでいないこと。


そして、人間が妖怪を一方的に敵とみなし、領土を広げるために討伐していること。


話を聞けば聞くほど、皓月が自分と同じ年頃だとは思えなかった。


国の現状を知り、そこで暮らす人々のことを考え、これから何をすべきか悩んでいる。


やはり、皓月は王なのだ。


一方で、驚くほど元の世界と変わらないものも多かった。


使われている文字。


一日を区切る時間の概念。


食事や生活の習慣。


街の造りには違いがあるものの、まったく理解できない世界というわけではない。


そして最後に、皓月は和華を元の世界へ戻す方法を探すと約束してくれた。


「ありがとうございます」


和華が頭を下げると、皓月は柔らかく微笑んだ。


「まだ、方法があると決まったわけではありません。それでも、できる限りのことはいたします」


その言葉だけでも、和華にとっては大きな救いだった。


しかし、話はそこで終わらなかった。


「ところで――」


皓月が再び身を乗り出す。


「和華のいた世界は、この国よりも文明が発達しているように思えます。あなたの世界について、詳しく教えていただけませんか?」


「霊素はありませんが、おそらく文明はこちらより発達していると思います」


そう答えた瞬間、皓月の赤い瞳が輝いた。


「人口に対して、どのように農業を行っているのですか? 土地の問題は、どのように解決しているのでしょう。戦争はありますか? 国同士の争いは、どのような武器を使って――」


