38 追分②「悠生が自分で決めることだろ?」
12月の初めの曇り空は、柔らかな光で町の色を落ち着かせていた。
海野宿は白壁や格子戸のある木造家屋など、昔ながらの面影を色濃く残す静かな宿場町だ。
旧北国街道に沿って連なる家々の黒く乾いた木部と白漆喰の対比が、くぐもった光のなかで静かに浮かび上がる。「うだつ」と呼ばれる豪華な防火壁が、家屋の二階から街道に突き出して独特の景観を作っていた。
道の脇には細い用水が流れ、当時の町の姿を強く連想させる。
土曜日の朝、この時季は観光客もまばらで歩きやすい。
張りつめた冬の空気は凛として、この宿場を通っていった人々のさまざまな営みの歴史を厳かに伝えているように思えた。
(なるほど、こんな感じか)
マンホールに切り絵のようなデザインで町の景観が描かれていた。参考にできそうなのでスマホで撮った。
街並み保存地区を一通り歩いたあと、もう一度宿場を通り抜けた。
たまにはこんなしっとりとした時間もいいものだ。
今朝の美悠との会話を思い出す。
「あれ、お兄ちゃん、どっか行くの?」
「ああ、ちょっと出かける。」
「えっ、デート?」
「いや、違うよ。一人。」
「一人で?どこ行くの?」
「それは内緒だ。」
美悠に話したら亜希に通報しかねない。
別に困るわけではないが、今は亜希をそっとしておいてやりたい。
宿場町の保存地区を抜けると住宅地になった。宿場の用水が道の脇に続いていて、まるで現在までの町の変遷を見るようで面白い。
用水は千曲川に流れこんでいるようだ。道も川沿いの道路に突き当たって終わっている。
そこから数分でしなの鉄道の「大屋駅」に着くのだが、駅前広場が見えてきた頃に聞きなれた電車の音が聞こえ、後方に走り去っていった。
(しまった、時刻表を見てなかった。)
気まぐれに歩いてきたから電車の時刻まで気にしていなかった。
スマホを取り出してチェックすると、今出て行った電車の後は50分ほどの時間が空いていた。
(まあ、いいや、もう少し歩くか。)
と思った時に、手の中でスマホが震え出した。亜希から電話だ。
「よう、亜希、どうした?」
「どうしたじゃないわよ、何しているの?」
「散歩。」
「散歩?どこを?」
「今、大屋って駅の近くだな。」
「大屋?小諸の先の?」
「ああ。」
「なんでそんなとこにいるのよ。」
「いや、海野宿って来たことがなかったからさ、ちょっと見学に。」
「海野宿?…あ、もしかしてイラスト描くため?」
「まあな。」
「海野宿の写真なんてネットにいくらでも載ってると思うけど?」
そんなことは言われるまでもない。
「そうだけどさ。」
「悠生ってそういうとこ、真面目というか、こだわりが強いというか…」
亜希は呆れたように言う。
「性分なんだよ。」
「そうねえ。これからどうするの?」
「何も考えてない。とりあえず歩いてる。」
「ふふふっ、もう。」
「もしかして美悠から連絡あったのか?」
「ええ、お兄ちゃんが一人でどっか出かけちゃったよ、って。」
「三つ四つの子供じゃあるまいし。悪かったな、亜希。」
しかし考えてみれば、美悠に行き先も言わずに出かけるのは珍しいかもしれない。
小さい時は誰とどこに行くかを言わないと、「一緒に行く」って駄々をこねたから、今でもなんとなく癖になっている。
「ううん。じゃあさ…」
と亜希は何か言いかけてから、少し間を置いて、
「…なんでもない。気をつけてね。」
と言った。
「ああ、じゃあな。」
何を言いかけたのか、少し気になったが、亜希のことだから自己解決してやめたのだろう。
いろいろ考えることがあって思い悩んでいるような、何も考えずにボーっとしているような、奇妙な気分だった。
「歩く」というのは気がまぎれてちょうどいい。
適度に目の前の景色が変わるから、思考が同じ場所に留まらない。
そのまま千曲川沿いの道を歩きながらスマホで地図を見ると、「旧北国街道」と書かれていた。
先ほどの「海野宿」から、上田城下に向かう道筋、ということだ。
面白くなってきて、そのまま北国街道を歩いてみることにした。
道を間違えて少し戻ったり、ファーストフード店で休憩がてら昼食を食べたりして、上田城下に入ったのは昼過ぎだった。
(せっかくだから久しぶりに上田城も見るか)
上田城で有名なのは南北二つの櫓に守られた「東虎口櫓門」という重厚な門。
注文リストにもあったからイラストにしたのだが、金沢城の門と似てしまっていた。
