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42 追分⑥「はい、メリークリスマス」

 電車はやはりかなり混んでいた。軽井沢でクリスマスを過ごしてきたカップルや友人同士が、楽しそうに会話しながら乗っている。


 信濃追分駅でも、いつもよりは少し多い乗客が降りて、連絡橋を渡っていく。

 俺も、その中に混ざって改札口に向かった。


 改札を出たところに、待合室がある。

 端のほうが結露して白く曇ったガラス窓の向こうに、三琴が座っているのが見えた。

 スマホを見ているようだ。


 俺は他の乗客をやり過ごしてから、待合室のドアを開けた。

 ふわりと温かい暖房の風が頬を撫でた。


「あ、悠生君。来てくれた。」


 三琴は顔を上げて、微笑んだ。


「来たんじゃなくて、帰って来たんだよ。」


「うん、そうだね。おかえりなさい。」


 三琴に並んでベンチに座る。


「今ね、亜希ちゃんがメッセージくれたんだ。」


「え、亜希が?」


「うん、そう。えっと、そのまま読むね。『悠生がどんなことでも素直にしゃべるようにしておいたからね』だって。」


 亜希め。まあたしかにその通りだが。


「あ、それと、美悠ちゃんは一本前の電車で帰って来て、明るい道で帰るって言ってた。」


「え、そんな前からここにいたのか。」


「うん、なんか落ち着かなくて…。」


「あはは、そうか。」


 三琴はそれから、唇をきゅっと結んで、瞳を上に向け、宙を見つめた。

 話すことの順序を考えているような表情だ。

 最初の言葉を探しているのかもしれない。


 しばらく黙ってから、三琴は肩から提げていたポシェットを探って、折り畳んだ紙を取り出した。

 それを、何も言わずに俺に差し出す。

 反射的に受け取ったが、何だろう。

 A4のコピー用紙を四つに畳んだような大きさだ。


「あれ、これ。出してなかったのか?」


 それは、進路調査票の紙だった。


「ううん、ちゃんと提出したよ、それはコピー。悠生君に見せようと思って。」


 そう言われて、用紙に視線を戻す。

 第一志望の欄に、「信濃上田大学社会福祉学部」と書かれていた。

 そして第二志望以下は空欄。


「えっ、これ…。」


 いろいろ聞きたいことがあった。


 信濃上田大学は、俺の志望大学だ。

 上田市にある大学で、俺が調査票に書いた「経済学部」にはマーケティング学科がある。

 マーケティングの戦略、戦術論に加えて、デザインやWeb制作、ビジネスライティングなど実務的な講義も充実しているという。


「ちゃんと両親とも話したよ。社会福祉学部には、地域コミュニティコースっていうのがあるのね。誰かを一人にしておかない社会、っていうのかな、孤独を感じる人がいないように支え合う社会の、人材育成とか、仕組みづくりとか、そういうことが勉強できそう、と思って。」


「そ、そうなのか。」


「あっ、ごめんね、急にこんな話して。もちろん、きっかけは悠生君に志望大学を教えてもらったことから始まっていて、同じ大学に行けたらいいな、っていう気持ちで調べ始めたんだ。」


 なんだか、長い話になりそうだ。


「なあ、三琴、もしよかったら、うちに来ないか?ここは寒いし。お茶くらい出せるからさ。」


「え、いいの?ご迷惑じゃない?」


「ああ、大丈夫だよ、親父も美悠もいるけど、それでよければ…」


「うん、ありがとう。」


 俺たちは待合室を出て、夜の坂道をゆっくり歩いて俺の家に向かった。


「ただいま」


 玄関の引き戸を開けると、美悠が走り出てきた。

 俺の帰りが早すぎたから心配したのかもしれない。俺の後ろに三琴がいるのを見つけると、ほっとした顔になった。


「お邪魔します。」


「三琴さん、さっきぶり!」


「うん、ごめんね、急に伺って。」


 三琴を居間に案内して、ソファを勧める。


「あれ、親父は?」


「さっき出かけたー。鳥羽さんのとこだって。」


 鳥羽さんというのは近所に住んでいる親父の友人だ。高校の後輩だったっけな?


