20 強歩大会①「このまま置き去りにはできないよ」
千曲川の支流、湯川は浅間山麓を源流に軽井沢の町内を南北に流れ、西へと流路を変えて深い谷を作っている。御代田の町から、スキー場などがある湯川南岸へ渡る橋は30年ほど前に架けられたという。「故郷大橋」と名づけられ、御代田町が管理している。
「すごい眺め、あの高架はなんだろう、あ、新幹線か!」
写真部の椎名紬がはしゃぎながら、橋からの眺望をカメラに収めている。
三琴が渡ってきた橋を振り返り、背後の景色に気がついて、
「紬ちゃん、後ろ」
と教えている。
「おおっ、いいね!すごいすごい。」
直線的な橋の向こうで道路は緩やかにカーブし、そのカーブの先に浅間山が雄大な姿を見せていた。
紬は小さめのデジタルカメラの液晶を見ながら続けざまにシャッターを切る。
「三琴ちゃん、ありがとー!よく気がついたね。」
「うん、振り返るの、癖なの。」
「へえ、いい癖だね!景色って片側から見るだけじゃもったいないもんね。」
「そうだよね。」
振り返る癖を褒められて、三琴も嬉しそうに笑った。
「でもよく晴れてよかったなぁ。天気予報が良くなくて心配してたけど。」
西園寺海斗は空を見上げる。部活には入っていないが明るいキャラクターでクラスのムードメーカー的な存在だ。
「写真もいいけど、ペースを崩さないようにしてくれよ。」
と、紬を諫めたのは相田凛太郎。科学研究会という謎の多い部活に所属している。
科学研究会の部員募集ポスターによれば「レガシーをぶち破り社会イノベーションをデザインする」部活らしい。
今日は御代田高校で二年前に始まった秋の行事「強歩大会」だ。
当時の生徒会が長野県内の他校にならって企画したもので、今回が第3回となる。
一、二年生のみが参加し、30kmのコースを歩く。
クラスマッチ同様、クラス対抗の要素があるのだが、企画の主題は「絆と協調」なのだという。
クラスマッチとの「二冠」を狙う二年B組は、陸上部の宮原を中心とした運動部が班分けの案を作った。
どのクラスも、走って上位をめざす「走り班」と、完走をめざす「歩き班」を三つずつ作る。
俺の班は、三琴、紬、相田、西園寺、下田の五人で「歩き班」。
駅伝で活躍した三琴は「走り班」に、という声もあったが、結局は運動部所属のメンバーで上位獲得を狙うことになった。
「うちは「歩き班」ではあるけど、その中での上位を期待されているからね。」
相田は班のペースメーカーを買って出た。「ペース配分の計画は完璧」と豪語している。
科学研究会ではAIを使ったシミュレーションを研究しており、クラスマッチでの戦力分析でも活躍した。
姿勢がよく、長身の彼のあだ名は「ロボ」。誰かが「AIロボットのよう」と例えたのが縮まったらしい。
この強歩大会には、重要なルールがある。
『チェックポイントを出発する時は班全員が揃っていなければならない。』というものだ。
ルートは自由だし、一緒に行動しなくてもいいが、四カ所のチェックポイントだけは揃って出発する。
生徒会長、成川亜希の主催者挨拶の言葉を借りると「班員が互いに支え、励まし合いながらゴールをめざして」いく。
「途中でバテて歩けなくなったりしたら元も子もないけどな。」
と、西園寺。チェックポイントごとに制限時刻が設けられていて、それを越えてしまうとその時点で失格となる。当然、クラスには得点が入らない。
「大丈夫、僕のシミュレーション通りに歩けば全員ゴールできる。」
ロボ相田はそう豪語する。
「うん、この中では私が一番体力なさそうだから、足引っ張らないように頑張る。」
と紬が言うと、
「私もあんまり自信ないから一緒にがんばろうね。」
と三琴が応じて、さりげなく紬の背中のリュックを押している。
橋を渡って、少し行くと最初のチェックポイント「スキーガーデンプラダ前」に到着する。
ここはまだ序盤だが、湯川南岸のルートを選ばせるために設定されているらしい。
