8 転校生⑧「それができれば苦労しないんだよっ」
三琴と借宿交差点で別れて家に帰った頃には、すっかり日が暮れていた。
俺は急いで米を研ぎ、美悠を駅まで迎えに行き、夕食に豚の生姜焼きを作った。それを食べて、皿洗いを美悠に言いつけ、通販サイトの発送作業を片付けた。
時刻は21時。
ちょっと遅いけど、まあいっか。
スマホを手に取って、亜希に電話を掛ける。
「もしもし、悠生?どうしたの?」
亜希の声を電話越しに聞くなんて、何年ぶりだろうか。
「よう。今から亜希の家、行っていいか?」
「えっ、今から?何かあったの?」
「電話で話せることなら、家に行くとは言わないんだが?」
「別にいいけど。」
「じゃあ、後でな。」
電話を切って、外に出て、自転車に跨る。
亜希の家までは自転車なら十分ほどだ。下り坂だし。
中軽井沢の駅に近い、国道と線路の間にある、まだ新しい一軒家が亜希の家だ。中学二年の時に新築して引っ越したから、築三年になる。
「こんばんは、遅い時間にすみません。」
亜希の両親は子供の頃から知っていて、俺はこの二人への遠慮というものを知らずに育った。
「まあ、悠ちゃん、久しぶり。背が伸びたわねえ。」
とお母さん。
「おう、悠生来たか、高校はどうだ、楽しいか。」
とお父さん。町役場の職員だ。そこそこ偉いらしい。
「そうですね、まあまあです。お邪魔します。」
亜希が中軽井沢に引っ越してからは訪問頻度はぐっと減ったが、それでも何度かお邪魔したことがある。
そのままずんずんと廊下を歩いて、亜希の部屋に行く。
ドアの向こうで、ガタガタと音がしている。慌てて部屋を片づけてるな?
おっと、ノックしないと殴られるんだった。
コンコン。
「悠生?どうぞ」
「おっす。」
亜希はベッドに座って、こっちを見ていた。「何ごと?」という表情だ。
タンクトップにショートパンツ。写真撮って学校で売ったら高く売れそう。
俺は亜希の勉強机のところにある椅子に跨った。
「亜希の顔を見に来た。」
「毎日見てるでしょ?あんたは何かあるとすぐそうやって、」
「今日さ、八木さんと一緒に帰ったんだ。」
遮ってそう言うと、亜希にはそれだけで意味が通じたらしい。
ガバッとベッドに転がって、枕に顔を埋めた。
「圧倒されてて、戸惑ってるってよ。」
「うわー、やっぱり?私、またやりすぎた?そうだよなあ。」
枕に顔をつけたまま、亜希は長く細い両脚をバタバタさせた。
「亜希は全力すぎるんだよ。もうちょっと手加減しろよ。」
バタ足をやめて、亜希は少しだけ顔を起こした。
「それができれば苦労しないんだよっ」
「うん、知ってるけど。」
亜希はゆっくりと体を起こして、元の通りベッドに座った姿勢に戻った。顔は俯いたままだ。
黒く長い髪が顔を隠している。
「俺はさ、亜希みたいに気の利いたことは言えないから、大したことは言ってない。けど、八木さんは俺達の仲間になってくれるってさ。」
亜希は黙ったまま、こくんと頷いた。
「それでよかったか?」
また、亜希はこくんと頷く。
「ん。じゃあ、帰る。」
部屋を出て、居間に戻る。お母さん、驚いている。
「あら、早かったわね。」
「ええ、亜希が荒れたら、水でも掛けておいてください。」
「うん、そうするわ。喧嘩したの?」
「いえ、ちょっとお説教を。」
「いつも申しわけないわねえ。」
「いえいえ、世話になってるんで。」
「そう?どうもありがとう。」
「じゃあ、失礼します。」
亜希と直接話せたのはよかったけど、中軽に来ると帰りの坂道がきついんだよなあ。
自転車を押して歩くほどじゃないが、けっこう頑張らないと失速する。
家に帰るとけっこうな汗を掻いていて、俺は風呂場に駆け込んだのだった。
翌朝、いつもの通り、三バカトリオに三琴を加えた四人で電車に乗りこむと、亜希が先に乗っていた。
車内での亜希と三琴の会話は面白かった。
「三琴ちゃん、ごめんなんだけど、私、生徒会の引継ぎのほうでバタバタしそうなの。文化部のほうは案内できそうになくて。あ、でも興味のあるところがあったら紹介できるから遠慮なく言って。」
「うん、亜希ちゃん、ありがとう。私、やっぱり運動部はやめとこうと思って。部活はもう少し学校に慣れてからゆっくり考えてみる。」
「そうだね、わかった!」
何気ない、普通の会話だが、二人の小さな変化が感じ取れた。
「悠生、何ニヤニヤしてんだよ、エロい夢でも見たのか?」
と優琉に指摘される。こいつはどういうわけか人の表情や雰囲気に敏感だ。
「ステーキの夢でも見たのか?」
と翔太。お前じゃないんだから。
「可愛い子とデートする夢でも見たんでしょ。」
亜希がそう言って笑った。ふん。
「それより亜希は選挙運動とかしなくていいの?」
と優琉が言うと、
「そうだよ、校門の前で一人一人と握手するとかさ。」
と翔太が乗っかる。今では息ぴったりのコンビだ。
明日の全校集会で生徒会役員の選挙が行われる。生徒会推薦の成川亜希に対抗する立候補者はいないから、亜希はすんなり信任されて当選するだろう。
「ちょっとやめてよ、私だってけっこうドキドキしてんだから。」
「「えー、亜希がぁ?」」
優琉と翔太が同時に声を上げる。
「四票は確保できてるから、ゼロではないよ。」
優琉がさらにふざけて、亜希にベシッと背中を叩かれている。
「あ、八木さんも亜希に投票してあげてね。亜希の苗字は成川っていうの、知ってる?」
翔太の言うことはときどきピントがずれている。
「えー、知ってるよぉ。私、亜希ちゃんのお隣の席なんだから。」
三琴が明るく笑って答えた。
御代田駅から学校までは、いつも亜希と三琴が前を歩き、その後ろを三バカが歩く。
一学期まではどうだったっけ。
高校の制服を着た亜希の後ろ姿を見ることはあまりなかったように思うから、俺と亜希が一列目、優琉と翔太が二列目、みたいな感じで四人で歩いていたのかもしれないな。
俺がそんな思いで、前を歩く二人を見ていることに気がついたのか、優琉が身を寄せてきた。
「なあ、悠生、あの二人、昨日までとちょっと違わない?」
「優琉がそう言うならそうなのかもな。」
「なんかあったのかな。」
「さあ。」
「ほほう、悠生がとぼけるってことは何かあったな。」
まったく優琉にはかなわない。横で翔太が大きな体を揺すって笑う。
「悠生の暗躍は趣味だからな。」
「暗躍ってなんだよ、いちいち巻きこんだ方がいいのか?」
「ううん、俺はいいや。優琉は?」
「俺も遠慮しとくー。」
「わかったわかった、そのうち話すよ。」
亜希が急に振り向いた。
「ちょっと、三バカ!何こそこそ話してるのよ!」
俺は思わず立ち止まって直立、両手を広げて肩の高さに上げた。降参のポーズ。
優琉と翔太が、まったく同じポーズで固まっている。
「ぷっ」
と三琴が吹き出して、弾かれたように「あははは」と笑った。




