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好きかもじゃない

第九話 「“好きかもしれない”じゃ、もう誤魔化せない」


 その日の仕事は、過去一で集中できなかった。


「瀬名、これ二重送信してる」


「……あ」


「あとこっち添付漏れてる」


「……すみません」


「重症だなぁ」


 高橋が完全に面白がっていた。


 私は机に額をぶつけたくなった。


 朝のせいだ。


 全部。


 黒瀬さんの「ちょっと嬉しいかも」が悪い。


 何だあれ。


 どういう意味だ。


 こっちは恋愛経験ほぼゼロなんだぞ。


 そんな含みのある言い方されたら、一日中考えてしまうに決まってる。


「で?」


 高橋が缶コーヒー片手に覗き込んでくる。


「何が」


「絶対なんかあった顔」


「……」


「顔赤いし」


「うるさい」


 私は観念して、小声で言った。


「……嫉妬した」


「おお〜〜〜〜〜!!」


「声でかい!」


「ついにそこまで来たかぁ」


 高橋が嬉しそうに笑う。


 私は深くため息をついた。


「最悪だった……」


「何が?」


「自分が」


 私はキーボードを見つめながら呟く。


「別に彼女でも何でもないのに、勝手にモヤモヤして……」


「うん」


「しかも多分、バレた」


「うわ、恥ずかし」


「だから最悪なんだって……」


 高橋はしばらく笑っていたが、そのあと少しだけ優しい声で言った。


「でもさ、それもう完全に好きじゃん」


「……」


 私は黙る。


 否定、できなかった。


 好き。


 その言葉を、もう避けられないところまで来ていた。


 顔を見ると嬉しい。


 会えないと寂しい。


 他の女の人と話してるとモヤモヤする。


 名前呼ばれるだけで心臓がうるさい。


 ——もう十分だった。


「……認めたくない」


「なんで?」


「負けた感じする」


「誰に?」


「昔の自分」


 高橋が一瞬きょとんとして、そのあと吹き出した。


「あははっ、何それ」


「だって私、一目惚れとかバカにしてたし……」


「あー」


「見た目だけで好きになるとか浅いと思ってた」


 でも違った。


 もちろん最初は見た目だった。


 でも今は違う。


 笑い方とか。


 声とか。


 気遣いとか。


 会話のテンポとか。


 ちゃんと、黒瀬さん自身を好きになり始めてる。


「……恋愛って、面倒」


「今さら?」


「感情が忙しすぎる」


「まぁそれは分かる」


 高橋が笑いながら席を立つ。


「でも楽しそうじゃん、瀬名」


「……」


 楽しそう。


 その言葉に、少しだけ考える。


 確かに最近、朝が嫌じゃなかった。


 服を選ぶのも。


 電車に乗るのも。


 誰かに会えるのを楽しみにするのも。


 全部、初めてだった。


 その日の帰り。


 私は駅のホームでぼんやり電車を待っていた。


 人混み。


 アナウンス。


 いつもの景色。


 そして。


「瀬名さん」


「っ」


 振り返る。


 黒瀬さん。


 今日は少し遅かったのか、ネクタイが緩んでいた。


「お疲れ様です」


「……お疲れ様です」


 並んで立つ。


 少し沈黙。


 でも嫌じゃない。


 すると黒瀬さんがふとこちらを見る。


「今日、仕事大変でした?」


「え」


「なんか疲れてる顔してる」


 そんな分かるのか。


 私は苦笑した。


「……ちょっとミスしました」


「珍しい」


「私だってミスくらいします」


「完璧そうなのに」


「してませんよ」


 むしろ今かなりポンコツだ。


 恋愛のせいで。


 ……なんて言えるわけないけど。


 電車が来る。


 並んで乗り込む。


 今日は比較的人が少なかった。


 吊り革を掴みながら、何となく視線が合う。


 すると黒瀬さんが、ふっと笑った。


「そういえば」


「……はい?」


「今日、朝より機嫌いいですね」


「……そうですか?」


「はい。戻った感じ」


 その言葉に、胸が少しだけ熱くなる。


 ちゃんと見てるんだ。


 私のこと。


 そんな風に思ってしまう。


 すると黒瀬さんが、少し迷うように視線を逸らした。


「……あの」


「?」


「もし嫌じゃなかったらなんですけど」


 心臓が跳ねる。


 なんだ。


 何を言う気だ。


「今度、電車以外でも話しません?」


「…………え」


 止まる。


 思考が。


 周囲の音が遠くなる。


 黒瀬さんは少し苦笑した。


「いや、そんな警戒しなくても」


「ち、違……」


「ただ、せっかく仲良くなったので」


 仲良く。


 その言葉が、やけに嬉しい。


「……ご飯とか」


「っ」


 無理。


 その単語の破壊力が強すぎる。


 私は数秒固まったあと。


「……い、いいですけど」


 なんとか絞り出した。


 黒瀬さんが少し目を丸くする。


「ほんとに?」


「……嫌なら言いません」


「いや、嫌じゃないです」


 むしろ。


 むしろ嬉しい。


 でもそんなこと言えない。


 すると黒瀬さんが、安心したみたいに笑った。


「よかった」


 その笑顔。


 もう本当にダメだった。


 私は顔を逸らしながら思う。


 ——“好きかもしれない”じゃない。


 もう完全に、好きだ。


(続く)

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