23 強歩大会④「キミはほんとにすごい子ねえ」
通年型のカーリング場「軽井沢アイスパーク」で有名な軽井沢風越公園は、他にも多目的グラウンド、体育館、プール、テニスコートなどを持つ軽井沢町立の複合スポーツ施設だ。
御代田高校の強歩大会では、第3チェックポイントと昼食会場としてグラウンドを借りている。
グラウンドのフェンスには「県立御代田高校強歩大会」の大きな横断幕が掲げられ、出入口の一つに「入口」、もう一つに「出口」と書かれた張り紙がしてあった。
俺たち二年B組の相田、西園寺、紬、そして俺の四人は、スタートから約20kmの行程を経て風越公園に辿り着いた。
「三琴ちゃん、大丈夫かなあ」
歩いてきた道筋にはいなかったから、無事に着いているとは思うが。
相田が確認のため入口の受付に行き、俺たちはグラウンドの中に入っていった。
何組かの班が、それぞれに車座になって昼食を食べたり、休んでいたりしている。
仲間同士で脚のマッサージをしている班もあれば、遠足気分で談笑している班もある。
そんななか三琴は、グラウンドの入口に近い隅で――倒れていた。
最初に見つけた俺が、思わず駆け寄る。
「おい、三琴、大丈夫か?三琴っ」
照れくさいなんて言っている場合じゃない。目を閉じて力なく倒れている三琴に、声を掛ける。
返事がない。胸が一瞬、強く締めつけられる。
「三琴――」
その瞬間、ぱちっと目が開いた。
「あ、悠生君、着いた?」
「ああ、大丈夫か。」
「うん、平気。休んでただけ。」
「そ、そうか。」
まあそれはそうだ。ウサギにはまるまる30分の休憩時間が与えられている。
「信じられないことなんだけど…」
と、受付で確認をしてきた相田が後ろから来て、
「20分後に出発できる。八木が、9分の時間差を作ってくれた。」
と告げた。
(9分だと?!たった2キロで9分…)
「僕たちは1キロ12分くらいのペースで歩いてきたから、八木は2キロを15分で走ってくれたことになるね。」
相田が解説しながら腰を下ろす。
「三琴ちゃん、キミはほんとにすごい子ねえ。」
紬が三琴の横に並んで人工芝の上に寝転び、三琴の頭を撫でると、
「へへへ」
と三琴は笑った。
「ほえー」
想像できない、というように西園寺が小さな奇声を上げて、倒れこむ。
俺もその横に腰を下ろした。
「ともかく、ランチにしようか。」
相田がそう言って、リュックの中からバナナと、黄色い箱のバランス栄養食を取り出す。
が、あまり食欲は出ない様子だ。
西園寺と紬も「えー」と声を揃えた。
今は食べるより休みたい、という意思表示のようだ。
俺がさっき預かったリュックを倒れている三琴の横に置くと、三琴も半身を起こした。
見回すと入口の近くでスポーツ飲料が配られていた。参加賞らしい。
どうやら動く気力が残っているのは俺だけのようなので、立ち上がって人数分のペットボトルをもらい、四人の中央あたりに置いた。
みんながお礼を言ってペットボトルに手を伸ばす。
強歩大会では、第3チェックポイント以外での食事を禁止している。
ルールによると「飲料と、ゼリー状栄養食品など固形でない食品は除く」となっている。
ただし、当然だがゴミは各自で持ち帰ることが条件だ。
「おにぎり買ってきたけど食えそうにないや。」
西園寺が言うと、
「私もお母さんがお弁当持たせてくれたけど今は無理そう。」
紬もため息をつく。
三琴もスポーツ飲料を少し飲んだ後は、また横になっていた。
俺はリュックを開けて、コップ型のタッパーを五つ取り出した。
ぎりぎりルール内、非常時用に今朝作ったものだ。
「下田、何それ。」
さっそく西園寺が見咎める。
「ああ、俺も去年、弁当が食えなかったから、梅粥作ってきた。もしよければ、全員分ある。」
「えっ、下田君、自分で作ったの?女子力高っ」
紬が驚いて、おそるおそる、といった感じで一つを手に取る。
目を閉じていた三琴も、目を開けて体を起こした。うとうとしていたのか、眩しそうだ。
「僕もいただくよ。」
相田も手に取って、タッパーの蓋を開ける。
「……」
中に入っているのはどろっとした白い半液体。梅干を細かくした紅色と、海苔を粉末にした緑色、ゴマの茶色が斑点のように混ざっていて、見た目はかなりよろしくない。
「あ、美味し…」
最初に一口食べたのは紬だった。
「実は妹にもよく作ってやるんだ。バスケ部の試合とかだとこういうのがいいらしい。」
「「えー」」
三琴を除く三人が驚きの声を上げる。
「あ、うち母親がいなくてさ。」
美悠が試合の時は弁当を持たせてやったのだが、いつも食べきれずに持って帰ってくるから、ある時魔法瓶に梅粥を入れてやったら思いのほか好評だったのだ。
