33 研修旅行⑨「だって、そんな、急に」
国道を渡って、しばらく歩いたところにある公園に俺は三琴を連れて行った。
芝生の広場と、子ども用の遊具のある公園のベンチに座って、俺は三琴の話を聞いた。
ところどころわかりにくく、相槌を打ちながら質問を挟んだりして聞いたところによると。
三琴には、A子とB子という友人がいた。
一年生の秋、三琴はCという男子に告白された。
そのCは、A子が想いを寄せている相手だった。
相談も受けていた三琴は、交際を断った。
だが、それからCは、しつこく三琴につきまとうようになった。
「ときどき振り返ったら、その人が視界に入ることが増えて、なんだか怖くなって…」
三琴はそのことをB子に相談した。
「誰にも言わないで」と前置きして話したのに、B子はそのことを教師に言いつけ、さらに別の友人にも話してしまった。
Cは教師に叱責され、かつ同級生達からも白い眼で見られて学校に来れなくなった。
「私たち、三人仲良しだって思ってた。でもそう思っていたのは私だけだったの…」
A子は、実はB子を良く思っていなかった。B子もA子のことがあまり好きになれなかった。
A子は、B子に相談した三琴と、B子のことを恨むようになった。
A子が三琴やB子のことを中傷する、事実無根の噂を言いふらすようになった。
だが、誰もその噂を信じることがなく、今度はA子が孤立していった。
「みんなが、私に同情して、慰めてくれて…」
それが三琴には、A子への当てつけのように思えたらしい。実際、そういう部分もあったのだろう。
「私が学校に行かなければいいのかな、って思っちゃって。行かずにいたら、ますます行けなくなって…」
そうか、それでか。
クラスマッチの競技が決まった時、三琴は「同情されたのかな」と悩んでいた。
そして、俺もその言葉に強く反応して、きっぱりと否定したのを覚えている。
「昨日ね、そのことを思い出して、ちょっと不安になったんだ。」
「不安に?」
「この町に引っ越してきて、悠生君たちに出会って…まだそんなに長い時間じゃないけど、悠生君はいつもそばで私を支えてくれた。」
「そんな大げさなもんじゃないよ。」
「ううん…。なのに、私の言ったことのせいで悠生君のことが噂になっちゃって。」
「ああ、あれか、そういえば忘れてたな。」
研修旅行のグループで亜希と三琴と一緒だったのはまずかったかもしれない、と今さら思った。
そして、優琉と翔太と、軽井沢のレストランで話したことを思い出した。
三琴の名前を呼べない俺を、彼らは「恋の始まり」と言った。
俺は「ちゃんと考えてみる」と約束した。
強歩大会以来、俺は三琴のことを名前で呼べるようになった。
呼べるようになってからは別に特別な感慨もない。ただの「呼び名」、ただの「呼び方」だ。
俺は急に笑いたくなった。
「あはは、考えたんだけどさ。」
「えっ…、うん。」
「あの噂って、亜希と三琴が「心に決めた好きな人」というのが俺、っていう話だよな。」
「うん、そう。」
「それ、俺にとっては名誉な話だけど、別に俺が両天秤かけて二人を洗脳してるって話でもないし、まして二股かけてる、って話でもないし、俺に実害はないよな?」
「えっ、だけど、この前の小野君みたいに」
「突っかかってくる奴がいるって?」
「うん…」
「そんなの実際に突っかかってくればわかるよ、ああ、こんな奴か、って。」
「やっぱり、悠生君は強いなあ…。私なんて噂されてるだけで縮こまっちゃうのに…。」
「そうか?三琴だって噂されてるけど、堂々としてるだろ。」
「えっ?」
「え?」
「私が、噂されてる?」
「いやいや、あの噂は三琴が下田を好きなんじゃないかって噂だろ?」
「あ、そうか…それは考えてなかった。」
「あははは、だからさ、気にすることないんだって。」
「うん、わかった。」
やれやれ、一件落着か、と俺は思ったのだが。
「あっ、それでね…」
と、三琴は言葉を続けた。
「不安、って言ったのは…」
「ああ。」
「私はずっと悠生君を頼って、甘えていて、悠生君は親切にしてくれて、この前も私は同情なんてされていない、って言ってくれた。」
「そうだな。」
「だけど、悠生君はどうなんだろうって。」
「えっ、俺?」
「うん、考えてみたら、私が転校前に不登校になったのを知っているのは悠生君だけで、転校の理由も悠生君しか知らなくて、悠生君は、私に同情しているのかな、って。」
「ば…」
ばかやろうとか、ばかものとか言いそうになった。
「ばかなことを言うもんじゃないよ。」