質問が止まらない。


どうやら皓月は、興味を持ったことに対しては、とことん知りたくなる性格らしい。


和華は自分の知っている範囲で答えた。


機械を使った農業。


高い建物。


電気や自動車。


遠く離れた人と話せる電話。


そして、銃や爆弾といった武器。


「まんしょん、ですか」


皓月は、和華の説明を聞きながら考え込んだ。


「大勢の人々が暮らせる、城のような建物がいくつもあるのですね。それに銃……。遠距離から攻撃でき、扱う者の身体能力に左右されにくい武器ですか」


「誰でも、というのは少し違うと思いますけど……訓練すれば、多くの人が使えると思います」


「なるほど。それならば兵士を育成する期間も短縮できる可能性が……」


皓月の目が、さらに輝く。


「では、次に――」


「皓月様」


衛穿が静かに声をかけた。


「和華殿もお疲れでしょう。そろそろ、お休みいただいた方がよろしいかと」


和華は内心で安堵した。


正直なところ、これ以上詳しく聞かれても答えられる自信がない。


和華は勉強が得意な方ではなかった。


皓月が求めているような専門的な知識など、ほとんど持っていない。


「……申し訳ございません」


皓月は名残惜しそうに身体を起こした。


「では最後に、和華の今後についてお伝えします」


先ほどまでの少女らしい表情が消える。


再び、人々を率いる者の顔へ戻っていた。


「和華。この世界では、苗字というものはほとんど認知されておりません。今後、誰かに名前を尋ねられた時は、和華とのみ名乗った方がよいでしょう」


「分かりました」


「また、この世界の人々は、別の世界が存在することすら知りません。あなたが異なる世界から来たという事実は、むやみに口にしない方がよいと思います」


皓月は真剣な目で和華を見つめる。


「それを口にすれば、あなたの言葉そのものを信じてもらえなくなる可能性があります。混乱を招くこともあるでしょう」


和華は、里の人達からの不審な目を思い出した。


確かに、知らない者へ本当のことを話しても、簡単には信じてもらえないだろう。


「それから、あなたの保護についてです」


皓月は続ける。


「私は燕華より、あなたを託されました。その責任は、私が持ちます」


森で消える前、燕華は皓月を見つめていた。


あの時、言葉を交わしてはいなかった。


それでも皓月には、燕華の意思が伝わっていたらしい。


「そのため、和華には私の直属護衛隊へ入隊していただきます」


「……はい?」


予想もしなかった言葉に、和華は固まった。


「私が、ですか?」


「はい」


「剣を持って、妖怪と戦うんですか!?」


「いいえ」


皓月は穏やかに否定した。


「私の直属護衛隊は、あくまで私を守るための部隊です。妖怪と対峙する機会は、討伐部隊ほど多くありません」


「でも、私、戦ったことなんて……」


「元の世界へ戻る方法は探します」


皓月の声が、少しだけ低くなる。


「しかし、戻れなかった場合についても、同時に考えなければなりません」


和華は言葉を失った。


元の世界へ戻れる保証は、どこにもない。


戻る方法が見つかると、心のどこかで決めつけていた。


だが、この世界で生きていかなければならない可能性もある。


「この世界は、安全な場所ではありません」


皓月は続ける。


「あなたは霊脈を持っています。その力を狙う者が現れる可能性もあります。何より、今回のように霊素を知らずに扱えば、再び誰かを傷つけてしまうかもしれません」


森で倒れていた兵士たちが、脳裏に浮かぶ。


知らなかった。


悪意もなかった。


それでも、人が死んだ。


あのようなことを、二度と繰り返したくない。


「自分を守るためにも、周りの者を傷つけないためにも、力の使い方は学ぶべきです」


「……はい」


皓月の言う通りだった。


「分かりました。皓月様の言う通りだと思います」


「ふふっ」


皓月が楽しそうに笑った。


「では、まずは訓練ですね」


なぜか、とても嬉しそうだった。


「今日はもう日が暮れます。明日の九時に迎えに行きますので、詳しいことはその時にお話ししましょう。泊まる場所については、衛穿から聞いてください」


「分かりました」


和華が立ち上がると、衛穿も部屋の端から歩み寄った。


皓月へ一礼し、和華を連れて部屋を出る。


二人は並んで、城内の長い廊下を歩いた。


しばらくの間、会話はなかった。


窓の外では、太陽が街の向こうへ沈みかけている。赤い光が渡り廊下へ差し込み、二人の影を長く伸ばしていた。


「正直に言えば」


衛穿が突然、口を開いた。


「私は、まだ貴殿を疑っている」


和華は少しだけ俯いた。


「そう、ですよね」


当然のことだと思った。


別の世界から来たと語り、妖怪の霊脈を持ち、森では兵士を死なせた。


自分が衛穿の立場でも、簡単には信じられないだろう。


「むしろ、皓月様が信じてくれたことに、私も驚いています」


「皓月様は、嘘を見抜ける」


「それでも、です」


再び沈黙が流れた。


やがて、二人は城の本館から少し離れた建物の前で立ち止まった。


「ここだ」


衛穿が扉へ手をかける。


「これから仲間となる者たちは、個性的な者ばかりだ。まあ、頑張れ」


「個性的……?」


嫌な予感がした。


衛穿が扉を開ける。


