27 研修旅行③「やっぱり、おかしな人…」
何かあったのだろうか。
三琴は今にも泣き出しそうに俯いている。
それに、トレーナーの上に長めのカーディガンを羽織っただけで、寒そうだ。
「ともかく、入って。」
「ううん、あの…」
「いいから。ちゃんと話は聞くから、中に入って。」
「うん…」
居間と食堂と台所が一緒になった部屋に上がってもらい、ソファに座らせる。
自室に上がっていた美悠が何か感じ取ったらしく、階段を降りてきた。
「あ、三琴さんだ。こんばんは。」
「美悠、親父に伝えてきてくれるか。」
「はぁい」
親父は今風呂に入っていて、来客を伝えておかないと上半身裸で出てきかねない。
「夜分にごめんなさい…」
三琴はさらに肩をすぼめている。
とりあえず、急須に湯沸かしポットからお湯を入れて、湯呑にお茶を注ぐ。
「出涸らしで悪いけど、とりあえず」
と、三琴の前に湯呑を置いた。
お茶がいつでも淹れられるようになっているのは長野あるあるらしい。
「あの、悠生君、お買い物マップのこと、ごめんなさい。」
三琴が急に深々と頭を下げたから驚いた。
「お買い物マップのこと?何かあったの?」
「みんなに勝手に見せてしまったりして、私、考えが足りなくて…」
「ごめん、話が見えないんだけど…」
「あ、ごめんなさい、えっと…、悠生君と美悠ちゃんがご好意でくれたものを、なんの相談もなく勝手に持って行ったりして、みんなに見せちゃって…」
「えっ、別に気にしてないけど、急にどうした?」
「え…」
「ともかく、いったん落ち着こうか。お茶飲んで。」
「うん…」
どうやら今日の打合せで、三琴がイラストマップの提案のために、見本としてお買い物マップを出したことを気にしているらしい。というのは、なんとなくわかった。
「お父さんにすごく怒られて…あの…夕飯の時に、話したら…」
なるほど。
「うちでも、さっきその話をしてたよ。」
落ち着かせようと思って言ったのに、三琴はビクッと体を震わせた。
俺はこういう時の言葉選びが下手くそだ。
「あ、えーと、まず俺はまったく気にしていないし、怒っていない、というか不快に思っていないからな?」
「…ほんと?でも美悠ちゃんは」
「美悠はむしろ得意げで、役に立ったって喜んでたよ。」
この様子だと、ずいぶん叱られたらしい。むしろ申しわけなく思えた。
さっきの会話をそのまま聞かせてやりたいくらいだ。
俺はどう話せばいいのか、しばらく悩んだ。
「あのさ、三琴。正直なことを言えば、少し驚いたし、少し照れくさかった。」
「うん…」
「あれが例えば、俺が転校生の気を引こうと思って作って、プレゼントしたものだったら、もっと照れくさかったかもしれない。だけど、俺はあれ、美悠の宿題だと勘違いして手伝っただけだから。」
「うん」
「それに、三琴がしたいことの提案をするために、見本として使ってくれたことはむしろ嬉しかったよ。」
「ちがうの…」
「あれ、違ったか。ごめん。」
これ以上は、今の情報だけでは想像できない。
時間がかかりそうだけど、三琴が話してくれるのを待つしかない。
「私ね…」
しばらくの沈黙の後、ようやく三琴は口を開いた。
「私、いつも考えが足りなくて、それに、人との会話の中で自分の考えがうまく言えないの…。」
それはわかる。俺もそうだから。
「頭の回転が速い人って、会話しながらちゃんと意見が言えて、すごいなって思う。」
「たしかにな。」
俺は深く頷いた。
見聞きした情報にすぐに反応して行動できる優琉や、どんどんアイデアを出せる西園寺、聞いたばかりのアイデアにさらに別のアイデアを乗せていける紬。
亜希のように、周囲の意見を聞いてから、整理したうえで自分の役目を示せるやつもいる。
「私ね、その場ではいつも言えなくて、だから記録して、整理して、自分の考えをまとめてからじゃないと意見が言えないの。」
「それだってすごいことだと思うぞ?」
三琴は下を向いたまま、首を振った。
「今日もね、みんなの話をちゃんと聞いて、整理して、それでもし機会があればと思って、画像を用意してて…」
スマホで見せた買い物マップの画像のことだろう。
「だけど、テーマが『観光』になりそうだったから、つい嬉しくなって、悠生君に相談する前に出しちゃって。」
「いや、それはいいよ。あれは美悠が三琴にあげたものなんだから、三琴のものだよ。」
「そうだよ!じゃなかった、そうですよ、三琴さん」
突然、後ろから美悠が乱入してきた。
「あれは私が作ったもので、お兄ちゃんは手伝いですから。」
そこまで言うか。というより、
「美悠、盗み聞きはよくないぞ?」
「盗み聞きじゃないよ、いつ入っていいかわからなかったから、そこで待機してたんだよ。」
三琴は目に溜まった涙を手の甲で拭ってから顔を上げた。
「うん…、ありがとう、美悠ちゃん。」
「美悠、お前がいると話しにくいこともあるだろうから部屋に行っててくれるか?」
