翌日
第二十二話 「初キスの翌日、人は正常に仕事できない」
結論から言う。
無理だった。
私は会社のデスクに突っ伏しながら、静かに死んでいた。
「瀬名、魂抜けてるけど」
「……」
「生きてる?」
「たぶん……」
高橋が呆れた顔をする。
でも仕方ない。
昨日。
キスした。
人生初。
好きな人と。
「……」
思い出した瞬間、顔が熱くなる。
無理。
脳が勝手にリピート再生する。
玄関。
近い距離。
優しい声。
柔らかい感触。
『大事にします』
「っぁぁぁ……」
私は机に額をぶつけた。
「え、何? ついにキスでもした?」
「っ!!?」
反応してしまった。
終わった。
高橋がニヤァ……と笑う。
「分かりやす」
「……最低」
「で? どうだった?」
「聞くな……」
「いや聞くでしょ普通」
高橋が身を乗り出してくる。
私は数秒抵抗したあと、小声で呟いた。
「……優しかった」
「うわぁ青春」
「うるさい……」
でも。
本当にそうだった。
無理やりじゃなくて。
ちゃんと私が怖くないようにしてくれて。
確認してくれて。
大事にされてるって、ちゃんと分かった。
それが嬉しかった。
「瀬名、今めちゃくちゃ幸せそうな顔してる」
「……」
否定できない。
悔しい。
◇
昼休み。
私は社員食堂でスマホを見つめていた。
『ちゃんと仕事してます?』
黒瀬さん。
送られてきたのは五分前。
「……そっちこそ」
絶対同じこと考えてるだろ。
私は少し悩んでから返信した。
『一応してます』
するとすぐ既読。
『“一応”なんですね』
『昨日のこと思い出してました?』
「っ!!」
私は即座にスマホを伏せた。
なんで分かるんだ。
エスパーか。
数秒後、観念して返信。
『……少しだけ』
本当はかなり。
だが全部言うのは恥ずかしい。
すると。
『俺もです』
「…………」
無理。
私は顔を覆った。
恋人になってから、この人どんどん火力上がってない?
耐性が追いつかない。
◇
帰りの電車。
ホームで黒瀬さんを見つけた瞬間、昨日の記憶が蘇った。
「……」
「……」
気まずいわけじゃない。
でも。
めちゃくちゃ意識する。
「お疲れ様です」
「……お疲れ様です」
声が微妙に硬い。
すると黒瀬さんが少し笑った。
「なんか今日、付き合う前みたいですね」
「……黒瀬さんのせいです」
「俺?」
「昨日あんなことしたので……」
言った瞬間、恥ずかしくなる。
何だ“あんなこと”って。
語彙力どうした。
だが。
黒瀬さんは一瞬だけ固まったあと、静かに笑った。
「……瀬名さん」
「はい」
「そういう言い方されると、こっちが照れるんですけど」
「え」
「可愛すぎるのでやめてください」
「だから軽率に可愛いって言わないでください……」
電車が来る。
並んで乗る。
いつもの位置。
でも今日は少しだけ距離感が違った。
前より自然に近い。
沈黙も、なんだか柔らかい。
すると。
ふわ、と指先が触れた。
「っ」
見る。
黒瀬さん。
何でもない顔。
でも。
そのまま自然に手を繋いできた。
「……」
「……嫌でした?」
「……違います」
小さく答える。
すると黒瀬さんが、少しだけ嬉しそうに笑った。
「よかった」
その笑顔を見た瞬間。
昨日のキスより前に。
こうやって手を繋ぐだけで幸せだったことを思い出す。
たぶん私は。
触れたいんじゃなくて、“繋がっていたい”んだ。
好きな人と。
そのまま電車に揺られる。
何でもない帰り道。
でも。
黒瀬さんの親指が、そっと私の手を撫でた瞬間。
「っ……」
「瀬名さん、顔赤い」
「……触り方がずるいです」
「そんなつもりなかったんですけど」
「絶対嘘です」
黒瀬さんが笑う。
私はその横顔を見ながら、小さく思った。
——恋愛って、もっと疲れるものだと思ってた。
でも今は。
好きな人といるだけで、毎日が少しずつ優しく変わっていく。




