嫉妬
第八話 「嫉妬とかいう感情、もっとダサいものだと思ってた」
月曜日。
私はホームの柱の陰から、そっと様子を窺っていた。
「……何やってんだろ、私」
自分でも分かっている。
行動が完全に不審者だ。
でも仕方ない。
今日は少しだけ、気まずかった。
——おとといのせいで。
土曜日
黒瀬さんと少し長く話した。
好きな映画の話とか、休日はインドアだとか、コーヒー派か紅茶派かとか。
他人から見たら、本当にどうでもいい会話。
でも私にとっては大事件だった。
特に
『瀬名さんって距離感独特ですよね。』
『……自覚あります。』
『そういうとこ、可愛いと思います』
——あれ。
あれはダメだろ。
何だ“そういうとこ、可愛い”って。
恋愛初心者を殺す気か?
私は日曜日ずっと、その言葉を反復再生して死んでいた。
しかも思い出すたびにニヤけそうになるから最悪だった。
そして現在。
黒瀬さんの顔を見たら、多分まともに喋れない。
「……帰りたい」
だがその時。
「あ」
ホームの向こうに黒瀬さんを見つけた。
今日はネイビーのコート。
相変わらず眠そうな顔。
でも——
「……え」
隣に、女の人がいた。
長い茶髪。
綺麗めなスーツ。
距離が近い。
しかも普通に笑いながら話してる。
「…………」
心臓が、変な沈み方をした。
別に。
別に当たり前だ。
黒瀬さんが女性と話していても何もおかしくない。
会社員なんだから。
知り合いくらいいるだろ。
なのに。
胸の奥がモヤッとした。
嫌な感じ。
ざわざわする。
「うわ……」
思わず小さく声が漏れる。
これ。
これが嫉妬か。
もっとこう、ドラマみたいに激しい感情だと思ってた。
実際は違う。
地味で、みっともなくて、自分の心が少し汚くなったみたいな感覚だった。
私は視線を逸らした。
帰ろうかな。
別の車両乗ろうかな。
でも、その瞬間。
「瀬名さん!」
「っ」
終わった。
見つかった。
黒瀬さんがこちらへ手を振っている。
逃げられない。
私はぎこちなく近づいた。
「おはようございます……」
「おはようございます。珍しいですね、端っこいるの」
「……ちょっと」
黒瀬さんが首を傾げる。
隣の女性もこちらを見た。
「あれ、黒瀬の知り合い?」
「うん。通勤一緒で」
“通勤一緒”。
その言い方に少しだけ安心してしまった自分が嫌だった。
「初めまして〜。黒瀬の同期の結城です」
「……瀬名です」
結城さんは明るく笑った。
綺麗な人だ。
コミュ力も高そう。
私と真逆。
「へぇ〜、この人が噂の」
「余計なこと言うなって」
「え、だって最近ずっと楽しそうじゃん」
「……」
私は固まった。
一方、黒瀬さんは露骨に嫌そうな顔をする。
「お前ほんと黙れないの?」
「だって分かりやすすぎるんだもん」
結城さんがニヤニヤしている。
何だこれ。
どういう状況だ。
脳が追いつかない。
すると電車が来た。
三人で乗り込む。
だが今日は座席前で少し距離ができた。
黒瀬さんと結城さんが並び、私は少し離れた位置。
……いや別にいい。
別に普通。
なのに。
会話が聞こえるたび、胸がチクチクした。
「黒瀬って昔から愛想ないよね〜」
「お前にだけ言われたくない」
「でも最近ちょっと柔らかいじゃん」
「……そう?」
「うん」
楽しそうだ。
当たり前だけど。
私はスマホへ目を落とした。
画面は真っ暗。
何も見てない。
その時だった。
「瀬名さん」
「……え」
顔を上げる。
黒瀬さんがこちらを見ていた。
「今日静かですね」
「……いつもです」
「いや、今日はなんか違う」
ドキッとする。
そんな分かりやすかった?
「体調悪いですか?」
「違います」
「ほんとに?」
「……ほんとです」
黒瀬さんは少しだけこちらを見つめたあと。
「ならいいですけど」
そう言って笑った。
優しい声だった。
その瞬間。
さっきまで胸の中で渦巻いてた黒い感情が、少しだけ薄れる。
……ずるい。
この人、本当にずるい。
そして新宿駅。
結城さんが先に降りながら言った。
「じゃ、黒瀬。またあとで〜」
「はいはい」
扉が閉まる。
二人きりになる。
一瞬、沈黙。
すると黒瀬さんがふっとこちらを見る。
「……もしかして」
「?」
「結城見て、ちょっと警戒しました?」
「っ!?」
図星だった。
私は反射的に顔を逸らす。
「……してません」
「嘘だ」
「してません」
「じゃあなんでさっきから目合わせないんですか」
「……」
終わった。
完全にバレてる。
黒瀬さんは少し困ったように笑った。
「結城、ただの同期ですよ」
「……別に、そういうの聞いてないです」
「でも気にしてた」
「……」
否定できない。
沈黙が答えになってしまう。
すると黒瀬さんが、小さく笑った。
「……ちょっと嬉しいかも」
「……は?」
「いや、なんでもないです」
その言い方。
反則だろ。
私は熱くなった顔を隠すように、無言で俯いた。
——恋愛って、こんなに情けない感情ばっかりだったんだな。
でも。
嫌じゃなかった。
(続く)




