「サクの実家」
十月の第二週、サクから連絡が来た。
土曜日の朝だった。
「今日、会える? 話したいことがある」
前回と同じ書き出しだった。ただ、前回より少し、文字が短かった。
「はい。昼からなら」
「じゃあ十二時に駅前で」
それだけだった。カフェの指定も、いつもの、という言葉もなかった。
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駅前に着くと、サクはすでにいた。
コートを着ていた。手袋はしていなかった。スマートフォンも見ていなかった。ただ、立っていた。
ハルトが近づくと、顔を上げた。
「来た」
「はい」
「歩きながら話していい? 座ってると落ち着かないから」
「はい」
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川沿いの道を歩いた。
十月の空気は乾いていた。川面が光っていた。
しばらく、サクは何も言わなかった。
ハルトも何も言わなかった。
五分ほど歩いてから、サクが言った。
「先週、実家に呼ばれた」
「はい」
「父親から話があるって言って」サクは川を見ながら言った。「研究を、やめてほしいと言われた」
ハルトは少し間を置いた。
「理由を聞きましたか」
「聞いた」サクは言った。「うちの実家、魔法使いの家系なんだよね。父方も母方も、魔法使いが多い。父親は水系のAクラス。祖父は魔法庁の元幹部」
「はい」
「祖父が現役のころに作ったコネが、今も残ってる。業界団体にも顔が利く。父親は今、ある財団の理事をやってる。魔法産業の振興を目的にした財団で、アルカナテックもそこのスポンサーをしてる」
ハルトは川を見た。
「アルカナテックと、繋がりがあるんですか」
「直接の関係じゃないって父親は言ってた。でも、財団を通じた接点はある」サクは言った。「父親が言ったのは、研究の方向性が業界の流れに逆行している、将来困ることになる、ということだった」
「業界の流れに逆行している」
「非魔法使い向けの技術より、魔法使いの能力を高める技術の方が市場が大きい。そっちに転換した方が、私の将来のためになると言ってた」サクは少し間を置いた。「あと、国が管理方針を検討していることも知ってた。それを持ち出して、どうせ商用化できなくなる研究を続けても意味がないと」
「国の動きを知っていた」
「うん。業界団体を通じて聞いたんだと思う」
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サクはベンチの前で足を止めた。
座った。ハルトも隣に座った。
「父親の言ってることは、論理としてはわかるんだよ」サクは言った。「市場が小さい、国の方針がどうなるかわからない、リスクが高い。全部、事実だと思う」
「はい」
「でも」サクはコートの膝の上で手を組んだ。「なんか、悔しくて」
「はい」
「論理的に正しくても、納得できない。やめる気にはなれない」サクは言った。「それを父親に言ったら、感情的になるなって言われた。研究者なら冷静に判断しろって」
「感情的ですか」
「そう言われた」サクは川を見た。「私、感情的になってると思う?」
ハルトは少し考えた。
「感情的かどうかはわかりません。ただ」
「ただ」
「やめない理由が、感情だとしても、それは弱い理由じゃないと思います」
サクはハルトを見た。
「どういうこと」
「なぜその研究を始めたか、という理由が感情から来ているなら、やめない理由も同じ根っこから来ているはずです。感情を否定することは、研究を始めた理由を否定することになります」
サクはしばらくハルトを見ていた。
「ハルトくんって、そういうこと言うんだね」
「論理的にそう思います」
「論理的に、感情を肯定してる」サクは少し笑った。「不思議な言い方だけど、なんかすごく助かった」
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「それだけじゃなくて」とサクは言った。
「はい」
「見合いの話も出た」
ハルトは少し間を置いた。
「見合い、ですか」
「うん」サクは川を見た。「財団関係者の息子だって。魔法使い、水系、年収も高い。父親的には、そっちに落ち着いてほしいんだと思う。研究も含めて」
「断りましたか」
「その場では、考えると言った」サクは言った。「断る気はあるけど、その場では言えなかった」
「なぜですか」
「父親の顔を見てたら、言いにくくて」サクは少し間を置いた。「父親が悪い人じゃないのはわかってる。私のことを心配してくれてるのもわかってる。でも、だからこそ、真正面から否定するのが難しくて」