美悠は抵抗するかと思ったが、存外素直に、
「うん。じゃあ、三琴さん、どうぞごゆっくり。」
と微笑んで、階段を上がっていった。
「ごめんな、美悠が話の腰を折って。」
俺は三琴がさっき「ちがう」と言った、その理由が気になっていた。
まだ何か、俺に伝えたいことがあるように思った。
「ううん。私ね、イラストマップを作りたかったのではなくて、受け取った人が感動して、喜ぶようなものを作りたいな、って思っていて…今度はもらう側じゃなくて、悠生君と一緒に、作る側、あげる側になりたいって、本当は言いたかったの。」
あー、それは言われたら恥ずかしかったから、言われなくてよかった。
「だけどさ、結果的にはそういう、誰に向けて、どんな風に使ってもらって、どう役に立つか、って話し合いになったんだから、よかったんじゃないか?」
「うん…嬉しかった。」
ふぅ、なんとか落ち着いたみたいだ。
「少し前にね…亜希ちゃんと話してたら、急に、悠生君のことを聞かれたんだ。」
「えっ、なんて?」
「うん…、聞かれた通り言うと『悠生のことどう思う?』って。」
「それって、どういう話の流れで?」
「うーん、話の流れっていうのはあまりなくて…」
いやいや、そんなことはないだろう。
俺が何かやらかした後だったら、その言動についての評価を聞いているのだろうし、恋愛話の最中だったら、俺自身への想いを聞いていることになる。もっとも後者ではないだろうけど。
「でもあの、急に聞かれたから…」
「そうか、まあいいや、それで三琴はなんて答えたんだ?」
「それが『おかしな人だと思う』って言っちゃったの。」
さすがの俺もずっこけた。
「あ、ちがうの、あのね、こんな優しくて、頼りがいがあって、なんでもできて、いつも他の人のことを優先して、なのに何も見返りを求めようとしなくて、そんな人がいるのかな、っていう意味で。」
今なんか、すごく褒められたような気がするけど、誤解も甚だしい。
「その勘違いもどうかと思うけど。それで亜希はなんか言ってた?」
「うん、それがね、『そう、その通り!』って言って笑ってた。」
「うん、そうか、まあその反応のほうが正しいような気もするな。」
「えー、『おかしな人』しか言えなかったんだよ?」
「ああ。その先というか、さっきの勘違いまで話してたら、きっと訂正されたか、心配されたと思うぞ。」
「そんなことないよ。今言いたかったのは、私がちゃんと思っていることを話せない、っていうことと、話せなくても亜希ちゃんには伝わったみたい、っていうこと。」
「そうか、わかった。俺は亜希みたいに察しがよくないから、三琴が考えて、整理して、それから伝えてくれるのを待つようにする。」
「うん。」
三琴は頷いてから、小さな声で言った。
「…やっぱり、おかしな人…」
それから俺は、ようやくいつもの表情に戻った三琴を、家まで送っていった。
道すがら、なぜこんな時間にわざわざ訪ねてきたのかを聞くと、どうやらお父上に怒鳴られて、今すぐ謝ってこい、と言われたらしい。厳しいお父上だ。
だから一緒に行って、俺からご説明することにした。
三琴はしきりに遠慮していたが、お父上の論理で言えば俺は被害者であり、俺が謝罪を受け入れなければ、三琴の罪は許されない、ということになる。
何度かためらった後、三琴が玄関を開けて、
「ただいま」
と言うと、ご両親が揃って出てこられた。
三琴の脅えようから、虎か熊のような逞しい男性を想像していたのだが、お父上は温和そうで優しげな目の、色白な人だった。
俺のことを見て、二人とも驚いた様子で何か言おうとしていたので、先に話すことにした。
「下田悠生と申します。このたびはお買い物の地図のことでお心遣いをいただきましてありがとうございます。私も妹もまったく気にしておりませんでしたし、三琴さんからも事情をお聞きしましたので、どうか今回のことはお気になさらず、今後ともよろしくお願いいたします。」
そう言って一礼。
お父上のほうがむしろ恐縮して、「ご丁寧に、その、どうもすみません」と何度も頭を下げておられた。
「遅い時間に失礼しました。それでは、失礼します。」
唖然としている八木家の皆さんを置き去りにして家を出た。
はあ、緊張した。
少し歩くと、緊張がほぐれて、事情が呑みこめてきた。
お父上は「怒った」のではなく、三琴に「教えた」のだろうな。
亜希に言われたことを思い出す。
「優しくすることと甘やかすことは違うんだよ」
そうか、あれが娘に優しくするということなんだな。
きっと帰りが遅いから気を揉んでいたのにちがいない。
だって、すぐに娘を迎えに出てきたんだから。
うちとは違う温かさを持った家庭だ。
冷たい夜風がなぜか心地よく思えて、空を見上げると無数の星が輝いていた。
振り返ると、浅間山の形に星空が切り取られていた。
(それでも山はここにある、だな。)