湯川の北岸側より南岸側のほうが自動車の通行量が少なく安全、という配慮なのだそうだ。
「あ、菜摘ちゃん、おつかれさまー」
駅伝で3区を走ったバレー部の北原菜摘は、部活中の怪我で今回は運営委員に回っている。
「三琴ちゃん、おつかれー。がんばってね!」
「うん、ありがとう。」
チェックポイントがさほど混み合っていないのは、時間差スタートのためだ。
ところどころ歩道が狭いから、一斉スタートは危険という判断だ。
五人揃っていることを運営委員が確認し、チェック表に記録すると再スタートとなる。
次のチェックポイント「軽井沢レイクガーデン入口前」までが最長区間で、アップダウンのあるルートだ。
「ロボ、このペースで大丈夫か?」
普通に歩くよりやや速いくらいのペースで歩いてきたから、一度確認しておく。
「ああ、ジャストオンタイムだよ。なるべく余計な体力を使わないようにペースを守ろう。」
「後半バテるのも計算されてる、って思っていいんだよな?」
と、西園寺。相田は「当然」と胸を張る。任せておいて大丈夫だろう。
この湯川南岸は、農業を営む小規模集落と、観光リゾート施設が交互に現れる独特の地域で、夏場には避暑客でそこそこ賑わうが、秋の平日は静かな風景が続く。ときどき農家の軽トラや、工事関連の車両が通る以外は交通量も少ない。集落の過疎化、高齢化も進んでいるようだ。
空き家のように見える家の前に、高齢者用の電動カートが横倒しになっていた。
道の先に小さなトンネルが見えて、そこまでは上り坂になる。ロボ相田は登山が趣味らしく、ペースを落とすことなく歩いていく。
西園寺は毎日、佐久市街から片道30分の自転車通学をしていて、「歩くだけならまあなんとか」と言っていた。
写真部の紬は風景写真が専門で、山歩きをしながら景色のいい場所を探すというから、あまりペースを上げなければ大丈夫そうだ。
(俺も気をつけないとな)
西園寺同様、歩くだけなら何とかなると思うが、足を挫いたり、転んだりすると迷惑を掛けることになる。
いつもより足元に気をつけて歩こう。
「あっ」
俺の前を歩いていた三琴がふいに振り返り、いつものように今来た道に視線を送って、小さな声を出した。
「大変っ!」
そう言って、今来た道を逆走する。何事かと見ると、さっき通り過ぎた「横倒しの電動カート」の横に人が倒れているのが見えた。
走って戻っていく三琴を追いかける。
さっきは電動カートが盾になって見えなかったが、陰に小柄な老女が倒れていた。
横倒しで放置されていたのではなく、走行中に転倒したものらしい。
「大丈夫ですかっ?」
三琴が声を掛け、老女は小さく「ああ」と答えたから意識はあるようだが動けない様子だった。
救急車を呼ばないと、とスマホを取り出そうとしたら、西園寺がすでに「え、事故です…はい。お婆さんが倒れていまして、電動カートで転倒したようです、はい、僕は通りすがりの者です。」と電話してくれていた。
「救急車が来てくれるなら…、少し心配ではあるけど、先に進まないとね。」
ロボが言いにくそうに言う。ペースメーカーとしてはそうだろう。
「でも…このまま置き去りにはできないよ。」
と、三琴。
「おばあちゃん、どこか痛む?足?あと腰も?あ、おばあちゃん、歳はいくつ?」
西園寺は電話口でいろいろ聞かれているらしく、老女に話しかけている。
教室では軽口の多いタイプだが、いざという時には頼りになる男だ。ちょっと見直した。
「たぶん10分くらいで救急車が来るってさ。」
電話を切った西園寺が体を起こして、言った。「さあ、行こうか」という雰囲気だ。
たしかに、すでに10分程度はこの場所に留まっている。ここでさらに10分のタイムロスは大きい。
遅れを取り戻すために無理をすれば、疲労も増すだろう。
「なあ、ロボ。ここから次のチェックポイントまでどのくらいある?」
「えーと、ちょっと待って。…約13キロだな。」
「ロボのプランだと、何分で着く?」
「140分ってところかな。」
