22 強歩大会③「浅間に見守られてるみたいに感じるね」
見晴らしのいい畑作地帯をしばらく歩くと、呼吸も整ってきた。
この先のコースを頭の中で思い出しながら、ペース配分を考える。
(次のチェックポイントがゴールなら…)
まだ脚には余力がある。ペースを上げて一気に追いつくこともできそうだ。
(でもその先がまだあるからな…)
第2チェックポイントの「軽井沢レイクガーデン入口前」は折り返し地点のようなものだ。
標高差はさほどないものの、その後「風越公園」「軽井沢町役場」という二つのチェックポイントを通過し、「信濃追分駅前」がゴールだ。
最後には中軽井沢駅からのダラダラと長い上り坂が待っている。
俺はスマホを取り出して、ロボ相田に電話した。
「今どの辺?」
気にかけてくれていたらしく、相田は開口一番、そう聞いてきた。
「浅間山が見える田園地帯を過ぎたところだ。そっちは?」
「チェックポイントまであと5.5キロの地点だね。」
「そう言われてもさすがにわからないな。何か目印があるか?見えるもの教えてくれ。」
「そうか、そうだな、T字路になってる。ちょっと待て、標識が見えてきた…。ここは杉瓜です、って書いてある。」
「あそこか、わかった。順調だな。」
「ああ、こっちは遅れを取り戻して、プラン通りに進んでいるよ。」
さすがロボだ。
「わかった。」
「たぶん、差は1キロだね。追いついて来れそう?」
「5キロの間に1キロ詰めるってことか。その先のことを考えると少し厳しいかもしれないな。」
「そうか。だけどプランではチェックポイントで5分の休憩を入れることにしている。椎名さんも少し休ませる必要がありそうだしね。12時20分に再スタート予定だ。」
「それなら再スタート時刻には間に合うと思う。」
「了解。」
今の時刻は11時15分。
(このままのペースで追いつけるな。)
ただし、チェックポイントでの休憩なしに再スタートということになる。
「チェックポイントまであと6.5キロ。このままのペースで間に合うってさ。」
通話を切って三琴に言う。
「うん、わかった。」
と、三琴は頷いた。
この強歩大会には、もう一つ、面白いルールがある。
ちっとも楽しくはないのだが、戦略的に工夫の余地があるルール、という意味だ。
『第3チェックポイントでは班の先頭が着いてから30分後まで再スタートできない。』というものだ。
ルールの趣旨としては「第3ポイントで昼食休憩をしっかり取れる。疲れた人は無理せず体力回復できる。」ということなのだが、その通りには機能していない。
第2ポイントを全員が揃って出発したあと、誰か一人が全速力で第3ポイントに行き、メンバーが揃うのを待って再スタートをするのが、時間的にはもっとも効率がいい。
先行者は「ウサギ」、遅れていくメンバーは「カメ」と通称されている。
例えば、二年B組のトップチームであれば、陸上部の宮原が「ウサギ」だ。ウサギは到着から30分間は休まなくてはいけないから、30分で回復できる程度まで体力を使うことができる。
「カメ」たちは体力を温存して移動し、第3ポイントで合流する。
一般的に、体力の回復は男子より女子のほうが早いと言われるので、男女混成の班では女子がウサギになることが多い。
ただ、第3ポイントまでの区間距離は約4kmしかないから、よほどのスピードランナーでない限り、大きな時間差は作れない。そこにさまざまな葛藤が生まれる。
俺たちの班では「第2チェックポイントに着いた時点で一番余力のある人がウサギになる」という方針を立てていた。目標にする時間差は10分で、ウサギは30分、カメは20分休んで、残りの区間を進もう、という作戦だ。
あえてウサギを選ばなかったのは、全員が「駅伝で活躍した八木三琴」を思い描いたからだ。
そして、あらかじめ決めたら「三琴はどんなに疲れていようと無理しそうだ」と思ったからなのだ。
駅伝でゴールした後に倒れこんだ三琴の姿は、クラス全員の目に焼きついている。
今、事実上、三琴のペース配分を管理している俺にとっては悩ましい問題だ。
(ペースを上げれば消耗する、体力を温存すれば時間がかかる。早く追いついて休ませるか、ペースを乱さず進むか。)
他に誰がウサギになれるか、ということも重要だ。ロボはペースメーカーだから外す、紬にはたぶん無理、西園寺や俺が引き受けたとしても、大した時間差は作れないだろう。
「私、ウサギできるかなぁ。」
と、三琴は呑気にそんなことを言っている。別荘地を抜ける直線道路には、黄色や赤に色づいた木々の葉が柔らかな木漏れ日を作っていた。
「それはチェックポイントに着いてから考えよう。みんなとも相談してさ。」
「うん、そうだよね。」
強歩大会は時間差スタートのタイムトライアルだから、見た目では順位がわからない。
クラスの順位は、各班の順位ポイントの合計で決まるから、特に接戦となりそうな中間層のタイムは勝負の分かれ目となる。
「走り班」の3番目、「歩き班」の1番目あたりだ。