少し工夫すれば良くなるかもしれない、と思いながら櫓門を見ていると、前から歩いてきた男が俺の顔を見て、顔色を変え、露骨に顔をしかめた。
「あれ、優琉…。」
「よう、奇遇だな、悠生。」
そのまま顔を引きつらせている優琉を、横から心配そうに見つめる女子がいた。
この子はたしか去年同じクラスだった…藤宮綾乃。
「綾乃、悠生のことは知ってるよな。」
「うん、去年、同じクラスだった…」
綾乃の話し方は特徴的で、語尾が小さく消えていくように話す。
たしか小諸市内の旧家の娘だと聞いたことがある。
仕草や話し方に育ちの良さがにじみ出ていて、憧れている男子も多かった。
「悠生、実は俺、少し前から綾乃と付き合ってるんだよ。」
「へ、へえ、そうなのか。」
これ以外の返答の仕方があるなら、誰か教えてほしい。
「あ、俺はちょっとイラストの確認で来たんだ。気にしなくていいぞ。」
「おう、じゃあな。」
優琉が手を挙げ、綾乃が上品に少しお辞儀をして、二人はそのまま俺とすれ違っていった。
(びっくりしたあ)
とりあえず、電話だ。
「悠生?どうしたー?」
のんびりした翔太の声。
「翔太、今上田にいるんだけど、優琉が女連れで、じゃなかった、彼女とデート中で」
「あー、藤宮ね。研修旅行の後から付き合い出したらしいよ。」
「え、知ってたのか。」
「悠生はまだ聞いてなかったのかー。」
「ああ。まったく、初耳だ。」
「悠生には自分で言うって優琉が言ってたから黙ってたけど、まだ話してなかったんだな。びっくりした?」
「そりゃもう、驚いたよ。初めての彼女だよな。」
「一度告白されて、その時は断ったけど、研修旅行の最中に偶然会ったんだって。」
俺はそのシーンを知らないから、きっと二日目の出来事なのだろう。
「それで付き合う気になったってわけだ。」
「なんていうかさ、断ち切りたい想い、っていうのもあったみたいだね。」
「それ、亜希のことか。」
「そうそう。」
優琉が亜希に対して特別な感情を持っていることには気がついていた。
もう何年も前からだ。
「優琉は亜希が好きで、でも亜希は悠生が好きで、悠生は鈍感初心少年でさあ。優琉はいつも大変そうだったから、こういう展開もありじゃないかな。」
そうか、亜希の想いにも、二人は気がついていたんだな。
いろいろなことが、やっと腑に落ちた。
しかし、鈍感初心少年って、ちょっとひどくないか?
「研修旅行から帰った夜にさ、実は優琉が俺の家に来たんだよ。」
たしか、翔太と信濃追分で会って、三琴と三人で話した。あの後、ということだ。
「亜希のことは、自分の中できちんと区切りをつける、って言ってた。」
それはたぶん、二日目に亜希が俺と二人になったからだ。きっと優琉のことだから、それを亜希が仕組んだことに気づいたんだろう。
「優琉は言ってたよ。恋っていうのは、相手の幸せを祈ることじゃない。幸せにしたいって…自分の力で相手の幸せを作るって、そう強く決意すること、なんだってさ。」
「幸せを祈るじゃなく、自分の力で…」
「ああ。優琉は、『亜希の幸せは、祈ることしかできない』って言ってた。だからこれは恋じゃない、って。」
「そうか…」
「亜希も、たぶん悠生の幸せを祈ってる。悠生も亜希の幸せを祈ってる。だから二人の関係も今はまだ恋じゃない、って。」
こういう時、翔太は本当に頼りになる。
自分の気持ちを差し挟むことなく、事実だけを淡々と話せる男だ。
「今はまだ…か。」
「優琉はそう言ってたよ。」
「翔太はどう思う?」
「どうも思わないよ、そんなの。悠生が自分で決めることだろ?」
そうだよな、わかってる。
「ごめん、ちょっと今、時間稼ぎした。」
「あははは、そうだね。」
「わかった、ありがとな、翔太。」
「どういたしましてー。それじゃな。」
こうやって――時は流れていくんだな。
優琉が「悠生、いつまでもわからない、知らないではいられないぜ」と言った言葉を思い出した。
あの時、優琉は言った。
「お前、亜希に『俺は三琴が好きだ』って言えるのか」
俺には、その意味が半分しかわからなかった。
優琉は亜希のことになると、ムキになる。
俺が亜希を傷つけるのだけは許さない、そう思っているかのようだった。
クラスマッチの練習で、俺が三琴に翔太の畑を紹介した時もそうだった。
(ちくしょう…)
俺はなんて恵まれた奴なんだろう。
こんないい仲間に囲まれて生きる資格が俺にあるのだろうか。
俺は久しぶりに、自分のことがひどく憎く思えた。




