21 強歩大会②「もう噂なんかに負けないもん」
俺と三琴は、先行した仲間を追って再び歩き出した。
(20分か…)
ロボが教えてくれた「想定通過時刻」からは20分遅れている。
1キロ10分のペースでは追いつけない、ということだ。
次のチェックポイントで、待ってもらうことになるかもしれない。
「悠生君、大きいタオルなんてよく持ってたね。」
「ああ、これ?タオルはいろいろ使えて便利だからな。」
実は小学生の頃から、親父の言いつけでいつもリュックにバスタオルを持たされていた。
川遊びや泥汚れ、突然の雨といった本来的な使い方のほかに、止血や捻挫、骨折の応急処置などにも使える。
「ロープの代わりにしたり、野イチゴを取ったり、それこそ農家のおじさんに野菜を分けてもらったり、実際にけっこう活躍してるよ。」
そんな田舎のガキならではのエピソードを歩きながら話すと、三琴は楽しそうに聞いてくれた。
遅れてスタートした他のクラスの「走り班」が追い越していく。
俺と三琴が二人で歩いているのを見て、「ヒューヒュー」とか「スクープスクープ!」とか言いながら走り過ぎる。たしかD組のやつらだ。
「俺が残るなんて言ったせいで悪いな。」
「私は平気だよ。もう噂なんかに負けないもん。悠生君こそ、大丈夫?」
まさか、例の噂が本人の耳にも入っているのか、と思ったが、
「この前、ちょっと気にしてたじゃない?」
と続けた。
「ああ、信濃追分の駅前でのことか。噂を気にするわけじゃなくて、からかわれるのが面倒なだけだから、別に気にしてないよ。」
それより、三琴の発言のほうが気になった。
「もう負けない、って?」
「うん…。前の学校で不登校になった原因がね、噂で」
「あ、ごめん、変なこと聞いたな。」
「ううん、実は話そうと思っていたんだ。」
「俺に?」
「うん。今、学校で噂が立ってるの、知ってる?」
「もしかして、「心に決めた好きな人」の噂か?」
「うん…」
本人の耳にも入っていたか。
「この前、優琉と翔太から聞いた。」
「あれはね、実は亜希ちゃんに相談して…」
「ああ、そんなことだろうと思ってたよ。どうせ亜希が「こう言っておけばうまく断れる」とかなんとか言ったんだろ。」
「わかってたんだ…。」
「わかってなければ残ってないよ。」
「えー、どうして?」
「だって、意中の人の耳に入ったら困るだろ?」
「うふふふ、そうかもね。」
三琴は口元を押さえて笑った。
「そうだ、一応、運営委員に事情報告しておくか。」
「そうだね、たしかプリントに緊急連絡先が…」
三琴がリュックを探そうとするから、
「いいよ、面倒だから。」
と、スマホを取り出す。一番エラい奴に言っておけばいいだろう。
「あ、悠生?あんたねえ、緊急連絡先は配ってあるでしょ?」
亜希に電話したら、さっそく文句を言われたが、これは挨拶みたいなものだ。
「ちょっとトラブルがあったから報告しておこうと思ってさ。」
「転んだお婆さんの話なら聞いてるけど?」
「あ、そうなのか、ならいい。じゃあな。」
通話を切ろうとしたら、何やら話しているようだったから、スマホを耳に戻す。
「なんか言ったか?」
「あんたたちは大丈夫?って聞いたのよ。」
「なんともないよ。」
転んだのは老女であって、俺たちは当然無傷だ。
「そんなことわかってるわよ。これから追いかけるんでしょ?」
「まあね。でも追いつけたら追いつく、って感じだから無茶はしないよ。」
「そう。三琴ちゃんのこともちゃんとフォローしなさいよ?」
「いや、俺のほうが三琴にフォローされる立場なんだが。」
「そうね、言い換えるわ。三琴ちゃんに迷惑かけるんじゃないわよ?」
「ああ、頑張るよ。」
「うん…無理しないで、ね。」
なんだか語尾だけ声が小さかったが、幼馴染として励まされたと思っておこう。
(あれ、今、俺自然に「三琴」って言えたな。)
実はあれからまだ一度も三琴を名前で呼べていない。
そのうち慣れるか、なんて思っていたが、時間が経ったらますます呼びにくくなっているのだ。
そのせいもあってか、最近は三琴に話しかけることが少なくなった。
二人でいると呼びかけなくていいから会話もスムーズだ。
「亜希ちゃん、なんか言ってた?」
「ああ、もう誰かが報告してくれてたみたいだ。西園寺かもな。三琴ちゃんに迷惑かけるんじゃないわよ、だってさ。」
「ふふふふっ」
と妙に三琴は嬉しそうに笑った。
「少しペースアップするか。」
「そうだね。」
ここからは緩やかだがアップダウンが続く。毎日、駅までの坂道を上り下りしているから、さほど苦にもならない。少し走ってまた歩く、という手もあるが、同じペースで歩く方が負担が少ないかもしれない。
このあたりは子供の頃から俺たちの活動範囲で、よく遊んだ地域だから地図を見なくても道に迷うことはない。
ところどころ傾斜が急な坂道ではややペースを落とす。
上り坂もきついが、注意が必要なのは下り坂で、勢いに任せてスピードを上げると太腿や膝にかかる負担が大きい。
分譲別荘地の入口の脇を曲がって、細道に入る。こちらが県道なのだが、直進のほうが道幅が広いから間違えやすい。
「あ、こっちなんだ。一人だったら絶対まっすぐ行っちゃってた。」
