30 研修旅行⑥「それはあとで教えてあげる」
「あ、そこで曲がって」
後ろから亜希が言うから、左に曲がって振り返る。
「こっちか?」
「うん、そう。」
俺たちは「九谷焼美術館」を出て、大聖寺駅に向かっていた。
「おなかすかない?」
「ああ、たしかに。そろそろ昼時だな。」
「あそこなんてどうかしら。」
見ると少し前方に、レストランらしき看板が見えた。ランチの案内看板が出ている。
「ああ、いいな、ここにしようか。」
中に入ると、アットホームな雰囲気で、レストランというよりは町の食堂だ。
「あ、私、ランチプレートにしよう。悠生は?」
「俺もそれでいいかな。」
「わかった。…すみません、ランチプレートというのを二つお願いします。」
二つの施設でもらったパンフレットを、二人で見直す。
ネットにも情報はあるだろうが、現地でもらうパンフレットにはより現実味がある、と思う。
それは「訪問を考えている人」へのメッセージと、「実際に訪れた人」へのメッセージの違いなのかもしれない。
勉強になる。
しばらく二人で、見学の感想を言い合ったり、それをパンフレットに書きこんだりして時を過ごしていると、やがて料理が運ばれてきた。
トレーに小さな小鉢がたくさん並べられていて、そこに少量ずつの料理が彩り豊かに盛りつけられている。
刺身や煮つけなど海産物が中心のようだ。
「悠生、美味しい海鮮が食べたいって言ってたよね。」
亜希は種類豊富な小皿をうれしそうに眺めながら言う。
さっきから俺の中でくすぶっていた違和感は、はっきりとした疑念に変わっていた。
「なあ、亜希、ちょっと変じゃないか?」
「何か変?」
「亜希、この店のことも調べてあったのか?」
「駅の近くには食べるお店があまりないみたいなのよ。」
と、さっそく味噌汁のお椀を取り上げている。
「そういうことじゃなくてさ。俺と来ることを前提に調べていないか?」
「そうよ?だって、二日目に悠生と行動することは決まってたじゃない。」
「いや、なんとなくなんだけど、最初から俺と来るためにいろいろ計画していたような気がするんだよな。」
俺の直感のほうがおかしいのはわかっている。
この町のことを紹介してくれたのは地元高校の生徒会だし、別行動することは全員で相談したことだ。
組分けもくじで決めた。
しかし、それはどれも、亜希が主導したことで、俺たちは反対することもなく、それに従った。
「ふふっ」
亜希は肩をすくめていたずらっぽく笑ってから、
「それはあとで教えてあげる。」
と言った。
やっぱり…。亜希は「あとで教える」と言うが、俺はそのからくりや理由を知りたかったわけではない。
亜希のことだから、何か考えていることがあるのだろう。
ただ、なんだか騙されたような、亜希の手の平の上で弄ばれたような感覚を、俺は少しだけ不快に感じていた。
でも、思いのほか素直に亜希は白状した。
問い詰めようと思っただけに肩透かしを食らったような気もするが、不思議なことに、そうだとわかってしまうと不快はきれいに消え去った。
「んー、このお刺身、すごく美味しい。」
亜希は無邪気に感激をあらわしながら、小皿の料理を口に運んでいる。
(まあいいか。俺も十分楽しんでるし。)
大聖寺は中山間地か盆地のように自然との調和が感じられる町だ。
海岸までの間に小高い丘陵地があるせいかもしれないが、距離的には海が近い。
橋立漁港や塩屋漁港という近隣の港から新鮮な魚介を仕入れている、とメニューに書かれていた。
たしかに刺身は口に入れると、潮の香りが広がるようなみずみずしさを持っていたし、味噌仕立てのあら汁も風味が豊かで美味しかった。
高校生のお財布にもやさしい、お手頃価格だったのも嬉しかった。
俺たちは大聖寺駅から再び電車に乗り、次の目的地をめざした。
金沢行の電車から富山行に乗り換え、津幡駅に着いたのは14時前だった。
亜希の説明によると、ここからは少し強行軍になるという。
津幡は北国街道の宿場として栄え、小矢部から富山方面に向かう北国街道と、羽咋から七尾や輪島にいたる能登街道の分かれ道になっていた町だ。
中山道と北国街道の分かれ道となっている信濃追分と似たような成り立ちの町ということになる。
そんな津幡の町を抜けて向かったのは、河北潟干拓地、というところだ。
かつて日本海に面した潟湖だった河北潟は、浅い水域が広がり、漁業や葦原の風景が見られる場所だった。
戦後、食糧増産政策のもとで大規模な干拓事業が進められ、今は見渡す限りの平坦な土地で乳牛の飼育や野菜栽培が行われている。
干拓地の入口となる橋の上からは、たくさんの水鳥たちが見える。渡り鳥なのかもしれない。
潜っては水面に顔を出すという動作を繰り返し、ときどき魚をくわえて出てくる。
そんな姿を見ながら橋を渡る。薄雲に覆われた空の広さが際立って、山国では見られない風景だ。
刈り取りを終え、淡い土色をさらす田畑が果てしなく続き、地平線まで続くような直線の農道が縦横に走っている。
干拓地の南端は、母恋街道と名づけられているようで、葉を落とした桜の木が無数に並んだ並木道になっていた。潟からの風を防波堤が遮ってくれているのか、風の冷たさはさほど感じない。
「すごいね、悠生、こんな広い農地。北海道みたいじゃない?」
「北海道、見たことないだろ?」
「そうだけど、イメージよ、イメージ。」
