19 閑話「噂ってそんなもんだろ」
10月の中旬を過ぎると、信州はすっかり秋を感じる季節になった。澄んだ空気の中を、ひんやりとした高原の風が抜けていく。街路樹の葉は淡く黄色を帯びていた。
土曜日の午前中、軽井沢駅の北口側は、まだ観光客がそれほど多くない。
「ここにしようか」
俺は優琉、翔太と三人で「町」に来ていた。土産物店やカフェが軒を連ねる通りには、焼きたてのパンやコーヒーの香りが漂い、どこかゆったりとした時間が流れている。
アウトレットモールの開店に合わせて来て、混みあう前に買い物を済ませ、駅の反対側に抜け出してきた。せっかく来たからランチでも、ということになって町を散策し、裏通りにあるイタリア料理の店を見つけたところだ。
「そうだな、翔太もいいか?」
「ああ。」
クラスマッチが終わって三週間ほどが経過した。
俺たちの日常は平穏で、いつも通りの毎日が続いている。
「なあ、悠生」
窓際の席に案内されて、ランチのセットを三つ注文すると、優琉が何やらニヤつきながら言った。
「お前、高校ですごく嫌われてるぜ。」
「嫌われてる?俺が?」
そう言われると、実害のあるレベルじゃないが、学校で強い視線を感じたり、同級生との距離感に違和感を感じたりすることが増えたような気がする。
「俺、なんかやらかしたっけ。」
「やらかしてるのはやらかしてるけどな、それは原因じゃない。」
「え、優琉は原因を知ってるのか、教えてくれよ。」
「きっかけはクラスマッチだ。」
「ああ、たなぼたで決勝ゴールなんて決めたからか。面白くないやつもいるだろうなあ。」
「ちがう、それじゃない。クラスマッチの後、亜希と三琴の人気がすごいことになってるの、知ってるか?」
「へえ。」
「そういうとこだよ、何が「へえ」だ。」
「あー、ごめん、もっと驚くとこだったか。」
優琉がずっこけて、翔太が笑う。
「優琉、そういう話し方で悠生と話すと終わらないよー?別にいいけど。」
と、翔太。
「将棋部でも話題になってたから、俺も知ってる。」
翔太が会話を引き取った。「将棋部でも」というのは、噂や誰かの評判のような話は、運動部を中心に広がっていくことが多いが、文化部にも届いている、という意味だろう。つまり全校的に俺の悪評が知れ渡っているということだ。
「クラスマッチ以降、亜希は2回、三琴ちゃんは3回、男子から告白された。」
「おー、そうなのか。」
転校生の三琴はともかく、亜希に告白するのは勇気がいりそうだ。
「亜希って、学校では優等生キャラだし、近寄りがたい雰囲気があるだろ?だけどクラスマッチのバスケではかなり奮闘したし、負けた時に悔し涙も流したんだって。加えて、サッカーの応援で叫び声を上げたり、駅伝のゴールで三琴ちゃんを抱き止めたり、言ってみれば人間らしい一面を見せた、ってことみたいだな。」
「なるほどな、俺たちから見れば通常運行だけど、他の奴から見るとギャップだった、と。」
「そうそう。それで、誰とは言わないけど、告白したチャレンジャーがいたわけだ。」
「そうか、で、どうなった?」
「当然、撃沈した。で、三琴ちゃんのほうも、人気爆発中。」
「ああ、それはわかる気がするな。」
優しそうなルックスに都会的な雰囲気、そして駅伝での頑張り。男心を刺激するには十分だ。
「告白したのは二年生が二人と三年生が一人、こちらも全員撃沈した。」
「ふーん。」
「問題になったのは、二人の断り方。」
「断り方?」
「実は三琴ちゃんは、クラスマッチ以前にも告白に似たようなことがあったらしい。」
翔太の説明に、優琉も頷いているから、サッカー部と将棋部での噂の内容は一致しているようだ。
「その時は、『いつまで長野にいるかわからないから』って断ったらしくて、『じゃあ長野にいる間だけでも』って食い下がられて、『ごめんなさい』っていう流れだったみたい。」
「なるほど、なんとなく想像できるな…。」
「ところが、だ。」
横から優琉が少し音量を上げて割りこんできた。
「クラスマッチの後、断り方が変わって、三琴が亜希と同じことを言った、っていうのが話題になってる。」
「同じこと?」
「そう。『心に決めた好きな人がいるので』って。」
「二人ともそう言ったってこと?」
「そうそう。」
「それってさあ…」
「そう、みなまで言うな。亜希の入れ知恵に間違いない。」
「あはは、そうだよな。」
一番効果的で後腐れのない振り文句だ。きっと三琴に相談された亜希が「こういっておけばいいのよ」みたいに教えたんだろう。
「だけど考えてもみろよ、俺たちだからそれはわかるけどさ。」
「他の奴らには通じない、と。」
「ああ。それで、亜希と三琴が『心に決めた好きな人』って誰だ、てことが話題になった。」
「それ、まさか。」
「そう、そのまさかだ。下田悠生ってやつではないかと。」
「いや、俺より優琉のほうが適任だろう、モテキャラだし。」
「俺の名前も出たみたいだけどな、俺のことは周りもよく知ってるし、キャラクター的に違うだろう、ってことになったらしい。」
「なったらしい、って。そういうことを決める会議体みたいなものがあるのか?」