「ここからはしばらく下り坂だけど、傾斜は緩いから少し走ろうか。」
「うん、わかった。」
早歩きからジョギングくらいのペースに上げる。林間の道は頬に当たる風が心地いい。
急カーブを曲がるとやや視界が開け、陽光が当たる。
茂沢川という湯川の支流が作った谷に、田畑と集落が見えてくると、その茂沢川を渡る小さな橋がある。
「ここでよく川遊びしたな。石を積んでダム作ったら農家のおじさんにすげえ怒られた。」
橋を渡ると平坦になるから、息と歩調を整える。
「遊ぶ時も四人だったの?」
「いや、ワイルドに遊ぶ時は亜希はいないことが多かったな、たぶん。」
茂沢という集落に出たところで、足を止める。
「1分だけ休憩しよう。この後はちょっとキツい上り坂だから。」
「うん。」
ストレッチしながら、やや強張った体をほぐす。
「あ、この木、懐かしいな、木登りしてたら優琉が落ちてさ。」
「えー、大丈夫だったの?」
「ああ、大きな怪我はしなかったな。」
そんな話をしていると、何組か後にスタートした優琉たちの班が追いついてきた。
我が二年B組が誇るトップチームだ。
陸上部の宮原を先頭に、すごい勢いで駆けてくる。
優琉のほかに、駅伝で三琴の前後を走った野球部の堀口、サッカー部の上野原もいる。
もう一人はリレーに出た野球部の小野隼人だ。
クラスマッチでは予選敗退したから雪辱に燃えているという。
首位狙いの班だから、そのペースも尋常じゃない。
宮原がペースを作っているようだが大丈夫なんだろうか。
「がんばれっ!」
と声を掛ける。三琴も
「がんばって!」
と手を振った。
さすがの優琉も息が荒く、声は出せないようだったが手を挙げて応えてくれた。
駅伝チームの面々も、三琴の声援に手を振って走り去っていった。
野球部の小野だけは冷たい目を向けてきたが、やむを得ない事情は後で共有されることになるだろう。
「さ、俺たちも行こう。」
「うん。」
短い休憩を終えて歩き出す。公民館の手前で左に折れると、上り坂になる。
谷から台地に登っていく道で、勾配がきつく、しかも長い。
「この先でヘアピンカーブを四つ曲がるよ。その後、農作地帯に出るんだけど、浅間山が見えたら平坦になるからな?途中できつくなったら遠慮なく言ってくれな。」
少しでもコースがわかった方が気持ち的には楽だろう。
「うん、わかった。浅間山が見えたら楽になるんだね。」
「そういうこと。」
「最初に、悠生君がスケッチする場所に連れて行ってもらった時みたいだね。」
「ああ、あそこの坂もけっこうきついよな。でもたぶん、こっちのほうが急だから頑張ろう。」
「うん。浅間山を楽しみに歩く。」
三琴はそう言って、一度後ろを振り返る。
「あ、後ろから来た班、曲がらないで真っすぐ行ったみたい。教えてあげなくて平気かな。」
えっ、わざわざ戻って?それはさすがに人が良すぎるだろう。
「真っすぐ行くルートもあるよ。距離的には微妙だけど、あっちは細くて上り下りがあるからきつい。」
平面的な地図上でルートを考えると選んでしまいがちだが、歩きやすさで考えればこっちのほうがいい。
優琉たちトップチームもこちらのルートを走っていった。
連続ヘアピンに差し掛かる頃には、さすがに息が切れて、二人とも無言になった。
「はぁ、はぁ」
とすぐ後ろから聞こえてくる三琴の吐息が、妙に艶めかしい。
もっとも、自分の耳の中で鳴っている俺の息がうるさくて、よくは聞こえないが。
四つめのカーブの脇で、へたりこんでいる班があった。五人で地面に腰を下ろし、足を投げ出して空を仰いでいる。ゼッケンを見ると一年生。
さっき、老女のところで止まっている俺たちを抜いていった班のようだ。終わりの見えない上り坂に根負けしたのかもしれない。
「もうすぐ上りは終わって、浅間山が見えてきたら楽になるよー。」
三琴が教えてあげている。一応、ライバルチームだと思うんだが。
教わった方も驚いて、一人が
「あ、ありがとうございます、先輩。」
とお礼を言う。俺は無言で手を挙げて彼らの横を通り過ぎる。
「えへへ、悠生君に教わったことなのにいい格好して教えちゃった。」
三琴は苦しそうな息をしながら、そんなことを言って笑った。
下級生とはいっても敵なんだから、教えてあげなくていいんだぞ、と言いたかったが、息が上がっていて口に出せなかった。
まもなく、坂道の先に浅間の頂上が見えてきた。
「あ、見えたっ!」
登っていくにつれ、その姿ははっきりとし、道は畑作地帯に差し掛かって平坦になる。
「はぁ、登りきった?」
「そうだな、しばらく平坦だ。」
「悠生君の言った通りだった。」
「そりゃ、何度も通ってるからな。」
「教わっておいてよかった。心が折れなかった。」
そんな大げさな、と思うが、立場を入れ替えて考えればそうかもしれない。
初めての道、いつまで続くかわからない上り坂。
一度気持ちが萎えてしまうと、立て直すのは難しい。
「みんなは大丈夫だったかな。」
みんなとは、先行した三人のことだろう。
「相田のことだから、標高差も計算に入れてるよ、きっと。」
「うん、そうだね。」
今はともかく、このペースで差が詰まっていることを祈るしかなかった。




