24 強歩大会⑤「そのくらいでやめとけ」
翌朝。
三バカはいつものように三琴と一緒にしなの鉄道に乗りこんだ。
亜希の姿はない。
生徒会長の亜希はおそらく一本前の電車に乗って、強歩大会の成績発表の準備をしているのだろう。
「優琉ー、自信は?」
翔太がまず優琉に聞く。
「ああ、首位は間違いない。だって2時間そこそこでゴールしたんだぜ?」
まあ、フルマラソンを2時間台で走る人もいるからな。しかし五人で30kmを2時間とは、さすがだ。
「翔太はどうだったんだよ。」
「ウサギやらされた。死ぬかと思った。」
「『農家なめんな』はどうしたんだよ。」
「いや、5分しか作れなかったー。しかもその後のペースがガタ落ち。」
そう言いながら太腿をさすっている。駅に来るときも片足を引きずっていたから、まだ痛むらしい。
「悠生と三琴はなんか人助けしたんだって?ゴールで亜希から聞いた。」
「ああ、おばあちゃんがさ、電動カート乗ったまま転倒したみたいでな。」
俺は昨日の状況を簡単に説明した。
「目の前で事故ったわけじゃないのか。」
「ああ、たぶん少し前だと思うよ。横倒しのカートの陰に倒れてたから、先に行った班は気がつかなかったんだろうな。腰は強く打ってたみたいだけど、意識はあったからたぶん大丈夫だろ。」
「そうか、大事にならなくてよかったな。二人でいたから何事かと思ったよ。」
「優琉はあの後、急坂上りだっただろ?あのスピードだとキツかっただろう。」
「ああ、あそこは一番の難所だよな。宮原以外はあそこでかなり体力削られた。」
「ウサギは宮原?」
「あいつ15分も作ったんだぜ?残りの四人がかなりセーブしていったのはたしかだけど。」
「ってことは優琉は風越公園で15分しか休めなかったんだ。」
「そうだよ。まあ、野球部の二人が『B組の圧倒的な力を見せつける』って気合入れてたからな。」
教室は、強歩大会の話題でさらに熱気を帯びていた。
皆それぞれに、班での活動に満足していたし、制限時間内にゴールして達成感を感じている様子だった。
「皆さん、おはようございます。生徒会の成川です。」
校内放送で亜希の声が流れてきた。教室は一瞬にして静まり返る。
「昨日の強歩大会は大きな事故もなく、無事終えることができました。運営委員の皆さん、参加者の皆さん、ありがとうございました。それでは、クラス順位を発表します。」
各教室で拍手が起こる。
「第8位、二年A組、13点。第7位、一年A組、54点。」
二年生の特進クラスは3つの班がスタート前に棄権したらしい、とさっき誰かが話していた。
強歩大会の得点は、1位の班が48点を獲得。順位が一つ増えるごとに、点数は1点減る。
クラスマッチの駅伝と同じような計算でクラスに点数が加算される仕組みだ。
6位、5位、4位は一年生。二年B、C、D組が3位以上に残った。
「第3位、二年B組、221点。」
その最初に名前を呼ばれたのが、俺たちB組だった。隣のC組の教室から嬌声が響いたのに対して、俺たちの教室は沈黙が支配した。
「第2位、二年C組、222点。」
(1点差かっ!)
今度は隣の教室が静かになり、遠くで爆発的な歓声が聞こえた。D組の教室だろう。
「第1位、二年D組、223点。」
(また1点差!)
