29 研修旅行⑤「楽しいに決まってるじゃない」
電車はずっと並行していた新幹線の高架から離れてまもなく、手取川を渡る鉄橋に差し掛かった。
「あ、悠生、見て、あれ海だよね。」
亜希が車窓からの風景に声を上げる。
「そうだな、あの高速道路の向こう側が海みたいだ。」
と言っても、線路は海沿いに走っているわけではないので、わずかに波打ち際が見えただけだった。
「IRいしかわ鉄道線」は、新幹線開業に伴って、JR北陸本線が第三セクター方式の私鉄になった鉄道路線だ。
旧信越本線の線路を受け継いだ「しなの鉄道」によく似ている。
研修旅行2日目の朝、俺は亜希と二人で電車に揺られていた。
ほかのメンバーはいない。亜希と二人きりだ。
なぜこんなことになっているのかというと、話は研修旅行前まで遡る。
最終的な観光ルート、もとい、取材ルートを決める、という打合せに、亜希が大量の資料を持ってきた。
「石川県内の高校にいくつか電話したら、三つの高校が協力してくれたの。」
いったい何校に頼んだんだ、亜希のやつ。
「海がなくて山ばっかりの長野県の人が観光して楽しめるような穴場的スポットがあったら教えてください、ってお願いしたのよ。そしたら、けっこうたくさん送ってくれて…」
観光パンフレットに付箋や目印をつけてくれたものや、わざわざ簡単な解説を添えた資料にしてくれているもの、メール文の出力など、形はさまざまだったが、手間をかけて協力してくれたことがよくわかる。
「それで、この中で面白そうな場所をまとめたのが、これ。」
亜希が作成した資料は、A4の紙に3枚、びっしりと候補地が書かれていた。
観光施設や観光地の概要、なぜ長野県民にとって魅力があるのか、という解説が書いてある。
「もうこれだけでも提出できるレベルだな。」
と、優琉。
「ダメよ、ちゃんと現地に行ってたしかめて、私たちなりの感想をちゃんと書かないと。」
「ああ、わかってるって。」
「ただね、ちょっと困ったことがあって。」
「困ったこと?」
亜希がもう一枚取り出したのは、これらの候補地をプロットした地図だった。
「見てもらうとわかるんだけど、金沢市街の周辺だけじゃなくて、電車で移動しなきゃ行けないような場所もあるの。」
「そうだな。でも、ここなんかもう金沢観光の範囲を超えてないか?」
金沢市からはだいぶ南西に離れた、石川県の端のほうに、二つのピンが立っている。
「うん、これはさすがに候補にならないかな、と思ったんだけど、この資料の場所なのよ。」
五人が資料に目を通す。
「なるほど…、たしかに長野県民にとって面白そうだな。」
俺が感想を漏らすと、他のメンバーも同意した。
「だけど問題があって、全部回るにはどうしても時間が足りないの。」
たしかに。
「二班に分かれるか。」
「うん、それが一番現実的だと思う。どうかしら。」
もともと別行動を前提に結成されたグループもあるくらいだから、ルール的には問題ない。
俺たちはなんとなく全員行動を想定して話し合いをしてきたが、それに拘る必要もなかった。
「それで、一応、案を作ってみたのだけど。」
少し離れた南西のポイントに移動する二人と、市街地周辺と海岸方面を取材する四人に分かれた案だった。
「これ、なんで三人ずつじゃなくて、四人と二人なんだ?」
「そのほうがいいの、こっちも見て。」
四人のほうの班は、途中でさらに二つに分かれて、別の場所を視察する計画になっていた。
そちらは場所が近いから、すぐにまた合流して次のポイントに向かうことができる。
「そういうことか、で、どう分かれるのがいいんだ?」
「それは考えてないわ。というか、どういう組み合わせでも、このメンバーなら大丈夫じゃない?」
それはそうだな。二人班になったとして、ペアの相手が誰であっても俺はかまわない。