「ということは、10分ロスすると、1キロ10分で歩かないといけないってことだな。」
「そうなるね。」
「わかった、俺と八木が残るから、先に進んでくれ。」
「いいのか?」
「ああ。二人いれば対応できるし、残りの三人はペースを守れる。なんとか追いついてみせるよ。」
「それもあるけど…」
ロボ相田が言い淀む。
「また変な噂が立っちゃうぜ、下田。」
西園寺は遠慮なく言う。それもそうか。俺は三琴を見た。
「私は平気。」
こんな時に些細なことは気にしていられない、という強い表情だ。
「俺も別に気にしない。それより、無理をして後半に全員がバテる、なんて事態は避けたい。」
「わかった。じゃあ、そうさせてもらうよ。だけど、無茶しないでくれよ?プランなんて組み直せばいいんだから。」
「ああ、わかった。」
ロボ相田、もっと冷徹な奴かと思ってた。すまん。
「三琴ちゃん、ごめんね。私も残りたいけど、やっぱり先に行く。迷惑かけたくないから。」
「うん、紬ちゃん、ありがとう。悠生君もごめんね。」
「いや、一人で残したら絶対道に迷うだろ?」
「そうだよね。まちがいない。」
俺はリュックの中から使い古しのバスタオルを取り出して、広げながら老女に近づいた。
「寒くないですか?今、救急車が来ますから。それまではここにいますからね。」
使い古しで申しわけないが、バスタオルをかけてあげる。路面のアスファルトが冷たそうで気の毒に思ったからだ。
「もうしわけないねえ、あたしなら…大丈夫だよ。」
と老女は力なく言ったが、倒れたまま動けないでいるのだから大丈夫ではない。
でも、少し意識ははっきりとしてきているようだ。
俺のほうも落ち着きを取り戻していた。
「お住まいはこの近くですか?」
「うん、もうすぐそこ」
「お宅にはご家族がいますか?」
「ううん、旦那はもう他界して、二人の息子が東京にいてね、一人は結婚したんだけど、もう一人は…」
いやいや、身の上話はいいですから。
「どなたか、近所に頼れる方はいますか?」
「そりゃ、ここらはみんなお互いに頼って生活してるよね、この前も裏のばあさんが…」
まあ、そこまでしゃべれれば大丈夫か。
誰か呼びに行った方がいいかとも考えたが、今は救急車を待った方がよさそうだ。
ふと見ると、少し離れたところに農作業用の籠がひっくり返っていて、農具と大量のサトイモが散乱している。
「あのサトイモ、おばあさんのですか?」
「うん、今年は豊作だねえ、よかったら持っていって、全部でもいいよ…」
「今日は荷物になるんで、今度いただきに来ますね。」
といい加減な口約束でお断りする。大荷物を背負って、追走はできない。
(こりゃあ、過積載だな)
カートの前かごに積んだ荷物が重すぎてバランスを崩したんだろう。
三琴が籠を立て直して、サトイモを拾ってあげている。俺も手伝う。
そうしているうちに、遠くからサイレンの音が聞こえてきた。
意外に早く救急車が来てくれた、と思ったら、パトカーだった。
たぶん近くの駐在さんだろう。急いで制服を着たみたいで、少し着崩れている。
「あっ、ナルサワのばあさん、どした、転んじゃったのか」
顔見知りらしい。
「君たちが通報してくれたの?」
「通報したのは仲間ですが、僕らが発見者です。」
それから、少しの間、駐在さんに事情を聞かれた。名前と学校も。
「あ、御代田高校?俺、第一期の卒業生。強歩大会かあ、昔はなかったんだよねえ。」
県立御代田高校は、県の移住者受け入れ政策によって10年前に新設された歴史の浅い学校だ。
一期生ということは二十代後半か。少しフケて見える。
「大先輩ですね、お会いできて光栄です。」
と柄にもないおべっかを使う。早く解放されるためには仕方ない。
後続の班が通りかかって、何事か、といった目で見ながら前を通過していく。
知らない顔だからたぶん一年生だろう。
ほどなく救急車も到着。バスタオルだけ返してもらって、俺たちは無事に解放された。