スマホで写真を撮ってみるが、土地の広大さや奥行きを伝えられる自信がない。
冬に備えて、刈り取られた牧草を円筒状に丸めてラッピングしたものが、石垣のように並んでいるのも見える。
「あれ、なんだっけ、なんとかロール…」
「ロールベールラップサイロじゃなかったか?」
「そうそう。悠生、よく知ってたね。」
「亜希が昔、あれ見るとロール、ロールって指差しててさ。それで正式名称を調べたことがあっただろ?」
「あ、そうだった!ふふ、懐かしいね。」
「それより、亜希、このまっすぐな道、ずっと歩くのか?」
「そう、悠生は歩くの得意でしょ?」
「得意じゃないけど、誰かさんが主催した強歩大会で鍛えられたからな。」
「ふふふふ、あれよりは短い距離だから大丈夫。」
それでも1時間以上は二人で歩いた。
放水路を渡ると、道の駅があった。その名も「内灘サンセットパーク」。
海に沈む夕日が眺められるスポットのようで、展望台があった。
トイレ休憩のあと、暖房の効いた休憩所のベンチに座り、売店で買ったフィナンシェのようなお菓子と温かい缶コーヒーで小休止。
「亜希、疲れてないか?」
「うん、まだ平気。」
「ここから駅まで歩いて、宿に帰ってもいいぞ?」
「ダメよ、これからがメインイベントなんだから。あ、時間、行こ、悠生。」
時計を見て慌てて立ち上がった亜希に、手を引かれる。
「時間って?」
「日没時間!海で見たいの!」
「曇ってるからどうかなあ」
「行ってみないとわからないでしょ!」
手を握ったまま、どんどん引っ張られる。
たしかに、頭上は曇り空だが、西の空はいくらか明るいようにも思える。
今日最後の目的地は「内灘砂丘」だ。
「あ、そうだ、砂丘のこと、調べたわよ。」
そういえば打合せの時、「砂丘といえば鳥取だよな」という話から、砂浜と砂丘の違いを調べることになっていた。
「砂浜はね、波が運んだ砂が集まったところ、で、砂丘は風が運んだ砂が堆積したところなんだって。」
「え、それだけ?なんか似たような感じもするけどなあ。」
俺たちは並んで歩いていたが、亜希は握った手を離してくれなかった。
暖かいから都合がいいのだろう。まあ、振りほどくほどいやなわけでもない。
「風が運んだ砂は小高く山になるから、それで砂丘なんだって。砂浜は波が運ぶから平坦でしょ?」
「ああ、そういうことか。」
波の高さ以上には積もらないのが砂浜の砂、ということか。
海なし長野県民にはうまく想像ができない。
しばらく歩き、自動車専用道路「のと里山道路」の下をくぐると、海辺に出た。
砂交じりの道が昇り傾斜を作っていて、その先は空だ。やはり雲が多い。
傾斜を上がりきると、目の前に広大な砂浜が広がった。
砂浜の手前に砂山がなだらかな起伏を作っていて、草が茂っている部分がある。
(これが砂丘ってことかな)
と眺めていると、亜希が俺の手を離して、駆け出した。真っすぐに波打ち際に向かっていく。
何か叫んだようだったが、風にかき消されて聞こえなかった。
俺は歩いて後を追った。
砂浜は波打ち際まで見た目以上に広くて、さすがの亜希も途中で走るのをやめたから、じきに追いつくことができた。
この海岸の砂は細かいようで、歩いても足がめりこむようなことがない。
昔行った湘南の海よりも歩きやすく思った。
砂浜に車のタイヤ痕がいくつもついているから、車でも走れるようだ。
能登には「千里浜なぎさドライブウェイ」という砂浜上の道路があって、観光バスが走る写真を見たことがあるが、ここも同じような質の砂なのだろう。
亜希は波打ち際に近い砂の丘に腰を下ろした。
俺も並んで座って背中のリュックを下ろす。
「ん。」
亜希にカイロを渡す。日没の時刻はもうすぐのようだ。
気温が急激に下がっていくだろう。
「ありがと。」
亜希は静かに言って、素直に受け取り、包装を破った。
雲の隙間から、数本の光の筋が海面に落ちて、神々しい景色を作っていた。
波の音、風の音で、その他の音が遮られて、静寂のような空間だ。
リュックから、例のバスタオルを取り出す。
「これも。」
と言って亜希に渡す。
「あ、悠生のバスタオルだ。まだ持ってたんだ。」
「昔のやつとは違うからな、ちゃんと代替わりしてる。」
「あはは、そういう意味じゃないけど、そうなんだ。」
亜希は前に足を投げ出して、その上にバスタオルをかけ、風に飛ばないように膝の下に折りこんだ。
「これで覗かれなくてすむわ。」
と笑う。
西の空の雲の下に、太陽が姿をあらわして、夕日が届いた。
「あっ、おひさま…」
亜希が小さく言い、そのまま日の光を見つめる。
俺はなぜかその横顔を見ているのがためらわれて、西の水平線に視線を戻した。
雲から出てきた太陽は、驚くほどあっけなく水平線にかかり、それからゆっくりと、だが着実にその面積を減らしていく。
やがて小さくなって、一瞬だけ名残のように水平線に光の筋をきらめかせて沈んでいった。
「あー、沈んじゃった…」
「この風景だけは太古の昔から変わらないんだろうな。」
「そうだね、私たち、地球を見てる感じだね…。」
それから、沈む太陽を見送った西の雲が、オレンジ色に光り始めた。
雲の薄くなったところが赤紫色のような色合いになったあと、雲全体が赤く染まったが、数分でその色は褪せ、やがて灰色に変わっていった。
俺たちは写真を撮るのも忘れて、ただ黙ってその光景を見ていた。