「じゃあ、遅くなるな。というか帰って来るかも怪しいな。」


「そうだね。」


 美悠はじっと俺の顔色を窺ってから、安心した表情になって


「じゃあ、三琴さん、ごゆっくりー」


と、言い残して階段を上がっていった。


 俺は三琴に熱いお茶を淹れてあげてから、前に座った。


 さて、と。


「大学の話だったよな。」


「あ、うん。」


「まず気になったんだけど、ご両親はなんて?」


「うん、最初は驚いてた。けど、ちゃんと話したら、志望理由についてはわかってくれた。でもまだ長野には来たばかりだし、大丈夫なのか、って心配はされたんだ。だから悠生君も一緒だから平気だよ、って言って許してもらった。」


「え、そんなこと言ったのか!」


「うん、え、なんかおかしい?」


「いや、おかしいというか、ご両親はよけい心配したんじゃないかと思ってさ。」


「ああ、えーとね、うちでは悠生君の評判はすごくいいから大丈夫。」


と、屈託なく笑う。


「私ね、実はあんまり、自分の将来とか考えてなくて、『何をしたいか』ってことよりも、『何をしなきゃいけないか』ってことを考えてた気がするんだ。…高校生だから学校に行かなきゃいけない、学校ではお友達と仲良くしなきゃいけない、高校を出たら次は大学に行かなきゃいけない、そんな風に考えてたと思う。」


「そうか、なるほどな。」


「この前、悠生君が尾根伝いの話をしてくれて、私もちゃんと考えなきゃ、って思った。今の自分はどこにいて、どんな景色を見ているんだろう、どんな麓をめざして、どこに仮住まいを建てたらいいんだろう…。」


「ああ。」


「うん、それでね、亜希ちゃんに相談したの。」


「え、亜希に?」


「うん、悠生君がそう言ってたから。」


 ああ、そんなことを言ったような気もするな。


「そしたら亜希ちゃんがもうすごくて。」


「あはは、聞いたのか。」


「うん。お父さんが町役場に勤めてらして、だから地方行政のことは少しならわかる、って。でも地方自治体だけじゃ地方は守れない、だから国家公務員をめざす、そのために東大に行くって。もう、ビックリして…。」


「まあ、あいつは特別だけどな。」


「うふふふっ」


「ん、どうした?」


「だって、あの時、悠生君、自分は特殊だから亜希ちゃんに聞いた方がいい、って言ったよ?」


「あははは、そうだったか。」


(ああ、こういうところなんだろうな…)


 俺はふと、三琴に惹かれている理由がわかったような気がした。


 亜希との会話には、いつもどこか緊張感がある。

 それは俺があいつを人として尊敬しているからでもあるし、亜希が「悠生と張り合ってた、勝負していた」と言っていたように、どこか気を抜けない雰囲気があったのだろう。


 でも三琴と話していると、気持ちが柔らかくなって、心から笑うことができる。


「その時、亜希ちゃんね、『私はこの町が大好きだから、この町を守れる人になりたい』って言ってたんだ。それを聞いて、『この町が大好きだから』っていう出発点があるんだな、って思った。」


「ああ、そうだな。」


 そう、あいつはそこを自分の原点にしようとしている。俺たちと過ごしたこの町を、ずっと守っていきたい、そう言っていた。


 亜希は「行ってらっしゃい、悠生」と俺の背中を言葉で押した。

 それは、旅立とうとする自分から、ここに残ろうとする俺への、亜希なりの激励であり、別れの言葉だったのだろう。


「お父さんに話した時にね、最初『この町が好きだから』というのは理由にならない、って言われたの。でも私、亜希ちゃんのことや、悠生君のことを話した。私も、この町が好きだから、まずこの町で考えてみたい、それがもしも、他の地域や、日本中、世界中に通用することだったら、それを広げていけばいいんじゃないか、って。」