つまり、クラス優勝のためには、俺たちの班の時間は1秒たりとも無駄にはできない。
そして「ウサギ」が作る時間差は、タイムの圧縮に大きな影響を及ぼすことになる。
(ともかく腹を決めよう。ペースは乱さない、このまま行く。)
先のことは予測できないが、悩んだままでいるより、決断してしまった方がいい。
自分の決断が間違っていたら、素直に謝ればいい。
(俺は嫌われ者らしいからな。)
ひとつくらい悪評が増えたところでどうってこともない。
俺は急に気が楽になった。
さっき電話した時に相田たちがいた「杉瓜」を通過する。11時25分。いいペースだ。
しばらく進み、小さな四つ角を曲がる。細い農道だ。
わずかながら県道より距離を短縮できる。
キャベツ畑とビニールハウスの間の道は、長い直線道路になっている。
果てしなく続くように見える道だから、精神的に疲労を感じさせる。
が、三琴なら大丈夫だろう。
「あっ、すごい!」
案の定、三琴はフィギュアスケートのようにくるりと回って振り返り、背後の浅間山に気づいた。
「なんかずっと浅間に見守られてるみたいに感じるね。」
入口となる小さな四つ角がわかりにくいから、この農道に入ってきている班は少ない。
左のほうにさっき歩いていた県道の続きが見えてきて、そちらのほうを歩く人数が多そうだ。
それでも、何組かはこの長い直線道路を歩いているのが見える。
相田にも事前に教えたから、この道を通ったはずだ。
道幅は広くないが平坦で、舗装もされているから歩きやすい。
無意識にペースが上がってしまったのか、直線道路の終わりに近づくと、前方に三人組で歩いている班を見つけた。
「あっ、紬ちゃんたちじゃない?」
「そうかもしれないな。」
「よかった、追いつけたね。」
「疲れ具合はどう?」
「うん、少し腿のあたりが張ってるかなぁ。でも痛みとかはないから平気。」
「そうか、焦って追いつくこともないから、このまま行こう。」
「うん。」
相田に電話する。
「背中が見えたぞ。」
と言うと、前方の三人組の一人が振り返り、他の二人も振り向いた。
手を挙げて大きく振って合図すると、三人も手を振り返してくれた。
その後、チェックポイントの直前で三人に合流。揃って到着して、5分の休憩を取ることにした。
「ウサギはどうする?」
と相田に聞くと、申しわけなさそうに首を振った。
「こっちの三人からは無理そうだよ。だから全員で動こう。」
「そうか、わかった。」
それは仕方がない。と思っていると、
「あの…、相田君。残り2キロのところからウサギやってもいい?」
と、三琴が言った。
「4キロは無理だけど、2キロだったら駅伝と同じだから、少しスピードが上げられると思うんだ。」
「それはかまわないけど、大丈夫?」
「あまり期待されると困るけど…、でも残り2キロになったら教えてくれないかな。」
「わかった、教えることはできる。でもその後のことも考えて無理はしないでくれよ?」
「うん。」
5分休憩後、五人で出発。体より頭が疲れた俺は、相田の後ろをトボトボ歩く。
意気消沈したわけではなくて、体をやや前傾し、足をなるべく上げずに歩く省エネ歩行だ。
意識としては「トボトボ」をイメージするとやりやすい。
さっきまで三琴と歩いていたペースよりわずかに遅いだけなのだと思うが、かなり楽だ。
「紬ちゃん、いい写真撮れた?」
と三琴が話しかけて、紬が少し戸惑う様子なのが面白かった。
「う、うん、あとで見せるね。」
「うん、楽しみー」
「三琴ちゃん、元気だねえ。」
「ううん、ちょっと疲れてるけど、元気にしてると歩ける気がするから。」
トボトボ歩きの俺とはだいぶ違う。
右手にゴルフ場が続き、左右に緩やかなカーブが連続する道路を歩く。
道幅があり、車の往来もあるが歩道があるから歩きやすい。
20分ほど歩いたところで、相田がスマホを見ながら、
「八木、次のあのカーブを曲がったあたりが残り2キロ地点だけど…行けそう?」
と言った。三琴が微笑んで答える。
「うん、相田君のペースは下田君より優しいから少し回復した。」
おいおい。追走ペースを必死に作った俺の前でなんてこと言うんだ。
さては亜希の影響か?だとしたら末恐ろしい。
「せめてそのリュックは俺が持つよ。」
と、三琴のリュックを預かる。布の素材がいいのか、俺のリュックよりかなり軽い。
「じゃあ、少しだけ走るね。みんな、ゆっくり来てね。」
三琴はそう言うと、残り2kmの地点を待たずに、軽いジョギングのようなスピードで走り始めた。
「あー、ほんとに行っちゃったよ、大丈夫かなあ。」
疲労の色の濃い西園寺がため息交じりに言う。
「体力もすごいけど、精神的にも強さを感じるよね。」
相田も驚きの色を隠さない。
「あんな元気少女だったとは…。人は見かけによらないよねえ。」
紬は三琴の後ろ姿を眺めながら呆れたように笑う。
俺たち四人が二つめのカーブを曲がると、もう三琴の姿は見えなくなっていた。
(お願いだから無茶しないでくれよ…)
俺は焦る気持ちを押さえて、相田の慎重で正確なペースに従って後を追った。




