18 クラスマッチ⑩「あれはキツかったんだぁ」
「「か、かんぱーい!」」
乾杯の声はまったく揃わなかったが、俺たちは思い思いの飲み物の入ったコップを高々と掲げた。
「ちょっと、今の何よ。」
「ネーミングセンスなさすぎー。」
亜希と翔太が文句を言ったのは優琉に対してだ。
最初に、乾杯の発声を任された優琉が、
「クラスマッチ二年B組の総合優勝に俺たち『白い町軍団』が貢献できたことを祝して」
なんて言ったからだ。
「きゃははは」
床に座った美悠が笑い転げている。
「私、白い町軍団に入団しちゃったんだ。」
と三琴も笑っている。
クラスマッチから2日経った、日曜日の夕方。クラスマッチの祝勝会と、三琴の歓迎会を兼ねた集まりが、俺の家で行われていた。
「俺、B組の優勝に貢献した扱いかよー」
と翔太。
「結果的に言えば、翔太が電車の中で言ったことが俺たちの勝因になったしな。」
優琉はあんなに悩んだくせに、今は「翔太の罠」に感謝しているらしい。
「俺が言ったこと?なんか言ったっけ?」
「とぼけるなよ、B組が駅伝で先行逃げ切りになるよう仕向けただろ?」
「ん?俺は後追い作戦にしてほしかったけど?」
「「えー、なんでっ?」」
声を合わせたのは優琉と俺だ。
「俺は2区だったから、なるべく混戦で走りたかったんだよね。」
「ああ、周りの選手を混乱させるために?」
「勝負の駆け引きを楽しむ、って言ってくれよー。それに、1位で戻ってこなかったら『農家なめんな』って言えないだろー?」
「あははは、じゃあ、あの高笑いポーズはなんだったんだよ。」
「ああ、あれね。俺の思惑が外されて悔しかったから、ちょっと腹いせに。」
「腹いせ?なんだよ、それ。」
「俺が高笑いしてたら優琉がいろいろ考えて面白いかな、って」
「て、てめえ!」
優琉は翔太の首の後ろに手を伸ばし、翔太の大きな体を揺する。
「じゃあ、周回遅れのことを考えて、じゃなかったんだ?」
俺はなんとなく感じていた違和感から解放されて、可笑しくなった。
「周回遅れ?なにそれ。」
翔太はきょとんとした顔をして、それからテーブルの上の菓子に手を伸ばす。
実はあの時、俺は優琉の言うことに違和感を覚えていた。
「翔太がそんなことするか?」ということだ。
優琉が真剣に悩んでいたから、「翔太にからかわれてるだけなんじゃ?」とは言い出せなかったのだが。
俺は、優琉が分析した「翔太の罠」について説明した。
今度は翔太が笑い転げた。
「わははは、してやったり!なるほどー、そんなこと考えたんだ、あははは」
クラスマッチの前、翔太は「敵チームごっこ」をしていたのだ。
何かにつけ「敵」と口にしていたが、結局は俺たちに練習場所を提供してくれたし、おそらく俺や三琴の練習や実力についてクラスで話すこともなかったと思う。
「あははは、優琉ー、俺は総合優勝なんて興味ないって。」
そうなのだ、クラスマッチは「運動部内の威信をかけた戦い」だ。
実際、優琉が率いるB組サッカーチームは、サッカー部のエース千葉先輩のクラスや、次期エース候補のいるC組を撃破した。
陸上部の宮原も、クラスマッチの駅伝を制したことで部内での立場が上がるだろう。
将棋部の翔太には、何の関係もない話だ。
「でも、八木さん、実際どうだった?追い抜くの大変だっただろ?」
俺たち三バカの会話を楽しそうに聞いていた三琴は、そう聞かれて首を傾げた。
「どうして?大変じゃないよ?」
「えっ」
「えっと、走って行ったら、二年生と三年生の人が前を走ってて。」
「うんうん」
「後ろから近づいて、『抜きます』って言ったら道を開けてくれた。」
「「えー!」」
驚きの声を上げる優琉と俺。
「宮原君がそうすれば大丈夫、って言ってたよ?」
倒れこむ優琉。まあ無理もない。
「そうか、困らなかったのならよかったよ。それより、最後の直線で加速したよな。すごかった。」
「ああ、うん、あれはキツかったんだぁ」
「そんな無理しなくてもよかったのに」
「ううん、前に一年生が見えたからね、抜きたくなって。」
三琴が意外な言葉を発した。ときどき、この子には驚かされる。
「抜きたくなった?」
「うん、そう。いつも朝練の時ね、下田君を抜きたいと思ってたから。」
このセリフだけ普通に聞けば可愛い女の子のようだけど。
「え、俺を周回遅れにしたかったってこと?」
「うん。」
そう言って頷く。
(そういえば、たしかに…)
思い当たる節がある。走り始めると、三琴はペースを上げて俺を引き離していく。