「D組の皆さん、優勝おめでとうございます。今年の強歩大会はこれまでにない接戦となりました。参加者全員の健闘を称え、大きな拍手をお送りください。」
「二冠」を逃したB組の教室ではまばらな拍手が起こった。
「なお、各班の順位とタイムは、本日の昼休みに生徒会室前に掲示します。以上で、強歩大会の成績発表を終わります。ありがとうございました。」
六つの班が出場して30kmの行程を歩き、その結果が1点を争う大接戦になるとは。
「接戦を制する」とよく言うが、敗者を讃える言葉はない。
(まさに惜敗、だな。)
すぐに午前中の授業が始まって、昼休みまではいつになく静かな時が流れていった。
そして昼休み。生徒会室前に各班の成績が貼り出されると、再び教室は大騒ぎになった。
一人が順位表を撮影してクラスのチャットグループに上げてくれたから、それを見ながらの談義が始まった。
誰ともなく班ごとに集まって、教室には6つの固まりができる。
俺たちの班は17位だった。「歩き班」の中では上のほうで、B組では4番目の成績だ。
優琉たちトップチームは2位を18分も引き離し、圧倒的な首位を獲得していた。素晴らしい。
詳しく見ていくと、C組の4番目は16位、D組の4番目は14位で、俺たちよりも上位だった。
タイムではC組に10秒、D組に2分、負けていた。
(俺たちが11秒早ければB組が準優勝だったのか。)
これこそタイムトライアル制の面白いところだ。
10秒差ということは、すぐ目の前にC組がいたようなものだ。
見えていれば対処できるが、タイムで争う場合は見えないのだからどうにもならない。
(もっとも、見えていても抜けなかっただろうな。)
ゴール直前は五人とも力を出しきっていて、スパートする気力も体力も残っていなかった。
ダンッ!と机を叩く音がした。
教室は静まり返る。
何事かと見ると、トップチームの集まりの中で、野球部の小野が鬼の形相をしている。
「A級戦犯は相田たちの班だな。」
小野がそう言って、俺たちに強い視線を送ってきた。
なるほど、たしかにこのタイム表を見れば、クラス4番目の順位争いが勝敗の分かれ目になった、と思われても仕方がない。
(しかしA級戦犯とはな)
言葉が悪すぎるが、こういう大げさな言葉を選ぶのは小野の性格で、持って回った言い回しをすることがよくある。俺はそんな小野が嫌いじゃなかった。
「相田、なんで下田たちに勝手な行動を許したんだよ、俺、見たぞ、二人がイチャイチャ休んでるとこ。」
かなり頭に血が昇っているようだ。「イチャイチャ」とは小野らしくもない。
ん?イチャイチャだと?
「ちょっとやめなさいよ、小野君」
女子の中から小野を諫める声が出る。
(でもそういうの、たいてい逆効果なんだよな。)
「いいかしら」
立ち上がったのは生徒会長、成川亜希だ。強歩大会主催者として、小野に立ち向かうらしい。
(おいおい、やめとけよ。)
と思ったが、もう止められないのはよくわかっている。
「強歩大会のテーマは絆と協調よ?相田君たちの班は、途中で事故に遭ったご老人を助けて、やむなく別行動になったの。むしろ最終的に合流して一緒に完走したことを褒めるべきじゃない?」
(あーあ、それはダメだよ、亜希。)
火に油を注ぐとはこのことだ。
「じゃあさ、成川。お前が大会前にクラスで言ったことはなんだったんだよ、『二冠をめざしてみんな頑張って』とか言って煽ってなかったか?」
(ほーらね。)
だけど亜希にまで矛先が向かうのであれば俺としては黙っていられない。
俺は立ち上がって、小野に近づいた。
(これ、殴られる展開かなあ…)
痛いのは勘弁してもらいたいから、小野の懐まで一気に距離を詰める。
踏み込んで殴られると痛い。だが、ここまで距離を詰めれば、せいぜい突き飛ばされる程度で済む。
教室中が固唾をのんで俺たちに注目していた。
俺と小野は、さほど悪い関係ではない。1年生の時も同じクラスで、美術の肖像画の授業ではペアを組んでお互いの肖像画を描いた仲である。俺が人物画に才能がないことを自覚したきっかけでもあったのだが。
「なんだよ、下田、やるのか?」
小野のほうが身構えている。
「いいや、やらないよ。」
お、意外と冷静な声が出せた。こういう時は落ち着いて話す方が迫力がある、と思う。
