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現実に直面

第二十七話 「彼氏がモテるという現実に直面する日」


 風邪が治って最初の出社日。


 私は久々の通勤電車で、静かに社会復帰を噛み締めていた。


「……しんど」


 二日休んだだけなのに、労働への耐性が消えている。


 だが。


 ホームの向こうから歩いてくる人を見た瞬間、少しだけ気分が上がった。


「おはようございます」


「……おはようございます」


 黒瀬さん。


 今日も格好いい。


 悔しい。


「体調大丈夫ですか?」


「はい、もう熱も下がりました」


「無理しないでくださいね」


「……誰のせいで治ったと思ってるんですか」


 すると黒瀬さんが少し笑った。


「ちゃんと治してくれて偉いですね」


「子供扱いが抜けない……」


 でも。


 こうやって普通に隣にいられるのが嬉しかった。


 電車へ乗る。


 いつもの位置。


 自然に近づく距離。


 付き合う前なら考えられなかった。


「そういえば」


 黒瀬さんがふと思い出したように言った。


「今日、帰り少し遅くなるかもしれません」


「……仕事ですか?」


「はい。後輩の資料見るので」


「大変ですね」


「まぁでも、瀬名さんに会えるので頑張れます」


「っ」


 朝から火力が高い。


 私は顔を逸らした。


「……最近、出力調整しなくなりましたよね」


「好きなので」


「その返し便利すぎません?」


「便利ですよ」


 黒瀬さんが楽しそうに笑う。


 悔しい。


 でも好き。


 ◇


 その日の昼休み。


 私は社員食堂でぼんやりスマホを見ていた。


 すると。


「瀬名」


 高橋が向かいへ座る。


「彼氏、めちゃくちゃモテそうだよね」


「…………は?」


 唐突すぎて固まった。


「いや普通にイケメンじゃん」


「……まぁ」


「しかも仕事できそう系」


「……まぁ」


「絶対社内人気あるでしょ」


「…………」


 その発想、今まで意識的に避けていた。


 だって。


 考えたら怖いので。


「え、何その顔」


「……考えないようにしてた」


「うわ、今気づいたんだ」


 高橋がニヤニヤする。


 私は静かに頭を抱えた。


 確かに黒瀬さんは格好いい。


 顔がいい。


 雰囲気もいい。


 距離感上手いし、優しい。


 普通にモテる要素しかない。


「……無理」


「何が」


「急に不安になってきた」


「重」


「分かってる」


 でも。


 好きになればなるほど、“失いたくない”が増えていく。


 それがちょっと怖かった。


 ◇


 帰り。


 私は先にホームへ着いていた。


 黒瀬さんはまだ仕事中らしい。


『少し遅れます』


 LINEを見ながら待っていると。


「あれ、瀬名さん?」


「……え」


 声をかけられた。


 振り返る。


 知らない女性。


 でも。


 首から下げてる社員証で分かった。


 黒瀬さんと同じ会社の人だ。


「あ、やっぱり。この前黒瀬と一緒にいた子ですよね?」


「……はい」


 女性は綺麗系だった。


 明るい。


 距離近い。


 私はちょっとだけ身構える。


「いや〜、びっくりしました」


「……何がですか」


「黒瀬、彼女いたんだって」


「……」


 その言い方。


 やっぱり会社でも有名なんだ。


「結構人気あったんですよ? あの人」


「っ」


 心臓が変な音を立てた。


 女性は悪気なく続ける。


「誘われても全然乗らないし、興味なさそうだったから、みんな“恋愛しないタイプ”だと思ってて」


「……」


「だから社内ちょっとざわつきました」


 無理。


 聞きたくない情報が多い。


 私は曖昧に笑った。


 すると女性が少し笑う。


「でもなんか分かるかも」


「……え?」


「黒瀬、瀬名さんといる時めちゃくちゃ顔柔らかいので」


「っ」


「好きなんだな〜って感じ」


 その瞬間。


 胸の奥の嫌なざわつきが、少しだけ静かになった。


 そしてちょうどその時。


「瀬名さん」


 聞き慣れた声。


 振り返る。


 黒瀬さんだった。


「あ、黒瀬」


「何してるんですか」


「ちょっと彼女さんと喋ってた」


 “彼女”って単語にまだ少し照れる。


 黒瀬さんは私の隣へ来ると、自然にこちらを見た。


「待たせてすみません」


「……大丈夫です」


 すると女性がニヤニヤし始める。


「うわ、距離感違う」


「先輩うるさいです」


「いやでも本当に分かりやすいね黒瀬」


 黒瀬さんが小さくため息をつく。


 その横顔を見ながら、私はふと思う。


 ——この人は、ちゃんと私を選んでくれてる。


 モテるとか。


 人気あるとか。


 不安になる要素はいっぱいある。


 でも。


 今こうして隣にいるのは私だ。


 その事実が、少しだけ自信をくれた。


 すると。


 不意に、黒瀬さんが小さく手を繋いできた。


「っ」


「帰りましょうか」


「……はい」


 女性が「うわ甘い」とか言っていたけど、もうどうでもよかった。


 繋がれた手が、思ったよりずっと温かかったから。

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