ハルトは川を見た。
「難しいですね」
「うん」サクは言った。「ハルトくんに正直に言うと、見合いのことより、研究をやめてほしいと言われたことの方がずっとしんどかった。父親にそう言われるとは、思っていなかったから」
「そうですか」
「父親は魔法使いで、魔法の世界で生きてきた人で。私が非魔法使いのための技術を作りたいって言ったとき、最初は反対しなかった。でも今になって」サクは言葉を切った。「状況が変わったんだと思う。国の動きとか、業界の雰囲気とか」
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川面に光が揺れていた。
ハルトはしばらく何も言わなかった。
サクも何も言わなかった。
少し経って、ハルトは言った。
「一つ聞いていいですか」
「どうぞ」
「見合いの件と、研究の件は、別々の問題ですか」
サクは少し考えた。
「父親の中では、たぶん繋がってる。研究をやめて、業界の人間と結婚して、落ち着いてほしいっていうセットだと思う」
「サクさんの中では」
「別々」サクは即座に言った。「研究は研究。見合いは見合い。どっちも、自分で決めることだと思ってる」
「わかりました」
「わかりました、って何が」
「サクさんがどう考えているかが、わかりました」
サクはハルトを見た。
「ハルトくんって、確認するんだよね、大事なことを」
「曖昧なままにしておくと、判断が狂うので」
「判断が狂う、か」サクは少し笑った。「私に、どうしろって言うつもり?」
「言いません」
「なんで」
「サクさんが自分で決めることです」
「そっか」サクは川を見た。「でも、どう思うかは聞いていい?」
ハルトは少し間を置いた。
「見合いについては、何も言えません。ただ」
「ただ」
「研究については」ハルトは川を見た。「続けてほしいと思います」
サクはハルトを見た。
「なんで」
「サクさんの研究が完成したとき、最初に使わせてもらう約束があるので」
サクはしばらくハルトを見ていた。
それから、少し笑った。
「……そういう理由か」
「はい」
「もっと気の利いたこと言ってよ」
「他に言葉が見つかりませんでした」
「嘘」サクは言った。声が少し柔らかくなった。「ハルトくんが言葉を選んでるのって、わかるから」
ハルトは何も言わなかった。
「ありがとう」サクは言った。「続けるよ。やめる気は最初からなかったけど、言ってもらえてよかった」
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しばらくベンチに座っていた。
川の音だけがしていた。
「申請、出すことにした」とサクは言った。
「はい」
「先週から準備してる。ハルトくんに教えてもらった特許も参考にして、今の段階でできるところまで固めて、出す」
「現在の変換効率は」
「二十三時間ちょうどになった。一時間分はまだロスがある。完成形じゃないけど、今の段階で出す」
「完成形でなくても、申請できます。追加の改良は、申請後に継続申請として出せます」
「そうだよね」サクは言った。「MPBに出すとき、神崎くんが担当してくれる?」
「窓口に来てもらえれば、対応します」
「神崎くんが、ね」サクは少し笑った。「わかった。来週、仕事として行きます」
「はい」
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帰り道、駅の前で別れた。
「今日、ありがとう」とサクは言った。
「話を聞いただけです」
「それが助かるんだよ」サクは言った。「ハルトくんに話すと、自分で決められる気がする。なんか、整理されるから」
「それはサクさんが整理しているんだと思います」
「半分はハルトくんのおかげだよ」サクは手を振った。「じゃあ、また来週、仕事として」
「はい」
サクが改札を抜けた。
今日は途中で一度振り返った。小さく手を振った。
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ハルトは改札前に立っていた。
今日のことを頭の中に入れた。
サクの実家の話。アルカナテックとの繋がり。やめない理由が感情でも弱くないという話。見合いの話。研究の申請を出すという話。
全部、残った。
「ハルトくんに話すと、自分で決められる気がする」
改札を抜けた。帰った。
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第三十五話 了