「ないけどさ、噂ってそんなもんだろ。」
「うーん、そうなのか。で、俺が嫌われてる、というか、恨まれてるわけだ。」
「えっとねえ、将棋部ではもう一つ別の話も聞こえてきた。」
今度は翔太が割りこんできた。
「まだあるのか!」
なんだか沈鬱な気持ちになってきた。
「優琉、クラスマッチの後、何人に告白された?」
「えっ?えーと、五人かな。」
「ええっ!」
それも初耳だ。
「で、なんと、優琉の断り方も『好きな人がいるからごめんな』だった。」
「そうなのか?」
「ああ、まあそう言ったな。」
優琉は少し気まずそうに頭を掻く。
「じゃなくて、好きな子がいるのか。」
「そんなこと言えるかよ。っていうか、そりゃこの歳になって好きな子くらいいるだろ、普通。」
「まあ、そうか。」
ここは追及しないでおこう。
「それでね、」
翔太はくっくっくっ、といやな笑い方をしながら言葉をつなぐ。
「優琉の好きな人、も下田悠生なんじゃないかって。」
「「なんだと」」
優琉も知らなかったらしく、俺と一緒に反応した。
「俺は見てなかったけど、サッカー決勝の決勝点って、優琉が悠生に譲ったんだって?」
「そうじゃないけど、そう見えたってことか。」
「そうらしいよー。で、愛ゆえだったのでは、ってさ。」
優琉、ぽかんと口を開けて唖然の表情。俺もさすがに苦笑した。
「まあ優琉とは仲がいいから誤解されてもしょうがないとして」
「しょうがなくねえだろ!」
食ってかかる優琉はいったん無視する。
「俺を見てれば亜希たちとどうこうなんて考えないと思うけどなあ。」
「いや、悠生はみんなにとってはミステリアスな存在だからな。部活にも入ってないし」
「いやいや、美術部員なんだが?しかも部長だぞ。」
「だって部員二人だろ?美術展で賞でもとれば別だけど、個性の証明にはならない。」
翔太め、痛いところを突いてきやがる。
たしかに、所属する部活というのは同級生の性格を想像する上で重要な符牒になる。
「『ねえ、下田君って知ってる?』『えー、美術部の人でしょ、よく知らなーい』『なんか剣持君と亜希ちゃんと三琴ちゃんと毎朝一緒に学校来てるんだって』『えー、もしかしてハーレム?しかも両刀ー?』」
翔太は気持ちの悪い小芝居を始めた。
そこに、アルバイトっぽいお姉さんが料理を運んできてくれた。
翔太は別に恥ずかしがる様子もなく、嬉々としてランチのプレートを受け取っている。
はた目から見ればたしかにそうかもしれないが、同じ電車なのは地勢的に仕方がないし、一緒に駅に着くんだから学校までの道だって一緒になるのは当然だ。
「まあ、実際、通学コースが同じで付き合い始めるカップルは多いからな。」
と、優琉。逆に、通学の方向が違うと交際が大変、という話を聞くこともある。
「で、悠生、実のところ、どうなんだよ。」
「どうって何が?」
「これからどうするつもりなんだ、ってことだよ。」
「噂はどうにもならないし、俺は気にせず、みんなと普通に接するよ。変に意識すると人間関係がおかしくなりそうだし。」
「そっちじゃねえよ。亜希と三琴のことだよ。」
それか。俺だって何も考えないわけではない。
「なあ、優琉。俺さ、たぶん恋愛とかそういうことについては奥手なほうなんだと思うんだよな。」
「奥手なほう、どころか、すごく奥手だよ。」
「あ、そうなのか、まあいいや。それってさ、俺自身の家庭の事情とかもあるけど、お前らや亜希がいてくれることで孤独や寂しさを感じない、ってことも大きいと思うんだよな。」
「まあ、それはあるかもな。」
「そこにもう一人転校生まで加わって、いつも賑やかに生活できてる。それで、恋とか愛とかを、わざわざ求めようと思わないのかもしれない。」
「まあ、それは理解できるし、いったん理解してやる。だけど、悠生、お前さ、まだ三琴のこと、名前で呼べないだろ。なんだよ『転校生』って、他人みたいに。」
「うーん、そうなんだよな。なんか呼びにくくてさあ。今さら前みたいに八木さんとも言えないし、かと言って名前呼びもできないから、会話に苦労してて。」
優琉と翔太、思わず顔を見合わせて、二人同時に深いため息をついた。
「あのな、悠生。それが恋の始まり、ってものなんだよ。」
「え…?」
「なんか照れくさかったり、恥ずかしかったりするんだろ?」
「まあ、そう…かな。」
「それって三琴のことを意識してるってことだろ。」
「…そうかもしれないな」
「だけど、お前は踏み出せない。亜希がいるから。」
「亜希は関係ないだろ。」
「じゃあ、悠生、お前亜希に『俺は三琴が好きだ』って言えるのか?」
「なんで言わなきゃいけないんだよ、わからねえよ。」
その時、パスタを頬張っていた翔太がフォークを置いて、優琉の腕をパンと叩いた。
「っ…そうだな、まだ悠生には難しすぎるか。だけど悠生、いつまでもわからない、知らないではいられないぜ、きっと。」
優琉の言うこともわかる。時は流れていくのだ。俺たちはいつまでも高校二年生ではいられない。
「わかった…。ちゃんと考えてみるよ。」