慌てて取り繕ったけど、大丈夫だったかな。
でも、これはちゃんと話さなくてはいけない、と思った。
「えっと、まず、俺は、不登校を悪いと思わない。学校なんて、行かなきゃいけない場所じゃない、と思ってる。行きたければ行く、行きたくなければ行かない、その程度の場所だと思う。だから、不登校になった三琴をかわいそうとは思っていない。」
俺の声音に、ただならぬものを感じたのか、三琴は黙って、こちらを見た。
そう、たぶん初めて、俺は三琴に本心を語ろうとしていた。
「俺、小学校二年生の時、お袋が死んでさ…」
「うん…」
「同情された。お母さんがいなくて寂しいでしょう、悲しいでしょう、ってさ。当時の俺はそれに反発していたかもしれない。寂しさも悲しさも、俺は押し殺して、同情されない人でいる、って思ってたかもしれない。」
「うん…。」
「だけど、ある時、自分が悲しくも寂しくもない、ってことに気づいたんだ。それは、優琉や翔太や亜希や、亜希の両親、翔太の両親がいて、うちには親父も美悠もいてさ。まるで寂しくなんかなかった。」
そうだ。まるで大きな家族の中で暮らすようで、俺は寂しい思いなどしたことがない。
それは周りの大人たちからしたら、同情だったのかもしれない。
だけど俺には「同情されること」なんて何もなかった。
「でもそれって、すごく冷たいだろ?亡くなったお袋がかわいそうだろ?ある時、そんな自分が、とても恐ろしくなった。俺はなんてひどいやつなのか、って思った。」
三琴は身じろぎもせずに、俺の話を聞いてくれていた。
「俺はさ。きっと、自分の内面とか本心を覗くのがすごく下手なんだと思う。」
言いながら、どこか違和感があった。
「違うな…なんだろう…怖い、のかな。」
うん、そのほうがしっくりくる。
「うん、そうだ、俺は自分の内面を、自分で見るのが怖いんだ。自分の本心を覗くことが怖くて、自分の気持ちを知りたくないんだと思う。」
「自分の本心を…」
「そう。俺は、うわべだけで考えた、当たり障りのない気持ちを、自分自身にも本心だって偽って、生きてきたんだ。」
――昨日までは。
その俺の心の殻は、昨日、亜希にぶっ壊された。
「じゃあ、悠生君が私に優しいのは、同情じゃなくて…、当たり障りのない気持ち…?」
「あはは、そうきたか。」
「えっ」
「ここからは、説明するのがすごく難しい。やったことないから。」
「うん…」
「俺さ、三琴のこと、なかなか名前で呼べなかったんだ、実は。」
「うん、それは知ってた。」
「え、気づいてた?」
「それはわかるよー。優琉君も翔太君も呼んでくれるのに、悠生君は呼んでくれなくて、だんだん、自分から話しかけてもくれなくなって。」
「あ、ごめん、そうなんだよ。名前で呼べなかったから、話しかけづらくて…」
「強歩大会で、私がウサギやって、疲れて寝てたら、やっと呼んでくれた。」
「寝てたら、って。倒れてると思ったんだよ。」
「えへへ、うん。頑張った甲斐があった。」
「…まあいいや。それまで呼べなかったのはさ、なんか照れくさくて、恥ずかしいような気がしたからなんだ。」
「うん、そうかなとは思ってた。」
「で、優琉と翔太にそう言ったら、『悠生、それは恋の始まりだ』って言われた。」
「ふふ、うん、言いそう。」
「そうだろ?…でもさ、たぶんそうなんだよな。」
「えっ…?」
「考えてみればさ、三琴みたいに可愛い子から頼られたり、秘密を打ち明けられたりしたら、そりゃ、好きにならない方がどうかしてる。」
三琴はみるみる顔を紅潮させた。
「あ、ごめん、平気か?」
「えっ、だって、そんな、急に」
やっぱり俺は言葉選びが下手くそだ。
「三琴は大事な仲間なんだから、困ってたら手助けする。好きな子に手助けをするのはいやじゃない。」
「う、うん。」
「だから、これは同情じゃない。」
「えっ」
「当たり障りのない、うわべだけの気持ちでもない。」
これで、わかってもらえただろうか。
三琴は目を丸くしていたが、その瞳は優しい形に変わった。
「ふふふっ、終わり?」
「え、うん。」
「やっぱり悠生君って…あははは、おかしな人」
あ、と気がついたけど、もうどうにもならない。
これでは昨日の亜希と同じだ。
「うん、そうだよね、同情されてるかもって、不安って言ったのは私だもんね。」
三琴はしばらく笑いをおさえるのに苦労していたが、やがて真面目な顔になって、
「うん、わかった。ありがとう、悠生君。」
そう言って、天使のような優しい表情で微笑んだ。