その先には、広い居間のような空間があった。


長椅子や机が置かれ、中央の階段は途中から左右へ分かれている。


部屋の中には、男女合わせて四人がいた。


長椅子へ寝転がっていた者。


窓辺で外を眺めていた者。


机を挟んで何かの遊びをしていた二人。


衛穿が入ってくると、四人が一斉にこちらへ顔を向けた。


「ちょうど全員いるな」


衛穿は和華を示す。


「紹介する。和華だ。近日中に護衛隊へ配属される。仲良くしてやってくれ」


衛穿は堅苦しく見えるが、本当は優しいのかもしれない。


言葉の端々から、和華を気遣っていることが感じられた。


最初に立ち上がったのは、筋肉質で体格のよい男だった。


短い茶髪に、日に焼けた肌。


見るからに明るく、元気そうな人物だ。年齢は二十代後半ほどだろう。


「俺は我央がおだ!」


男は大きな声で名乗った。


「体術なら誰にも負けねえ。よろしくな、和華!」


「よ、よろしくお願いします」


我央が差し出した手を握る。


軽く握られただけなのに、手が潰れそうなほど力強かった。


「我央。加減しろ」


窓辺に立っていた女が、冷たい声で注意する。


長い黒髪。


すらりとした長身に、全身を包む黒い衣服。


鋭い目つきも相まって、少し近寄りがたい雰囲気がある。


帆積ほづみだ」


女はそれだけを告げた。


年齢は我央と同じくらいに見える。


「衛穿隊長が不在の時は、私が隊を預かる。分からないことがあれば聞け」


「はい。よろしくお願いします」


怖そうに見えたが、話し方からは面倒見のよさが感じられた。


残る二人は、机を挟んで向かい合っていた。


一目で双子だと分かるほど、顔がよく似ている。


二人とも茶色い髪に、大きく丸い瞳。


和華より少し年下だろう。高校一年生ほどに見え、顔にはまだ幼さが残っている。


「僕は琉輝るき


男の子が先に名乗った。


「私は琉魅るみ


続いて、女の子が名乗る。


「俺が琉輝」


「私が琉魅」


「分かる?」


二人が同時に首を傾けた。


「えっと……たぶん」


和華は曖昧に笑った。


正直、自信はなかった。


「絶対分かってないね」


「分かってない顔してる」


二人は顔を見合わせ、楽しそうに笑った。


我央、帆積、琉輝、琉魅。


この四人と衛穿が、皓月の直属護衛隊なのだという。


衛穿は隊長と皓月の付き人を兼任しているため、普段の任務は残る四人が中心となって行う。


表向きの任務は、皓月の護衛。


だが、その裏では情報収集をはじめ、さまざまな仕事を担っているらしい。


和華は当面、皓月の近くで表向きの護衛を担当することになる。


衛穿が付き人として不在の時は、帆積が代理隊長を務める。


「今日から、ここで寝泊まりしてもらう」


衛穿が中央の階段を指した。


「階段の左側が女子用だ。空いている部屋を一つ用意してある。今日はさまざまなことがあっただろう。ゆっくり休め」


「はい。衛穿さん、今日はありがとうございました」


和華は頭を下げる。


「おやすみなさい」


「まだ正式に配属が決まっていないから、今はいいが…」


衛穿が眉を寄せた。


「配属後は隊長と呼べ」


「あっ、すみません。隊長」


口にした瞬間、急に恥ずかしくなった。


小さい頃、幼稚園のお遊戯会で兵士の役を演じた時の記憶が蘇る。


舞台の上で、作り物の剣を掲げながら「隊長!」と叫んだ。


あの時と同じことを、今は本物の城で口にしている。


まるで、自分まで物語の登場人物になってしまったようだった。


衛穿は短く頷き、建物を出ていった。


扉が閉まる。


その途端、残された四人の視線が一斉に和華へ集まった。


「それで?」


我央が楽しそうに口元を緩める。


「和華は、どれくらい強いんだ?」


「えっ」


「霊脈を持つ人間なんて初めて見たぜ」


琉輝が身を乗り出した。


「何型ー?」


琉魅も興味深そうに和華を見つめる。


「燕華という妖怪と一つになって、皓月様や衛穿隊長と戦ったと聞いた。私の代わりに代理隊長をやらないか?」


帆積は代理隊長が嫌なのだろうか。

帆積は、鋭い目で和華を観察していた。


感情が読めない。


「えっと……」


和華は一歩後ずさる。


個性的な者ばかり。


衛穿の言葉の意味を、早くも理解し始めていた。


「私、戦い方どころか、霊素の使い方も分からないんですけど…あ、血液型はA型かな…」


四人の動きが止まる。


短い沈黙の後、我央が豪快に笑った。


「ははは! そいつは明日の訓練が楽しみだな!」


琉輝と琉魅もより騒ぎ始める。


「ねえ、エーってなにー!エーってなに!」


「楽しみじゃないです!」


思わず大きな声が出そうになり、和華は慌てて両手で口を塞いだ。


牢で目を覚ました時には、自分が罪人になるのだと思っていた。


今はなぜか、神と呼ばれる少女の護衛隊へ配属されようとしている。


何がどうして、こんなことになったのだろう。


元の世界へ帰れるのか。


燕華は、どこへ行ったのか。


自分の中にあるという霊脈は、これから何を引き起こすのか。


分からないことばかりだった。


それでも、この世界で初めて、自分の居場所になりそうな場所を見つけた気がした。


和華の新しい生活が、始まろうとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