「あ、でも希望があったら言ってね。特に、ペアになりたい人がいれば。」
いや、亜希、そんなこと言えないだろうし、言わないだろう。
「特になければ、くじにしたいと思って。それも作ってきたの。」
どこまで用意周到なんだよ、さすがは全力少女だ。もちろん、誰も文句はない。
「と言っても簡単なものよ?」
几帳面に折り畳まれた紙片が六つ、机の上に並べられた。
「一つずつ取って。」
「ああ。」
最初に優琉が手を伸ばし、西園寺、三琴、紬、と紙片を取り上げた。
特にその順番に理由はなくて、たまたま座った席の順に、時計回りに取っただけだ。
紬の隣は亜希だったから、次に取るのかと思ったら、亜希は残った二つの紙片を両方取って、
「はい、右と左、どっちがいい?」
と俺に見せる。どっちでもいいよ、そんなの。
「じゃあ右」
「はい、どうぞ」
渡された紙片を開くと、「2」と書かれていた。
「俺は4だな。」
と優琉。
2と4?ああ、人数のことか。
「4は四人の班、2は二人の班なの、あ、私も2だわ。」
俺と亜希が二人組、優琉、西園寺、紬、三琴が四人組、と決まった。
そんな経緯で、俺は亜希と二人で、福井県との県境に近い「大聖寺」という町に向かっていた。
金沢からはおよそ1時間弱。
電車でも来られるし、レンタカーで訪れる人もいるだろう。
金沢観光ガイドしては「一足伸ばせばこんなところも」といった紹介にできそうだ。
その大聖寺で亜希が選んだ候補地は二つ。
午前中にその二つを見学した後、またこの電車に乗って、今度は金沢を通り越し、北西側の「津幡」という駅まで移動することになっている。
「亜希と二人になることなんて、考えてみると久しぶりだな。」
「そうね。」
「ま、自分で考えたプランで、しかも自分で作ったくじでハズレを引いたんだから自業自得だな。」
「あら、ハズレとは思っていないけど、悠生はそう思うの?」
「俺は二人組になる可能性も覚悟してたし、その場合に誰と一緒でもいいと思ってたよ。」
「ならいいじゃない。」
「俺はいいけどさ、研修旅行なんだし、亜希は大勢で回ったほうが楽しいかなって思って。」
「私自身はそんな風には思ってなかったけれど、じゃあ、私がこっちになってよかったわ。」
亜希はそう言って微笑んだ。
「だけど、亜希、生徒会だって忙しいだろうに、いろいろと用意させて悪かったな。」
「そんなに苦労していないし、手間もかけてないわよ。楽しかったし。」
「そうか、それならよかった。」
そんな会話をしているうちに、電車は大聖寺駅に到着した。
駅前広場を抜けて、地方都市らしい素朴な町並みのなかを歩く。
道路の中央には、地下水で路面の雪を解かす消雪パイプが敷かれているから、雪の多い土地のようだ。
電車の車窓から見えた白山連峰も、すでに雪を頂いていた。
あいにく天気は今ひとつで、薄曇りの空。ところどころに青空も覗いているから、雨の心配はなさそうだが、気温はあまり高くない。
「ずいぶん風情のある町だな。」
市内を流れる川の岸辺の草木は葉を落としていたが、夏には濃い緑に覆われるのだろう。
川沿いの遊歩道を歩く。きちんと護岸されていて、歩きやすく整備されていた。
ところどころにススキの穂が白く残っている。
「亜希、寒くないか?」
制服の上にコートを羽織った亜希に聞く。
「うん、タイツ履いてるから平気。」
「カイロもあるぞ?」
「うん、あとで寒くなったらもらうかも。」
「わかった。」
最初にめざすのは「日本百名山」を著した深田久弥の記念館だ。
金沢からわざわざ足を伸ばしたのは、長野県内には百名山が多いし、登山の愛好家も多いからだ。
浅間山も百名山のひとつに数えられている。
「深田久弥 山の文化館」と表札のかかった門をくぐると、真っ赤な前庭だった。
赤いモミジの葉が落ちて、苔の地面を彩っている。
「きれい!あ、悠生、写真撮ろ?」
