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会えないだけで

第六話 「“会えない”だけでこんなに調子狂うのか」


 金曜日。


 朝六時四十分。


 私は目覚ましより先に起きた。


「……早」


 しかも寝起き一発目に考えたことが、


 ——今日、黒瀬さんいるかな。


 終わってる。


 恋愛に興味ありませんみたいな顔して生きてきた女の思考じゃない。


 私は布団に顔を埋めた。


「重症だ……」


 だが現実は残酷である。


 社会人は恋をしても会社へ行かなければならない。


 私は支度を済ませ、駅へ向かった。


 そして、いつもの車両。


「…………」


 いない。


 私は自然を装いながら周囲を見る。


 でもいない。


 ドア付近にも。


 奥の方にも。


 いない。


 電車が発車する。


 それでも乗ってこない。


「……」


 胸の奥が、妙に静かだった。


 いや違う。


 静かすぎる。


 昨日までうるさかった心臓が、逆に変な感じになっていた。


 私はスマホを開く。


 でも何も頭に入ってこない。


 天気予報を三回開いて閉じた。


 学習しろ。


 もしかしたら遅れてるだけかもしれない。


 一本後かも。


 仕事が早いのかも。


 ……いや別に、毎日会う約束してるわけじゃないんだから。


 当然だ。


 当然なのに。


「……会いたかったな」


 小さく漏れた本音に、自分でびっくりした。


 そのまま会社へ着く。


 だが。


「瀬名、今日死んでるけど大丈夫?」


 高橋が開口一番そう言った。


「……普通だけど」


「普通の人はコピー機の前で五秒固まらない」


 やってしまった。


 私は無言でコーヒーを飲む。


 苦い。


「で? 黒瀬さんは?」


「……いなかった」


「あー」


 高橋が察した顔をする。


「それで元気ないんだ」


「元気ないわけじゃない」


「はいはい」


 否定できないのが悔しい。


 私はパソコン画面を睨みながら呟いた。


「……毎日会えるわけじゃないし」


「まぁ社会人だしねぇ」


「……」


 頭では分かってる。


 でも、たった数日で習慣みたいになっていた。


 朝、電車で少し話す。


 それだけ。


 それだけなのに。


 昼休み。


 私は社員食堂の隅でスマホを見ていた。


 特に通知が来るわけでもない。


 そもそも連絡先も知らない。


 知ってるのは名字と職業だけ。


 なのに。


「……何してんだろ」


 こんなに気になる。


 その時。


「うわ、恋する女の顔してる」


「高橋」


「いや今かなりヤバいよ」


「何が」


「“連絡手段ない人を想ってる女”の顔」


 言い方。


 だが否定できない。


 高橋は向かいに座りながら笑う。


「でも逆によかったじゃん」


「何が」


「会えない日があって初めて、“好きかも”って分かるやつ」


「……」


 その言葉に、返事ができなかった。


 好き。


 その単語を、私はまだちゃんと口にできない。


 でも。


 会えないだけで、一日が妙に物足りなかった。


 夕方。


 仕事を終え、駅へ向かう。


 金曜の夜の人混み。


 疲れた顔の会社員たち。


 私はイヤホンをつける気にもなれず、ぼんやり歩いていた。


 そしてホームへ上がった、その時。


「……瀬名さん?」


「っ」


 聞き慣れた声。


 反射的に振り返る。


 そこにいたのは。


「黒瀬さん……!」


 思わず名前が出た。


 黒瀬さんは少し驚いたあと、ふっと笑う。


「そんなびっくりします?」


「いや、だって……」


 朝いなかったから。


 そう言いかけて止まる。


 重い。


 それを言うのは重い。


 だが黒瀬さんは察したみたいに言った。


「今日、朝から外回りだったんですよ」


「……あ」


「だから時間違って」


 私は一瞬、安心してしまった。


 自分でも分かるくらい露骨に。


 すると黒瀬さんが少し目を細める。


「……もしかして、探しました?」


「っ!? ち、違……」


 違わない。


 めちゃくちゃ探した。


 ホームでキョロキョロした。


 車両も見た。


 完全に探してた。


 黒瀬さんは笑いを堪えるみたいに口元を押さえる。


「すみません。ちょっと嬉しいです」


「……」


 その一言。


 たったそれだけで。


 今日一日ずっと曇ってた気分が、一瞬で軽くなった。


 我ながら単純すぎる。


「瀬名さん」


「……はい」


「今、顔ちょっと緩みました」


「うるさいです」


「やっぱり」


 また笑う。


 私は顔を逸らしながら、小さく息を吐いた。


 ——ダメだ。


 もう完全に、好きになってる。


(続く)

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