三琴も少しずつ口に入れながら「うん、美味しい」と喜んでくれた。
西園寺も美味そうに食べながら、
「こりゃあ、お嫁にほしいわ。剣持の噂にも現実味があるなあ。」
なんて言っている。
「これならたぶんルールぎりぎりだから、食べきれなかったら持って行っていいぞ。」
と言ったが、みな時間内に完食していた。
こうして昼休憩を終え、第3チェックポイントを出発。
静かな別荘地の中を通り抜け、国道18号のバイパス、新幹線の高架、しなの鉄道を越えて旧国道沿いの町役場に設けられた第4チェックポイントを通過。
中軽井沢駅を過ぎて旧中山道に入る。ダラダラと続く上り坂を上がりきれば、ゴールの信濃追分駅はもう近い。
しなの鉄道の線路沿いの平坦路に出ると、ラストスパートと言わんばかりに走る班も多いのだが、俺たちにはさすがに余力がなく、お互いに励まし合いながらゴールをめざした。
そして14時過ぎ。無事ゴールに到着。
相田によると「奇跡のようにプラン通り」だったらしい。
完走よりそのことのほうが嬉しそうだ。
「さすが、ロボ」
と褒めておく。
特設された本部席では亜希が電話で何か話していた。俺と三琴を見つけ、目だけで労ってくれた。
「去年も思ったけど、この駅ってほんとに何もないよな。」
西園寺が駅前を見渡す。
「白い町と呼ばれているくらいだからね。」
と、相田。紬は疲労困憊という様子で三琴の腕に掴まっている。
「三琴ちゃんはこの近くに住んでるんでしょ?不便じゃない?」
「うーん、そんなには感じないかなあ。私はけっこう気に入ってるよ、静かで。」
「そっかー、好きなら何よりだよね。住めば都。」
「うん、好き、かなり好き。」
三琴はそう言って、腕に掴まった紬の手を軽くポンポンと叩いてから、俺に視線を送って微笑んだ。
(好き…か…。この町を好きとか嫌いとか考えたことなかったな。)
この町に生まれ、この町で育って、この町でこれからも生きていく。
そうぼんやり考えていただけで、特別な感慨を持ったことはなかった。
変化に乏しい町なのだろうが、変わってみなければ変化には気づきにくい。
俺はふと、去年、親父に言われた言葉を思い出していた。
「悠生、高校時代ってのは、尾根伝いを歩いているようなもんだ。遠くまで麓が見渡せても、麓の暮らしまでは見えない。どの麓に下りて生活するのか、可能性は無限にあるんだぞ?高校の間に決められなければ大学に行けばいい。大学ってのは山の中腹に建てる仮住まいみたいなもんだ。そのまま下山して麓に下りてもいいし、山の反対側に下りてもいい。ま、尾根を歩きながら自分とよく対話してみろ。」
親父はときどき、何やら哲学的なことを言って悦に入るのが好きで、いつも聞き流しているんだが、この言葉だけはなぜか記憶に残っている。
(遠くまで見渡せているようでも見えてない、か…。その通りかもしれないな。)
クラスマッチ、強歩大会と運動系のイベントが続いたが、11月には研修旅行、12月には後期中間考査とお勉強系の行事が待っている。
(「尾根を歩きながら」ってのは、高校生活にきちんと向き合いながらってことなんだろうな。)
今日の結果は明日の朝、校内放送で発表されることになっていた。
班ごとのタイムや順位は、午前中に生徒会室前に貼り出される。
だが、今は順位などどうでもいいことに思えた。
理論派の相田がプランを練り、結果的にそのプラン通りにゴールした。
責任は果たしたと考えていいはずだ。
相田たち三人は14時40分発のしなの鉄道で帰っていった。俺と三琴は手を振って仲間たちを見送った。
トップチームの優琉はもうとっくにゴールしているし、翔太は長距離が苦手だから当分は戻ってこないだろう。主催者の亜希は当然、大会終了後まで忙しい。
「帰ろうか。」
「うん、そうだね。」
仲間を見送って気が緩んだのか、三琴は足元がおぼつかなくなっていたから、国道までは送っていった。
借宿交差点で信号待ちをする。
「ここで大丈夫。もうすぐだから。」
「ああ、そうだな。ほんとに今日は大活躍だったな。」
「そう、かな。うん、そうだよね、出し切れたと思う。」
信号が青に変わった。
「それじゃあ、また明日ね。」
「ああ、あと少しだけど気をつけてな。」
「うん、今日は嬉しいこともあったし、ぐっすり寝られそう。」
横断歩道の途中で、一度振り返って笑顔を見せると、三琴は自宅のほうへ帰っていった。
(さすがに、俺も疲れたなあ…)
今日はもう、ネット通販の仕事も家事も、親父と美悠に押しつけて休もう。
そう思った瞬間に、ふくらはぎが攣った。
「……痛っ」
今日一日の現実が、最後にまとめて押し寄せてきた。