「道路脇にさ、おばあさんが倒れてたんだよ。それに八木が偶然気がついた。で、俺たちの班は全員で戻って介抱した。西園寺は救急車を呼んでくれた。みんなが心配して、その場に残ろうとした。だけど話し合って、最初に見つけた八木と、俺の二人が救急車が来るまで残った。三人は先を急いだ。」
小野はきょとんとして、何言ってるんだ、こいつ、という顔をしている。
「その時、俺たちが考えたのは自分たちの順位じゃない。クラスに迷惑をかけたくなかった、それだけだ。」
ちょっと脚色が入っているけどな。
「たしかに、そこで時間のロスがなかったら、もしかしたらロボが作ってくれたプランを上回るタイムが出せていたかもしれない。でもさ、俺はそこでおばあさんを見捨てるより、助けられる人間でいたいと思ってる。」
小野が言葉を失った。
「お前たちトップチームは圧倒的に勝った。それは本当にすごいと思う。でもさ、そのトップチームを解体して、各班にウサギとして配置するっていう作戦もあるよな?そんなたらればの話をしても仕方ないけどさ。」
そうなのだ。トップチームは2位を18分も引き離した。だが、引き離した時間は点数に影響しない。
最強チームを作って圧倒的な力を見せつける、と主張したのは野球部の小野と堀口だという。
それはそれで、誰も止めなかったんだから二人だけのせいではないが、例えばこの小野が俺たちの班にいて、ウサギをやってくれたら、時間差をもっと作れたかもしれないのだ。
ウサギが作る時間差はタイムの短縮に直結する。
なんだか急に腹が立ってきた。
三琴があの9分を作るためにどんな思いで走ったのか、それを考えると息が苦しくなる。
「小野、俺たちはA級戦犯かもしれない。でも誰のせいか決める必要ってあるのか?例えば、クラスマッチで俺たちが総合優勝できてなかったら、お前は戦犯探しをしたのか?」
小野は予選落ちした400mリレーの選手だった。
だがこの時、俺は忘れていた。――自分の立場を。
「てめえ、悠生っ!」
怒鳴り声は小野からではなく、横から聞こえた。そして誰かが俺に襲いかかってきた。
強い膂力で床に押し倒され、組み合ってきたのは――優琉である。
「お前、たまたまこぼれ球を押しこんでゴールしたくらいで調子に乗ってんじゃねえぞっ」
あ、そうだ、俺、決勝ゴールを入れて総合優勝の立役者の一人になったんだった。
「いや、優琉、ごめん、そんなつもりじゃ…」
組み合ったまま、優琉は俺の耳元に顔を寄せて、小さな声で言った。
「そのくらいでやめとけ」
どうやら俺が暴走しかけたのを止めてくれたらしい。
「悪かった、小野もごめん、言い過ぎた。」
俺が謝って、小野は
「あ、いや…」
と口ごもる。
「でも、あとひとつだけ言わせてくれ。」
このままじゃ立ち上がった意味がなくなる。
「小野、生徒会長の激励に文句があるんだよな。俺もまったく同意見だ。」
「なっ」
何言い出すんだ、と言いかけてやめたのは、俺を組み敷いている優琉だった。
俺はその優琉を振りほどいて、半身を起こした。
「勝ちに行けって言っておいて、今さら絆と協調とか言われても、負け惜しみにもならないよな。」
亜希を見ると、静かな微笑みを浮かべて俺を見ていた。
(ちぇっ、お見通しかよ…)
亜希にだけは、俺が何を言おうとしているのかわかっているようだ。
「だけどさ、小野、俺は強歩大会、楽しかったよ。仲間と離れて、それから追いかけて、体力の限界とタイムの短縮を天秤にかけてさ。体も頭も使って、面白いゲームだったと思う。それは勝とうって思いがあったからだろ?」
誰も何も言わない。でも教室の空気が、少しだけ変わった気がした。
「負けたのはたしかに悔しいし、実に惜しかったけどな。でも相手のいることなんだからしょうがないと思うんだ。だからさ、今はトップチームの圧倒的1位をみんなで讃えようぜ。」
誰もすぐには反応しなかった。わずかな沈黙のあと――誰かが拍手したらしく、その拍手が教室中に広がった。
(そういうのはやめてくれよー)
俺は恥ずかしくなって、のろのろと立ち上がった。
班のほうを見たら、三琴が笑顔で拍手していた。相田も、紬も。
だけど西園寺だけはなぜか泣いていた。なんでお前が泣くんだよ。