「そうだな。」
今日は撮影係の紬がいないから、スマホで写真を撮る。
亜希も隣に並んで、スマホを取り出して、
「はい、笑って」
と、目の前に掲げた。
「なんで俺たちの写真を撮るんだよ。」
「いいから、ほら」
うまく笑えないが、大人しくレンズを見て写真に収まる。
みんなの前では俺に当たりの強い亜希だが、今日はいつもより明るく、子どもの頃に戻ったようにはしゃいでいる。
(二人でいる時はこんな感じだったな。)
中学二年の秋、中軽井沢に引っ越すまで、亜希は二軒隣に住んでいたから、優琉や翔太よりも近い存在だった。小学校には毎日、美悠を入れて三人で通っていた。
今となっては遠い過去の記憶だ。
この「深田久弥 山の文化館」は、作家であり登山家でもあった深田久弥の足跡を伝えている。
彼の生涯や、山に寄せた思いが、写真や資料を通して丁寧に紹介されていた。
館内は決して広くはないが、展示との距離が近く、中年の男性スタッフも親切に案内してくれた。
山という存在に向き合った作家の言葉一つひとつが、静かに受け継がれていくのを感じられる施設だった。
再び町に出て、少し歩くと、時を告げる鐘堂の先に彼の生家があった。
「紙・印刷 深田」と書かれた日本家屋で、隣に「深田印刷部」という看板のかかった作業所のような建物が隣接している。
「そういえば、紙を商ったり印刷をしたりする家の生まれって書いてあったな。」
「親近感が湧くでしょ?」
亜希の口ぶりが、まるで俺と来ることを前提にしていたようにも聞こえた。
「まあ、少しね。」
下田家も昔はこんな感じだったのかもしれない。
「亜希は知ってたのか?」
「えっ、何を?」
「いや、深田久弥の生家がこんな雰囲気だってことさ。」
「そうね、少しは調べたからね。ね、写真、撮ろ?」
亜希は笑って、また俺と二人で並んだ写真を撮った。
「ほら。」
と見せられた写真には、情緒豊かな日本家屋を背景に、ぎこちない笑顔を作った俺と、嬉しそうに笑う亜希が写っていた。
この町のもう一つのスポットは「石川県九谷焼美術館」。色彩豊かな九谷焼の魅力を伝える施設だ。
江戸時代にこの地で花開いた磁器文化は、赤や緑、金を大胆に使った華やかな絵付けで知られ、展示室には繊細さと力強さを併せ持つ作品が並んでいる。
「私、九谷焼って金沢城下で発祥したものと思っていたのよ、勝手に。」
「そう言われてみるとそうだな。昨日もよく見かけたし。」
金沢の市街にも、特産品として九谷焼の陶器を展示販売する店が多かった。
江戸時代、当時の大聖寺藩で興った九谷焼は今は「古九谷」と呼ばれる。一度は廃れたものの、江戸後期に復活し、現在の加賀市、小松市、金沢市などで発展していったという。
明治期には盛んに輸出され、海外でも有名になった。
「絵付けが細かくて綺麗ね。」
「まあ普段使いじゃないけどな。」
こんな煌びやかな皿に盛りつける料理は作れそうにない。
「前から聞こうと思ってたんだけど、悠生って家事、好き?」
「家事が好きな男子高校生なんているのか?」
「でもあまり苦にならないでしょ?」
「うーん、あんまり考えたことないけど、俺がするしかないしなあ。」
親父も美悠もあんなだし。
「それに、料理するのは嫌いじゃないかな。」
「そうなんだ。」
「ああ、食べるとなくなる、っていうのが実にいい。」
「えー、どういうこと?」
「ほら、物を作る趣味って、後に残るだろ?だけど料理は残らないからさ。失敗は忘れられるし、成功したらまた再現する楽しみがある。」
「あはは、悠生らしいわね。」
亜希はにこやかに笑って、また歩き出した。その後ろ姿が、とても楽しそうに見えた。
「亜希、なんだかご機嫌だな。」
亜希は振り返って、俺と目を合わすと、
「それはそうよ、楽しいに決まってるじゃない。」
と、幸せそうな笑顔で言った。