俺はついていけないし、その必要もないからマイペースで走る。
三琴との差はどんどん開く。
俺が4周目に入った頃に、三琴は4周を走り終える。
(俺が遅いだけだと思ってたけど、まさか周回遅れにしようと思っていたとは…)
「ラクロス部の時は、そういう練習があったの。400mのトラックだけど、集団でジョグしながら、先頭になったらダッシュして、一周回って集団に追いつく、っていう練習。キツくていやだったけど。」
そんな過酷な練習を、あの蕎麦畑の外周で再現しようとしていたらしい。
「それに、ラクロスはコンタクトスポーツだもん。追い抜きくらい平気だよ。」
朗らかに笑う三琴に、もう優琉は何も言葉が出ない様子だった。
「優兄、元気出して。」
と美悠。
「そうよ、普段考えない人が考えたりするからいけないのよ。」
と亜希。
「それより優琉、すごい人気じゃない?何人かの子に『剣持君って彼女いるの?』って聞かれたわよ?」
「えー、優兄にモテ期到来?」
優琉はむくっと顔を上げた。
「そういえば、今日の昼は御代田高校の女子が店にいっぱい来てたな。」
「えー、働いてる優兄を見に来たんだ、きゃー」
恋に恋する中二女子、大はしゃぎだ。
「まあ、サッカーでの活躍はすごかったからな。」
と、俺。
「最後に決めたのは悠生だったじゃない。」
「いや、亜希はその前を見てないからさ。」
女子バスケの試合はたいてい俺たちの試合と重なっていたから、剣持優琉選手の華麗なる大活躍は見ていないのだ。亜希の試合を応援していた三琴もそうだ。
「最後はたまたま俺のとこにボールが来たってだけで、先制点を入れたのも、決勝点のお膳立てを作ったのも、全部優琉だよ。」
「ばか、悠生、たまたまじゃねえよ。」
「あ、そうか、まちがえた。優琉の指示通り、ってことか。」
「まあ、そうとも言えるけど、悠生は本当に頑張ったと思うよ。」
「なんだよ、気色悪いな、こき使っても心が痛まない、って言ってたくせに。」
「あはは、言ったけど、正直、あそこまでついて来れるとは思ってなかった。」
「そうなのか?」
「だって俺、サッカー部のレギュラーだぞ?しかも中盤を任されてる。一番動き回るポジションなんだよ。」
それはたしかにそうだ。
「悠生に、俺の2m右にいろ、ってたしかに言ったけどさ。そういうつもりで動け、って意味で、まさか本当にずっとついてくるとは思わなかった。」
「えー、じゃあそう言ってくれよ!あの地獄のような時間はなんだったんだ…」
「あはは、だけど本当に、決勝戦での2点は悠生のおかげだよ、よく頑張った。」
俺はふと、最後のシュートの直前に聞こえた亜希の声援のことを思い出した。
「亜希もありがとな、あの時。」
「え、なんのこと?」
「いや、なんか亜希の叫び声が聞こえてきて、背中を押された気分だった。」
「…あんたね、そういうことは…まあ、いいわ、悠生らしいから。」
亜希が呆れたように首を振り、その横で優琉が苦笑している。
またなんかやらかしたのか、俺。
「それより、三琴ちゃんが三バカに話したいことがあるんだって。」
「えっ、亜希ちゃんー、突然振らないでぇ」
「いいじゃない、タイミングなんか見計らってもこの連中には関係ないわよ。」
とうとう三バカは「この連中」にされてしまった。
「うん…、あのね、今日は三人にお願いがあって…」
三琴が少し言い淀んで、俺たち三バカトリオは大人しくその続きを待った。
「私も、みんなと名前で呼び合いたいな、って。」
なるほど。たしかに俺が「八木さん」と呼ぶせいで、優琉も翔太も「さん付け」で呼んでいた。
「ああ、別にいいよー。よろしくね、三琴ちゃん。」
「うん、ありがとう、翔太君」
「俺、あんまり女子をちゃん付けとかで呼ばないから、呼び捨てになるけどいいのか?」
「うん、よろしくね、優琉君」
「おう、よろしく、三琴。」
優琉のいいところは、女子を呼び捨てにしても、カラリと乾いた感じで、粘り気を含まないから、いやらしい雰囲気にならないことだ。
「悠生君も、いい?」
「ああ、いいよ。」
俺はそう答えたのだが…
(あ、あれ…?…なんか、おかしいぞ…)
俺は立ち上がって、台所に行き、やかんに水を入れて火にかけた。
(俺が「三琴」って呼ぶのか)
呼び方なんて、大したことじゃない。優琉と翔太のように、軽く呼び返せばいいだけのことだ。
もちろん、特別な意味合いなどあろうはずもない。
(でも、呼べる気がしない…なんでだ?)