「…すごいな、三琴は。」


 三琴は、この町で新しい自分を探そうとしている。そう思った。


「えっ、全然すごくなんかないよ、亜希ちゃんや悠生君が教えてくれたからだよ。それでね、お父さんもわかってくれた。三琴は長野に来てから明るくなって、見違えるほど成長した、って言ってもらえた。」


「でもそれ、三琴が人の意見や言葉を素直に吸収して、柔軟に取り入れてるからだよな。」


「そ、そんな風に言ってもらえると、嬉しいけど、ちょっと恥ずかしいよ。」


「あはは、それで、今日話したかったことは、大学のこと?」


「うん、ひとつはそう。ちょっと待って。」


 三琴はスマホを取り出して、画面を操作して、それから――みるみる顔を赤らめた。


「何を言うか、メモしてきたんだけど…今見返したらちょっと…恥ずかしくて…」


「そうなのか、別に無理しなくていいんだからな?」


「ううん、平気。ちゃんと話せる。」


「そうか。」


 三琴は、一度大きく深呼吸をした。


「この前、悠生君がその…私のことを、好き、になるに決まってる、って言ってくれて…。」


「ああ、うん。」


「あの日の日記にね、あっ、私、あんまり日記に自分の気持ちを書いたりすることなくて、記録というか、事実を書くことのほうが多いんだけど…、あの日は『それはこっちのセリフだよ!』って書いてて。」


「えっ?」


「あの時は、まだここに残るっていう決心がついてなくて、ううん、希望はしてたんだけど、両親を説得する自信がなくて、だから、いつまでここにいられるかわからないっていうか」


「三琴、待って、ちょっと落ち着こう。な?」


「あ、うん、そうだね、落ち着く。」


 そう言って、もう一度深呼吸。

 今度は目を閉じて、ゆっくり息を吐いた。


「私、悠生君が、好きです。」


 今度ははっきりとした口調でそう言った。


「う、ああ。」


 こういう時、どう言えばいいのか、わからなかった。


「へへ」


 三琴は、嬉しそうに笑った。言い終えてほっとしているようだ。


「それとね。」


 そう言いながら、またポシェットを探る。


「はい、メリークリスマス。」


 それは小さな紙包みだった。


「あ、ごめん、俺、何も準備してなくて。」


「ううん、気にしないで。だって悠生君は知らなかったんだから。」


「ああ、悪いな。…開けていいか?」


「うん。」


 包みを開けると、フェルトで作った三角形のマスコットが入っていた。キーホルダー用の金具がついている。

 三角形の上半分が白く、台形状の下半分が茶色くて、オレンジ色で差し色的な飾り付けがされている。


「あ、もしかして浅間?」


「うん、そう!」


 浅間山のマスコットって…。


「私にとってね、悠生君は浅間山なの。」


「え、俺が?」


「うん。振り返るといてくれる。見守っていてくれる。」


 俺は手の中の浅間山をあらためて見た。


 俺は三琴に言ったことがある。「それでも山はここにある」と。

 あの時、三琴は言った。「今はわからないけど、噛みしめてみる」と。


 その想いが、一針一針にこめられているのを感じた。


「私が何かを求めない限り、悠生君は何もしないでいてくれる。ただ見ていてくれる。だから私は安心して、そこにいられる、って思うんだ。」


 翔太から聞いた優琉の言葉を思い出した。

 「恋とは、相手の幸せを祈ることじゃない。幸せにしたいと、自分の力で相手の幸せを作ると、そう強く決意することなんだ。」

 優琉はそう言って、幼い頃から抱いてきた亜希への想いを断ち切ったという。


「あっ、雪だー!」


 二階から、美悠の声がした。

 明日の朝、この町は一面の白い世界になっているのかもしれない。


 三琴が立ち上がって窓に近寄る。

 そして外の景色をしばらく眺めてから、穏やかな笑顔で振り返った。


 俺は、そんな三琴の幸せを、一緒に歩みながら作っていこう、と決心した。

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