普段ならここで、亜希が「何照れてるのよ、呼んであげなさいよ」とか、優琉が「悠生が呼び返さないと三琴がかわいそうだろ」とか、助け舟を出してくれるのだが、今日に限って誰も助けてくれない。
(ま、いっか、そのうちで。みんなが普通に呼び始めたら俺も慣れるだろ。)
米櫃から6人分の米をボウルに移して研ぐ。
今やらなくてもいいことなのだが、何かしていないと落ち着かなかった。
「体育館のほうの競技の話も聞かせてくれよ、俺たちずっとグラウンドにいたから。」
俺が席を立ったせいでできてしまった「おかしな間」を埋めるように、優琉が明るく言った。
それからしばらく、亜希が出場したバスケの試合や他の種目の話題などで盛り上がっていた。
米を研ぎ終わった俺は、さりげなく席に戻って加わったが、優琉と亜希、三琴の三人の会話の聞き役となった。
「亜希ちゃんはすごいんだよ、明日からバスケ部に入っても通用するレベルだと思う。」
「えー、大げさだよ。足手まといにならないようにしてただけ。」
「ううん、コンタクトに強いから、みんなが安心してボール回してたよね。」
「まあ、三バカに囲まれて育ったからおしとやかな少女にはなれなかったわね。」
優琉がうんうん、と頷き、
「優琉っ、頷きすぎ!」
と怒られていた。ニコニコと聞いている翔太にも話が振られていたが、
「駅伝は最後まで出番がないから部室で将棋指してた。」
とのこと。クラスの総合優勝には本当に興味がなかったらしい。
美悠が会話に入れなくて飽きたのか「じゃあ、皆さん、ごゆっくりー」と言いながら部屋に戻っていったり、ゴルフに行っていた親父が帰って来て、すぐにまた出かけていったり、多少の出入りはあったが、俺たちの祝勝会は夜まで賑やかに続いた。
俺は途中で飯を炊き、朝から仕込んでおいたカレーを温め直して振る舞った。
美悠を加えた6人での夕食が終わり、亜希と三琴が洗い物をしてくれて、解散となった。
駅の向こう側に帰る翔太が亜希を駅まで送っていった。三琴は追分宿に帰る優琉が送ることになって、俺は家の前で彼らを見送った。
(今夜は何もすることがないな)
一人、することもなく、部屋のベッドに寝転がった。
仰向けになって、見慣れた天井を見る。
このところ、ずっと忙しかった。
(いつからだっけ)
昨日は筋肉痛と戦いながら、今日の準備とネット通販の新製品の登録やらサイトの改修に追われていた。
その前は2日間のクラスマッチ。クラスマッチに向けた練習は二週間続いた。
その前は、三琴が引っ越してきて…。
(「三琴」…か…)
「さん付け」や「ちゃん付け」をするのは俺らしくない。
御代田高校のスタンダードは、苗字呼び捨てだ。
女子の中には男子を「君付け」で呼ぶ子もいるし、男子には女子を「さん付け」で呼ぶ奴もいる。
女子同士は「ちゃん付け」とかあだ名で呼び合う。
男子はたいてい苗字呼び捨て、仲良くなると名前呼び。
優琉のように、女子でもおかまいなく名前呼び捨てで呼ぶ男子も少なくない。
俺は亜希以外の女子は苗字呼び捨てが普通で、別に違和感を感じたこともない。
転校生である三琴のことは、最初の数日は「さん付け」で呼んでいた男子が多かった。
今はみなたいてい「八木」と呼び捨てで声を掛けている。
俺は三琴といろんな意味で距離が近いにも関わらず、今も「八木さん」と呼び、優琉もつられて同じ呼び方をしているが、あだ名か呼称のような感じだ。
翔太にいたっては、「悠生」「優琉」「亜希」だけは変わらないが、他の人はその時どきで適当に呼んでいるし、勝手に呼び名を作ることさえある。さっきは「三琴ちゃん」と言っていたが、たぶん「みこっち」とか「みこりん」とか、変てこな呼び名で呼んだりするにちがいない。
「三琴…」
俺は声に出して言ってみた。
なんだか体じゅうの血液が沸き立って体温が上がったような気がした。




